∽∽∽∽ 今日の一言 特別編 タイ修行シリーズ ∽∽∽∽
*この今日の一言タイ修行シリーズは、今日の一言の中から特に人気の高かったタイでの修行に関する一連のバックナンバーだけを1つのページにしたものです。
ページの下の日付から上にむかって新しくなっていきます。読むときは下から上にお読みいただくと時間経過通りに読めます。
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1/19(火)
こうして、足かけ5年に及ぶタイの瞑想遍歴は終わり、私は、もう一つの原始仏教の国ミャンマーを目指して飛び立っていった。一人の知人も友人もなく、チャンミーの寺のアドレス以外には一片の情報もなかったが、流れのままにどこへでも導かれていく覚悟が揺らいだことはなかった。
だが、その覚悟が試されるかのように、雨のそぼ降る夕暮れに重いスーツケースを持ってチャンミーにたどり着くと、なんの手違いか私の予約の手紙は寺に届いていなかった。そして、雨安居真っ最中の寺は超満員で、飛び込み状態になった私が泊まれる部屋はどこにもなかった……。
こうして、波瀾に満ちたミャンマーの遍歴が始まっていくのだが、いつの日かそれについて物語るときもあるだろう。
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1/18(月)
やがて車はバンコックのバスターミナルに到着し、ウルパットは次に乗るべきバスに私を導いてくれた。初めて出会ったときから、なんの違和感もなく風通しよく話すことができ、私より5、6歳若かったはずなのに、長旅から帰った優しい兄のような印象だった。
もしウルパットに出会わなければ、果たして原始仏教に対する私の「信(サッダー)」は今のように揺るぎないものになっていただろうか。真っ暗な夜の海で座礁した舟のように、その時の私は混乱し途方に暮れていた……。
言い尽くせない感謝の念と、かたじけなさと、細密画のような回想シーンが高速度で心を飛び交っていた。これでもう本当に会えなくなり、ダンマについて話せなくなるのが信じられなかった。去りがたく、別離しがたく、思いっきりアチャンを抱きしめたかったが、静かに篤く礼を述べ、車窓から遠ざかっていく姿に手を振り続けた。涙が溢れそうになった……。
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1/17(日)
ウルパットの少年時代に両親は離婚し、女手ひとつで育てられながら法律家を目指し大学を卒業した。一人息子だったのになぜ出家されたのか、と問うと、女癖の悪い身勝手な父親の血が自分の中にも流れているのを感じたからだ、という。
その母親にも父親にも紹介していただいたが、ウルパットの優しさは母親から受け継がれ、人生に対する洞察力は父親とのネガティブな関係を通して育まれたように思われる。いつでも何処でもどのような話題が振られても、ウルパットに怒りの波動を感じたことは一度もなかった。その穏やかさは生来の資質もあろうが、自分を律する自己抑制力に負うところが大きいのかもしれない。
緻密な論理を展開させていく能力は法律家の資質にふさわしく、厳密な守戒をことのほか重視する傾向も法律との関係が深いだろう。だがそれ以上に、戒の力によって自分自身が守られていると強く感じていたのかもしれない。
誰に対しても常に優しく穏やかなウルパットだったが、私との関係にはやはり、過去世のカルマが働いていたような気がしてならない……。
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1/16(土)
その日、ウルパットの寺に到着する前に、ここで仏教書を買いなさい、この学校で自分も講座を一つ持っている、とアチャンは私をバンコックのあちこちに連れていかれ、人に会えば、日本から来た瞑想者だ、と紹介してくださった。
夕方になり、30人ぐらいの在家者が高層ビルの1Fに集合し、ウルパットを講師に90分ほどの仏教を学ぶ会が始まった。私も同席することになったが、まったく理解できないタイ語は、窓の外の樹木で飛び交う小鳥の囀りと変わらなかった。眼を開いたまま私は悠然と、六門解放型の法随観の瞑想に専念していた。こんな場所なのに、体調もよく集中が高まり、1秒間に5、6個の高速サティが60分ぐらい続いていた。
会が終わり、バスを乗り継ぎながらウルパットの寺に向かっていると、アチャンは「私の講義中、レベルの高い瞑想をしていたようだね」と微笑みながら言った。
説法比丘として道を定めていたウルパットには、瞑想に専念する時間はなかった。それゆえに、瞑想に全てを捧げた一途な私の生き方を応援したかったのだろうか……。
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1/15(金)
びゅんびゅんと風に吹かれ声を嗄らしながら、アチャン・ウルパットとダンマを語り合えるのも今日が最後だった。
……ウルパットに連れられ、彼の常住するバンコック郊外の寺に滞在した日が思い出された。与えられたクーティで荷を解くと、短い祈りをすませて座る瞑想を始めた。窓の外には、ピンク色の夕焼け雲がしだいに茜色に変わっていくのが見えた。
禅定感覚が深かったので、誰が来ても瞑想を続けようと決めていた。やがてクーティの外に、ゆっくりと踏みしめるように歩く足音が聞こえ、気配からウルパットであることが知られた。しかし、いつまで経ってもドアはノックされず、ウルパットは私の瞑想を邪魔しないように待ち続けていてくださった。
多忙なウルパットをこれ以上申し訳ない、という念にうながされ立ち上がると、「この寺で最も波動の良い場所がある」と言い、木立の陰に白い廟がひっそりと静まっている不思議な空間に案内してくれた。果たして翌朝、朝靄に包まれた廟の前で私は、記念すべき最良の瞑想のひとつを体験することができた。
……たかが外国から来た一介の在家瞑想者に対して、なぜウルパットはこれほど優しく丁重に扱ってくださったのか……。
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1/14(木)
バンコックに近づくにつれ、喧騒と蒸し暑さと粗悪な排気ガスで不快指数が増していった。エアコン付きの高速バスで移動したほうがはるかに快適だったろう。だが、幌のない後部座席で声を嗄らしながら話し、硬い木板の座席で激しく揺られ、汗ばんだ体が排気ガスと埃に汚れていく不快感こそ、アチャン・サンガー亡き後のワットKが私に示してくれた最後の好意の証しだった。
最初はただ寺を去る時にお金を布施するしか能がなかったが、パイリーンの手ほどきで初めて食事の供養をさせていただき、食事の終わった70名の比丘が一斉に低声で唱和された経の美しさに心底、感動した。僧衣や托鉢の鉢、クーティの建設費、比丘のテキストや資料などダンマブック関係の予算、ガラス扉の調度家具に納めた諸々の常備薬一式、車のガソリンや交換用タイヤなど、多角的なお布施で徳を積むことを教えていただいたワットK……。
寺から遠く離れ、軽トラックに揺られているこの期に及んで、ワットKの比丘の方々の無言の好意が生々しく迫ってきた……。