∽∽∽∽  今日の一言 特別編 タイ修行シリーズ  ∽∽∽∽

*この今日の一言タイ修行シリーズは、今日の一言の中から特に人気の高かったタイでの修行に関する一連のバックナンバーだけを1つのページにしたものです。
 ページの下の日付から上にむかって新しくなっていきます。読むときは下から上にお読みいただくと時間経過通りに読めます。




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1/19(火) 
こうして、足かけ5年に及ぶタイの瞑想遍歴は終わり、私は、もう一つの原始仏教の国ミャンマーを目指して飛び立っていった。一人の知人も友人もなく、チャンミーの寺のアドレス以外には一片の情報もなかったが、流れのままにどこへでも導かれていく覚悟が揺らいだことはなかった。
 だが、その覚悟が試されるかのように、雨のそぼ降る夕暮れに重いスーツケースを持ってチャンミーにたどり着くと、なんの手違いか私の予約の手紙は寺に届いていなかった。そして、雨安居真っ最中の寺は超満員で、飛び込み状態になった私が泊まれる部屋はどこにもなかった……。
 こうして、波瀾に満ちたミャンマーの遍歴が始まっていくのだが、いつの日かそれについて物語るときもあるだろう。


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1/18(月) 
やがて車はバンコックのバスターミナルに到着し、ウルパットは次に乗るべきバスに私を導いてくれた。初めて出会ったときから、なんの違和感もなく風通しよく話すことができ、私より5、6歳若かったはずなのに、長旅から帰った優しい兄のような印象だった。
 もしウルパットに出会わなければ、果たして原始仏教に対する私の「信(サッダー)」は今のように揺るぎないものになっていただろうか。真っ暗な夜の海で座礁した舟のように、その時の私は混乱し途方に暮れていた……。
 言い尽くせない感謝の念と、かたじけなさと、細密画のような回想シーンが高速度で心を飛び交っていた。これでもう本当に会えなくなり、ダンマについて話せなくなるのが信じられなかった。去りがたく、別離しがたく、思いっきりアチャンを抱きしめたかったが、静かに篤く礼を述べ、車窓から遠ざかっていく姿に手を振り続けた。涙が溢れそうになった……。


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1/17(日) 
ウルパットの少年時代に両親は離婚し、女手ひとつで育てられながら法律家を目指し大学を卒業した。一人息子だったのになぜ出家されたのか、と問うと、女癖の悪い身勝手な父親の血が自分の中にも流れているのを感じたからだ、という。
 その母親にも父親にも紹介していただいたが、ウルパットの優しさは母親から受け継がれ、人生に対する洞察力は父親とのネガティブな関係を通して育まれたように思われる。いつでも何処でもどのような話題が振られても、ウルパットに怒りの波動を感じたことは一度もなかった。その穏やかさは生来の資質もあろうが、自分を律する自己抑制力に負うところが大きいのかもしれない。
 緻密な論理を展開させていく能力は法律家の資質にふさわしく、厳密な守戒をことのほか重視する傾向も法律との関係が深いだろう。だがそれ以上に、戒の力によって自分自身が守られていると強く感じていたのかもしれない。
 誰に対しても常に優しく穏やかなウルパットだったが、私との関係にはやはり、過去世のカルマが働いていたような気がしてならない……。


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1/16(土) 
その日、ウルパットの寺に到着する前に、ここで仏教書を買いなさい、この学校で自分も講座を一つ持っている、とアチャンは私をバンコックのあちこちに連れていかれ、人に会えば、日本から来た瞑想者だ、と紹介してくださった。
 夕方になり、30人ぐらいの在家者が高層ビルの1Fに集合し、ウルパットを講師に90分ほどの仏教を学ぶ会が始まった。私も同席することになったが、まったく理解できないタイ語は、窓の外の樹木で飛び交う小鳥の囀りと変わらなかった。眼を開いたまま私は悠然と、六門解放型の法随観の瞑想に専念していた。こんな場所なのに、体調もよく集中が高まり、1秒間に5、6個の高速サティが60分ぐらい続いていた。
 会が終わり、バスを乗り継ぎながらウルパットの寺に向かっていると、アチャンは「私の講義中、レベルの高い瞑想をしていたようだね」と微笑みながら言った。
 説法比丘として道を定めていたウルパットには、瞑想に専念する時間はなかった。それゆえに、瞑想に全てを捧げた一途な私の生き方を応援したかったのだろうか……。


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1/15(金) 
びゅんびゅんと風に吹かれ声を嗄らしながら、アチャン・ウルパットとダンマを語り合えるのも今日が最後だった。
 ……ウルパットに連れられ、彼の常住するバンコック郊外の寺に滞在した日が思い出された。与えられたクーティで荷を解くと、短い祈りをすませて座る瞑想を始めた。窓の外には、ピンク色の夕焼け雲がしだいに茜色に変わっていくのが見えた。
 禅定感覚が深かったので、誰が来ても瞑想を続けようと決めていた。やがてクーティの外に、ゆっくりと踏みしめるように歩く足音が聞こえ、気配からウルパットであることが知られた。しかし、いつまで経ってもドアはノックされず、ウルパットは私の瞑想を邪魔しないように待ち続けていてくださった。
 多忙なウルパットをこれ以上申し訳ない、という念にうながされ立ち上がると、「この寺で最も波動の良い場所がある」と言い、木立の陰に白い廟がひっそりと静まっている不思議な空間に案内してくれた。果たして翌朝、朝靄に包まれた廟の前で私は、記念すべき最良の瞑想のひとつを体験することができた。
 ……たかが外国から来た一介の在家瞑想者に対して、なぜウルパットはこれほど優しく丁重に扱ってくださったのか……。


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1/14(木) バンコックに近づくにつれ、喧騒と蒸し暑さと粗悪な排気ガスで不快指数が増していった。エアコン付きの高速バスで移動したほうがはるかに快適だったろう。だが、幌のない後部座席で声を嗄らしながら話し、硬い木板の座席で激しく揺られ、汗ばんだ体が排気ガスと埃に汚れていく不快感こそ、アチャン・サンガー亡き後のワットKが私に示してくれた最後の好意の証しだった。
 最初はただ寺を去る時にお金を布施するしか能がなかったが、パイリーンの手ほどきで初めて食事の供養をさせていただき、食事の終わった70名の比丘が一斉に低声で唱和された経の美しさに心底、感動した。僧衣や托鉢の鉢、クーティの建設費、比丘のテキストや資料などダンマブック関係の予算、ガラス扉の調度家具に納めた諸々の常備薬一式、車のガソリンや交換用タイヤなど、多角的なお布施で徳を積むことを教えていただいたワットK……。
 寺から遠く離れ、軽トラックに揺られているこの期に及んで、ワットKの比丘の方々の無言の好意が生々しく迫ってきた……。

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1/13(水) 
どうしても送ってくださるという申し出を受け入れ、寺の車でワットKを去ることになった。寺の少年僧と、所用でバンコックに赴くアチャン・ウルパットと並んで軽トラックの後部座席に座り、風に吹かれながら出立した。雑草が生え土ぼこりの舞い上がる田舎道の臭いも、懐かしいこの田園風景も、おそらく、もう二度と目にすることはないのだろう。
 真のヴィパッサナー瞑想は心の清浄道であり、反応系の心も潜在意識の汚染も根底から完全に浄らかにしなければならない。「戒→定→慧」の三学の本当の深さを心得ず、どれほどサマーディの到達とサティの持続に没入しようとも、悟りの瞬間には到らないだろう。
 瞑想の技法上のことだけで頭が一杯だったその時の私は、そうした仏教の道の真髄を叩き込んでくれたのがワットKの人々だったことに気づかずに立ち去っていった……。

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1/12(火) 
ウ・ジャナカ・サヤドウからの返事はとうとう届かないまま、ワットKを去る日がやって来た。
 かつて海辺の寺でアムノイと別れた朝のような爽やかさはなかった。
 ワットKの人々を思い出すといまだに、日本の家族や肉親を想起した時と同じ情緒に襲われる。
 社会から完全にドロップアウトした、孤独な修行者だった私が、異国でこのような親密な師友が得られるとは夢想だにしていなかった。
 ……それなのに、今は道が違ってしまったのだ。いや、進むべき道は同じなのだが、旅程や方法が相違して、もう同行することができなくなってしまったのだ。
 あれほど多くのことを教えていただいたのに……と、溢れるような感謝に圧倒されながらも、私が去っていく真意を打ち明けることができないまま、別れていかなければならないやるせなさと、もどかしさだった……。

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1/11(月) 
高床式の私のクーティで、私たちは、真紅のハイビスカスティーを飲みながら、互いに経験してきたこの2年間の瞑想とダンマについて語り合った。瞑想体験の最深部まで分かち合うことができる友のかけがえのなさを想った。
 日は暮れかかり、アムノイは、またあの海辺の寺に帰らなければならない。インストラクターをやって欲しいと再三再四頼まれても固く断って、自らに宿る法のみを拠りどころに、独り犀の角のように無師の道を歩んでいくという。
 アムノイを見送るために池の畔をゆっくり歩いていると、彼はポツリと言った。
 「君とは、過去世で従兄弟同士だったような気がするよ」
 そうだったかもしれないが、瞑想とダンマの話以外は一切しない私たちには、肉親の絆よりも法の縁がより強く働いていたのではないか……。
 縮緬のようなさざ波が立った池の波間には、ハイビスカスのような深紅の夕陽が照り映えていた。アムノイは静かに微笑しながら、夕陽のシルエットになって浮かび上がっていた……。


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1/10(日) 
ワットKのクーティを引き払い、ミャンマーへの出立に余念のなかったある日、寺の尼さんが私に来客だと伝えにきた。
 先生達を除いて人間関係など皆無の私に?……と訝りながらクーティを出て池の畔を歩いていくと、前方から、落ち着き払った足取りでゆっくりと近づいてくる男の姿が見えた。
 ……なんと、それは、海辺の寺から私を救い出してくれた、あのアムノイだった。こちらに気づくと立ち止まり、気品のある笑顔で言った。
 「君が今年もここに来ていると漏れ聞き、ふと、訪ねたくなったのだよ」と、まさにタイを去ろうとしている私に別れを告げにきたかのような絶妙のタイミングだった。
 アチャン・サンガーの死、ソンポールとパイリーンへの告別、タイを離れる私をバンコックで最後に見送ってくれたウルパット、そして、私のタイ遍歴を締めくくるかのように現れたアムノイ。
 ……まるで映画のようだった。


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1/9(土) 
突然タイを去るという私の一方的な宣告を通訳するパイリーンも不意を打たれ、愕然となった。なんとかタイに引き止めようと、マハーシ・システムのマイナス点を早口で列挙しながら説得にかかったが、すぐに私の決意が揺らぐはずもないことを察した。
 パタパタとドミノが倒れるように、失望と怒りと悲しみと諦めと受容と友愛が、パイリーンの心の中で転変していくのが見えるかのようだった。サッと気持ちを切り換えると、遠い旅に出る家族を送り出す母親のモードに変わり、ミャンマーの僧院事情や注意すべき事柄を優しい口調で語り始めたのは見事だった。
 アチャン・サンガーの巨大な遺影を飾ったワットKは、長期間の喪に服しながら次期後継者問題で落ち着かなかった。ミャンマーへの航空券はすでに取得していたが、ヤンゴンのウ・ジャナカ・サヤドウからの返事がいまだに届かないのが一抹の気がかりだった。
 いよいよワットKを立ち去ろうとするある日、思いも寄らない光景に目を疑った……。

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1/8(金) 
剃髪の日が近づくと真っ白い坊主頭になっているソンポールに、今まで修行してきたあなたの方法はまちがっている、などと言えようはずはなかった。代案の方法を提示することもできなかった。
 ある時、ソンポールの常住するバンコックの寺の小道を二人だけで、並んで歩いたことがあった。お互いにまったく理解できないタイ語と英語をペラペラ喋りながら、何ひとつ困ることなく心が通じ合った。途中で尼さんと出会うたびに、ソンポールはニコニコしながら私を息子のように紹介してくれた。
 彼女の小さなクーティを見せていただき、甘くてピリリと辛いジンジャーティを夕べの飲物として作ってくださった。故郷の母親と同じ波動になっていた。
 ダンマに身を投じた厳しいソンポールが、たとえ一瞬でも、私の別離の言葉に凡夫のような愛執の反応をしたのはなぜだったのか……。


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1/7(木) 
他の寺からの誘いを断って、アチャン・ソンポールはその年もワットKでの雨安居を決めた。私を指導するための配慮からだった。
 ある日、私は、かねてからの計画どおり、タイでの修行は終わったこと、今後ミャンマーで修行する旨をソンポールに伝えた。
 それを聞いた瞬間の彼女の驚きの顔を忘れることはできない。
 最愛の息子に裏切られたと知った母のような表情だった。
 お世話になった先生に、私は何ということをしているのだ……と自責の念でいっぱいになったが、私には新しい世界を見る必要がある、とだけ告げた。
 『申し訳ありません。赦してください……』と、胸が張り裂けそうな思いに駆られながら、私は心の中で呟いていた。


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1/6(水)
 その翌年、タイに出発する日が近づいたある日、アチャン・サンガーが危ないという手紙がパイリーンから届いた。
 バンコックに着いた翌日、市内の大きな病院にアチャン・サンガーを見舞った。比丘専用の病棟を探し、アチャンの病床に近づくと、満面の笑みで私を迎えてくれる力がまだ残っていた。
 言葉のコミュニケーションが取れなかったので、顔を見合わせ、万感の想いを込めて心の中で語りかけた。
 出会った最初の日からまるで息子か甥のように可愛がってくれたアチャン、ありがとう、と感謝の念を繰り返し捧げていた。
 アチャン・サンガーとの今生の別れだった。

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1/5(火) 
アチャン・ウルパットの寺に短期間滞在したこともあった。
 ミリンダ王のどのような問いにも見事な回答を与えるナーガセーナ比丘を彷彿とさせるウルパット。その薫陶を受けながらの僧院生活は素晴らしいものに想えた。もしウルパットが瞑想の師だったなら、出家して彼の弟子になる選択肢もあっただろう。
 だが、これまで10年の歳月、瞑想に命を懸けてきた私には、ただ比丘になるための出家などという人生はあり得なかった。
 何の保障もなく、誰からも認知されず、瞑想修行の行方がどうなるのか、未来は何も見えないまま、次に行くべきところに向かうしかなかった。 
 最後の別れの瞬間まで、一貫して優しい心づかいと配慮に満ちた遇し方をしてくださったウルパットを想うと、胸が熱くなる……。


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1/4(月) 
突然、パタリと風が止み、顔面や首筋に感じていた風圧と冷感が途絶えた。
 脳が直撃されるようなショックを感じた。
 1秒に10個ちかい高速のサティが入り続けていたので、思考のプロセスは完全に停止していた。
 その瞬間、何が意識を直撃していたのかを言語化すれば、熱帯の夕暮れの中を吹き過ぎていた涼風が突然消滅した無常性と、こちらの意志とは無関係な事象のコントロール不能性(諸法の無我性)ということになろうか。
 たかが夕暮れの微風に過ぎないが、この些細な体験によって私は、それまで長い時間を費やして検証してきたタイのシステムを放棄する心が決まった。
 どれほどわずかであっても、一瞬一瞬のサティにラベリングの概念が付着する瞑想からは、真の直観智が閃くことはないのだ。
 こうして私は、厳密な「法の確認のサティ」を説くことになっていく……。


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1/3(日) 
タイの瞑想方法には見極めがつき、ミャンマーやスリランカの新たな世界に分け入っていく機が熟したと感じた私は、本を頼りに、かねてより心惹かれていたモッコク・サヤドウの瞑想方法を試してみた。それは、六門に触れた全ての印象に徹底的にサティを入れていく法随観だった。
 すると、たちまち瞬間定がもどってきた。
 夕闇に包まれ始めたクーティの回廊を歩きながら、頬に当たる風、野犬の群れの吠え声、歩行感覚、リキシャーの警笛、力と輝きを失っていく夕焼けの残照、ギラついた真昼の陽射しの連想、したたり落ちる汗の感覚、熱風の印象……と、矢のように飛び込んでくる六門の知覚と、そこから叩き出されて脳内を駆け回る思考や連想を片っ端からサティで射ち落としていた……。


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1/2(土) 翌年も、その次の年も、私はワットKを拠点に、タイでの修行を続けた。
 アチャン・ソンポールの推奨で最も長く滞在した寺は、バンコックの一角に位置するワット・サンガチャイだった。驚いたことに、私に与えられたのは、僧院長専用のクーティだった。古い仏像が安置された大きな伽藍堂に隣接する修行用クーティだったが、高齢の僧院長は一度も使ったことがなく、私が最初の使用者になったと、ソンポールは可笑しくてたまらないというふうに笑った。 
 この伽藍堂の周囲にめぐらされた歩行瞑想用の回廊は風通しがよく、眼下にバンコックの市街がはるか彼方まで見下ろすことができ、夕焼けのシルエットになった街並みは美しかった。伽藍堂にもクーティにもなぜか訪れてくる人はひとりもなく、一日中私が完全に独占して修行に専念することができた。
 2、3日に一度、私の瞑想指導のためにソンポールとパイリーンがわざわざやって来てくれたが、ここで私の心は整理され、タイの遍歴に区切りをつけることになった……。

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1/1(金) 
盗まなければ、飢え死にする。殺さなければ、自分が殺される……。そんな事態に遭遇してしまう人生の流れが、宿業の結果なのだと考えられる。
 法として起きたことは起きたことで、その事実はいかんともしがたいのだが、次の瞬間、拒絶することも、逃げ出すことも、目を背けることも、ありのままに受け容れることも、何でもあり、なのだということ。
 何を選び、どのように反応するかを決めるのは、こちらの自由意志である。
 どのような事態も宿業の結果として受け容れるが、殺さない、盗まない、悪をなさないという人生を選ぶ……。


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12/31(木) 
意志(チェータナー)がカルマを作り、未来に生起する事象を決定づけていく。
 そうした過去のカルマの集積である宿業の力によって、人の人生は定められた方向に日々展開していく。
 もし、何も望まず、ただわが身に生起してくる事象をことごとく受けきっていくことができるならば、その人の宿世の業が露わになっていくだろう。
 その宿業の力に従いきっていくことを「全托」という。


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12/30(水) 
日本でも外国でも、瞑想に専念したいのなら在家の方が良い、と出家を否定されることが多かった。
 しかしソンポールとウルパットは私に出家を勧め、ふさわしい寺を熱心に探してくれた。 あの寺に行け、こちらの寺を見てこい、と勧められるままに私は、短期滞在の旅ガラスを続けた。
 それでわかったことは、それぞれの寺には個性や特色があり、実に千差万別だということだった。瞑想する比丘が一人もいない寺、超厳密な戒律専門の寺、大学や予備校とまったく同じ雰囲気の寺、瞑想センターと呼ばれる寺もピンからキリまでだった。
 瞑想法も、先生も、環境も、食事も、寝食を共にする仲間も……全ての条件が100%完璧な寺が、この現象の世界に存在するだろうか。
 あるはずはないのだが、それでも、ああ、ここが自分のいるべき場所だと直感できるところに、やがて人は行き着くだろう、宿業の力に催されて……。


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12/29(火) 
クーサラの基本も作法も何も知らない無知な私に、母が子供に教えるように、多彩な布施の詳細を教えてくれたのはパイリーンだった。
 比丘への食事・衣・建築・薬の4資具を始め、寺が必要とするテキストやダンマブックの資金、魚市場で魚や蟹を買い上げ、海辺や川に帰すライフダーナなど、詳しく意義を解説しながら教示してくれた。
 ある日、パイリーンの娘と3人で田舎道を車で移動していると、息も絶え絶えの貧しそうな老人が杖にすがって歩いていた。すぐさま車を止めると、パイリーンは娘に紙幣を渡し、ダーナしてこいと命じた。20歳の娘は、いかにも育ちの良さそうな優雅な身のこなしで老人に丁重に合掌し、微笑みながらお布施した。老人は泣きそうな顔で、何度もありがとうと感謝していた……。
 「苦しそうな人には善意を施すもの、老人には敬意と優しさを与えるべきもの、惨めな晩年を回避するためにも老人を助けるものよ」とパイリーンは語った。


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12/28(月) 
蒲の穂と大輪の蓮の花が群生する広大な池の畔に、森閑と静まり返るワットKで、この掛けがえのない先生たちと出逢う幸運がなかったら、私の瞑想理論はずいぶん異なったものになっていただろう。
 戒の重要さも、善行の意義も、反応系の心の修行もスルーして、アビダルマの理論とサティとサマーディのみに没入していったにちがいない。
 出家し、森林の僧院に籠もり、人との関係を絶って瞑想に専念すればするほど、多くの瞑想者が静かにはめられていく心地よい泥沼に沈み、心の清浄道から逸脱していっただろう。
 狭義の瞑想そのものを深めたのはミャンマーやスリランカだったかもしれないが、「ブッダの瞑想法」の途方もなく大きな全体像を、身をもって教えてくれたのは、タイの善き人々だった……。


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12/27(日) 
アチャン・サンガーは背がスラリと高く、威厳に満ち、もし西部劇の服装を着用すれば主演が張れそうな男前だった。いかにも厳しそうだったが、私のクーティにちょっとした破損が生じた時など、わざわざやって来て金づちで釘を打ってくれたりした。
 かしこまっていると、修理が完了した瞬間、満面の笑顔で喜んでくれ、その優しさと気さくさに感動した。
 ある日、アチャン・サンガーが寺の少年僧をバンコックへ迎えに行く時間に、同じ車に同乗させていただいた。するとアチャンは、こちらで一人、あちらでまた一人と、散在する仏教学校で学び終った少年僧を次々と拾って後部座席に乗せていった。
 必ずひとり一人に優しく声をかけ、ちょっとした質問をしたりして、ものすごく優しいお父さんになり切っていた……。
 ああ、これがタイの寺の生活なのか、と私は胸が熱くなった……。


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12/26(土) 
僧院長のアチャン・サンガーは、多忙を極めながらも、自身の瞑想を進ませようとする意欲にいささかの衰えもなかった。
 それ故に少年のような素直さで、時にはソンポールと私とのやり取りに加わり、またウルパットとのダンマの夜がおもしろくて仕方がないという風情で私たちと長い時間を共にした。
 パイリーンとウルパットとサンガーと私は、満天の星がギラギラときらめく夜も、中天に位置した満月が驚くほど明るい光を投げかける月夜にも、熱を帯びた瞑想論や法論を繰り広げた。
 ああ、これは過去世の同窓会だな、と何度も感じ入るような不思議な情趣を、私たちは暗黙のうちに共有していた……。


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12/25(金) 
パイリーンによれば、ウルパットの話す言葉は、文学的とも言うべき選び抜かれた、知的で美しい完璧なタイ語なのだという。
 とはいえ私には、その話のわかりやすさ、巧みな比喩、例示されるエピソードのおもしろさ、仏典の裏づけなど、比類のない語り手としての値打ちに変わりはなかった。
 それ以上に、私にとって掛けがえがなかったのは、ウルパットの一貫した穏やかさと優しさだった。
 私のどのような質問に対しても静かに、嫌な顔ひとつせず、理論と例え話と仏典の根拠を明らかにしながら、時間にまったく糸目をつけず、明快に答えてくれた。
 その時の私にはウルパットのような存在がどうしても必要だったが、途方もないことが望みもしないままに完璧に与えられたのは、なぜだったのか……。

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12/24(木) 鬼気迫る修行者であるアチャン・ソンポールの法話は、瞑想修行に絞り込まれたときに輝きを放った。
 それは貴重な掛けがえのないダンマであったが、私の疑問や質問に完璧に答えることのできる説明能力をソンポールに求めるわけにはいかなかった。
 納得がいくまでは決して追究の手をゆるめない私の執拗な質問に対して、
 「……あとは、ウルパットに訊ねなさい」といつもソンポールは笑った。
 海辺の寺で狂うのではないかと思うほど混乱していた私は、瞑想理論に関して徹底的に納得しないかぎり修行を再開することはできなかった。
 午前中は瞑想の師ソンポールが、夜はウルパットの法話が、パイリーンの通訳と共に独占できるワットKに、私はその日、ふらりと到着したのだった……。

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12/23(水) アチャン・ウルパットは寺の一角に佇んで、私が近づいてくるのを微笑みながら眺めていた。
 その側にいるだけでどんな人も安心させてしまうような、ウルパットの温容あふれる穏やかな雰囲気は、これぞ民衆にとっての比丘のあるべき姿と思わせるものがあった。    
 その基本的印象とは別に、私の心の奥には、懐かしい旧友と再会したような、あるいは遠方にいた優しい兄が長い歳月を経て帰ってきてくれたような微かな感動があった。
 灯に火が点された瞬間のような情趣だった。
 長い時間をかけて築き上げられる絆が、初対面の最初の瞬間からすでに確立しているかのようにも感じられた。
 果たしてその予感どおり、不思議なワットKの日々が始まっていった……。


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12/22(火) 
「私の先生を紹介するわ」
 ワットKに私が到着した日、パイリーンはまだ荷も解かない私を、説法の名手アチャン・ウルパットに引き合わせてくれた。
 ワット・Kのクーティの多くはパイリーンが寄進したもので、長年有力なサポーターとしてこの寺を支えてきた。
 僧院長アチャン・サンガーの指導の下に瞑想修行を続けてきた彼女は、今は、アチャン・ウルパットと共に毎月ワットKのクーティを訪れ、2週間のリトリートに入るのが常となっていた。
 そもそものきっかけは、タイのラジオ放送で毎週説法していたアチャン・ウルパットに聞き惚れ、感動したパイリーンが熱烈なサポーターになって今日に至ったのだという……。

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12/21(月) アチャン・ソンポールは、なぜか私のことが気に入り、毎日、1時間でも2時間でも懇切丁寧にすべてを教えてくれた。
 パイリーンは、私の専属通訳がおもしろくて面白くてたまらないという風情であった。
 こと瞑想に関しては、信じられない幸運がラッシュのように連続する不思議な人生を送ってきたが、ワットKでの過去世の因縁は、まだこれだけに止まらなかった……。


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12/20(日) 多くの瞑想指導者が、多忙ゆえに自身の修行からは遠ざかるものだ。
 だが、アチャン・ソンポールは鬼気迫る修行者そのものだった。
 悟り以外のことは眼中になく、生ぬるい瞑想者などは相手にしなかった。
 そこに、パイリーンが私の通訳に夢中になった一因があるのかもしれない。
 彼女の瞑想は、完全に頭打ちになって久しかった。
 行きづまり、とっくに諦めきっているのに止めるわけにもいかない投げやりな修行態度が、一目で見て取れた。
 そんな折、天から降ってきたような通訳の仕事を通して、アチャン・ソンポールのダンマを毎日聞くことができ、興味津々の瞑想インタビューを目の当たりにする機会を得たことに大喜びだった……。


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12/19(土) 
無から有は生まれてこない物理学の法則のように、今、存在するものは必ず過去に原因が求められる。
 そのように、人は、過去世の続きを、今世でする……。


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12/18(金) 
若いうちは、甘美な肉体を妄想して愛欲の煩悩に苦しむのが通例だが、そのような貪り系の煩悩をコントロールするために、テーラワーダ仏教には「不浄随念」と呼ばれる瞑想の伝統がある。
 何を見ても、聞いても、感じても、思っても、例えば「骸骨、ガイコツ…
…」とおぞましいイメージの文言を繰り返すことによって、甘美な欲望に向かおうとする心に冷水を浴びせるのだ。
 19歳のソンポールが、今世で瞑想を始めた途端に、過去世で命を懸けたものが甦ってきたのだ……。


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12/17(木) 
天性のサマーディの才能ゆえに、ニミッタのリアルな鮮明さは圧倒的だった。
 デザイナーも恋も素敵な生活も、この世のことは吹き飛び、もはや瞑想以外のことは考えられなかった。
 かくして、ソンポールは迷うことなくそのまま尼になり、以来、白い衣を身にまとい40年余の歳月が流れた。
 なぜ彼女は、このような異様な骨のニミッタを見たのだろうか。
 それは、過去世で死ぬほど没頭していた修行に由来するものだろう……。


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12/16(水) 
「ドレスメーキングのデザイナーになりたい」
 と19歳のソンポールが家族の長に許しを乞うた。
 すると、こう言われた。
 「よろしい。……ただし3週間、寺で瞑想の修行をすれば、の話だ」
 お安い御用、と大喜びで彼女は寺に入って、サマタ瞑想の修行を始めた。
 初日から、強烈なニミッタ(瞑想中に見える視覚的ヴィジョン)に圧倒された。
 驚いたことに、見るもの全てがレントゲン写真のような骸骨になってしまうのだ。
 比丘に会っても、尼さんとすれ違っても、骸骨の骨格だけが歩いていた。
 犬が吠える。見ると、剥製のような骨だけの犬だった。
 スズメが鳴いても、鶏を見ても、骨、骨、骨、骨骨骨骨…だった。


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12/15(火) 
個人の意志や思惑でコントロールできる事柄は、ただそれだけのことであって、大したことはない。
 業が噴き出てくるときというものは、否応のない力で情況が変わり、人の流れが変わり、有無を言わさぬ圧倒的な力で事象が展開していく。
 善業の結果であれ悪業の結果であれ、ただその流れに従いきって、道を外さぬよう、なすべきことを全力でなしていく他はない。
 カルマは、恐ろしい。
 カルマは、ありがたい……。


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12/14(月) 
「あなたは、とてもラッキーよ」
 とパイリーンが言った。
 70人の比丘を統率する僧院長アチャン・サンガーの指導を仰ぎに、私はワット・Kにやって来た。 
 ところが何という偶然なのか、明日、そのアチャン・サンガ―の瞑想の先生が来るというのだ。
 屈指の女性指導者アチャン・ソンポールが、3ヵ月の雨安居に入るためワット・Kに到着しようとしていた。
 アムノイが推奨した先生を指導した先生が、これ以上はない理想の通訳と共に、私のために登場してくれたかのような劇的印象だった……。
 舞台と役者が揃い、私のタイでの修行が本格的に始まろうとしていた。 


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12/13(日) 
パイリーンは、バンコクの豪邸に夫と息子、大学生の娘、家事一切を切り盛りするメイドを残して、毎月2週間は寺で暮らす半僧半俗の生活を10年以上送っていた。
 女性的ではあったが、事実上の女帝として一家を完全にコントロールしていた。
 彼女から学んだものは量りしれず、インストラクターやアチャン以上のものがあったかもしれない。
 在家仏教徒の心得、比丘に接する態度、供養の仕方、布施や諸々の善行のやり方、そして何よりも、仏教の教理のみならず瞑想の微細な領域にいたるまで即座に通訳してくれたのである。
 外国人比丘の通訳は修行に限定されるが、彼女はダンマと生活の万般に渡り、まるで私をサポートするのが生き甲斐であるかのように、一切のマネージメントを荷ってくれたのである。
 アムノイに別れを告げた翌日に、こんな出会いがあろうとは……。


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12/12(土) 
過去世の業が人と人とを引き合わせる。
 「ワット・K」に初めて足を踏み入れたとき、その想いを新たにした。
 まるで私が来るのを待っていたかのように、境内の池の木陰で、50代の在家女性がキラキラ光る眼でこちらを見つめていた。
 英語を話されますか?と訊くと、にっこり微笑み、驚くほど流暢な英語が返ってきた。
 「今日から2週間、個人的なリトリートに入るためにやってきたところなんですよ」
 その日以来、師友として、また無償の専属通訳として、私のタイにおける修行生活を完全にサポートしてくれたパイリーンとの邂逅だった。


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12/11(金) 
アムノイとの惜別の情を禁じ得なかったが、新しい寺に向かう私の心はすぐに切り替わり、未来志向の想念が去来していた。
 未知の世界へ足を踏み入れようとする不安や緊張が心を掠めることはなく、法の流れに従いきっていく覚悟や、起こるべくして起きるであろう出来事をことごとく受け容れる決意に、繰り返しサティを入れていた。
 果たして、翌日「ワット・K」に到着した私を待っていたのは、思いも寄らない出来事の連続だった……。


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12/10(木) 
こうして私は、アムノイの献身的な友情のお蔭をいただき、その寺を出て「ワット・K」に修行の場を移すことができた。
 たった5分間の会話がその日一日分の瞑想効果を破壊する、と強調していたアムノイが、自分の修行を放棄して私のために尽力してくださった日々を思い出すと目頭が熱くなる。
 私がタイで出会ったすべての人々の中で、こと瞑想に関してはアムノイの右に出る者はなかった。法のみを求めて真理の道を歩んでいた彼は、この世的な付き合いは一切望まない、だから手紙のやり取りもしないでおこう、と言った。
 真っ直ぐな髪、深い光を湛えた眼、男らしい筋骨と端正な美しい顔立ち……アムノイは、今、どうしているのだろうか……。
 もし拙著がタイ語か英語に翻訳されたならば、真っ先に読んでいただきたいカラヤナミッタ(師友)だった。


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12/9(水) 
アムノイほど、瞑想と沈黙行を重んじている人はなかった。
 その彼が、私のために幾夜も費やして語り合ってくれたことが驚きであった。
 次に行くべき寺は「ワット・K…」に絞り込まれたが、問題は、タイ語のわからない外国人がどうやってたどり着くかだった。
 するとアムノイは自らの修行を犠牲にし、丸一日をかけて紹介状と驚くべき単語帳を作成してくれた。
 それは、私がバスに乗車するところから始まり、寺のアチャンに会うまでのあらゆる場面を想定し、表側にタイ語、裏側に英語の意味が記された会話集だった。
 手渡された瞬間、それに費やされた時間、労力、慈悲心、友情、仏教への敬愛、瞑想に託す想い……が一気に襲来し、絶句した。
 なぜ、私のために、ここまで……。


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12/8(火) 
比丘も在家も求道生活が長引くにつれ、初心の緊張感や覇気が失われていくのが通例である。
 命を懸けて修行に専念するため比丘になった筈なのに、生活の心配がなく、在家からの供養と尊敬を受けることに慣れ、住み心地のよいクーティに独居していると、情けないことに、どうしても気がゆるんでいくのを避けがたいのだよ……と正直に告白した英国人比丘もいた。
 だが、アムノイはいまだに迫力ある修行を続け、人生経験も、修行履歴も、ダンマの理解の深さも、誠実な人柄も申し分なく、生活の全てが涅槃の一点に絞り上げられていた。
 その彼から、思いも寄らない提案がなされた……。


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12/7(月) 
かねてより私の修行態度に好感を持っていた……、とアムノイは切り出した。
 「もし本当に解脱したいのであれば、この寺の瞑想法は間違っているから止めた方がよい。
 もう何年も前に、自分も徹底的に検証してみたが、何の結果も出なかった。
 今は異なったシステムで修行をしている。
 自分も修行者なので一切を黙視しており、本当に、こんなことは誰にも言わないことだが、あなたはこの寺に居るべきではない……」


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12/6(日) 思えば、宿世の業が引き寄せたような邂逅だった。
 瞑想修行に人生を賭け、互いに沈黙行に徹し切っている私たちが、修行者の仁義を破って話しかけるなどということはあろう筈はなかったのだ。
 だが、なぜかアムノイのクーティに誤配されたという私宛ての手紙を、自分の足で届けに来てくれたその日以来、私たちは言葉を交わすようになった。
 驚くべきことを、彼は静かに語り始めた……。


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12/5(土) 途方に暮れている私を救い出してくれたのは、何年もその寺で修行しているアムノイだった。
 還暦を迎えたとは思えぬ精悍な体躯で、常に冷静沈着、知的で、ゆっくり一語一語区切るような英語を喋り、厳しいサティの入った立ち居振る舞いはタイの古武士のような風情があった。
 いくつもの会社を経営していたが、全て後継者に譲り、在家のまま寺に籠もる生活に入り、妻と娘が月に一度差し入れに訪れてくるだけであった。
 ギラギラした熱帯の陽光が照りつける昼下がりのある日、一足一足に完璧なサティが入った足取りで、アムノイが私のクーティを訪ねてきた……。


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12/4(金) 見限ったとはいえ、どこにも行く当てはなく、情報もなく、友人も知人も皆無だった。
 タイ語がわからないので、田舎のバスでは行く先も読めなければ、英語で道を聞いても通じることはまずない……。
 自分のシステムこそ最高と信じ切って、並々ならぬ熱意で教えてくれる先生に相談することもできなかった。
 私は、どうすればよいのだ……。

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12/3(木) カルマが悪いので、愚かしい、無駄な時間を浪費したかのようにも見える。
 だが、こうしたネガティブな体験を重ねたがゆえに、真贋を見極める眼が養われたのだ。
 本物を皮相的にかじるよりも、ネガティブ体験を徹底的に吟味し、その構造と本質を洗い出したほうが、学びが深い。


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12/2(水) たとえどれほど美しい理論や完璧な思想体系であろうとも、最後に拠りどころにすべきは一瞬の直観であり、内奥から響く声である。
 整理するのも分析するのも抽象化するのも、そして迷うのも、論理を司る脳の仕事であろう。
 過去の全印象が、脳のどこかに刻まれている。
 混沌とした泥沼の奥底から閃き出るものを、最後に信じる……。


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12/1(火) 理論的正しさを信じる気持ちと、修行の一瞬一瞬に直観しているものとの間にギャップが生じていた。
 言われた通りにやればやるほど矛盾が深まり、それ以上強引に信念でネジ伏せようとすれば、内部から2つに引き裂かれてしまいそうな危機を感じた。
 「ああ、もうやれない……!」と、何ヶ月もこもり切りのクーティ(独居住宅)で叫び出しそうになったところで見切りをつけた……。


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11/30(月) 
「外国人になんか、いくら瞑想したって、ダンマなんか見えやしないよ」
 タイの海辺の寺で修行していた時、タイ人在家修行者のおばさんに言われた。
 何年も寺に暮らしながら修行している方だった。
 哲学的妄想が微妙に残る、今にして思えば、不純な瞑想システムだった。
 渾身の力で検証した結果、ある日、見限って二度と戻らなかった寺だった。


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