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∽∽∽∽   今日の一言   ∽∽∽∽

5/14(月) サティが甘ければ修行は進まない。
 サマタ瞑想で最も重要なのは「サマーディ(三昧)」という集中のファクターだが、ヴィパッサナー瞑想では「サティ」という現在の瞬間に気づく力が基本である。
 サティの成長には3つのポイントがある。
 @今この瞬間の自分の状態を対象化し客観的に気づく要素。
 Aその気づきのモードを切れ目なく連続させる持続性の要素。
 B集中と智慧のファクターが連動することによって、対象の本質を直観する洞察の要素。


  
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5/13(日) 
今回の短期合宿は、参加者全員がグリーンヒルのスタッフだったので、気の置けない身内のような感覚でスタートした。
 見知らぬ人と打ち解けるまでには多くのエネルギーが費消されるが、それは推測や配慮、心配、不安など膨大な妄想が無意識のうちに脳内を駆けめぐることでもある。
 そんなマイナス要因が最初から除かれ、お互いに気心の知れた法友として安心感と親和的な雰囲気に包まれていた。
 徳を積んできた波羅蜜の力を証しするような目覚しい成果を得た方が多かったが、これもその要因の一つだろう。


  
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5/12(土) 
母の介護と葬送に一区切りついたものの、まだ膨大な残務整理が山積している中で、3年ぶりに八王子のグリーンヒル瞑想研究所での合宿を再開した。
 その日を待ちわびながら、グリーンヒルのダンマ活動を支えてきてくださった方々にも恩返しをしなければならない。
 手始めに4月末の連休に、2泊3日の短期合宿を行なった。
 完全な沈黙行に徹し瞑想のみに専念するリトリート体制では、共に瞑想をする者同士がさまざまな影響を相互に受け合うものである。
 優秀な瞑想者が多いと全体のレベルは高くなり、居合わせた者は強い力で引き上げられていくような印象を受けるだろう。
 逆もまた真なりで、引き上げるエネルギーと引きずりおろすエネルギーはしのぎを削り合っている。


  
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5/11(金) 
瞑想は、孤独な営みである。
 たった一人で世界全体と対峙しているかのような思考が去来するのもごく普通のことである。
 同じ空間を共有しながら瞑想する者の間に不和があったり、見知らぬ人に対する緊張や不安があれば、ネガティブな妄想が連なる妨害要因になるのは言うまでもない。
 縁あって共に瞑想する人々に対して、丁寧な慈悲の瞑想をしなければならない所以である。


  
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5/10(木) 
それはないだろう、という確信がある。
 心の底に何かが抑圧されていれば、なんとなく重たい嫌な感じや、濁った感覚が一瞬、駈け抜けていったりするものだ。得体の知れないネガティブな印象がふと浮かび上がってきたりもする。
 だが、心のさざ波が静まり、一面に見渡されてくる水底のどこにも、何もない。
 目を閉じてさらに耳を澄ませ、降り積もった柔らかい土中の奥深くまで感じてみても、秘められた悲しみやネガティブな印象が押し込められている形跡はなく、シンとして晴朗な感覚が広がっている……。
 母の死が受容されているのは確かなことのように思われる。


  
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5/9(水) 
津波に家族を呑み込まれ、ひとり生き残った被災者が語る。
 「家族を喪ったのに、涙ひとつこぼれなかった。……7ヶ月経って、初めて涙が流れ落ちた」
 別の被災者は、こう語る。
 「感情を閉じ込めていた1年だった。何も考えないように過ごしてきた。今になって、やっと音楽が聴けるようになった。悲しい訳でもないのに、ポロッと涙が出て、自分でも不思議に感じた……」
 心の奥底に深い悲しみが封印されたまま、仕事に生活に復興に忙殺され時が過ぎていく……。
 母の死を受け容れているがゆえに悲しみに襲われることがないと書いたが、やがて私も「悲しみの二番底」に引き込まれるのだろうか……。


  
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5/8(火) 
「怒り」は「対象を嫌う心」と定義されるが、「悲しみ」もその質や程度によってさまざまな段階があるものの、怒り系の心に分類されるだろう。
 愛する人の死を受け容れたくないと拒否し、喪失という現実を打ち消し嫌う心が根底にある。
 いくら否定し嫌ったところで、動かしようもない事実は認めるしかなく、受け容れざるを得ないのだが、でも、悲しい……。
 「悲しみ」は否定であり、攻撃性の乏しい消極的かつ内閉的な怒りである、と言うこともできる。ネガティブな現実を受け容れざるを得ないのだが、嫌で嫌でならない……という心の葛藤状態。
 どれほど忌まわしい現実であっても、それが完全に受容された瞬間、悲しみは姿を消す……。


  
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5/7(月) 
「きぬ聖苑」という名の火葬場に着くと、機械的なテンポで淡々と事が進行し、別離の感傷に耽る暇もなく、母の遺体は火葬炉の中に送り出されていき、2時間後には人の形に白く焼き上がった骨の残骸に変わり果てた……。
 骨揚げをしても、骨壺に納まった母の遺骨を前にしても、悲しみはなかった。
 死者への執着も事ここに及べば吹っ切れるのが一般的だと言われるが、もとよりそのような印象が去来することもなかった。
 母の死はすでに受容され、私の中で完了していたものと思われる。


  
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5/6(日) 
私の人生にとって最重要人物だったお方との永訣の朝だった。
 花で埋め尽くされた棺の小窓が閉じられると、母の遺体は子や孫や親族の手で、住み慣れた居室から出棺されていった。
 門の外には近所の方々が勢ぞろいし、襟を正して立ち尽くしていた。
 「皆様、母の葬送のために結集していただき、心より篤くお礼を申し上げます」
 と喪主としての挨拶をし、深々とお辞儀をした。
 霊柩車の助手席に同乗すると、母の亡骸を載せた車は静かに滑り出していった。
 命が途絶え、母の生涯に終止符が打たれ、生前の面影を留めていた物理的な痕跡も完全に抹消されようとしていた……。


  
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5/5(土) 
母の遺体を火葬に附す日がやってきた。
 死に装束を施した遺体には、今なお圧倒的な存在感があった。
 集合した親族によって次々と手向けられていく花が、母の棺を美しく飾っていった。
 母の死を受け容れられずに執着する感覚は皆無だったが、美術品の散逸を惜しむかのように、花に飾られ美しさと静けさがいや増した遺体を灰にしてしまうのが切なかった。
 母を喪った事実ではなく、母の生涯が凍結したかのような凛としたデスマスクが物理的に滅び去ってしまうことへの愛惜……。

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5/4(金) 
<傍らに立って、かの神は、次の詩句を以って、尊師に呼びかけた。
 「森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが、その顔色はどうしてあのように明朗なのであるか?」
 (尊師いわく、−−)
 「かれらは、過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている。それだから、、顔色が明朗なのである。
 ところが愚かな人々は、未来のことにあくせくし、過去のことを思い出して悲しみ、そのために、萎れているのである。
 −−刈られた緑の葦のように」>
 「神々との対話」 サンユッタ・ニカーヤ第1集 第1篇 第1章 第10節 P20」


  
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5/3(木) 
人は、今の瞬間の事実に苦しんでいるのではない。
 消え去ってしまった現実は、もはや「過去」という名の妄想に過ぎない。
 苦しみは、その「過去」にしがみつき、囚われ、執着する精神から発生してくる……。
 それゆえに、聖者たちは、今のことだけで暮らしている……。


  
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5/2(水) 
日々経験する一瞬一瞬の出来事が、刹那刹那に消滅して、記憶のフォルダーに雪崩れ込んでいく。
 その記憶された情報の整理の仕方が「生きる」ことだ、と言ってもよい。
 落下する滝の流れのように、一瞬一瞬、脳内滝壺の記憶世界に集積されていく現実……。
 かつては現実だった「過去」に縛られて、人はドゥッカ(苦)の人生を生きていく。
 もし、心を空っぽにして、あるいは、過ぎ去った一切の出来事の情報から解放されて、今の瞬間瞬間を生きることができたなら、人生苦のほとんどは無化され、存在というシステムの苦だけが残るだろう。


  
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5/1(火) 
いい歳こいて、何をバカなことを……と笑われそうだが、純白の棺に横たわって静かに眠っているような母の姿を前にすると、母の生き甲斐にまでなった愛しい人形たちに別れの挨拶をさせたくなった。
 死にまつわる儀式は、残された者の想念世界を整えるためのものである。
 そして、生きることは、過去の記憶をどのように整理していくかの問題でもある。


  
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4/30(月) 
母の認知症治療の一環として始めた人形セラピーだったが、いつの間にか母にとって福助たちは本当の家族同然の存在と化していった。
 即興の腹話術をしてきた私の想念世界にも膨大な思い出が層をなしている。
 小さな子供たちに言い聞かせるように、「さあ、今夜で、お母さんとも永遠のお別れだよ。最後の挨拶をしなさい」と言い、自分で福助を操りながら答えた。
 「はい。……お母さん、長い間、いや短い間かな、可愛がってくださって、ありがとうございました。福助も豆太郎も、お母さんと一緒に暮らさせてもらって本当に幸せでした。
 お母さん、生まれ変わっても幸せになってね。福助、来世はお母さんの子供に生まれたいな、と何度も言いましたよね。もし耳たぶの大きい子が生まれたら、福助だと思って可愛がってくださいね。
 お母さん……、さようなら。ありがとうございました」
 

  
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4/29(日) 
遺体が残っている間は遺族の心の中で「死」は完成しないと言われ、日本人は特にその傾向が強いという。
 確かに、生前の面影を生々しく留めた遺体には圧倒的な存在感があり、遺族の心を整理するために、何らかの儀式や儀礼を執り行なって「終了感」をもたらすのは理にかなっているだろう。
 雨戸を閉ざした寒い部屋にドライアイスに挟まれて横たわっていた母の遺体は、まだ美しさを失わなかったが、その肌に触れれば氷のように冷たく、柔らかかった耳たぶもカチカチに冷え固まって「死」の現実を突きつけてくる。
 火葬に附す前夜、福助と豆太郎に母との告別をさせ、記念の写真を撮影した。


  
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4/28(土) 
いつ出会ってもニコニコ笑顔で、純朴と人の良さでは右に出る者がいない近くのお爺さんが、近所の方々と連れ立って最後の別れに来られた。
 控えめな方だったが、この時も終始無言で末席に佇んでいた。
 白巾が外され、母の死顔を見るや、眼を真っ赤にし、喉仏をヒクヒクさせながら、ただただ悲しみに暮れていた。
 最後まで一言も喋らずに帰られたが、ストレートに伝わってくる哀悼の真情に、私の眼にも涙が溢れて流れ落ちそうになった……。
 「共感」の力を感じた。
 2年間、挨拶と微笑以外には何も話したことがなかった方だが、最愛の家族と心ゆくまで和みあった後の一体感のような感覚が残った。
 誰もいなくなり、母の遺体と私だけが独り取り残されたが、いつまでも心が温かかった……。


  
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4/27(金) 
母に残された大事な絆だった近隣の人々に、今生の別れとなる最後の見舞いに来てもらうべきか否か悩んだ。
 だが、痰の除去などで苦悶の表情を続ける母の姿を人目にさらすのは残酷すぎるのではないかとの思いを捨てきれなかった。
 まだ生々しい存在感を伝えてくる母の遺体が残っている間に、親しかった近所の方々に心おきなく別れを惜しんでいただくことができたのは、火葬までに与えられた十分な時間のおかげだった。
 一人で来られた方も連れ立って来られた方々も、誰もが母のデスマスクの気品と美しさに讃嘆の声を上げられた。
 普段は挨拶以上の話は滅多にしないのに、母の死が仲立ちとなって、近隣の方々と深く話すことができた。
 死は、即座に転生してしまう当人ではなく、残された者のために存在する……。


  
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4/26(木) 
人間の本性の醜さをこれでもかと露呈させる大都市という構造。
 長い歴史と伝統の中で、できるだけ苦を少なくして過酷な現実に耐えていこうと、さまざまに進化させてきた生きていくための知恵……。
 実家の界隈は特別だよ……と多くの人に言われたが、少ない人口でお互いに助け合い見守り合いながら育んできた優しさこそが人類の歴史だったのではないか。
 食料を分け合い共同で子育てをしなければ、とうの昔に絶滅していた人類。
 その700万年の歴史の中で、都市化という異常な暮らし方が徒花のようにはびこったのはたかだか1000年にも満たないのだ。
 苦の本質に向き合ってしか生きていけないが故に、種として育まなければならなかった人類のもう一つの側面について考えさせられた介護の日々であった……。


  
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4/25(水) 
長生きをすれば、友人も親族も次々と死んでいき、一人取り残されていくのは避けられない。
 老いの苦を構成している要因の一つである。
 最後に残されるのは隣近所や町内会の人々だが、郷里に住んで2年、東京のような大都市と田舎との落差の大きさは衝撃的だった。
 生まれ育った土地には先祖代々続く家も多く、生涯住み続けていく共同体が互いに思いやる暗黙の気遣いと優しさに心を揺さぶられた。


  
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4/24(火) 
どんな命も事物も現実の存在というものは、苦の本質を無言で突きつけてくる。
 それは、厳密な手続きで妄想を排除していくヴィパッサナー瞑想の修練を重ねなければ、見えてこないものだ。
 無明の闇に覆われた心が不正確にとらえた現実。それが記憶に収められると、さらに余分なものが捨象され整えられた印象となり、金色の夕陽のように美しく甘美な、過ぎ去った遥かな日々として浮かび上がってくる……。
 長い年月をかけてじっくりと熟成していく飲物のように、記憶が年代物になればなるほど印象のデフォルメが進行し、甘美さが極まっていく……。
 そんなことも、母の死によって改めて教えられた。


  
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4/23(月) 
「**ちゃん、遊ぼ!」と、子供時代にはただ会いたいので素直に訪ね合うことができたのに、長じると事務的な用件や必要がなければ間遠になっていく関係……。
 久しく会っていなかったのに、母の死が取り持ってくれた親族との再会は、懐かしい過ぎ去った日々を次々と目が眩みそうになるほど美しく浮かび上がらせてくれた


  
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4/22(日) 
そのM家の次女と三女が連れ立ってお悔やみに訪れて、母のために涙を流し死を悼んでくれた。
 M家との60余年に及ぶ親交の深さには親族以上のものがあり、お互いに心を完全に開くことができた。
 私たちは母を追憶しながら、堰を切ったように、幼い頃の懐かしい記憶を語り始めた。
 一つの記憶の断片は他のさまざまな出来事や情景と結びつき繋がり合い、燐めくように飛び交った。圧倒されたのは、そんな思い出の一コマひとコマの美しい印象と鮮明さだった。
 いったいどこに、これほど鮮やかな記憶が収納されていたのか不思議だったが、タイムスリップに時の経つのを忘れていた。
 かけがえのない人の死を共に悼むとはこういうことなのか……と感慨があった。


  
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4/21(土) 
母の親友だったMさんには三人の娘がいたが、長女を癌で喪い自慢の婿にも先立たれ、今は隣接して住む三女と暮らしていた。
 夫のM氏は、過去世の縁としか思えない尋常ならざる愛し方尽くし方で、私を実の息子のように可愛がってくれた。
 いつ伺ってもM氏は愛情と敬意のこもった微笑で私を迎えてくれたが、あまりにも私を可愛がるので嫉妬を覚えるほどだったと、三女が後年笑いながら明かしたこともあった。
 優しくてお人よしで底抜けに明るいM家の居心地の良さは、我が家以上だと感じたことが何度あったことだろう。
 M家の佇まいは、木目の傷や掛時計の文字盤にいたるまで、私の生家と区別がつかないほど記憶に深く刻まれている。
 M氏の訃報に接した時、40歳を過ぎていたのに私は泣き崩れてしまった。
 それほど深い悲しみに襲われたことに驚いたが、父親との間に長い確執があった私は、知らぬ間にM氏の中に父性を託していたのだとその時に理解した……。


  
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4/20(金) 
通夜が明けると、弔問の客が次々と訪れてきた。
 母の遺体が火葬されるまでの3日間は、永遠の別れを惜しむために与えられたかけがえのないものだったが、それは、久しく会うことのなかった懐かしい人々との再会のための時間でもあった。
 幼い頃毎日のように遊んだ従兄弟や親族、家族同然に親しかった幼なじみ達が、母の遺体に手を合わせ泣いてくれた。
 溢れるような思い出とお悔やみの言葉に込められた母への真情に、悲しみが一瞬、胸を走り抜けていった。


  
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4/19(木) 
苦しい人生が劇的に変化する感動に支えられてもきたが、全てがバラ色の幸福の絵に塗り替わって永遠に続く……などということがあろう筈はない。
 業があれば、苦の現実は苦のままである。
 それゆえに、どんなドゥッカ(苦)も受け入れれば終わっていく…というダンマの確認が繰り返されていった。
 苦楽も失敗も成功も、一切の事象を等価に観て、淡々と無差別平等にサティを入れていく瞑想を続けていくうちに、こんなことを述懐するようになっていた。
 「何もうまくやる必要もなく、苦を避ける必要すらなく、ただ今という目の前にある物事に気づいて、力を出すことを惜しまずに、淡々となすべきことを成していくだけなのだと、美しい春の朝の道を歩きながら実感していました……」


  
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4/18(水) 
千葉の海辺の短期合宿で、掌から零れ落ちる洗面の水に衝撃を受けた方は、瞑想に着手して3年半、一日瞑想会や朝日カルチャー講座を何クールも受講されてきた。
 この方のように法と概念が仕分けられる瞑想体験をしても、ただそれだけのことに終わる人もいれば、心の変容につながっていく人もいる。
 心が静まり返ろうが、集中力の極みに達しようが、サマーディも瞬間定もどんな瞑想体験も、智慧の発現に結びつかなければ、心の清浄道が進んでいるとは言いがたい。
 この方の瞑想のモチベーションが一貫して維持されてきたのは、苦しい人生だったからだろう。


  
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4/17(火) 
瞑想を始めればすぐに華々しい成果が得られると勘違いするのは、多くの初心者の通弊と言えるだろう。
 初めて瞑想会に来て、「上手くいきませんでした。どうしてですか?」と真顔で訊かれる方も珍しくない。
 一度も触ったことのないピアノやヴァイオリンを初めて習った日に、「どうして上手くできないんですか?」と訊く人がいるだろうか?
 何事も修練を繰り返すことによって、新しい脳回路が形成されていく。
 定着させるのも容易ではないが、維持するのも、さらに進化させるのも大変なことである。
 どんな技能もスポーツも演奏も瞑想も、同じなのだと心得る。


  
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4/16(月) 
だが、ヴィパッサナー瞑想に正しく着手しても、生来の資質や傾向が手のひらを返したように変わることはない。
 急激な変化には反動があり、一時的な決意や戒めや外圧によって抑え込まれていたものは、やがて形状記憶合金のように元通りになっていく。
 ヴィパッサナー瞑想に出会い、くらくらする程のカルチャーショックを受け、物の考え方も行動も生活も別人のように一変したのだが、1年経ち2年経ちするうちに次第に失速し、浮かない顔で惰性に従っていたある日、忽然と姿を消していくような人もいる。
 ゆるやかに、少しづつ変化していくのが人の心である……。


  
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4/15(日) 
「これほど厳密なサティを持続させられるとは思いませんでした。短期合宿だったのでなんとか持ちこたえられました」「いや、疲れました…」と感想を述べた方のほうが多かったかもしれない。
 精進過剰になれば疲労困憊するが、正しいやり方で修行している限り必ず結果がついてくるだろう。
 ヴィパッサナー瞑想を教え始めて17年目になるが、多くの瞑想者がこの瞑想システムの正しさを証ししてくれた。
 すぐに結果を出す人もいれば、何年やっても瞑想体験と呼べるものが得られない人もいた。
 不正確なやり方や自己流にアレンジしている人たちである。
 そんな人たちが正しいやり方に修正すると必ず結果を出してくれたお蔭で、確立されたシステムの力というものに揺るぎない確信を持つことができた。
 成功例も失敗例も、物事の構造的理解を深めてくれる……。


  
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4/14(土) 
今回の短期合宿は全体にレベルが高く、今までで一番よい合宿だったのではないかと印象を述べたスタッフもいた。
 初心者らしからぬ熱心な瞑想者がたまたま結集するという僥倖に恵まれた合宿だった。
 歩行瞑想も喫茶の瞑想も、いついかなる時にも緻密なサティをおろそかにしない、迫力ある姿を互いに見せ合うことで、全体の修行レベルが上昇スパイラルに巻き込まれていく。
 さぞやヘトヘトになったであろうと、そんな姿を何度も目撃した瞑想者の一人に、後日訊ねてみた。
 すると、「初めての合宿でしたが、まるで天国にいるような3日間でした。いつまでも修行していたい、下山したくないと思っていました」と微笑みながら答えた。
 過去世がしのばれる……。


  
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4/13(金) 
それでもインストラクターとしては、上手にレポートをまとめているだけではないか……と疑っておくべきだろう。複数の体験を重ねて検証の精度を増していかなければならない所以である。
 2泊3日の合宿の最終日に、この瞑想者は次のような体験をしている。
 「もう修行できるのもあとわずかとなり、1階の部屋で歩く瞑想をしていたとき、急に障子に陽が当たり、それまでただ白と認識していた障子に、サーッと漉き影があらわになり、複雑な模様がくっきりと見え、それは、グレーのような金色のような、白のようなとても複雑で、光と影が折り重なった不思議な物体に見えました。
 その瞬間、『概念』という言葉が実感されました。障子が白いと思っていたのは、私の『概念』に過ぎなかったのです」
 昼も夜もただサティの瞑想に励むだけの瞑想合宿で、法と概念の仕分けが明確になり始めた瞑想者の初々しい姿が浮かんでくる……。


  
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4/12(木) 
この瞑想者は、子供の頃からヘレン・ケラーが大好きで、何度も自伝を読み返してきた。
 井戸水が溢れてヘレンの手を伝っていく瞬間に、なぜ三重苦のヘレンがたったそれだけのことで「水」の本質的理解、文字、名前を理解できたのかがずっと疑問だった。
 しかし、千葉の海辺で迎えた合宿の朝、洗面の動作にサティを入れ、蛇口から落下してくる冷たい水を両手に受けた瞬間、長年のその謎が解けたと思った。
 「水」と概念が結びついた衝撃に貫かれたヘレン・ケラーとは逆に、一切の概念と切り離され、ただ法として存在している「水」そのものが意識に触れてきた感動だったが……。
 眼も見えず、耳も聞こえず、口もきけないヘレンが、なぜ、あれほどまでに理解し、表現し、活動し、未来に希望を持つことができたのか。
 三重苦であったがゆえに、六門からの情報を総合し概念にまとめることができず、結果的にヘレンは純粋知覚の法のみを拠りどころにした出発点に立っていたのではないか……。


  
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4/11(水) 
7日前に紹介した、仕事能率がスーパーマンのように上がった事例に戻ろう。  この瞑想者がサティを持続させていった潔さは初心者の鑑とも言うべきものだったが、法と概念の仕分けという、もう一つの目指すべき方向でも成果が見られた。
 「……歯を磨き、口をゆすいだ後、顔を洗おうと両手に水を受けたその時、蛇口の水が手に当たり、その水が掌いっぱいに広がり、ふくらみ、波打ち、手の外側を伝って零れ落ちるさまが、スローモーションのように、透明で、つるつる光るゼリーのように感じ、その突き刺すような冷たい感覚が手の中央から外側に広がっていき、一瞬なのに、とても長く感じられました。『水』とサティが入り、今までの私の中の『水』は単なる概念であり、本当の水の姿ではなかったのだと実感していました……」
 まるでヘレンケラーのような体験だったと当人も述懐していたが、法と概念の差異が検証された好例と言えよう。


  
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4/10(火) 
脳がクリーン化され仕事効率が上がるだけなら、ただそれだけのことであって、清浄道の瞑想にとってはさしたる手柄でもない。
 サマーディが完全に成立したところで、そんなものは「現世の楽住に過ぎない」と一蹴されてしまう経典もある(→削減経)。
 瞑想で能力開発が進めば、出世して賞讃されるかもしれない。
 その結果、金遣いの荒い天狗になったりしたら、どうするのだろう。
 慢や貪りの煩悩に汚染された心からも、ドゥッカ(苦)が生じる。
 自然に与えられたものはことごとく受け取りながら、淡々と心の清浄道を歩んでいく……。


  
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4/9(月) 
孤独な瞑想者は、誰からもどこからもノーチェックゆえに独善的になる。
 考えごと瞑想の産物に過ぎないと気づけなければ、感動して舞い上がる。
 レポートを上手に文学的にまとめる瞑想者もいるし、追跡調査を丁寧にやらないと、見破れないケースもあり得るだろう。
 自分の経験を本物と認定してくれる先生に出会えるまで、あちらの寺こちらの僧院と遍歴する修行者も珍しくない。
 誰からどんなお墨付きが得られようとも、自分の体験を疑い迷っているなら、その実感に忠実であった方がよい。
 見るべきものを正しく見た人に生じる、揺るぎない心底からの確信……。


  
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4/8(日) 
のんびり考えごとをする思考もあれば、光のように速い思考もある。
 どちらも思考モードであることに変わりはない。
 頭の中に仏教や瞑想の知識を詰め込んだ人が瞑想にハマるのはよいが、一瞬の思考やイメージに無自覚だと困ったことになる。
 思考の産物に過ぎない概念や妄想を、ダンマだ、智慧だと称して自惚れる。
 似非悟りの問題は、ブッダの時代から現代まで連綿と引き継がれている……。


  
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4/7(土) 
思考へのサティが甘い人は、何年瞑想を続けていても、指摘されるまで気づくことができない傾向がある。
 だから、本人は妄想などしていないつもりでも、調子が良いと得意になったり、反対に沈んだり落ち込んできたり、飽きてきたり……と微妙な気分の変化がなぜ去来するのか分からない。
 微かな情動が起きていることにすら無自覚なのだ。
 「食べ過ぎたかな?」「あれ、何してんの?」「あの人は、たいしたことないな…」「お、凄えッ…」「ああ、来てよかった…」「ハア…、腹減った…」
 ……こうした断片的な思考を平気で見逃すというより、思考モードが始まっていることに気づいてもいないのだ。
 「妄想は出ていなかったと思います」
 「では、中心対象のセンセーションはクリアーでしたか?」
 「いや、別に普通でした……」


  
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4/6(金) 
同じ事例が誰にでも起きるということは、四六時中サティ・モードを維持しようと頑張った人の脳回路に同じようなネットワークが形成されているのだろう。
 妄想という名のゴミやホコリで回らなくなっていた機械がオーバーホールされるように、思考を徹底的に対象化していくサティによって脳の働きがクリーン化される。
 余計な情報処理をする必要がなくなる。
 今の瞬間への集中が良くなる。
 精度がアップする。
 仕事効率が良くなる……。


  
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4/5(木) 
ほぼ同じ体験を、これまでに多くの方が重ねてきた。
 瞑想の才能には格差があり、持って生まれた資質の影響が大きいが、こうした体験が起きにくい人の特徴は3つある。
 @正確なやり方をしていない。初めて合宿に参加された多くの方が、ここまで厳密に、正確にやるのか……と驚かれるが、セオリー通りやらなければ、当然、成果は出ない。
 A短い思考や妄想の処理が甘い。「なるほどそういうことか……」「こんなんじゃダメだ」等々、短い判断や所感などに無自覚で、思考モードが抜けきれないケース。
 B持続性・一貫性の欠如。やれやれ疲れた…と喫茶のサティを休憩代わりにしている人。就寝前や入浴時に不用意に短い会話を交わしている人。サティに専念もするが、見物モードになって周囲の人や環境を眺めたり、ムラのある人。


  
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4/4(水) 
このレポートをされた方は、2年前に同じ場所で同じ期間合宿に入られたが、瞑想の学びは得たものの体験としては何も起きなかった。
 今回は厳しくサティ・モードの一貫性を心がけた。前回は、宿舎間の移動距離が長いため、通常モードで歩いたり、超スローで緻密なサティを入れたり、疎と密のムラがあったのを反省し、改めたのだ。
 その修正が上手くいったのは、次のような表現に窺える。
 「時間はたっぷりあるのだから、十分集中して過ごそう。……いつどこで何をしていようと、することはサティを入れるというただそれだけなのだから、たとえどんなに移動に時間がかかっても、何も気にする必要はない、と妙に落ち着いた心持だった」
 さらに、「宿舎から瞑想堂へ向かって歩く瞑想をしていると、かなり集中がよく、体に触れる風、匂い、目に入る景色のそれぞれに、ラベリングが伴うような、伴わないような微妙なサティが入っていて、さらに自分が今悩んでいる仕事のことや瞑想上の悩みなどがうっすらと感じられ、そのどれにも気づいているが、しかしとらわれていないという感じの状態になっていた……」
 これは、非常に微妙な自覚しづらい思考にも厳密に気づきが保たれている見事なレポートであると言ってよい。


  
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4/3(火) 
千葉の短期合宿に参加された方からこんな報告が寄せられた。
 <合宿の翌日、山のように溜まった仕事に、しばらくは残業続きになるのを覚悟しながら出勤しました。ところが、なぜか自分でも分からないうちにアレヨアレヨという間に仕事が片付き、3日はかかると思われた仕事がたった1日で完了。翌日もやる気満々で、ガンガン仕事をこなしていたら、部下に言われました。
 「係長、いいですねエ。羨ましいほどですね。お休み取った甲斐がありましたね」
 言われてみて「ああ、修業の成果なんだ」とやっと気づきました。
 今まで慈悲の瞑想で救われたことは何度もありましたが、効率の面で、これほどまでの効果を実感したことはなく、改めてヴィパッサナー瞑想の威力にびっくり。
 このところ物忘れが激しくなっていく一方だったので、瞑想でこんなに明晰になれるなら、もっと修行しようと意欲がモリモリ湧いてきました……>


  
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4/2(月) 
人は、必ず誤ちを犯すし、失敗をする。
 あらゆる事象から、学びを得ればよいのだと腹をくくる。
 しょせん夢のように消えていく楽受を貪っても心は成長しないが、ネガティブな事象は痛切な教訓を心に残してくれる。
 人も、物も、出来事も……、無言で、力強く教えてくれている……。


  
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4/1(日) 
どんなことも、起きたことは正しい……。
 それでよかったのだ。
 それ以外にはあり得ようのない必然の力で、起きるべくして起きたことだったのだと知る。
 どれほど努力しても、そうなるべく定められていた事は、いかんともし難い流れで、結果としてそうなってしまうのだ。
 避けようもない業の力が働いていたのだから、仕方がないではないか……。
 そうなるだけの原因、そういう結果を受けなければならないような事を、かつての自分がしてきたのだから、受け容れる他はない……。
 その苦受を甘んじて受けることによって、苦受を受け容れる一瞬一瞬、それを現象化させていたエネルギーは消えていくし、現れたものは役目を終えて終息していくのだ……と心得る。


  
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3/31(土) 
「どうしたら、捨てられないものを捨て、別れられない人と真の別離ができるのでしょうか」
 「事実を事実として認める精神というか、現実を受け容れる能力でしょうね」
 「どうしたら、現実を受け容れることができるのでしょうか」
 「今はどこにも存在しない、ただかつて在っただけのものを手放すことができますか……」
 「大切な人は忘れられません。」
 「心から捨て去る必要はありません。思い出の一つひとつを検証し、どんなネガティブなものも、それが事実だったことを認め、受け容れて、肯定することができれば、心の本来あるべきフォルダーにきちんと納まってくれます。
 そうやって過去が整理されていくと、現実を受け容れる準備が心にできるのです」


  
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3/30(金) 
瞑想が終わり、遅れてきた親族も揃ったところで通夜振舞いの寿司を食べながら、期せずして母の思い出や死に至るまでの経緯が堰を切ったように語られ始めた。
 だが、頭の中は、火葬やお別れ会の会葬者など一連のイベントの段取りが去来し、落ち着いて情緒に浸る暇はなかった。
 通夜の客も姉夫婦も皆が帰ってしまい、冷え切った部屋の中でアイスノンに包まれた母の遺体とひとり向き合った。
 火葬場のスケジュールが混み合っていて、母の火葬は3日後の午前だった。
 母と別れを惜しむために与えられたかのような、この存分な時間に心から感謝を捧げた。
 翌日から弔問客が来るたびに母のデスマスクを見せ、溢れるように思い出を語り合い、一人になれば心おきなく母の遺体の前で瞑想し、母との60余年に及ぶさまざまな事柄を総括し、心底からの告別を何度も何度も思い残すことなくできたのだった……。
 悲嘆(グリーフ)を引きずることがなかった所以だろう。


  
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3/29(木) 
死者は、この世から完全に姿を消すが、残された者の心の中に留まり続ける……。
 死を悼み、死者を弔うのは、生き残った者が別離を受け容れ、悲嘆や混乱や喪失を回復し、明日に向かっていくためのものだ。
 死は、死者にとってではなく、生き残っている者に突きつけられた永遠の課題であり、通夜も葬儀も、そのために設計された装置ではないのだろうか……。
 かけがえのない人の死とともに、量り知れないものが喪われ、壊れていった。
 その死者に向かって、心の中で、真の別れを告げることができれば、残された人生を続けていくことができるだろう……。


  
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3/28(水) 
通夜も葬儀も、死者のためではなく、残された親族や友や関係者のためのものである。
 もし死後に生命が存続しないのであれば、死の瞬間に全てが絶無になっているのだから、死者のためにできることなど何ひとつない。
 魂も中有の存在も認めない原始仏教の死生観では、死の次の刹那には、再生の最初の瞬間である「結生識」が接続し、転生後の新たな命の営みがスタートする。
 1秒と経たぬうちに輪廻転生が完了しているのに、夜になってから皆が集まって涙し、亡くなった者のために善き再生を祈る……など理に合わないだろう。
 通夜とは、何だろうか……。


  
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3/27(火) 
祭壇に遺影を飾り、24時間持つ花型のロウソクに火が灯され、螺旋の線香が一筋の紫煙を立ち昇らせていく。
 夜になって調達された大きな花束が活けられると、通夜の準備は整った。
 原始仏教を信奉する遺族にとっては、世間の常識的宗教儀礼は意味を持たない。
 当初の予定通り、N子さんやKさんを混じえ最期まで母に寄り添っていた親族を中心に、母の遺体を囲み瞑想をするだけのささやかな通夜をした。
 母を祀る祭壇の前で順番に線香を立て、合掌し、パーリ語で三帰依と五戒を唱和してから、各自が瞑想に入っていく。
 だが、厳密なサティの瞑想に集中すれば、一切の概念を離れた出世間モードになり、通夜の意味をなさなくなるだろう。
 純粋な瞑想ではなく、沈思黙考する黙想に近い形で、死者への祈りと想い出や愛着などの概念を心の中で整理していく営み……。


  
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3/26(月) 
「お母さん、きれいな心で美しく死んでいくことが、人生最後の大仕事だよ」と、死をオープンに語り合ってきた2年間だった。
 だが、もし母が断末魔の苦しみに悶え、恐怖や怒りの不善心所で最期の瞬間を迎えることになっていたら、一番の介護ポイントが否定されたような、情けない理不尽な想いを禁じ得なかっただろう。
 まるで、あと一歩で山頂の登攀に成功、という次の瞬間、足を滑らせて転落死してしまうような結末ではないか。
 お母さん、人生の掉尾を飾るように、美しい死顔で旅立ってくれてありがとう。
 過酷だった歳月でしたが、無事ゴールのテープが切れました……。
 白無垢の母の遺体の美しさは、最終ゴールを駆け抜けて走れなくなっているランナーに与えられた、燦々と輝くメダルのようにも見えた。
 そのとき心の中を去来したのは、そんな安堵と達成感だったろうか……。


  
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3/25(日) 
姉とN子さんに伴われ、母の遺体が自宅に搬入されてきた。
 葬儀社のN氏の手で、母の遺体は白無垢の装束に包まれ、真珠色の光沢を放つ純白の上掛けの中に横たえられていった。
 まだ微かに温もりが残っている母の遺体には、森閑とした美しさが漂っていた……。
 不思議なことに、悲しみよりもむしろ、安堵感と達成感が混じり合ったような、苦楽で分類するなら「楽」に近い心が感じられた。
 なぜだったのだろうか……。



  
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3/24(土) 
利益本位のどこにでいる田舎の葬儀屋さんを想定していたのだが、私の担当になったN氏とこれほど話が合うとは思いも寄らなかった。
 母の葬いがすべて落着するまでに数えきれないほど顔を合わせ、打ち合わせを繰り返していくうちに、N氏の人柄、誠心誠意な対応、心地よいソフトな語り口、葬法や仏教についての該博な知識、葬儀の未来についての見識等々にすっかり感心させられてしまった。
 いつの間にか仕事の話が脱線し、時を忘れて話し込んでしまうこともしばしばだった。
 たとえ一期一会のビジネスパートナーであっても、互いに信頼し合って仕事を進めていける感覚が素晴らしかった。
 文房具屋で買物をしている瞬間も、宅配便を受け取っている瞬間も、葬儀の段取りを相談している一瞬一瞬も、小さなキラメキを放ちながら人生のひとコマを飾っているではないか。
 世事に不慣れな私が母の弔いを完了させることができたのは、ひとえにこのN氏に支えられ助けられたお蔭だと心から感謝することになっていく……。


  
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3/23(金) 
死を悲しんでいる暇もなく、葬儀社への連絡や病室の明け渡し、遺体を迎える自宅の準備、通夜や葬儀の諸事万端で心はいっぱいだった。
 ダンマにしか関心がなく、およそ世事に疎い私のような者が喪主として総てを取り仕切らなければならなかった。
 のみならず、伝統的な葬式とはかけ離れた独自の葬いを執り行なうので、誰にも任せる余地がない。その途方に暮れそうな感覚は、言葉が思うように通じない外国で、独り犀の角のように修行していた日々を思い出させた。
 だが、困り果てた時に必ずのように不思議なお助けマンが登場してくるのも私の人生には付きものだった……。


  
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3/22(木) 
愛する人の死を受け容れることができなければ、喪失の悲しみが宙に浮く。
 静止画像のように死が凍りつき、過去に閉じ込められ後ろ向きに押し出されていく人生……。
 受け容れられない否定のエネルギーが、過ぎ去ったものに釘付けにする……。


  
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3/21(水) 
母の介護物語は、クライマックスの死をもって終わりにすることもできるだろう。
 だが、誰にとっても、愛する人の死をどのように弔い、喪失の悲しみにいかに対処していくべきかは、人生の大問題である。
 原始仏教の死生観を拠りどころにしてきた在家の瞑想者が、どのように母親を葬っていったか、もう少し話を続けよう。
 象たちですら、家族だった仲間の死を悼み、毎夜遺体の下に集まり、前足の爪でその遺骨に触れ、喪われた存在をいとおしむかのように鼻先で確かめる仕草をしたりする。
 母系家族の群れを何よりも大切にし、抜群の記憶力を持った象が弔いの集会に集まってくるのは当然のことだろう。
 死者は、残された者の心の中に生き続けていく……。


  
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3/20(火) 
点滴を外すまでの母の形相は思い出したくないほど醜く、大きく口を開いた苦悶の表情が消えることはなかった。
 その母が、点滴を外したわずか4時間後に、こんなに美しく、安らいだ静かなデスマスクに変貌しようとは思いも寄らなかった。
 愚かな延命を続けてしまい、母の人生の最期の日々をただただ苦しみ悶えさせてしまったことが痛恨の極みに思われた。
 だが、人生のどのような事柄もプラス思考に転換せよ、と教えてきた身である。
 死の床に伏し、苦受を受け続ける一瞬一瞬、母は、この世で犯した不善業をたっぷり返済し、負債を返した分だけ身軽になってあの世に旅立って行ったのだ……。
 何よりも、ゆっくりと時間をかけて死んでいってくれたお蔭で、残された者たちは心おきなく、存分にお別れができたではないか。
 そう考えて、自分を責めずに、私になし得る最善の看取りができたのだと肯定していこう。



  
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3/19(月) 
2012年2月1日午後2時22分、母逝去。享年89歳。
 その10分後にKさんが駈けこんできたが、残念なことに間に合わなかった。
 「……お母さん、長い間お世話になりました。いろいろ教えて頂きありがとうございました……」と、まだ母が生きているかのように、悲痛な響きの伴った別れの言葉が母の耳元に叫ばれた。
 死の直前、まだ確かな意識が残っている間に、最後の思いを伝えたかったろうが、Kさんほど母の心に寄り添って介護をしてくれた方はいないのだから、それで良いのだと思った。
 私自身、もっと明確に、ピンポイントで母の死近心に関わりたかったと悔いる思いが去来した。
 しかし、そんな思いが吹き飛んでしまうほど母の死顔は美しく、安らいだ静かな印象を湛えていた……。



  
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3/18(日) 
膝の痛みに耐えながら右足を滑らせるように病棟を走り、病室に駆け込んだ。
 母はまだ生きていてその顔は見違えるほど美しく整っていたが、明らかに死相が現れ生死の境にいた。
 姉とN子さんが黙って立っていた。
 「お母さん! ひでおだよ。ひでおが来たよ! お母さん、……お別れだね。長い間ご苦労さまでした。良い人生だったね。……お世話になりました。ありがとうね。本当に、ありがとうね。……お母さん、光り輝くところへ旅立とうね。生まれ変わるよ。何も心配ないよ。お母さん!……さようなら。……ありがとう」
 母はまだ息をしていたが、微動だにせず、私の言葉が届いたかどうか定かではなかった。
 静かに、凍結していくように、生きている母が凛として崇高な亡骸になっていくプロセスが、刻一刻、スローモーションのコマ送りのように移動していった。
 駆けつけた副院長が脈を取り、瞳孔反射を確かめ、静かに臨終を宣言した。
 どの瞬間が「死」だったのだろうか。
 命の火が完全に吹き消された遺体となり、私の母だった人の存在はこの世から滅した……。


  
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3/17(土) 
眠っているのか起きているのか、静かに眼を閉じている母の寝顔を黙って見ていた。
 昼前に姉が来たので、点滴を外したことを伝えると、ご苦労様という顔で「わかりました」と言った。
 箱ティッシュや若干の備品を補充しなければならなかったので、後を託してスーパーに買物に行き、自宅に戻って昼食の用意をした。
 葬儀に関する諸々のことが脳裏を去来したが、内臓は丈夫だったし長年に渡って健康管理に気を配ってきた母のことだから、まだ1日や2日は持つのではないかとも思っていた。
 午後になり、「母の呼吸の感じがいつもとちがう」と姉が電話をしてきた。
 素人の判断で当てにはならないと思いながらも、遺体を迎えようもないほど散らかった家の中を大慌てで片付けていった。
 母の様子がちがうので来たほうがいいのではないか、ともう一度姉から電話があった。
 「わかった」と言い、自転車で病院に急行した……。


  
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3/16(金) 
副院長と入れ替わるように、看護師がやって来た。
 「……では、点滴を外します」と言い、入院以来1ヶ月間続けられ、腕にも足にも打つところがなくなり腹部に打っていた点滴が外されていった。
 発作が治まっていた母は、静かに目を閉じていた。
 ああ、もう、これでお終いになるのだ、と思った。
 まるで私が死の宣告を下したかのような展開になり、自責の念と罪悪感と破壊の印象が未完成のまま1000分の1秒ほど過ぎったが、サティを入れるまでもなく消滅していった。
 母の幸いを考え抜いた結果の判断であり、迷いもブレもなかった。
 時計を見ると、午前10時28分だった……。


  
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3/15(木) 
院長と話をしなければ…と思っているところへ、副院長の先生が診察に来た。
 痰がからまって吸引してもなかなか取れず、母はただ痛みにもがくばかりで、穏やかに寝まる時がなくなっていた。
 「点滴を続けても止めても苦しみは同じだと言われましたが、こんなに苦しまなくては死ねないのですか。この期に及んで、どのような処置を取ろうとも、母が元の健康体に戻れる可能性があるのですか。
 母と私は、この2年間死について何度も話し合ってきました。母はとっくの昔から、当然やってくる死を受け容れてきました。
 母も私も、ただ安らかに、穏やかに、最高の形で死んでいけることを望んできたのです。栄養点滴が結果的に延命の措置となり、母に無益な苦しみを与え続けるだけになってはいないのですか。
 家族としても、また母自身も、安らかに生涯を閉じたいと願っているのです……」
 とっさに浮かんだ言葉だったが、静かに、しかし力強く、明確な発音で意向を伝えた。
 人が好さそうでおとなしそうなタイプの副院長は、気圧されたように聞いていたが、「わかりました」とだけ言って足早に立ち去っていった。
 病室には、母と私だけが残された……。


  
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3/14(水) 
その日も母の容態は変わらず、呼吸が困難になって苦しみ、痰の吸引をすれば身を震わせてもがき苦しんだ。
 母の意識はハッキリしているように見えたが何も反応せず、コミュニケーションはできなかった。
 自宅であれ病院であれ、最高の形で死の訪れを受け容れることが母に残された唯一の仕事だった。
 何度も死のレッスンを重ねてきたし、臨終間近の状態に入ってからも、死の意味を母に繰り返し確認させ、感謝を伝え、もう十分にやるべきことはやり尽くしてきた。
 これ以上母が苦しみを重ねれば、その苦痛ゆえに善き死近心へと繋がらなくなるかもしれない。
 母は吸引に対して怒っているのではないかとKさんは見ているし、姉たちも母のいたずらな延命を望まない考えをとうに固めていた。
 あとは私の責任で決断を下すだけだった……。


  
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3/13(火) 
夜になり、それまで静かな呼吸をしていた母に対し、スケジュール通りに痰の吸引を始めた看護師がいた。
 あわてて止めようとしたが、処置が始まっていたのでそのまま見守っていた。
 処置の技術は丁寧で申し分なかったが、母は寝ている子が起こされたようにひどく苦しむことになってしまった。チューブに血が滲み、眼に余ったので、中止させた。
 今後、時間通りの処置はしないでよい。本人が苦しんでいる時にのみ要望するので対応して欲しいと強く申し伝えた。 母はその後、1時間ほど苦しんでやっと静かになった。
 この期に及んで、母に無益な苦しみを与えてしまったことが申し訳なく、守ってあげられなかった己の不明を恥じた。
 発作→吸引→苦しみ……の連鎖が続き、夜更けてやっと母は寝入った。
 Kさんが病室に泊り付き添ってくれることになっていたので、真夜中にいったん帰宅して短い睡眠を取った。


  
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3/12(月) 
母の死に立ち会うべき人は集ったものの、今すぐ臨終の時が訪れる緊迫感は薄らいでいた。
 仮眠や昼食などで誰もいなくなった午後、眼を開いた母に語りかけた。
 「お母さん、いよいよお別れだね。長い間、ありがとう。お世話になりましたね。いつも優しくしてくれてありがとうね。お母さんの子供に生まれて、本当に幸せだったよ。いくら感謝しても感謝しきれないよ。
 ……もうすぐ死ぬけど、何も心配ないよ。死ぬのは一瞬のことで、すぐ生まれ変わるからね。安心して、安らかに逝こうね。綺麗なところへ行くよ。明るいところへ、光り輝くところへ行くからね。みんないるから大丈夫だよ。……お母さん、ありがとうね」
 明確な発音で、はっきりと母の耳元に語りかけた。
 今生の別れかと思うと、涙が溢れてきた……。


  
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3/11(日) 
痰や咳の発作が治まり、静かに寝入っている母の表情は穏やかで、呼吸をしていなければ死んでいるようにも見える。
 Kさんは家族をすべて自宅で看取ってきたので、経管栄養や胃ろうなどの延命措置は無論、点滴にも疑問を持っていた。
 当人の苦しみさえ伴わなければ、介護する者は点滴を続けさせようと思うだろう。しかし、生命が自然に死んでいこうとしているのを無理矢理食い止めて、苦しみを長引かせムチ打つのは安らかな死を冒涜しているのではないか……と。
 Kさんの家族は全員静かに息を引き取り、最期まで意識は明晰で、お別れもしっかりできたという。
 院長に改めて点滴の有無を訊ねた。
 「点滴は少量で、止めても続けても苦しさはどちらともいえない。もし浮腫みがひどくなるようでしたらその時は点滴を止めましょう。いずれにしても今日か明日だと思います」


  
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3/10(土) 
母の全身に玉のような汗が出ていた。
 熱は37.7度なのだが、体表面はそれほど高くはなくても深部は高いらしい。氷枕に腋下にもアイスノンを挟んで冷やした。
 酸素吸入が増量されてももはや肺にはあまり取り込めず、死が間近に迫っているのは明白なのだが、内臓全般が丈夫だったせいか不思議に持ちこたえていた。
 昼になり黄昏ても母の容態は変わらず、痰がからまり呼吸困難になっては激しい苦痛に耐えながら吸引を繰り返していた。
 夜が深まり、そのまま付き添うべきか迷ったあげく、姉夫婦とN子さん達はいったん帰宅することにした。
 母が眠り続けているかぎり、黙って祈ることぐらいしかできないので、Kさんにうながされ、後を託して私も深夜1時に帰宅し、3時間ほど熟睡して5時前に病室に戻った。
 母は生きていた……。


  
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3/9(金) 
病院に朝が来るとにわかに活気立ち、機械音や人声が飛び交い、スケジュール通りのケアをする看護師やヘルパー、掃除をする人、洗濯物を集める人、さまざまな人が入れ替わり立ち替わり出入りした。
 こんなせわしない波動に呑み込まれながら、母が最期を迎えるとは思えなかった。死と再生の聖なる瞬間の訪れにふさわしくない。
 臨終に立ち合おうと、姉やN子さん夫婦、Kさん達が続々と集まってきた……。


  
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3/8(木) 
いよいよその時が来たか、と腹を定め、夜を徹して母を見守っていた。
 心拍数が一時は「50」まで下がり危篤状態になったのだが、4時40分頃目覚めた母の心拍数は「91」に戻り、血圧も「111&50」にまで回復した。
 看護師さん達の仮眠用ソファーを病室に運び込んでくれたので、1時間ほどウトウトしたが、気が高ぶっていて睡眠モードには入れない。
 起き上がると、母が眼を開いていた。
 枕元に座り、母の体に触れ、語りかけた。
 「お母さん、分かる?……だいじょうぶだよ。なにも心配ないからね。安心して、綺麗なところへ行こうね。明るい処、光り輝くところへ行くんだよ。もう、頑張らなくていいよ……」


  
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3/7(水) 
その夜、眠りに就いてどのくらい経ったのか、病院から緊急電話が入った。
 「お母さんの呼吸が乱れてきたので、すぐに来てください」
 時計を見ると、まだ夜中の2時40分だった。
 飛び起きて身支度をととのえ、自転車で病院に駆けつけると、院長先生、男性看護師、母の知り合いのベテラン看護師が母の病床を取り囲んでいた。
 「お母さん! ひでおが来たよ。分かる?!」と母の枕元で叫ぶように言うと、母はパチリとマバタキをして答えてくれた。
 院長先生が私の耳元で囁くように言った。
 「今すぐではないが、今日中に逝くでしょう……」


  
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3/6(火) 
朝日カルチャーの仕事の合間に、母の安否を確かめた。
 熱は38度2分だが呼吸は穏やかで、意識はしっかりしているので、まだ大丈夫そうだという。
 母は、私が仕事をしている情況を理解しているので、帰りを待っているのではないか……と。
 翌日の1Day合宿の最中に入ってきたメールには、熱が下がり氷枕をはずしたが、声をかけても虚ろで反応がない。息づかいは静かで楽になったように見受けられる。足をさすると目を閉じて眠り始めるが、少しの物音にも目を開ける。静かにしている。心配ありません……。
 といった様子が伝えられていた。
 打ち上げが終わると、スタッフが気を効かせてすぐに帰宅できる手筈を整えてくれた。
 帰りの電車の中で、煎餅と駅のコンビニで買った野菜ジュースとカシューナッツだけの夕食を摂った。
 駅に到着したのが22時30分、病院に行ける時間ではなかった。凍てつくように寒い夜だった。
 何はともあれ、母は2日間生きていてくれた……。


  
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3/5(月) 
一瞬の予断も許さないこの期に及んで母を捨て置き、東京へ仕事に行ってよいものだろうか、と考えぬ訳ではなかった。
 だが、瞑想モードで得た自分の直観を信じ、週末の朝日カルチャー講座と1Day合宿の仕事を決行することにした。
 姉もN子さんも付き添うし、何よりもKさんに後を託せるのだ。事あらば仕事を中断して飛んで帰る覚悟で2日間留守にした。
 お母さん、待っててくれよ……。


  
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3/4(日) 
院長の往診時や夜間には、副院長の先生が診察に来られた。
 痰を抑えるために抗肺炎薬以外のすべての投薬が中止され、酸素吸入の量が増量されたという。
 その日、待ちわびていた介護の天才Kさんがやって来た。
 すぐに母の枕元に座り、手を取るや、「お母さん、辛いね。……苦しいね」と澄んだ声で語りかけた。なんの迷いもためらいもないその響きに、Kさんが一瞬にして母の心に寄り添い共感しているのが感じられ、胸を衝かれた。
 「……大丈夫だよ。楽になるからね。……怖くないよ。大丈夫だよ。気持ち良くなるよ」と言いながらKさんは母の胸をやさしく撫でてあげた。
 涙を浮かべ、安心しきって身を委ねている母の姿を見ると、死にゆく人に対して、一瞬にして家族以上の一体感で一つになってしまう共感能力に心底脱帽した。
 私以上に母の心に寄り添える者はいないという自負があったが、Kさんには敵わない、さすがプロ中のプロと揺さぶられるような感銘を受けた……。


  
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3/3(土) 
どれほどの介護をしても、愛する者を見送った家族の心には、もっとして上げられたはずだ、あんなことはやるべきではなかった、言わなければ良かった……等々の悔いが残るものだという。
 新しい本の執筆も定番の合宿も、犠牲にできるものはギリギリまで打ち捨てて、母の介護に徹してきた2年間だった。
 全力を揮ってきたつもりだが、御多分にもれず私も、これまで自分のやってきた介護が完全なものだったなどとは到底思えなかった。
 マイナスの側面にのみ、目を光らせてしまうのだ。
 母の介護日誌のようになってきた「今日の一言」の古い日付を読み直していると、がんばっているじゃないか……と自分を褒めてあげたくなるような記述に出会ったりもする。
 無意識のうちに、いかに自分がネガティブな評価を下しているかにハッとさせられる……。


  
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3/2(金) 
同じ会話を3度試みた。
 「お母さん、何か話したいこと、伝えたいことある?」→パチリ→「家に帰りたい?」→無反応→「ここ(病院)でも良い?」→パチリ。
 そうか……とホッとする。
 その30分後に再び「家に帰りたい?」と訊く。すると、パチリとマバタキをして「イエス」の意志表示をする。
 「もし死ぬとしたら、病院でも良い?」→曖昧→「家に帰りたい?」→曖昧……。
 「また元気になりたいと思う?」と別の設問をすると→パチリ。
 え?!……そうなのか。死ぬ覚悟を定めた訳でもないのか。
 こうした短い会話も、体位替えやオムツの交換、痰の発作と吸引などで頻繁に中断され、分かりづらくなっていく。
 「何も話さなくても、ここにいてもらいたい?」→パチリ→「誰もいないと寂しい?」→パチリ。
 このやり取りだけは、いつ訊いても常に明快な回答が返ってくる……。


  
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3/1(木) 
母の担当だったベテラン看護師さんのお住まいは、母の親友が営んでいたクリーニング店の真ん前だった。見るからに母性あふれるタイプで、母をよく知っていてくれたこともあり、特に親身な看護をしていただいてきた。
 毎日付き添っているので、私もプライベートなことまで何度も話し込んだりした。
 夜勤明けだったその看護師さんが、「今朝起きたら、お母様涙を流していたわよ。何だったのでしょうね」と言った。
 母が家に帰りたいと言った2日後の朝だったが、やはりそのことに関係があったのだろうか……。90分間も呻き続けるような大発作に苦しみ、ただ苦受を受けるために生きているような日々に涙を流したという解釈もあり得るだろう。
 だが、家に帰れないので泣いていた……と解釈すると、罪悪感に駆られるのを禁じ得ない。


  
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2/29(水) 
「お母さん、酸素吸入や点滴をやらないとすぐに死んじゃうよ。家に帰っても、こういう機材を揃えて続行するの大変だよね。……たとえすぐ死ぬことになっても家に帰りたいんなら、目パチンとやって」→無反応→「もう少し病院でがんばるんなら、目パチンとやって」→無反応……。
 もう一度同じことを訊き直すと、「病院でがんばる?」にパチンとマバタキをして「イエス」の意志表示をした。
 しかし真意の程はどうなのだろうか。母の意志を問うたのではなく、私の意志を押しつけたのではないだろうか。
 「もう病院はご免だけど、我慢するしかないと思ってる?」と訊けば、パチリとマバタキをしたのではないか……。
 母がどうしても家に帰りたいと言い張ったら、どうするのだろうか。
 そうしてあげたいが、もう私にはできないだろうと心が定まっていた……。
 お母さん、ごめんね。
 住み慣れた家で死にたい……という願いをかなえて上げられないね……。


  
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2/28(火) 
もう声は出せないだろうと思っていた母がその日、小さく叫ぶように声を立て、必死に口をパクパクさせて何かを言おうとしていた。
 「どうした? 何かしてもらいたい?」→「イエス」→「体のこと?」→「ノー」→「体以外のこと?」→「イエス」……
 ……マバタキの会話が長引くと疲れてくるので、閃いたことをズバリ提示した。
 「家に帰りたい?」
 母はパチリとマバタキをして「イエス」の意志を表した。
 そうか……。自宅で死にたいという母の念願をかなえてあげるには、今が潮時なのかもしれない。
 しかし、訪問看護師やヘルパーさんの協力を得たとしても、痰の吸引、点滴、酸素吸入、投薬、オムツの交換、2〜3時間おきの体位替え……等々を果たしてどこまでやれるだろうか……。
 自分一人が歩くのにも難儀しているのだ。
 自信がなかった……。


  
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2/27(月) 
母も私も院長も、延命はしない方針を何度も確かめてきた。
 私の想定していた「延命」措置とは、経管栄養や胃ろうを指している。もし酸素吸入と点滴を止めれば直ちに母は死ぬだろうから、さすがにそれらを止めてくれとは言い出しにくかった……。
 母の看取りに関し、誰よりも腹蔵なく相談できる方は主治医でもケアマネでも家族でもなく、介護の天才Kさんだった。
 認知症の姑を看取り、心臓病の舅を看取り、筋ジストロフィーの夫を看取り、夫の死後やはり筋ジストロフィーだった義妹の介護もしてきた人である。
 身体介護の技術も心のケアも哲学にも一家言を有するKさんに、再び来てもらうことにした……。


  
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2/26(日) 
母の顔には不思議なほどシワがなく、女性見舞い客の誰からも「とても89歳には見えない!」とツルツルの顔を褒められてきた。だが、さすがにこの期に及んで頬がこけ始め、耳たぶには細かなシワが寄ってきた。
 その日の母は、開いたままの口から喘ぐような声が洩れ、陸に打ち上げられた魚のように見えた。吸引直後なのにすぐにゴホッ、ゴホッと痰がからまり、引きつけを起こしたように呼吸が停まったり、動物の吠えるような呻き声を立て続けた。
 何度も吸引をかけるが上手くいかず、入院して以来、最も苦しい時間が90分も続き、私は、母の頭に右手を置き、左手で背中をタップし続けていた。
 最後に、鼻から吸引した状態で頭をのけぞらせるように下げて咳をさせ、やっと大きな固まりを吸い取ることができた。
 疲れ果て寝入った母の枕元に座り、苦しむために生を永らえているかのような現状に疑問を感じていた……。


  
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2/25(土) 
日を重ねるごとに母の両手は浮腫み、腕には点滴を打つ箇所がなくなり、やがて脚にも打つところがなくなって遂に腹部に打つことになった。
 鼻にチューブを挿し込んで酸素吸入をしてきたが、それでは追いつかずマスク型の吸入に変わった。
 「こんにちは」と福助が現れると母の両目が潤むが、慈悲の瞑想は「やりたい?」にも「やりたくない?」にも無反応だったりする。反対に「イエス」にも「ノー」にも反応して訳がわからなくなったり、マバタキとうなずきが混同して母の心が読めなくなる。
 点滴だけで3週間以上が経過しており、何を訊いても無反応なのは考えるエネルギーがないからかもしれない。「考える力がないの?」と訊くとパチリと答えたこともあった。
 「ただいるだけで良い?」と確かめるとパチリと反応し、ウトウトと寝ては覚めを繰り返す母。……その夢は枯れ野を駆け巡っているのだろうか?
 ときどき目を開いてこちらを見るが、ただ側にいてくれるのを確認するだけで、それ以上の何も考えられないのか……。
 ときどき立ち上がって、母の顔を間近に見つめ、頭をなでたり耳を触ったりしてあげる……。


  
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2/24(金) 
母の洗髪をお願いするとすぐに対応してくれるし、看護師とヘルパーの連携によるケアはきめ細やかになされていて申し分がない。
 しかし、最も痛みの伴う痰の吸引を見ていると、丁寧で優しい所作の看護師もいれば、思わず阻止したくなるような手荒な印象の方もいる。同一人であっても日によって異なり、気分やストレスなど精神状態が治療現場に反映しているのが見て取れた。
 痰を取らなければ呼吸が困難になり、口や鼻からチューブが挿入され咽喉を引っかき回しながらタイミングよく上がってきた痰を吸引するのが容易ではない。
 明らかに母は嫌がっていると分かることも多々あるのだが、結局やらない訳にはいかず、これは死ぬ前にできるだけ苦受を受けることによって不善業を消しておくための儀式なのか……と考えこんでしまった。


  
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2/23(木) 
晴天の日が長く続いていたが、3日間雨が降り、徒歩で病院に通わなければならなくなった。
 頼みの自転車には乗れず、傘を差し荷物を持って久しぶりに長い距離を歩くと、痛めた右膝が苦しくて霙まじりの路上で何度も立ち往生しかかった。
 自宅で母の介護を続けるのは到底無理な体になっていたのを改めて意識し、絶妙のタイミングで母が入院してくれた不思議さを感じた。
 その母の手足には浮腫みが出て、痰の吸引にもしばしば血が混じり、痛みと苦しさは増すばかりだったが、予告された死は訪れず、今生の別れを告げるべき人にもすべて会ってしまった。
 遠方から見舞いに来る姉にも、他の付き添う者たちにも疲労が見られ、盛り上がったテンションがゆるみ始めたようにも思われた。
 母への感謝も死ぬ瞬間の心得も慈悲の瞑想も何度も繰り返し、さて、何をどうすればよいのか、中途半端な膠着状態の印象だった。
 死が間近のはずなのに、母はなぜ、何のために、こうして生きているのか……。


  
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2/22(水) 
母の介護をなんとかここまでやってこられたのは、近隣に住む母の姪N子さんが一貫して介護を手伝ってくれたお陰だった。
 母の入院後も、N子さんはほぼ毎日病室で母に付添ってくれたが、娘同然の情がこもっていた。
 N子さんは、生まれる前に父親(母の兄)が戦死し、幼児期に母親も喪い、祖母の手で育てられてきた境遇だった。私の母と伯母を、N子さんは実の母のように慕ってきたのだから、本当の母娘に限りなく近いものがあった。
 その娘同然のN子さんを、晩年の母はどれだけ頼りにしてきたことだろう……。
 老衰し無力な存在となった母がまさにこの世を去ろうとする時、その母に付添い看取っているのは、かつて可愛がり、真実に愛した者たちだった……。


  
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2/21(火) 
「母は昔の人でしたから、子育てに命を懸け、母のすべてを捧げきって愛し育ててくれました。
 子供のために自分を捨てきっているのがひしひしと感じられました。
 優しかった母には、100点満点の愛をいただきました。
 母に愛されたという事実……。
 結局、それでしょうね、私の介護の底力になっていたのは……」
 「やはり、そうでしたか……」
 よく解りましたというようにSさんはうなずかれた。
 「何事も自業自得ですね。人は自分が出力したのと同じものを受け取る法則ですよ……」


  
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2/20(月) 
「介護地獄の凄まじさは、身をもって体験した者でなければわかりませんよね。
 親子関係が良くなかった家族は、なんらかの言い訳をして介護をやらないものです。
 親から愛されたと思えばこそ恩返しに看取りをしようと、子は思うものですが、たとえそうした親子であっても、ギリギリのところまで追い込まれた時に、果たしてやり抜けるかどうか難しいところです。
 ……親に不満や怒りを感じたことがゼロの人は恐らくいないでしょう。
 親から95点、いや98点の愛を受けたとしても、わずか2点や5点の微々たる不満やマイナス感情がイザという現場では吹き出てくるのではないでしょうか。
 私の生き方の流儀として、老親の介護は子がやるべきものという信条があります。
 しかし、土壇場になれば理念で押し切れるものではないでしょうね……」


  
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2/19(日) 
テレパシーなのだろうか。
 電話をしようと思ったまさにその時に、「お母さま、その後いかがですか?」とSさんから電話があった。
 緊急入院し、死へのカウントダウンが始まった時点で、もう二度と母が家に帰ることもデイサービスに伺うこともない旨、伝えてあった。
 施設からすれば死に向かって消えていった大勢の利用者の一人に過ぎないだろうに、母の現状を聞いたSさんは「明日伺います」と即答された。
 翌日、病床に身を乗り出すように声かけをしてくださるSさんに、黙って視線を向けることしかできない母になり代わり、3年間優しく見守ってくださってありがとう、お世話になりました、と礼を述べ、感謝の想いを伝えているうちに泣きそうになってしまった。
 介護と福祉に生涯を捧げてこられたSさんにはキリスト教のシスターの雰囲気が漂っていて、「信仰をお持ちなのですか?」といつか訊いてみたかったが、切り出せなかった。
 すぐに帰られるものと思いきや1時間半も見舞ってくださったSさんから、逆に私が質問されてしまった。
 「ご家族とはいえ、なぜ、そこまでの介護ができるんですか?」


  
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2/18(土) 
母が礼を述べ別れを告げるべき最後の人は、3年通ったデイサービスのセンター長だろうと判断していた。
 母の人となりを正確に把握して見守っていただいてきたが、職員にも利用者にも明るく優しい雰囲気が満ちていたのは、Sさんのマネジメント能力に拠るものと思われた。
 母が一番の楽しみにしていたオセロを教えてくれたのもこのセンターだった。
 「利用者の方々に私情を差し挟んではいけないのですが、お母様にはどうしても惹かれるものがあって、特別の思いが入ってしまいました」と述懐されていた。
 そのSさんに会いたいという母のマバタキも明確だった。
 老人介護施設もピンからキリまでだが、自分で自分のことを守りきれなくなっていた母が人生の最後におだやかな時間を安心して過ごすことができたのも、Sさんの統率力があったからである。
 別れの挨拶をしなければならない……。


  
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2/17(金) 
翌日の夜、「お母さん、今日はなんだか疲れちゃったので、1時間早いけど帰ってもいいかな?」と訊いた。
 母は、パチリと瞬きをして「帰ってもよい」と意志表示をした。
 弱者への迷いのない反応だと思った。
 誰でも老衰が進むにつれ、歩けなくなり食べられなくなり喋れなくなって、一人では排泄もできず赤ちゃんのようにオムツを使うまでになっていく。
 生存にかかわる全てを人に介助してもらうのが当たり前になり、心もそれに比例して、幼児がえりする傾向が現れると言ってもよい。
 無垢になっていく、と賞賛する考えもあるだろうが、小児的エゴイズムに退行していくと言えないだろうか。
 たとえ無力な存在になり死に瀕していても、母性や母心にスイッチを入れられると、途端に自分以外の誰かを守ろうとし、助けようと反応し、もらうことよりも与えることが第一になってエゴ感覚が弱まっていく。
 いつ死ぬかは時間の問題となった母には、幼児的エゴに帰った状態ではなく、母性の気高さを保持した死近心で逝去してもらいたかった。


  
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2/16(木) 
誰が見舞いに来ても母が言葉をしゃべることはないのに、福助と一緒に唱える慈悲の瞑想の文言だけは声帯を震わせ声を出そうとする。
 いったい母は慈悲の瞑想にどんな特別の思い入れがあるのか分からないまま、まったくやれない日や途中で続かなくなり中止する日が増えた。
 死のレッスンもさすがに同じことの繰り返しとなり、一日の大半は眠っているのだが、たとえ目覚めていても互いに沈黙したままどうコミュニケーションを取ってよいのかわからなくなった。
 「お母さん、今日は1時間早いけど、帰ってもいい?」と訊いた。
 すると母は、ダメと首を横に振る。
 「僕がいるだけで、安心するの?」
 大きくパチリとマバタキをした。
 「いないと寂しい?」→パチリ。
 そうか。何も話さなくても、一緒にいるだけでよいのなら、いてあげよう。
 幼児だった頃、たとえ母がかまってくれなくても、家にいるだけで安心することができたではないか……


  
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2/15(水) 
認知症は目ざましく好転したものの、母の記憶力の回復は大幅なものとは言えない。それゆえに、これから見舞いに来られる方々を何度も予告し、来訪した方々は折に触れ思い出させて母の記憶を新たにした。
 数時間後には忘れ去られる人もいれば、Oさんのように2日経ってもしっかり記憶に残り、Hさんは3日経っても覚えていた。
 母がKさんの来訪を忘れることはなかった……。
 介護する人や器具によってサポートされれば、人間らしく生を全うすることができるケースは無数にある。足りないものは補いながら生きていけばよいのだ。
 残された時間は、ごくわずかである。死ぬ瞬間まで、母の心が正常に機能する助けになろうと思った。

  
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2/14(火)
 1年前の正月にHさんは、桜が咲いて暖かくなったら必ず母を訪ねると約束されていた。こちらから電話をすれば、高齢を押しての見舞いを強いることにならないか気がかりだった。だが、受話器から響いてくる声は若々しく、開口一番、訪問できないまま1年が過ぎたことを詫びられ、「明日伺います」という言葉に真っ直ぐなものが感じられた。
 果たして翌日、母の枕元で「先生!」と呼びかける声を聞いた瞬間、人を思う切々たる心と、70年間も敬慕し続けてこられた思いのたけが直球のように響いてきた。
 改めて、言葉の虚しさと、人の心を打つのはありのままの真情であることに思いを馳せた。
 凛とした声で語られるHさんの生い立ちやご両親との関係を伺いながら、少女だったHさんが生涯を通して母の中に見続けていたものが何だったのか解るような気がした。
 他人でありながら、このHさんほど、母の存在そのものを絶対的に肯定し慕ってくださった方はいないだろう。
 Hさんに一目会いたいと涙を浮かべて母が反応したのも、認知症と老衰で自信を喪失していた晩年の母にとって、かけがえのない心の支えになっていたからではないか。
 私の介護疲れを気づかいお弁当まで買ってきてくださったHさんが、二度と会うことのない別れを惜しみながら去っていくのを、マバタキしかできない母はどのような思いで見送ったのか……。


  
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2/13(月) 
当初の想定どおり、2〜3日周期で肺炎が治ってはぶり返しながら母の病状は徐々に進行していく。熱が上がれば氷枕で頭を冷やし、呼吸が苦しくなれば酸素吸入が増量される。いつ死んでもおかしくはない状態だが、意識はしっかりしていて小康が保たれている。
 家族は全員、母の死を受け容れる心の準備が整った。会うべき親類縁者の者たちも皆、見舞いに来てくれたが、まだ母には今生の別れを告げるべき人が3人残されているように思われた。
 先だって娘婿に急逝された60余年来の親友がその一人だが、あんなに元気だったのに、脳梗塞で倒れ今は車椅子で完全介護の状態になったという。
 二人目は、まだ若かった母が代用教員をしていた頃の教え子で、70年の長きに渡って母を「先生」と呼んで慕い続けてくださった書家の老婦人である。
 そのHさんが母に寄せる真情は私にもひしひしと伝わり、認知症が悪かった頃の母がHさんの声を耳にするや電話口で号泣したこともあった。
 「Hさんに会いたい?」と訊くと、母は涙を浮かべて強い反応を示した……。


  
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2/12(日) 
言葉のしゃべれない幼兒の心を思いやり、サーカスを見せたり動物園に連れて行ったりする若い親のように、私が思いついたことを母に伝え、アレンジされた出来事を黙々と受身で体験していく他はない母。
 思えば、不思議な人生の終末だった。
 眠りこける母のベッドを挟んで、矢継ぎ早に母の思い出を語る旧来の友は、いったい誰と話していたのだろうか。
 母に成り代わったように受け答えをしながら、母と親友の追憶の世界が次々と浮かび上がっては、消えていった。
 思いも寄らぬ母の世界を垣間見るおもしろさに引きこまれ、すっかり聞き上手になって老婦人と心を交わしていたのは、誰だったのだろうか……。


  
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2/11(土) 
寝ては覚めを繰り返す母が、Oさんと言葉を交わすことはほとんどなかった。
 すっかり打ちとけて1時間以上話しこんだOさんが「それでは、これで、お暇します」と立ち上がり、母の枕元に立った。
 眠っていた母を揺り起こし、
 「お母さん、Oさんがお帰りだよ。……来ていただいて、本当に良かったね。ありがとう、と言いたいよね。Oさん、お世話になり
ました、てね。……さようなら、だね」
 福助を操ってきた腹話術の感覚で、とっさに母の気持ちになり代わって別れの挨拶をした。
 「また来ますよ。……元気になってね」
 「お母さん、Oさんに、さようなら、と言いたいよね? ありがとう、と言いたいよね?……言いたかったら、マバタキをして」
 母は、かつての同僚であり親友でもあった人の顔を、赤く潤んだ見開いた目でしげしげと眺め、パチリと瞬きをした。
 「ああ、何でも分かってくださっている……」とOさんは笑みを浮かべた。
 母とOさんが逢うことは、もう、二度とないだろう。
 ……今生の別れだった。 


  
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2/10(金)
 Oさんの来訪を、母は目を潤ませて喜んでくれた。
 その様子を眺めて、おせっかいなアレンジをしているのではないかという一抹の不安は霧消した。
 入院し死の床に就いてからの母の意識はかつてない明晰さを保ち、認知症という言葉は私の心から忘れ去られていた。それゆえに、マバタキでしか意志表示のできない母が無念でならなかった。
 Oさんは、母とは性格が何もかも反対だったがゆえに、母の謙虚さや忍耐強さに惹かれ、敵を作らず誰の悪口も言わない母に憧れてきたと褒めちぎった。
 しかし誰に対しても一歩も退かずに言いたいことを言う自分に誇りを持っていて、数年前に脳梗塞で倒れ奇跡の復活を果たした物語
をNHKのテレビで30分話したことがあると自慢話をされた。
 保健所時代の驚くような母のエピソードをいくつも聞かされ、Oさんを招いて本当に良かったと思った。


  
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2/9(木) 昼過ぎに病室に入ると、熱いおしぼりで母の顔を拭いてあげ、長年愛用してきたVCローションとスクワラン(鮫油)を塗ってあげる。
死に瀕した母が気持ち好さそうに眼を閉じ、いちばん幸せそうに見える時である。一日中開きっぱなしで汚れた口の中を、歯ブラシで
丹念にきれいにしてあげるのも喜ばれる日課となった。
 誰かが付き添いにくれば病室を離れ、山積している仕事を次々とこなして病室にもどり、8時になるまでベッドサイドで過ごして帰宅する生活リズムが整ってきた。
 その日は、早い時間に見舞いに来るというOさんを迎えるために、午前中から病室に入った。
 私が間に入らなければ、母とコミュニケーションを取ることはできないだろう。
 母の手足になるだけではなく、母の代わりに、母の人生を生きているような錯覚に陥ってくる……。


  
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2/8(水) 
母は定年退職をした後も、嘱託として70歳まで保健所に勤務した。
 最も親しかった管理栄養士の方とは当時から今にいたるまで親交が深く、退職後も母はしばしば泊まりに行ったり、栄養士ご夫妻の車でお花見や新緑、紅葉狩りなどの小旅行に出かけるのを楽しみにしていた。
 同居を始めてから何度も電話をいただいたのだが、母の老衰と認知症を理由に対面する労を取らないできた。
 自分からは何も意志表示ができなくなった母が、有終の美を飾って人生をしめくくることができるか否か、今やすべては私の裁量に
かかっていた。
 「お母さん、Oさんに会いたい?」と訊ねると、母の眼が潤み、パチリと瞬きをした。
 77歳になるというOさんと母は、同じ職場で同じ時代を共に生きた戦友のようなものではないか。
 縁ある人に別れも告げず、ひとりこの世を去っていくことはできないだろう。
 母の寝室や居間を探しまわって住所録を見つけ出し、思い切って電話をすると2つ返事で見舞いに来るという。


  
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2/7(火) 
長生きをするのは目出たいのかもしれないが、赤子同然の無力な翁や媼になった時、どのように最後の命をつなぎ、人間らしく尊厳を守って死んでいくことができるのだろうか。
 すべては、自ら作ってきた善業と不善業の集積によって決まると心得なければならない。
 人のため世の中のために善いことをしてきただろうか。
 冷たい人間ではなかったか。自分のことしか考えずに人を利用し、迷惑をかけ、苦しませてはこなかったか。
 最後に頼れるのは自らの業のみであり、怖れなければならないのも己の不善業だけである。


  
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2/6(月)
 デイサービスに通い始めた3年前は、まだ母の体力もコミュニケーション能力も健常者と変わらなかった。それゆえに、誰もが母の謙虚さや協調性や人となりを理解し優しくしてくれた。
 デイサービスに通うことができた最後の日まで、母が大事にされていることが送迎の職員の態度や雰囲気に感じられた。
 一方、初めてショートステイに入った頃の母は、涎を垂れ流し、ほとんど何もしゃべれない状態になっていた。
 この世の縮図ともいえるさまざまな利用者と慢性的に人手不足の職員の間で、母はどのように自分を守り、意志を伝えることができ
るのか案じられた。
 しかし、母はその施設でナンバーワンの実力を持った男性職員に特に目をかけてもらえ、また、センター長が母と私のケアマネ
ジャーでもあり、私の介護哲学や死生観、具体的な介護アイデア等々を全面的に理解しバックアップしてくれていた。
 口もきけず手足も満足に動かせず、いかんともしがたい無力な存在になり果てた母が、他人しかいない施設で寝起きをしなければならなくなった……。
 だが、こうした背景に加え、姉がショートステイの母を頻繁に訪ねて家族の存在を示してくれたこともあり、母は大過なく守られていたのではないだろうか。


  
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2/5(日) デイサービスでもショートステイでも、総じて母は素晴らしい職員の方々に恵まれたが、どんな優しい関係も家族と同じ距離にまで達することはまずあり得ないだろう。
 血のつながらないKさんから家族以上とも言えるケアと優しさを得られたのは、母の徳の力によるものであり、おだやかで優しかった母の生涯にふさわしいのではないか……。


  
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2/4(土) 母の耳元に顔を近づけたKさんは、かつて母と散歩をしながら歌った懐かしいメロディーを、正確な音程で次々と歌い聞かせていった。
 Kさんが現れると天性の陽の気がこぼれて周囲を輝かせてしまうのが常だったが、今また、全てが母の死に向かってフォーカスしていた病室に一種異様な明るさがみなぎった。
 自らの体によって沈黙を強いられ、何も語れぬ母の脳裏には、まだ元気だったころ、陽だまりの中を行く2人の女学生のように、華やいだ心でシルバーカートを押しながら歌っていた日々が回想されているのだろうか。
 そんな幸福を最晩年の母に与えることができたのは、Kさんだけだった……。


  
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2/3(金) 
母の筋肉系の衰えは極限に近づき、手足はおろか指1本動かせず、看護師やヘルパーさんが2、3時間おきに体位を替えて褥瘡を防止している。
 鼻孔には酸素のチューブが24時間挿入され、開っき放しの口は、筋肉系に由来するのか、呼吸が苦しいからなのか。
 だんだん無表情になっていく母の姿は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)が進行していくのを連想させる。
 その日の夕刻、待ちわびていたKさんと母の対面は、終生忘れがたいものとなった。
 「お母さん…!』
 と、呼びかけるKさんの澄んだ声は、聞いた瞬間、心にも体にもゾクッと戦慄が走るような優しい響きに満ちていた。
 母は見開いた目でKさんを認めるや、顔をクシャクシャにして呻くような声を立て、激しく号泣慟哭した。
 空間に響いたのは「お母さん…』というたった一声だけだったが、二人の心に爆発的に広がっていったものに圧倒され、もらい泣きするのを禁じ得なかった。
 30年の歳月と、介護し、介護されてきたこの2年間の万感の想いが一瞬にして爆ぜ、光り輝くかのようだった。
 一瞬にして圧倒的な真情で一つになった二人の心に、どんな言葉が必要だったろうか…。


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2/2(木)
 あれだけお世話になったKさんに対してだけは、母も今生の別れをしなければならないと感じているのではないか。
 たとえ認知症であっても、最愛の家族に対するのと同じように心を許していたKさんを忘れることなどあり得ないはずだ。
 まだ散歩が十分できる体力のあった頃、昼寝から目覚めた母が、微笑みながらKさんに両手を差し出して「起こして……」と甘えていたという絵が浮かび上がってくる。
 飽くまでも自立支援にこだわった私の介護は、母にとって時に厳しいものと映ったかもしれない。
 だが、天才的とも思われるKさんの介護は慈愛に満ち、母の生存本能や情動に直接響くような素晴らしい介護をしてくださっていた。
 そのKさんがやって来る……


  
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2/1(水) 母の介護がまがりなりにも成功した陰には、多くの方々の有形無形の協力と援助があった。
 中でも、母と30年来のつき合いがあった介護福祉士のヘルパーさんの果たしてくださった役割は量り知れないものがある。
 そのプロの知識と技術に目を瞠ったことは数えきれず、介護プラン等々に関してもケアマネジャー以上に教えられ助けられてきた。
 「お母さん、Kさんに会いたい?」と訊くと、母は即座にマバタキをした。
 「Kさんがお見舞いに来てくれるって。よかったね。……一緒に歌を歌いながら散歩したの覚えてる?」
 もちろん覚えているわと言わんばかりに、母はギュッと力を入れたマバタキで即答した。


  
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1/31(火) 
夕方の往診を終えた院長が母の病室に回診に来られた。
 入院して10日以上経過しているが、肺炎が一時的に治ってもすぐに再発し、点滴も酸素吸入も24時間体制で続いている。体内に摂取されているブドウ糖と乳酸ナトリウムと塩化カリウムだけでは栄養が不足し、やがて内蔵が弱り浮腫が現れてくるだろうという。
 母が家に帰りたいと言っている、と院長に伝えると、え、そんな明晰な意識があるのかという表情で驚いていた。
 私の方針としては、ギリギリまで入院を続け、いよいよ今日か明日……になったら、死ぬためだけに自宅に帰らせてもらうことも考えている。もしそうなった時には、タイミングを指示してください、と依頼した。
 母のベッドサイドでの立ち話だった。母に聞こえているかもしれないが、それでよい。母と私は一貫して、死についてオープンに語り合ってきたのだ。
 院長は私の意向を十分に理解し、快諾してくださった 。

  
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1/30(月) 
主治医が予告した死期を過ぎても、母はなぜ持ちこたえているのだろう。
 点滴と酸素吸入と引っきりなしに絡みつく痰の吸引を繰り返しながら生きている母のやるべき事とは……。
 母の人生の最期をどのように演出しプロデュースするのか、すべてが私に託されていた。
 思考を止めて瞑想モードになると、すぐに閃いた。
 母の生涯で最も重要な人たちと最後の別れをするために、母は力を振りしぼって待っているのではないか。……よし、母が最後にもう一度会うべき人を選び出そう。
 母の交友関係を掌握しきれているわけではないが、介護が始まって2年の間に、母を案じて何度も電話をくださった方々は本物だろう。
 几帳面に作成されていた母の住所録から目ぼしい方を見つけ出し、母の現状を電話で伝えていった……。


  
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1/29(日) 
声の出ない魚のように、母が口をパクパクさせて何かを伝えようとしていた。眉間に微かなシワが寄っている。
 「どうした? お母さん、痛いの? 苦しい?」と訊くが、マバタキが曖昧でよくわからない。
 「ごめんね。何か、心配? 不安?……死ぬのが怖い?」という問いには反応がない。
 「何かしてもらいたい?」と訊くと、はっきり「イエス」のマバタキがあった。
 さらに問い詰めていくと、精神的な心のことではなく、体のことだという。
 問われたことに「イエス」「ノー」しかできない母の胸の内を知るには、こちらから推測したものを提示するしかない。
 最後にやっとたどり着いたのは、意外なことに「トイレ」だった。
 認知症が進行すれば垂れ流しなど当たり前だろうに、点滴と酸素吸入で死に瀕している母が、尿意を伝えトイレ介助を請うたのだ。
 看護師やヘルパーさんが一日に何度もオムツ交換に来てくれるのだから、そのままでよいのだと納得させた。
 明晰な意識状態で母が死んでいけることを介護生活の目標に定めてきた私にとって、これは母からの最後のプレゼントのような気がした。


  
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1/28(土) 
母の入院を聞き及んだ親戚の者が次々と見舞いに来るようになった。
 誰が訪れても、母はその方たちを正しく認識することができていた。
 「お母さん、**さんだよ。わかる? わかったら、マバタキをして……」
 と言うと、母はパチンと目蓋を閉じて心を伝えた。
 意外なことに、入院してからの母の意識はそれまでよりも明晰になり、自分から積極的に意志表示はできないものの、対象認知も情況把握も正確で真っ当だった。
 認知症が好転したことに加えて、点滴と酸素吸入が24時間続いているので、母の脳には純度の高い酸素とブドウ糖が取り入れられている。
 宇宙飛行士の意識がクリアーになるのは純酸素のせいではないかとも言われるが、母の意識の透明度は明らかに増しているように思われた。


  
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1/27(金) 
愛念で深く結ばれ一つになっている者の耳には、どんな愛の言葉も虚しく響く……。
 感謝の心も、優しさも、愛念も、安息感も、全てを受け容れる心も……、共感し合えた二つの心の一体感に由来する……。


  
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1/26(木) 
正確な言葉の使い方が認識の正確さに対応し、洞察の智慧の閃きに繋がっていく……とラベリングの言葉の重要性を強調してきた。
 だが、言葉に果たしてどれ程の力が備わっているのか……素朴に疑問を感じた。
 乳飲み子と母親の間に言葉が必要だろうか。
 行為によって、態度によって、無言の情緒的共感による黙示によって、そして時には言葉によって、人の心と心が深いレベルで通じ合っていく……。


  
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1/25(水) 
病院を出ると、凍てつく冬の夜のなかに放置されていた自転車が痛いほど冷え切っていた。
 ペダルを踏み始めると、風を切っていく耳が千切れそうになるほど冷たかったが、心の中は不思議な満足感と達成感と暖炉のような温もりの感覚に満たされていた。
 明晰な意識状態で生きている母に対し、伝えるべき感謝の言葉を言うことができ、心が通じ合い、思い残すことなく心を一つにできたのだ。
 これで、母がいつ死んでもよい、という心の準備が完全に整ったように思った。
 介護も存分にやり抜いたが、生きている母に対する告別も思い残すことなくできたと感じた。
 さようなら、お母さん……、ありがとう……。 
 恩愛を受けた方に必ず言うべき言葉の力強い黙示の時間を、天が与えてくれた……。


  
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1/24(火) 
長い時間、母の眼にしっかりとアイコンタクトしながら、
 「お母さん、産んでくれてありがとう。お母さんの子供に生まれて、本当に幸せだったよ。いつも一貫して優しくしてくれたね。…
…2年間一緒に暮らせて良かったね……」
 と、母と暮らし始めてからの日々を振り返り、様々な思い出を語り、一生分の感謝を心から母に伝えた。これまでに何度も同じ内容のことを話してきたが、母に私の心を伝えるのも、これが最期なのか……と思うと万感の想いが迫ってきた。
 母は、語られる言葉よりも、私の強い眼力と、深層意識での暗黙の情緒的つながりに深く心が結ばれているかのように思われた。
 互いに心が通じ合っている充足感と温度感があった。
 少なくとも私の生涯では、これ以上はない母との共感の時が流れていった……。


  
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1/23(月) 
その日の見舞客は立ち去り、福助と母と私だけが病室にいた。
 「じゃ、お母さん、福助が文言を1行づつ言いますから、心の中で復唱してくださいね。言い終わったら、パチリとマバタキして教
えてね」
 私が幸せでありますように。
 私の悩み苦しみがなくなりますように……。
 と、慈悲の瞑想を始めると、なぜか母の眼から涙が溢れ、流れ落ちていった。
 なぜ母が慈悲の瞑想で泣くのか真意は測りかねたが、集中が途切れず高いテンションを保ちながら終了すると、病室は濃密な親和的雰囲気に包まれていた……。 
 今がその時かもしれないと感じ、明晰な意識状態の母に、最後に伝えておきたかった言葉を言わなければと思った……。


  
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1/22(日) 
福助と豆太郎を病院に連れて行き、久々に母と対面させた。
 「こんにちは。福助でございます。……お母さん、具合どうですか?
 ……お母さん、福助のこと、覚えてる?」
 声も出ないし唇も動かない母だったが、福助の顔をジーッと見つめる両の眼が涙に赤く潤んでいくのを眺め、もらい泣きしそうになった。
 福助と暮らした日々を思い起こせば、母にとっても私にとっても、かけがえのない真の家族同然になっていた……。
 「お母さん、福助と一緒に、慈悲の瞑想やりたいですか?……やりたかったら、パチリとマバタキしてください」
 母の眼が大きく瞬いた……。


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1/21(土) <みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることができない>【真理のことば「(ダンマパダ)12−165」岩波文庫】

  
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1/20(金) 
そもそも死ぬ瞬間と、その後に連続する再生のメカニズムを司る「業」の法則性には、いかなる者のコントロールも及びようがない。
 人は、他人の業を支配することはできない。
 人は、生きてきたように、死んでいく……。
 死ぬ瞬間の心が因となり、その直後の心が果となって、再生の最初の瞬間である「結生識」を形成しながら輪廻していく……。


  
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1/19(木) 
死者を弔い葬儀を執り行えば「成仏する」と表現するが、言葉の原義からはかけ離れた誤用と言わなければならない。
 「仏に成る」とは、一切の煩悩を滅尽させ、究極の解脱を達成することである。いや、それではただの「阿羅漢」状態に過ぎず、そこからさらに途方もない波羅蜜(善業の集積)を体現していった全き存在が「ブッダ」と成るわけである。
 「成仏」とは奇跡の中の奇跡のような一大事であり、凡夫が死んで「迷わずに、成仏しろよ」などと言われる筋合いのものではない。


  
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1/18(水) 
もし母の御霊がこの世に執着したまま、迷い浮遊するようであれば、禅定に入り感応道交しつつ、テレパシーで理法を諄々と説き諭して納得させるだろう。
 死と再生が一瞬にして接続するという理論からは、そのような霊的存在は六道(地獄・餓鬼・動物・人間・阿修羅・天)の「餓鬼(peta)」界に再生したということになるのだろう。餓鬼の領域も階層構造になっていて、ピンからキリまでさまざまのようである。
 そうした餓鬼の世界に堕ちた女王マリーカは、たった1週間で天界に再生したとも伝えられている。
 死近心が不善心だったために悪趣に堕ちたが、圧倒的な徳の力ゆえに、そのような離善地に長く留まりようがなかったという。
 母の死近心が悪ければ悪趣に堕ちるだろうが、母のトータルの生涯はそれほど悪いものでもない。人の言葉に耳を傾ける素直さは無類のものだった。母と私の間には信頼関係もあった。
 それゆえに、この世に想いを残すことなく、再生した事実を受け容れ、与えられた世界と情況の中でなすべきことをなし、新たに往くべきところを目指すように、と説得する……。


  
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1/17(火)
 遺体に仏衣を着せ枕飾りを並べるが、僧侶の読経など一連の宗教儀礼は無意味と考えているので一切省略する。
 例えば、キリスト教を信仰する者には、神道式の「手水の儀」や「玉串奉奠」などの葬祭儀礼になんの意味も感じられないだろう。そのように、同じ仏教系ながら異なった死生観に基づく他の宗派に信仰心が皆無なのだから、無意味なセレモニーは行なわないという考えである。 
 遺族が故人を偲び、夜を通して弔意を表し、最期の別れを惜しもうとするのは人情だろう。
 仏教諸派は無論、神道にもキリスト教にも通夜の概念は存在する。人の心に普遍的な根拠があるからだ。
 だから、通夜はする。やるけれども例えば、家族全員で瞑想し、母の生涯をしのんで弔意と感謝と善き再生を祈りつつ、心の中で各自が別れの儀式を行なえばよいと考えている……。


  
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1/16(月) 
とっくの昔にやっておくべきだった母の葬儀関係の手配を、いよいよやらなければならなくなった。
 たくさんの資料や情報を送ってくださった方がいたのに、一日延ばしにしてこの期に及んでしまっていた。
 結局、資料の一番目に登場するインターネットの葬儀社にアクセスし、こちらの意向を伝えると、ネットワー
クになっている近隣の葬儀社から連絡があり、電話で概ねの打ち合わせができた。
 母亡き後に残される家族の死生観は、原始仏教の輪廻転生論に基づいて合致しているので、母の葬送スタイルはあっさり決まった。
 病院であれ自宅であれ母が逝去した夜は、家族と家族同然の親族のみでしめやかな通夜をする。
 翌日、火葬し、同じメンバーで母を弔い、後日、事実上の告別式をお別れ会の形で執り行う……。

  
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1/15(日) その日の夕方、往診から帰られた主治医の院長に、母の病状と今後の見通しについて説明を求めた。
 「……肺炎が治っても、誤嚥や誤飲で再発を繰り返しながら衰えていくでしょう。今週は大丈夫だが、来週は分からない。来週持ったとしても、次の週はなんとも言えない。……帰宅できることはないでしょう。……今ならレスポンスがあるので、遠くの親戚の方をお呼びするなら今がその時かもしれません」
 やはり、そういうことか……と覚悟を新たにしたが、すべては想定の範囲内のことなので、心に動揺や感傷が過ることはなかった。
 父の死期をピタリと的中させた、20余年前の院長の言葉を思い出していた……。


  
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1/14(土) いつ呼吸困難に陥るか分からない母には、3Fの個室よりもナースステーションに近い2Fの二人部屋を個室として使ったほうがよいのではないか。その方が、大部屋に出入りする多くの看護師の目が届きやすいと提案され、母は階下に引越すことになった。
 そういえば昨夜、病院を去ろうとしてフロントで、遺体が葬祭業者の車に搬入される場面を目撃したのを思い出した。
 人の生き死にという激烈な無常が日常茶飯事に目の当たりにされる病院……。
 新たに入院してくる人もいれば、静かに去っていく人もいる……。


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1/13(金) 
入院した翌日も、褥瘡防止に低反発枕が4個必要となり、自転車で買物に走り回った。急な坂道も変則ギアを使えば膝は痛まず、これほどまでの機動力を発揮してくれるとは思いもよらなかった。
 酸素吸入と点滴に痰の吸引除去をしながら、38度前後の熱が一進一退している母……。
 開いた口を閉じることもできない母とのコミュニケーションは、こちらが問うたことにマバタキで「イエス」「ノー」の意志表示をしてもらう。頭を横振りする否定の意志は分かりやすいが、縦振りが判然としない。うめき声のような声を出すことも唇を動かすことも、めったにない。
 夜、病院を去る前に、何かしてもらいたいことはないかと訊くと、必死で口をパクパクさせ何か伝えようとしていた。
 苦しいの?→「ノー」。痰を取ってもらいたい?→「ノー」。……母の口が「か」と「え」の形に見えたので、家に帰りたいの?と訊くと、パッチリと大きく両眼を閉じて「イエス」の意志表示をした。
 翌日、母は同じことを姪に伝えたらしく、「昨日お母さんが帰りたい……と言っていたわ」と聞いた。
 ……そうか。身体介護の体制が満点の病院よりも、快適度ははるかに悪いだろう自宅での日々を母は良しとしてくれたか……。
 母と私の介護物語もムダではなかったと信じたい。


  
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1/12(木) 
20年前に父が病没した頃とは一変し、母は申し分のない完全看護の体制でケアされていた。
 点滴、酸素吸入、服薬、痰の吸引、検温、オムツ交換、褥瘡防止の姿勢替え等々、看護師や介護士が入れ替わり立ち替わり看護してくれる。
 父の時はオムツ替えだけでヘトヘトになったが、今回、付き添いの家族は何もやらなくてよいのだ。
 ただ母の心に寄り添ってあげればいいだけか。天国のようだ……と鼻歌が出そうになった。
 それにしても、流れるような仕事の連係を見ていると、たった一人の身体介護のために、これだけ多くの人々が関わらなければ万全の体制にならないのか、と感慨を覚える。
 母の快適度、介護する者の消耗度を思えば、果たして素人の家族が自宅で老親を介護することは……と疑問も浮かぶ。
 私は、まちがっていたのだろうか……。


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1/11(水)
 誰もが自分の死期を確実に心得ていたなら、怠惰は一掃され、愚行に時を浪費すること
なく、常に人生の最重要事項が優先されていくだろうに……。
 己の死ぬべき時節を知らない無知と、過去世での自分の所業を完全に忘却した状態でこの世に生まれてくる理不尽さと、因果関係を心得ない愚かさが、無明の根本ではないか……。

 
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1/10(火) 誰もいない真っ暗な家は建物全体が冷え切っていたが、この家でのあの過酷を極めた介護の労苦も、もう繰り返されることがないのだと思うと心底から解放感が湧き上がってきた。
 その正直な反応に、自分がどれほど疲弊しきっていたのかが痛感され、また、この痛めた右膝ではもう母を介助することは難しいのも実情だった。
 このタイミングを事前に知っていたなら、あれもしてあげたかった、これもしておきたかった……と悔いる思いが浮かぶのもセオリー通りだった。
 ともあれ、母の生活を維持する膨大な仕事から解放されれば、末期の母の心のケアに専念できるだろう……。

 
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1/9(月) その夜7時過ぎに姉夫婦が病院に現れた。
 3日後に帰宅するはずなので一番で見れるように、母の状態をメールしておいたのだが、どうやってメールチェックしたのか、予定変更してこちらに向かうとのことだった。
 母は点滴と酸素吸入でなんとか持ちこたえているが、その容態から、自宅に戻ることも回復することもないだろうと感じた。
 ムンクの「叫び」のように常に口が開いていて、歯も口蓋も真っ黒に汚れて酷い状態だった。ショートステイでの歯磨きと口内ケアを何度も頼んできたが、果たして適切な対応がなされていたのか。これでは誤嚥などから肺炎を起こすのも当然ではないか。
 痰が絡まり引っ切りなしに吸引しても呼吸が困難になる母の下を去るのは忍びなかったが、面会は夜8時までなので、姉夫婦とも別れやむなく帰宅した。
 その夜、母の熱は39度6分まで上がったという……。


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1/8(日) 
当直の看護師と医師の応急処置がなされ、血液検査の結果、発熱と呼吸困難は肺炎に起因するものらしい。
 直ちに入院の手続きをし、必要な備品を取り揃えなければならなくなった。タオルケット、電気毛布、パジャマ3組、バスタオル&フェイスタオル各5枚、ケアシーツ2枚、箱ティッシュ、食事エプロン、吸い呑み、保湿剤……等々。
 徒歩で買物をしてきた者にとって、これだけの品々がどれほどの重量になるかは容易に想像できた。
 長年介護を手伝ってくれてきた母の姪だけが頼りだったが、何度電話しても応答がない。その筈で、暮れから家族と1週間ほど湯治場に出かけていたのだと後日判明した。
 姉の家族も年末から遠出をしていて出払っていた……。
 近辺に、純朴で人の良い親戚もいたが、普段から親密な往き来をしていないのに、こんな時だけ頼る気にもなれない。救いの手を差し延べるのは好きなのだが、救いを求めるのが苦手なのは幼児体験に根ざしていることは昔から自覚していた。
 ……自分でやるしかないだろう。
 かくして、痛む膝でスーパーやドラッグストアを次々とハシゴしながら、たった一人で必要な物を買い揃え、自転車のカゴに入れ、ゴム紐で荷台に積載して何度かに分けて運んだ。
 介護物語の最終章が始まった……。

 
【14日から、朝日カルチャー講座新シリーズが始まります】

 
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1/7(土) 
瞬時に臨戦態勢のスイッチが入った。
 徒歩5〜6分の病院で往診体制を取ったのは、まさにこの情況を想定してのことだったが、満床であれば入院はできない。院長が主治医の病院に入れず、遠方の他の病院に入院するなどという最悪の事態に見舞われるのだろうか……。
 祈りながら電話をすると、果たして個室なら一つだけ空いているという。
 胸をなでおろし、身支度を整え、自転車で駆けつけた病院のフロントで、車椅子に乗った母がケアマネの車から降りてくるのを出迎えることができた。
 ……この日から、自宅に戻れる見込みのない母の入院生活が始まり、手に入れたばかりの自転車が、こんなに早く八面六臂の大活躍をすることになるとは思いもよらなかった……。


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1/6(金) 
年末年始はデイサービスが休みになるので、ショートステイを検討すべきではないかとケアマネから言われていた。自宅で介護する家族が一人しかいないのだから、共倒れにならないように、と。
 膝を痛めてしまった今となっては、完全な寝たきり状態にシフトする秒読みが始まった母の面倒を、1週間も看続けることができないのは分かっていた。
 あれほど嫌がっていた施設で正月を迎える母が不憫でならなかったが、いかんともしがたい。
 雑煮もおせち料理も注連飾りも、正月用品は何ひとつない元旦を一人で迎えた翌日、ショートステイの看護師からの電話が鳴った。
 母の呼吸が困難になり、痰を何度吸引しても、吸引しきれない。熱も下がらず、食事も連日2割程度しか摂れず、もはや対応しきれないので救急搬送する病院を決めてくれという……。


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1/5(木) 
数十年ぶりに乗った自転車だが、若い頃は毎日、競輪選手のように乗り回していた感覚が瞬時に蘇ってきた。体で覚えた技能記憶や「手続き記憶」は長期記憶の代表格だが、ペダルを踏んだ瞬間に再起動してきたかのようなレスポンスの良さに驚いた。
 買物も外食も一気に行動半径が拡がり、車と変わらない便利さに楽しくなってきた。
 だが、自転車を降りると杖がなければ歩けないほど膝が痛み、スーパーでは買物カートに寄りかかって足への負担を回避しなければならない現実が立ち返ってきた。
 ホームセンターで杖を買おうとも思ったが、そうすれば、必ず完治させてやるという士気が萎えてしまうような気がして止めた。
 なぜ、神技のような早さで自転車を即買することができたのか。
 その真の意味が露わになったのは、購入した2日後のことだった……。


  
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1/4(水) 
膝の痛みによってはペダルを踏めないかもしれない、と言われていたので、店頭のママチャリに試乗してみた。ついで、乗り比べてみろと言われ、店頭に置かれていた専門車に乗って驚いた。前輪に3段ギア、後輪に5段ギアが装備されている中古車だったが、あまりの軽やかな乗り心地に「これは凄い!」と感銘を受けた。ペダルを漕いでも膝は無痛だった。
 見れば、後輪に蓋付きバスケット、ハンドル側にもデニムのバッグが装備され、LEDライトにワイヤー鍵も完備しているではないか。
 これを売ってくれないか、と頼んでみると、店主は「いやあ、それは……ちょっと。……実は、うちのカミさんが使っているものなんで……」と口ごもる。
 こちらは苦痛に耐えながら、やっと自転車屋までたどり着いたのだ。親の介護で膝を痛め、今日の買物にも困っているので今すぐ欲しいのだと言うと、店主に呼ばれて家の中から奥さんが出てきた。
 私の大事なものが取られちゃう……と言いたそうな曇った顔をしている。
 取りあえず、笑わせて顔をほころばせ、事情を説明した。
 人情の厚い田舎のことだ。3万8千円で購入することになり、防犯登録を済ませ、諸々の付属品で完全武装された自転車に跨り店を去った……。
 特段のイメージ法をしたわけではないのだが、希望した要素を全て満たした物が、一瞬にして魔法のように手に入った印象だった……。

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1/3(火)
 治ってきた右膝を再び激しく痛めてしまった。
 母の介護負担の増悪に加えて、年の瀬に八王子道場の大掃除があり、帰途のバスに乗り遅れまいと重いキャリーバッグを抱えて無理をした時に痛めたのだろうか、母を迎えるための最後の電車に間に合いホッとすると、膝にしたかな痛みを感じた。
 ほぼ治ってきた安心と油断、遠回りしてもキャスターで運ぶべき荷物を、急ぐあまりに徒歩で階段を降りていった強引さ……。
 自業自得だが、痛む足での母のトイレ介助は危うく廊下で共倒れしそうになり、スーパーの買物を両肩にぶら下げて帰宅する責め苦に喘いで何度も立ち止まって息を継ぐ有様となった。
 日が過ぎても状態は変わらず、これでは生活が成り立たないので、痛みに耐えながらなんとか0.7kmほど歩いて自転車屋にたどり着いたのは暮れも押し迫った大晦日だった。
 小さな店舗に並んでいる商品はごくわずかな専門店だが、ここで入手するしかない。こちらの要望を伝えると、入荷は年明けの取り寄せになるという。
 今日の買物どころか、この膝ではタクシーを呼ばないと帰宅できそうもない。
 困ったな……。


 
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1/2(月) 「慈悲の瞑想」の言葉がここまで崩れてしまうのかと驚くような発音だが、母は耳で聞いた一行一行を正確に復唱しようとする。 
 「私が嫌いな人々【も】……」と発音すべきフレーズを福助が【が】と言い間違えると、母の唇から洩れる音も「が」になっている。
 「聞く」→「理解する」→「真似て発音する」という認知の流れがかなり正確なものだと伺い知られた。
 1連目と2連目の「私が…」「私の親しい人々が…」と唱えている時の表情に比べて、3連4連の「私が嫌いな人々…」「私を嫌っている人々…」の表情は、心なしか翳っているように見えるのも正直かつ正確な反応であって、いい加減におざなりの瞑想をしているのではないと推測される。 
 「全ての衆生が幸せでありますように」と最後のフレーズが終わると、「わあ、できた! できた! お母さん、最後までできたじゃない!」と福助が大喜びして母を褒めちぎる。
 「お母さん、慈悲の瞑想をすると死んだ後、天界に生まれ変われるんだって! 良かったね。……死ぬのはちっとも恐くないんだってよ。福助と一緒に慈悲の瞑想をしながら死んでいこうね。福助、天界に再生したお母さんと、また会いたいな……」
 ……こうして、慈悲の瞑想を軸にした新たな死のレッスンが日夜、繰り返され、燃え尽きようとする母の命の最期の「生き甲斐」になったかのようである。


 
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1/1(日) 
以来、慈悲の瞑想は母の最大の楽しみとなり、福助に誘われれば、いついかなる時にでも応じて唱えるようになった。
 自宅でもデイサービスやショートステイでも、一日の大半を寝て過ごしているのが母の現状である。
 だが、目覚めた時に、もし母の意識が慈悲の瞑想に集約されていくとしたなら、「最良の死近心」を目指すのにこれ以上はない展開と言ってよいだろう。
 福助との笑い話はただ快感ホルモンが分泌される一過性の楽しみに過ぎず、深く心に残っていくものではない。
 健常な意識が回復したからには、生き甲斐に値する意味のある何かをしなくては耐え難いものだ。
 目が覚めても身動きひとつ取れず、ナースコールのボタンも押せず、人を呼ぶ声すら出せずに、ただ天井が見えるだけの世界……。
 そこへ一条の光が射し込むように、慈悲の瞑想の文言が心に沁み込んでいく……。
 その言葉は、この期に及んで初めて学習するのではなく、かつて息子や娘から何度も教えられ自身も唱えたことのあるものなのだ。
 最愛の母親が人生の終末をしめくくっていくのに、長く仏教の瞑想に関わってきた者としては、願ってもない素晴らしい流れが形成されたと感謝したくなった……。


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12/31(土) 
母は即座に頷いて、やりたいと言った。
 「私が幸せでありますように……」
 と福助が唱え、母がレロレロの発音で復唱し始めると、なぜか母の眼には涙が溢れて流れた。
 「私が……」「私の親しい人々が……」「生きとし生ける者が……」と泣きながら母は慈悲の瞑想を続け、4連めのあたりで涙は止まり落ち着いてきた。
 なぜ母は泣いたのだろうか……。
 訊いても答えられないし、答えても到底理解できる発音にならないのは分かっていた。
 「幸せでありますように!」という言葉に反応し、万感の想いが突然、爆ぜたような印象があった。
 幸せでもあったが、先の見えない闇夜を彷徨うような苦しく辛い人生だったとも言える。そんな自身の生涯に想いが馳せたのだろうか。
 後生の幸福を願う心に、はっきりと言葉が与えられ明確化された瞬間、感極まったのだろうか……。
 福助と楽しいひと時を過ごすだけでは飽きたらず、精神性の深いものに渇きを覚えていた母の心に、慈悲の文言が直撃したのだろうか。
 何が真なのかは分からないが、福助の唱える言葉に耳を澄ませ、一行一行復唱していくのが楽しくて心が躍動しているかのような母の姿は、認知症を患う者のものではなかった……。


  
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12/30(金) 
その翌日には、高機能タイプの体圧切替型のエアマットが搬入され電動ベッドと入れ換えた。体圧の強いところと弱いところが自動制御で切替えられ、周期的に事実上の寝返りを打っているのと同じ効果が出るように設計されている。
 昔では考えられない利器ではあるが、生きながらにして身体の一部が細胞死を始めた母の命の残り火を想い、感慨を覚えた。
 体は朽ちようとしているものの、認知症が相当回復した母の精神が、人生最期の大仕事である自らの死を立派に受け容れていくことができるものと信じたい。
 その夜、福助が就寝時の母に持ちかけた。
 「お母さん、福助と一緒に慈悲の瞑想をしましょうか?」


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12/29(木) 
この世の苦に打ちのめされ、苦しい現状から脱却し、幸せな人生を実現したいと切望する者は、荒ぶる心を制御し、煩悩をかき立てる妄想の嵐を鎮めるために静けさを目指す。
 この世に咎を見て、存在そのものの根本苦に打ちのめされた者は、一切皆苦の構造から解脱することを望み、寂滅した静けさの究極を目指す……。


  
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12/28(水) 
常に苦が更新されてくる無常のシステムの中で、一瞬一瞬の動的平衡を保ち続けるしかない生命の危うさ、はかなさ……。

  
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12/27(火) 
翌日の夕方、院長先生が往診に来られ褥瘡の処置をしてくださった。
 褥瘡は細胞の壊死なので、組織が再生することも回復することもないらしい。血行が悪いのが主因だが、どんな状態かは切ってみないと分からないとのことで、すぐに切開手術が始まり浸出液が除かれた。まだ軽微な状態だったが、傷口に手当を続け、エアマットを導入し体圧の調整をしていくことになった。
 先生が帰られ、無言で眠り続ける母の姿を眺めながら、改めて無常こそが生命の本質なのだと思った。
 毎日泥のように眠り続け、微動だにしなかったことが、母の身体の一部を壊死させていったのだろう。 動き続け入れ替わり続け変化し続けない限り、生命は壊死してしまうのだ……。
 樹下に足を組んで座り、暴れまわる心を鎮め、沈黙し、静けさの極みを目指すことは、命の流れに逆らい、存在の本質に反旗をひるがえしている……。


  
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12/26(月) 
母を熟知しているデイサービスの元センター長から電話があった。
 母の左踵に50円玉ほどの褥瘡が発症している、と言う。
 自分では寝返りも打てなくなってきた母が、ほとんど身動きをせずにベッドで寝てばかりいるのだ。
 致し方ないのかもしれないが、食事や歯磨き、往復15メートルのトイレは必ず母の自力歩行を介助してきたので『まさか……!』と面食らった。
 毎日靴下を履かせていても、私の視線からは死角になって見えづらい部位に絆創膏が貼られて帰宅した母。
 褥瘡についての知識も乏しく、まったく想定もしていなかったので、さて、どうしたものか……と戸惑った。


  
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12/25(日) 
胃瘻も経管もやらないと決めている母が、口から食べられなくなれば、遠からず死が訪れてくるだろう。
 「食べたくない」と言いベッドから出たがらない母に、「だめ。……食べないと死んじゃうよ。食べようね」と無理やり起こすと、あっけないほど素直に起き上がり、けして逆らおうとはしない聞き分けの良さに改めて感心する。
 途中で何度もむせ、おさまるのを待ってまた食べるのを繰り返しながら、やっと母の食事が終わり、時計を見ると2時間経過していたこともあった……。
 昼食を一口も食べられずにデイサービスから帰宅した母は、倒れるようにベッドに入り泥のように眠り続ける。断食初期の低血糖症状に特有の睡魔に襲われているように思われる。
 ……こんな日々が続いていたある日、思いも寄らないことが起きてしまった……。


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12/24(土) 
元気だったのも束の間、デイサービスで一口も食事が摂れない日が続き、自宅での食事も全量摂取がしだいに難しくなってきた。
 5割の日もあれば、4割の日もある。
 微量の炒り卵も冷奴も呑み込むことができなくなったので、豆腐を止めて納豆と卵焼きをミキサー食の中に入れることにした。
 とろろ昆布とはんぺんで十分とろ味がついていたが、納豆が加わることによっていちだんと滑らかさが増し、絶妙の流動食ができ上がってきた。
 その他の食材は、トーストした食パンをベースに、魚肉ソーセージ、牡蠣油漬け、コラーゲン粉末やレバーや鶏肉小片などが入ることもあり、温めた牛乳の分量を調整しながらゆる目のポタージュスープぐらいに仕上げていく。
 一匙摂った次には必ず温めたミックスジュースやラコールなどの液体で流し込ませ、多彩な味覚を楽しませるために、ヨーグルト、玄米穀乳、プリンなどを順不同にして食べさせる。
 さらに、顎が上がると気道が狭くなるので椅子の背当てに直角に座らせ、うつ向き加減の姿勢を取らせると嚥下障害は回避しやすくなる。
 ……だが、これだけの努力をしても、一匙の量を日毎に減らさないと食べられず、つまり食事にかかる時間がだんだん長くなっていくのだ。
 すると、食べること自体に疲れてきてしまうのか、途中で「もう、いい。寝たい…」と意志表示を始め、全量摂取が崩れてきた母の食事……。


  
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12/23(金) 
物言わぬ人が、黙って、ただそこに存在しているだけで伝わってくる可愛らしさと優しさ……。
 介護生活を通して初めて垣間見た母の姿だった……。
 いくつになっても、母に会えば、自分が愛されているし受け容れられているのは感じてきた。
 基本的に優しいタイプの人だという認識もあった。
 だが、もし母の介護にたずさわらなかったなら、母の存在そのものがひっそりと発している響きの価値を知らずに、告別の日を迎えていたことだろう。
 無限の過去から集積されてきた私の業とは、因縁も由来も異なるその響きに近づくためには、どれほどのものを削り捨てていかなければならないのだろう……。


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12/22(木)
 人は必ず死んでいかなければならない。
 いかに自らの死を受け容れ、人生に、どのような終止符を打つのかが、残された最後の仕事である。
 どのような情況、いかなる状態にあろうとも、命の燃え尽きる一瞬まで、自分の現状をありのままに、正しく心得て、浄らかな心で、死を恐れる
ことなく、明晰な澄み切った意識のまま、存在の滅の瞬間が迎えられたら素晴らしい……。
 認知症だった母の心がさらに淀んで、無明の闇を深めていくことは何としても食い止め、明晰な意識の回復に手を貸したい。助けたい……と痛切
に願ってきた2年間だった。
 食物が喉を通らなくなり始めたこの期に及んで、母が自分から話しかけてきたその瞬間、なぜか、当初の目的はひとまず遂げられたかのように感
じた……。


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12/21(水) その日、母に夕食を食べさせていると、突然声を出し何か喋り出した。
 母が自分から声を発するのは、何らかの苦が生じたかSOSなどネガティブな訴えがほとんどなので分かりづらかったが、どうやらテレビでインタビューを受けている人のことを言っているらしい。
 ゆっくりと介護エプロンから手を出し、テレビ画面を指差しながら「あの男の人、変な髪型しているね」と伝えようとしていた。
 小さな子どもが親に話しかけるような口調で、発音はデタラメだが普通の声量だった。
 やっと理解できたので、「ヘアスタイルが変なのがおかしかったの?」と言うと、「うん」と幼稚園生のようにコックリうなづいた。
 「死にかかっている」という表現が決して大袈裟ではない母との最後の日々の中で、こんな他愛もない話題を自分から話しかけてきた意外さと、なんとも言えない可愛らしさに心を打たれた。
 認知症が進み、もはや一人では暮らせなくなった母と暮らし始めて約2年、私にとっては介護物語のピークの瞬間だったかもしれない……。


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12/20(火) 翌朝、デイサービスの迎えが来て、職員がカバンを車に積んで戻ってきた。
 母をベッドから玄関の椅子に誘導し、二人がかりで母に靴を履かせ、カーディガンのボタンをかけ、髪をとかしていた。
 すると母は、動物のような声を出して何かを訴え出した。
 何度も訊き直すと、どうやら「カバン」と言っている。
 いつも椅子の傍らに置いてあるデイサービス用のカバンがないので、必死に「カバン忘れてるよ」と訴えていたのだ。
 思わず職員と顔を見合わせて微笑んでしまった。 
 認知症とはとても思えなかった……。


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12/19(月) 母の体重がこの1年で9kg減少し、去年はきつかった冬のズボンがゆるゆるになっていた。食事の摂取量が激減したのだから当然だろう。
 その日、ショートステイから戻った母はいつになく元気だった。
 記録を見ると、珍しく平均50%から全量の食事を摂ることができたようだ。
 帰宅した母が自分から「ただいま」の挨拶をしたことは絶えてなく、「お帰りなさい」と何度も言われて、やっと蚊の鳴くような声を絞り出して返事をするのが常だった。
 だが、この日は家に帰れたのがよほど嬉しかったのか、自分から帰宅の挨拶をして驚かせた。
 翌日はさらに目を見張ることがあり、2年弱になろうとする母の介護生活の忘れがたい節目となった……。


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12/18(日) むせ返る母の背中をタッピングしながら、呼吸困難の度合いを見極め、救急車を呼ぶか否かの判断を迫られる。
 元気そうでもいつ突然の死に襲われるかもしれない危険に満ちている母と接しながら、冷静さとマインドフルネスの維持を一瞬も切らせない緊張が頭脳に心地よいと感じている。
 膝に違和感がある日の歩行は、危機意識が高まるがゆえに、緊迫したサティが常ならぬ集中で連続していくように……。
 正確な足運び、体重の移動、姿勢保持、左右のバランス、骨盤に接した脚のてっぺんにピンポイントで上体を載せていく動き……等々に鋭く気を配り、意識の中枢に涼しい風が吹き過ぎていくかのように、バリバリのマインドフルネスをキープしていく修行感覚……。


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12/17(土) 
川は一定方向に淀みなく流れていくが、海辺の波は寄せては引き、引いては寄せながら、徐々に満ち引きの完成に向かっていく。
 そのように、母の老衰も暗転すると回復の兆しが見え、それも束の間、再び衰えていくのを繰り返しながら日に日を重ねている。
 デイサービスやショートステイでの食事が一口も咽喉を通らずに帰ってくる日が増えても、自宅での食事だけは毎回全量完食できていたのだが、しかし、このところ自宅でも激しくむせて1〜3割程度しか摂取できない日も訪れてくるようになった……。


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12/16(金) 
断食後の透明な意識がひろがり始めた瞬間、悪夢から醒めたように、それまでいかに身と心が汚染されきっていたかに気づいて打ちのめされる。
 だが、断食がもたらす澄み切った心を保持することは難しく、体の状態が変われば、全てがはかなく消え去り完全に忘却されてしまうものだ。
 それを嫌い、48時間ほどの断食を1年に50回以上実行していた日々もあった。
 この世を捨て、瞑想のみに全生活が絞りきられていた稀有な時代で、「見よ、わが心身の浄らかなことを!」と呟くことができた……。
 だがそれも、反応系の心の修行が完成しないかぎり、諸々の条件によって支えられた砂上の楼閣に過ぎないと気づいていくのだが……。


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12/15(木) 
断食の難しさは、絶食終了後に何をどのように食べながら回復していくかにかかっている。
 わずか1日2日の断食でも、果物・ヨーグルト・乾パン数個・チャイなどで解くのが私の流儀である。
 長い断食になれば、必ず重湯などの流動食で解かないと死亡することも珍しくない。
 この復食メニューの特殊さが、在家に食を乞い、与えられたもので満足しなければならない比丘の托鉢にそぐわないので禁じられたのだろうか。
 生存欲にいたるまでの全てを手放していく教えなのに、食事や身体へのこだわりを持つとは何事か……という考えなのだろうか。
 ともあれ、瞑想センターと呼ばれる寺なのに、愚かな食事の摂り方をして居眠りばかりしている瞑想者があまりにも多いので呆れ返ったものだ。
 中部経典には、悟りを開く条件の一つに「消化能力」が挙げられているが、胃腸消化器系が頑強でなくても断食という裏技があるのだが……と在家の一修行者は考えている。


  
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12/14(水)
 メラメラと燃え盛る怒りも嫉妬も、ヒリヒリと疼くように暴れまわっている欲望も、悪食をし過食を繰り返し汚染されたルーパ(身体の変化プロセス)に由来する。
 劇的に身をととのえる断食効果には目を見張るものがあるが、成功率はせいぜい50%ぐらいだろうか。
 断食に入る前も終了してからの漸進的復食も、正しい知識と経験がなければ失敗するだろう。
 失敗すれば何もやらずにいた方がはるかに良かったという悲惨な結果になる。 
 十二分な心得がないかぎり断食を素人にお勧めすることはできないし、テーラワーダ仏教の僧院では原則として禁じられている。
 私は在家の特権を活かし、どの寺でもリトリートに入れば必ず、周期的な断食を繰り返しながら瞑想修行を深めてきたが、なぜ、ブッダ自身は徹底的な断食修行の果てに悟りを完成したのに、弟子たちには禁じたのか疑問だった。


  
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12/13(火) 「視聴嗅味触の感覚の鋭敏さ」+「頭脳明晰感」=「心の力」が全身にみなぎり満ちわたると、何を思い何をしようとも、すべての瞬間に正しい思考と行き届いた一挙手一投足が自覚された最高の営みになる。
 瞑想をするつもりはなかったのだが、体と心の異様な透明感に浸り、圧倒され、確認しているうちに自ずから禅定に入ってしまった……。
 介護に疲れてくる度合いに比例して優しい気持ちがしだいに右肩下がりになってくるものだが、母に対する優しい心が驚くほどパワーアップされていることにも驚きを禁じ得なかった。
 汚染された体から分泌してくる煩悩と悪戦苦闘しながら、悪を避け善をなすことに多大な努力を費やさなければならない凡夫感覚……。
 たかが一日断食でこれほどまでに身がととのい、心身が透明に澄み切って善心所に領されるのを目の当たりにすると、絶食を含めた食事のコントロールこそが心の清浄道の基本ではないかと考えたくなる……。


  
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12/12(月) 断食で解毒されると五感の感覚はすべて鋭敏に研ぎすまされ、例えば添加物の多い食品を口にした瞬間、不快な違和感を覚えて吐き出したくなる。普段は気づかずに、こんなものを平気で食べてしまうほど鈍感だったのかと恐ろしくなる。
 今回印象的だったのは、断食中に飲んでいた水だった。
 水の味をこれほど美味しく感じたことは絶えてなかった。
 震災直後に防災品として贈られた天然アルカリ水の、底知れない芳醇な水の味に心底感動した。甘みとも深味ともつかないコクがあり、これぞ水の中の水といったピュアリティ(純性)と豊かさが拡がり、古代の人類が飲んでいた水はかくばかりか……といった妄想が浮かんだ。モンドセレクションの最高金賞とiTQi優秀味覚賞最高位三ツ星をダブル受賞したのも宜なるかなと感じ入った……。


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12/11(日) 
久しぶりに断食をしたのは、1週間ほど前だったろうか。。
 体調が芳しくなく、食欲がない時に無理に食べるのは愚の骨頂なので、水だけを飲みながら終了時を決めない断食を始めた。
 長年の経験で、デトックス(解毒)効果がいつ現れるかは体感でわかる。
 肥満体では何日もかかったりするが、余剰エネルギーがストックされていない私の体は、絶食するとたちまち断食効果が現れる。
 体の汚染が深いと断食時間は長くなり、きれいな体だと短時間で解毒完了が体感できる。
 霧が晴れるように吐気や眠気や不快な泥濁感が消え、体は透明に、軽く、スッキリし、自然な食欲が湧いてきて元気がみなぎってくる。
 どんなに体が汚れていても、私の場合、52時間以内には毒出しが終わるのが通例である。
 ほんのわずかでも解毒が終わらない時点で断食を解くと、諸々のマイナス症状がすべてぶり返し、もう一度やり直さなければならなくなる。
 今回は27時間半で断食が終ったが、激烈と言ってよいほどのビフォー・アフターだった。


  
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12/10(土) 
女性の社会参加が増えるにつれ、介護を担ってきた専業主婦が減少し、今や介護者の31.3%が男性だという。
  例えば、1月に会社を辞め、福祉サービスを拒む認知症の両親を一人で介護してきた男性……。
 暴言を吐かれ、頻繁にトイレに行くため夜は寝られず、2ヶ月間で体重が12kg減った。料理が大変、トイレ介助が苦痛、女性下着を買うのが恥ずかしい、暴力を振るって後悔した…等々。デイサービスを利用するまで「地獄だった」と振り返る……。
   慄然として、襟を正した。
  どのような苦しい情況も、さらに下を見れば、自分がどれほど恵まれた条件のなかにいるのかが思い知らされる……。


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12/9(金) 
認知症の老いた親を自宅で介護する日々の現場がどれほど過酷か、やったことのない者には知る由もないだろう……などと、誰にともなく呟いてみたくなったこともあった。
 だが、私の荷なってきた介護など遊びのようなものだったのかもしれない、と、ある日の新聞を読んでいて思った……。


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12/8(木) 
福助の声が聞こえづらかったりすると、その瞬間、人形を操るこちらにキッと視線が向けられドキリとする。
 「お母さん、明日からまたショートステイなんだって……?」など、重大な言葉を耳にした時にも間髪を入れず、『どうなの?』と問うように私の方を見つめる。
 福助があわてて言う。
 「ひでお兄ちゃん、明日から東京でお仕事なんだって。お母さんのお世話する人が誰もいなくなるので、**苑に行かなきゃならないの。来週、ひでお兄ちゃんが帰ってくる日に、お母さんもまたここん家へ帰ってくるんだよ」
 すると、『明日から**苑なんだ……』と呟くような、『そうなのか……』と諦めるような表情で、母は沈黙する。
 若い頃から決して文句を言わずに、ネガティブな事態を受け入れてしまう人だったので、たとえ今言葉が喋れても、同じ沈黙を響かせているだろう。


  
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12/7(水)
 「お母さん、……死ぬの怖い?」
 ちょっと考えてから、うん、と母はうなづく。
 しばらく時間が経つと元に戻ってしまうので、心に完全に定着するまで、同じ情報を何度も繰り返さなければならない。
 「お母さん、夜、眠りに落ちる瞬間、意識が途絶えて何も分からなくなるのは怖くないでしょ? そのように、死ぬのは少しも怖くないんだって。朝になって目が覚めた時、別のところに生まれ変わっているだけなんだって……」
 と福助が説明すると、素直な母はすぐに納得し、ああ良かった……というような顔をする。
 「だから、安心して、きれいな心で死ぬんだよ。安らかな心で、きれいに死ねば、綺麗な良いところに再生できるからね。……福助、来世もお母さんの子供に生まれてきたいな」
 同じ練習を何度も繰り返すがゆえに、「死のレッスン」と言う。


  
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12/6(火) ちょっと甘えたもの淋しそうな声で、
 「お母さん……、豆太郎のことも、可愛がってね……」
 などと言われた時に母は最も強く反応する。
 母親の務めに人生を懸けてきた誇りと自己有用感が去来しているのだろうか。
 だが、いつまでも幸福感には浸らせず、福助が大事な話を切り出す……


  
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12/5(月) グニャグニャの軟体動物のような母に食事エプロンをかけ、椅子に座らせ、完成したミキサー食を取りに台所に立った。戻ると、母は椅子から落ちそうに体が傾き、涎を流していた。
 もう自分で身を起こすことすらできないのだ。声も出なくなり、いちだんと不明瞭になった発音はさらに聞き分けることが難しくなった。
 それでも、面白そうなテレビ画面に反応する目の動きは鋭く、ちょっと待たせると、できもしないのに洗面所や食卓の上を拭こうとしたりする。
 母の認知に乱れはなく、自分の現状をよく把握しているし、福助や豆太郎に対してはひ孫と同じように反応する。
 時間はかかったが、豆太郎が福助の弟であることも記憶に収まり、「よろしくね」とか「耳が大きいね」と呟いているのが唇の動きから分かる。
 人形たちがパッと顔の上に現れたときの母の笑顔は、本当に嬉しそうで、束の間の母性がよみがえり、まちがいなく今、生きていて最も幸福な瞬間にいるのだと確信される……。


  
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12/4(日) 
たかが3泊か4泊のショートステイなのに、帰宅した母は毎回、確実に衰えているのを感じてきた。
 今回は、いよいよ歩けなくなってきたか……と愕然とした。
 玄関の椅子でパジャマに着替えた母をトイレに誘導しようとしたが、足萎えのように立つことができず、母の体重のほとんどがこちらにかかってきた。
 ……これでは、腰を痛める!と直感し、母の体に密着するように抱え込み、細心の注意を払って歩を進めた。
 トイレでの衣服の着脱はさらに難儀を極め、もう車椅子か寝たきりを受け容れるしかないのか……と思った。
 だが、現状も車椅子も寝たきりも、歯磨きやトイレ介助の大変さは変わらないだろう。
 それなら、母にとって最も運動量の多い現状を続けるのがよいのではないか……。


  
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12/3(土)
 ショートステイから帰宅した母の体躯を支えると、手に触れる骨の感触がいちだんと露わになり、痩せて小さくなったような気がする。
 記録を見ると、滞在中の食事はせいぜい2〜3割、最大でも5割程度しか摂取できていない。
 デイサービスの昼食も2割程度の日が多く、口にできたものがゼロの日も珍しくない。
 これでは生きていけないが、幸い自宅では朝晩10割完食できている。
 ということは、食材の選び方と食べさせる技術の問題で、やはり全てを熟知している家族の介護に勝るものはないのかもしれない。
 帰宅するや、待っていたように排泄の世話が繰り返されたが、ダンマの仕事で事実上の休暇を取った心には、優しさがパワーアップされていた……。


  
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12/2(金) 院長先生が初めて母の往診に来てくださった。
 20数年前に父の最期を看取ってくださった先生だが、白髪となり容貌も雰囲気も口調も歳相応に変わられ、歳月が流れたことに感慨を覚えた。
 母の手の震えを見て、先生は、パーキンソン病を疑い、投薬後のレスポンスを診てみましょう、と言った。
 言われてみれば、なぜ今までパーキンソン病が浮かばなかったのか不思議だった。
 手の震えはともかく、嚥下や発音が回復すれば、母の最期の日々をもっと深く、丁寧に共有することができるだろう。
 明晰な意識を最後まで保ち、想いを伝え、心を交わしながら、自分の人生を締めくくることができる……


  
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12/1(木) 徒歩で5分もかからない病院の訪問看護を選んだのは、万一母が入院する事態が生じた場合にも、足しげく見舞える条件を最優先したからだ。
 この近隣では最高の病院を勧められていたのだが、車を使わない生活をしている私には日々のアクセスが極めて困難になってしまう。 
 命を確実に長らえることができたとしても、家族との接触が激減し、病院の天井をただ眺めているだけでは母のクオリティ・オブ・ライフ(人生
の質)が悪くなり、それは母の本望ではないだろう。
 また、母の現状からは、果たしてそれほど高度な医療レベルの処方が必要となるのかも疑問である。
 寂しく虚しいが安全で確実に延命できる総合病院よりも、一日に何度も家族の顔が見られ触れ合える至近の小さな医院を選んだ。


  
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11/30(水) 食事中にむせた母の顔が土気色になったことがある。
 救急車を呼ぶべきかきわどい判断だったが、背中をタッピングし続けると息が吐け、事なきを得た。
 また別のある日、母が自ら通院するのはもう無理ではないかと感じた。
 母は待合室のソファーに座っていることができず、そのまま身を横たえてしまった。タクシーの乗り降りも、ひとりの介助ではだんだん大変になってきた。
 最後までお付き合いしたかった主治医だが、往診は一切なさらないので、そろそろ訪問看護の体制にシフトすべきではないかというご提案に従うことにした。
 母の介護を第一にした生活に切り換えて1年9ヶ月。尊敬できる素晴らしい主治医の先生に出会えたことがどれほど支えになったことだろう……。
 N先生、ありがとうございました。


  
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11/29(火) 
膝が完治して1ヶ月が過ぎたが、この数日来、痛みはないものの微かな違和感があるような気もする。
 ぶり返したのだろうか。やはり医者の言うように、歳には勝てないし、元には戻らないのか……などと気が弱くなり、マイナス思考に陥る?
 いやいや、そんな愚考に耽るほどバカではない。そう想えばそうなるし、ネガティブな思考を断固排除し、輝かしいイメージを描き続けるかぎり必ず成就していくのが現象の世界だ。
 介護も歩行瞑想もできない苦境を自ら選ぶようなことはしないで、健康な脚力を得るために業の世界の論理に従う。
 反省すべきことは、(1)ヤレヤレと油断していなかったか、(2)治ったと安心して、いつのまにか膝関節の再生や完璧な身体イメージを描かなくなっていた、(3)超マインドフルな歩行のテンションが緩み、余念が混入し始めていた、(4)喉元過ぎれば熱さを忘れる……等。
 ネガティブな事象は、もう一度初心に帰って心をリセットし直しなさい……という警告なのだと理解する。


  
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11/28(月) 
膝を痛めたことはドゥッカ(苦)であり、不善業の結果だろう。
 しかし、その苦を乗り超えようとした結果、諸々の生活習慣が改まり、例えば、室内でも屋外でも常に背筋がピンと伸びた正しい姿勢で歩くことができるようになり、なかなか実現できなかった宿願が叶えられた。
 苦に遭遇しなければ、なんとなく希望しているだけで、これまでと変わらなかったかもしれない。
 禍を転じて福となす……。


  
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11/27(日) 
約100日前に右膝を痛め、1ヶ月放置してしまったがその後、総力で治療を始めてから約40日が過ぎた頃、ふと気づくと、どのような立ち方、歩き方、曲がり方をしても膝に痛みも違和感も現れなくなっていた。
 完治したのかどうかは分からないが、断固たるプラス思考で掲げた当初の目標は達成されたように思われた。
 整理すると、(1)悪化した原因の除去(間違ったスクワットの中止+母の介護に腕の力を活用し、右足の負担を減らす)、(2)膝への正しい筋トレの実践、(3)必ず治すという強い意志、(4)繰り返し描いた完治イメージ、(5)効果ありと信じて摂る薬理的食事とサプリメント、(6)偽薬効果(プラシーボ)? (7)MBT靴による歩行の大改善、(8)正しい歩行を維持するための点検&理想型の再確認、(9)膝に無理な負担をかけずいたわる(重い荷物はエスカレーターやエレベーターを使い、階段の昇降は必ず手すりを使用)、(10)あらゆる場面での諸悪莫作+衆善奉行……。
 瞑想を進ませるテクニックには、どのような問題も解決する普遍性や汎用性がある。


  
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11/26(土) 
情報系の善果は、靴だけではなかった。
 膝痛克服の研究を20年以上してきたWeb会の古参会員の方が、懇切丁寧に膝痛対策の理論とノウハウを教えてくださった。
 一例を挙げれば、膝にサポーターを巻くと歩行中はしっかり補強されるが、外すと前よりも負担がかか
るような気がする。功罪はいかに?と質問すると、「歩行が格段に楽になるのは確かだが、膝を守る筋肉の発達が望めなくなる。止めるべし」と即レスが返ってくる。
 財施系では、膝を痛めたことをネットで知った何人かの方が、外国製の特効薬やサプリメントを送ってくださった。
 昔からサンガへの薬の供養を絶やさなかったが、合宿参加者や母の健康管理に心を配り、サプリメントを厳選して提供してきた報果と解釈することもできるだろう。
 必要なものが絶妙のタイミングで集まってくる流れの良さは、「衆善奉行」を心がけてきた善果だと言えるのではないか。

  
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11/25(金) 
さらに正しい歩行の技を習得するために、無意識に犯しているミスをチェックする。
 トレーナーに見てもらうのが一番だが、まず自己診断してみる。
 デパートなどの巨大姿見を眺めながら、姿勢や足さばき、送り出す足の方向や着地点などを徹底的に点検する。
 すると例えば、左足を前方にまっすぐ送り出していたつもりだったが、わずかに外側にひねりながら着地する癖があったことに気づいた。
 あるべき理想型のイメージをヴィジュアライズすることと、間違った癖やミスを見つけ出しマイナス要素を除去していくこと。
 これは、さまざまな技能の修得にも瞑想にも共通する普遍的なことだが、正しい知識や情報が基盤になっているのは言うまでもない。
 だが、最も大事なのは、何事も自分自身の身体から発せられている声を聞き、内的な直観に従っていくことだろう。


  
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11/24(木) 
ロッキングチェアの上に立っているようなMBTの靴は、歩くのに練習が必要なほど特殊ではあるが、背筋がまっすぐに伸び、猫背になりがちだった上半身の姿勢が自然に、美しく整ってくるのは驚きだった。
 体がまっすぐに伸びた正しい姿勢を取ると、膝や足にかかる負担は激減する。例えば、猫背の人の足が受ける圧力が体重の1.13倍だとすると、背筋が伸びた正しい姿勢の足が受ける圧力はわずか0.88倍である。これは裸足で歩いた場合の計測だが、MBTの靴のぶ厚い特殊なクッションは着地した瞬間の衝撃をきれいに吸収していくのが感じられる。
 正しい歩き方は膝への負担を少なくし、歩くことによって膝を守る筋肉が鍛え上げられていく。
 かくして、アスファルト路面の微妙な凹凸や傾斜まで意識しながら、姿勢の保持と正確な重心の移動に心を満たし、一歩一歩すべての動きを掌握しながら歩行に没頭していく。
 買物のために夕闇の街路を歩いているだけなのだが、かつてない鮮烈な歩きの瞑想が1時間以上切れ目なく維持され、集中に乱れがなかった。
 恐るべし、MBT靴の威力よ、と感じ入ってしまった。
 以来、この路上での歩行瞑想が毎日、極めて高いレベルで修行されつつ今日に至っている……。


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11/23(水) 
理念どおりの歩行を実際の体で実現するためには、おそろしくマインドフルにならなければならない。
 まず、かかとのやや外側に重心を置いて踏み出し、足裏の外側の線に沿って体重を移動させ、小指の付け根から親指の付け根に向かって体重が流れるように抜けていく。
 骨盤を意識しながら脚の付け根の先端に上半身を預け、細心の注意を払って地面に足を置き、正確に、ひと足一足マインドフルに、流れるように体重を移動させながら歩いていく……。
 背筋はピンと伸び、まっすぐ前方を向いて頭の位置が安定し、セオリー通り正確な歩行が連続する。
 長年歩きの瞑想をしてきたが、MBT靴のこの歩行の時ほどミリ単位の正確さでセンセーションを感じ取り、「超」が付くほどマインドフルに歩いたことはなかったかもしれない。
 痛めた膝を治療する目的を持ったことによって、バリバリの修行モードに突入して歩き続けた……。


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11/22(火) 
なぜ、好きなんですか?……好き嫌いは理屈ではないが、そうなっていく原因や背景が控えているだろう。
 ヴィパッサナー瞑想を習い始めた頃、本を読んでも、説法を聞いても、何だかよく解らないまま、手探りの試行錯誤を繰り返しては途方に暮れて
いた。
 システムの構造を正確に理解しようと、必死の探索モードになっていた脳味噌があらゆる方向に触手を延ばし、愚かな経験を重ねた末にやっと全
体像が見えてきた。
 回り道をしながら、泥んこの体験主義で学んだがゆえに、効率の良い明快な習得法を提示したくなる。

  
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11/21(月) 
MBTは靴というより、ある理念のもとに設計された歩行器と言うべきかもしれない。
 特殊な靴底と形状によって、歩くだけで本来の正しい姿勢と歩き方に矯正されていくのだという。
 初心者は最初は一日15分ぐらいから始めて、歩き方を練習しながら徐々に歩行時間を増やしていくように勧められている。 
 だが、私は初日から長時間歩きまくって問題は発生しなかった。 
 その理由は、靴を履く前に歩き方の解説を熟読し、MBTの動画を何度も繰り返し眺め、理想型のイメージを頭に叩き込んでから開始したからだ。
 初めてのことに挑戦する時は、スポーツも習い事も瞑想も歩行も同じである。
 その理念や仕組み、構造、目指すべき方向、期待される効果等々を徹底的に理解し、手本とすべき理想型をイメージ脳に焼き付けてから着手する
と、弾丸スタートのように習得が速くなる。
 ……人さまざまだが、ま、知的なアプローチをするインテリタイプのやり方が好きやねん。


  
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11/20(日) 
何事も、心のエネルギーにだけ頼り切るのではなく、実際の現場で、良いと思われることは全てやってみることだ。
 筋トレと栄養摂取(薬理的食事)以上に大事なのは、正しい姿勢と歩行だろう。
 さてさて、これはどうしたものか……と思っていると、旧来の知人が愛用している靴の話をしてくれた。
 マサイ族の歩行の研究から開発されたMBTという靴が画期的だという。MBTとは「マサイ族・裸足・テクノロジー」の略。靴底がロッキングチェアのように反っていて、特殊なクッションが何層にも内蔵されている。
 へえ、おもしろそうだな……。
 では、近くにこの靴の専門店があるので案内しようか、ということになった。
 ヨーロッパに留学し足に関する基礎知識と靴合わせの技能を習得してきたシューフィッターが、足の診断をした上で調整してくれた靴が宅配便で届くことになった。
 以来、この靴にすっかりハマるのだが、いつものことながら渡りに舟のタイミングで、必要な情報が流れるように集まってくる……。


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11/19(土) 
今さら業の世界で、何やね……。
 膝が悪くなり、歩けなくなればなったで、いいではないか。
 介護に支障を来たすので困る?……ま、そうなったらなったで、また道は開かれていくものだよ。
 ……と、正論を吐いても良い。
 願望実現系の瞑想は基本的にやらないのだが、時には猿知恵と知りつつサンカーラのシステムに乗ることもある。
 サマタ瞑想で水虫を治したりする要領で、集中を高め、思いを凝らし、膝の痛みが全快し感動しているイメージにのめり込んでいく。
 膝関節に若々しい軟骨のクッションが再生されていく。
 スーパーの入口で美味しそうな煙を立てていた屋台の焼鳥屋。
 あの軟骨と鶏皮とサプリメントが材料となって、今、新たな細胞が爆発的に、はじけるように生成し、そのエネルギーが光となって、私の体の中で爆ぜる……!
 膝が完治していく……。


  
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11/18(金) 
「ヒアルロン酸の患部への注射は有効だが、コラーゲンやコンドロイチン等々のサプリメントを服用しても膝には届かないよ。これまでにそのような報告事例はない」と医師に言われた。
 え! ダメかぁ……などとネガティブな情報を鵜呑みにして、自分の意志(チェータナー)で否定の上書きはしないのが流儀だ。コラーゲン等を摂取しても結局タンパク質に分解されてしまうわけだが、ではどのように合成されるかというメカニズムもまだ解明されていない。
 偽薬効果(プラシーボ)が存在するように、体内に入った物質と心の働きが相乗すれば、未知の何かが起きるかもしれないではないか。
 ダメ元で楽しく、サプリメントも飲むし鶏皮や軟骨、ゼラチンも食べてみる。肝臓が悪ければレバーを、心臓が悪ければハツを……と、病患部に対応した食材を摂る漢方の発想は単純に面白い……。


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11/17(木)
 たとえ明晰な意識を保っていても、表現し、行為に表わしていく出力系に問題があれば、いかんともしがたい事態になるだろう。
 母の老衰を目の当たりにしながら痛感してきたことだ。
 もし歩行に深刻な支障が出れば、何よりもまず母の介護の体制が崩壊してしまう。
 膝など痛めている場合ではないのだ。
 必ず治してやる、という力強い意志(チェータナー)を持つことが何よりも大切な基本となる。
 この世にとどまっている限り、この世のことに対応しなければならず、それには業の世界を支配する法則性を心得て活用していかなればならないだろう。


  
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11/16(水) 間違ったスクワットは直ちに中止した。
 替わって医師に勧められたのは、椅子に腰掛けて伸ばした脚を一定時間空中に浮かせるというもので、事実上のスクワット効果が得られるという。はからずもテレビの医学番組で同じ技法が詳しく紹介されていたので、録画を繰り返し眺めて早速開始する。
 あらゆる苦しみを乗り超えていくヴィパッサナー瞑想の技法には、人生の諸問題を解決していく普遍性がある。
 現状をありのままに観る。誤ちに気づき、マイナス要因を除去する。有効で正しいやり方を実行していく。つまり、現状にいたるまでの悪を避け、未来に向かって善をなしていけば、必ず苦境を脱することができるだろうという構造……。


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11/15(火) 
手をこまねいて放置していたのでは、問題は解決しない。
 有効な改善策を講じるためには、なぜ問題が発生したのか、原因を正しく知ることである。
 トイレや洗面所の関係で、母を介助する時にどうしても右足だけに負担がかかっていた。
 無意識のクセになっていた生活習慣を改めるには、サティを入れ、よく気をつけて、意識的に逆の動作を心がけていくしかない。
 ちょっとショックだったのは、長年片足立ちでやっていたスクワットが正しいやり方ではなかったことだ。膝が前に出過ぎていて、かえって膝に負担をかけてしまっていたらしい。
 脚力を鍛えようとして始めた運動が、逆に痛める要因の一つになっていたか……。
 瞑想の修行と似たような話だな……と苦笑する。


  
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11/14(月) 
右膝を痛めたのは、3ヶ月ぐらい前だったか。
 重たいキャリーバッグをぶら下げ、新幹線駅の階段を足早に降りている最中「痛っ!」と痛みが走った。
 以来、歩行に違和感が伴い、膝をひねると痛みを感じるようになった。
 自然治癒するだろうと放置しておいたが、1ヶ月経過しても治らないので整形外科を訪ねた。
 レントゲン撮影を見ると、膝関節の軟骨が一部薄くなり始めていて、接触が生じると痛むらしい。
 「元には戻りませんから、なるべく負担をかけず、長持ちさせることです」と医師が言う。
 「無理をしないで、自分の体に優しく……」と強調されようとしたのだろうが、「元には戻らない……」というネガティブな意味が心に飛び込んでくる。
 チェータナー(意志)の命ずるものを実行しようと全力を尽くしているのが、人の心であり体である。
 ネガティブな言葉を受け入れて自分でもそう信じるから、そうなるだけの話だ。
 自分自身にネガティブな命令をしてはいけない、と長年説いてきた者らしく、よーし、ひとつやってやろうじゃないか、と新しいゲームに挑戦する気分になった……。


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11/13(日)
 込み上がってくる憤りが何に起因し、悲しみがどこから由来するのかを分析しながら、つまびらかにしていく……。
 一枚の絵となって凍りついていたその情景を巻き戻し、新たな視座から、もう一度再生してみよう。
 歳月が流れたのだ。
 そういうことだったのだから、もう、それでよいではないか……。
 手を放し、赦しなさい……。


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11/12(土) 過去を受け容れることができなぃがゆえに、別れることもできないのだ……。
 何が赦せないのか……。
 受け容れられないものとは、何か?


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11/11(金) どのような状態になろうとも、かけがえのない人が生きていてくれる限り、二人が共有するものは動画のように現在進行形なのだ。
 死者となりこの世を去ってしまえば、いや、その人の死を完全に受け容れることができた瞬間、すべての記憶が過去形となって静止画のように完結する。
 告別とは、過ぎ去った互いの人生をすべて受け容れ、終止符を打つ儀式だ……。


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11/10(木) 
物理的に壊れてしまっているのに、執着があれば、心の中では何も終わりにできず、引きずっていく。
 物も、人も、関係も、事象も……。
 過ぎ去ったものに縛られた心は、次々と生起してくる今の瞬間を生きることができない……。


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11/9(水) 
最愛の人の突然の死に打ちのめされるショックはいかばかりであろう。
 ……老衰で、ゆるやかに死んでいくのは、残された人たちへの優しさなのかもしれない。

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11/8(火) 
そう言えば、ご近所の方の息子さんが言っていた。
 「お母さんと道で出会うと、私なんかにまで、こうして深々と最敬礼のお辞儀をして挨拶してくれたんですよ……」
 敵を作らず、誰からも悪く言われない母の生き方の秘訣を見たような気がした。
 仏教に出会い、エゴイズムと最悪の父息子関係を乗り超えながら、努力して慈悲の心を培ってきた私とはカルマが違う……。


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11/7(月) 
3日間のショートステイで、母が摂取できた食事量は通常の1割から3割程度だったという。
 いちだんと痩せこけ、目ヤニだらけ、口の中には白い食べかすがたくさん付着し、ひどい状態で帰宅した。
 歯磨きと目薬は毎回指示しているのだが、今回はきちんとケアされていないように見受けられた、とケアマネに伝えた。
 母を寝かしつけ、くすぐって笑わせた後、福助と豆太郎が代るがわる話相手になった。
 「お母さん、福助に弟がいるの覚えてる?」と訊かれても、母は「知らない」と首を横に振る。
 「オーイ、豆太郎、お母さんが、会いたいって……」と呼ばれた豆太郎が挨拶をすると、顔は覚えているようだ。必死に声を出して挨拶し、微笑んだ。
 「お母さん、ショートステイ楽しかった?」と豆太郎に訊かれた母は、電話を取ると声が高くなる女の人のように高めの声で「楽しかったよ」と答えた。 
 え?!と思わず顔を見てしまった。
 快適だったとはとても思えない今回の帰宅なのに、この期に及んで、たかが人形相手にそんな社交辞令を言う心があるのか……。


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11/6(日) 
いや、そう解釈するのは残酷かもしれない。 
 認知症が完治した訳ではない母の記憶の衰えは、いかんともしがたいのだ。
 何も覚えていないのだから、誰か自分を訪ねてきてくれた人……と考え、推理推測した結果、接触する頻度の高い姪の名前が最初に浮かぶのも自然なことだろう。
 花束を受け取った記憶が抜け落ちているのに、このお花は誰からいただいたのと訊かれれば、自宅の食卓を眺めながら推測するのは同居人の名前になるのも当然のことだ。
 何事も、どちらなのか本当のところは分からないことばかりだ。
 分からなければ、シニカルで残酷な解釈よりも、優しい推測と解釈を優先する。
 ネガティブな解釈は、不善心所につながり、心を汚す……。


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11/5(土) 
「お母さん、まだ生きている人で、誰に会いたいですか?」と訊くと、60代の娘の名前を真っ先に挙げる。
 その娘がデイサービスに母を訪ねた日、「今日、誰か会いに来てくれた人、いましたか?」と訊ねると、
なかなか思い出せないのだが、70間近の姪の名前が最初に挙げられるのも定番化している。
 悲しい混同だが、母にとっては、他家に嫁いだ娘よりも、近くに住み長く自分の身の世話をしてきてくれた姪の方が頼れると感じているのだろう。
 さらに、その姪が誕生祝いにプレゼントしてくれた花束の贈答者が、同居して介護に専念する息子と混同されてしまう……。
 母の自覚された判断や意志等々の心ではなく、存在の闇の底から命じられる本能の指令なのだろう。
 生存欲の根本は底知れない……。


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11/4(金) 
飲み物も流動食の嚥下もしだいに困難になってきた
母には、祝いの膳を用意すべくもなかった。
 せめて「ハレ」と「ケ」のけじめを付けようと、食卓の上の小物類を一掃し、ピカピカに拭き上げて台座
を置き、花瓶に活け直した花束を中心に飾った。
 眠り続ける母を起こし、食卓に座らせると、母は眼前の盛花を指さし、誕生日の花だと正しく認識して涙を浮かべた。
 「誰にいただいたの?」
 と訊くと、母は私を指さし、姪からの贈答であることを忘れていた。
 食事が終わり、ベッドに入った母に福助が話しかけ、弟の豆太郎を呼び寄せ「お母さん、お誕生日おめでとうございます」と挨拶をさせたが、母は一度記憶に収めた豆太郎を再び忘れてしまった。
 認知症が好転し、基本的な認知や判断に目ざましい回復が見られたものの、劣化した記憶力までは戻すことができないか……。


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11/3(木) 夏が越せないのではないかと主治医もケアマネも危ぶんでいたのに、母は89歳の誕生日を自宅で迎えることができた。
 1年前の米寿の祝いには、自分で歩き、普通の食事を摂っていたことを思い出し、母の衰えの急落ぶりに感慨を覚えた。
 「お母さん、今日は11月3日だよ。……何の日?」
 一瞬考えた母の顔がパーッと明るく輝き、「たんぼうぶ」と訳のわからない発音で呟いた。
 おやつも昼食もまったく咽喉を通らず、断食状態でデイサービスから帰宅した母は、大きな美しい花束をたずさえていた。
 近隣に住み長く母を介護してきてくれた娘同然の姪が、デイサービスに届けに来てくれたのだ。 
 大好きな真紅と藤色の薔薇、白いマメ科の花、淡いグリーンと白が斑になった観葉植物などが美しく盛られていた。


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11/2(水) 
まだ幼く、絶対的な弱者だった頃、身を捨て、命を懸けて護ってくれた人が、今、自分で自分のことが何もできなくなって、人生を終えようとしているのだ。
 手を差し伸べなければならない……。 


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11/1(火) 
たとえどのような状態であっても、そこで得られる最良の幸福を味わわなければ、惨めに打ちのめされ、落ち込み、やみくもに幸福の幻想に恋焦がれていくだろう。
 幸福の限界にぶち当たり、命の本質に、存在そのもののドゥッカ(苦)に、眼を開かれるために、母よ、幸せであれ……と祈りつつ、やれる限りのことをやっていこう……。


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10/31(月) 
安住の居場所が確保されたところで、苦しい日々も、虚しい現実も、迫りくる死の瞬間への恐れも……、恐ろしい現象世界の本質は何も変わらないではないか……。

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10/30(日) 
起き上がることも歩くことも、一人では何もできないし、しゃべることすらできなくなった母は、ただ寝ているしかないのだ……。
 物理的な状態は、家も施設も酷似しているが、決定的に違うものがある。
 それは、究極の<居場所>があるということ。
 帰る家がある。愛する家族がいる。心から安らげる、自分だけの居場所が確保されている満足が、この期に及んだ母の幸福の原点である。
 生きていても、何もやることがなく、ほとんどしゃべることもできず、食べて、排泄して、手足や口を清潔にしているだけなのだが、究極の自分の居場所に安心して存在できることが、人の最後の幸福の条件ではないか……。

  
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10/29(土) 
ショートステイから帰宅した母を着替えさせ、ベッドに寝かしつける。
 疲れきった顔だが、『帰ってこられて、よかった……』と安堵している表情で微かに微笑んだ。
 福助と豆太郎が4日ぶりに母とお話しをする。
 「お母さん、ショートステイ楽しかった?」
 と豆太郎が訊くと、母は首を横に振った。
 連絡帳には「食事以外の時間は、自室のベッドにて憩まれていました」と記載されている。
 つまらなかったのだろうな……と母が哀れに思いなされたが、思えば、自宅でも「「食事とトイレ以外の時間は、電動ベッドにて憩まれている」だけなのだ。
 何がちがうのだろう?


  
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10/28(金) しゃべれない母の心を知るのに、ある日、耳たぶが指標になることに気づいた。 
 機嫌が良く幸福感や喜びで心が満ち足りてリラックスしている時には、母の耳たぶはマシュマロのように柔らかくなる。反対に、不機嫌で怒りや不満、緊張感、不安感、恐怖感など、ネガティブな心になっていると、耳たぶが硬くなるのだ。
  母の心がさまざまに変わるたびに何度も検証したが、おそらく不善心所→交感神経活性化→筋肉系の緊張、リラックス状態→副交感神経優位→筋肉系の弛緩……というメカニズムではないか。
  母の硬い耳たぶが、笑えば瞬時にやわらかくなる。
 笑っても耳たぶに硬さが残っていれば、本心からの笑いではなかったと推測される……。
 いまだに配慮の心を失わないがゆえに、見えづらい母の本音を知る手だてが得られたかもしれない。

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10/27(木) 
腋の下をコチョコチョすると、足裏よりもさらに感じるらしくキャーキャー笑い転げるが、自分からは逃げることも「止めて!」と叫ぶこともできず、ただされるままに笑い続けるしかない。
 寝たきり直前の母にとって、笑うことは全身の筋トレになり、運動不足を解消するのに最適だろう。
 何よりも笑うことによって、心が一瞬にして明かるく晴れやかになる。これほど低コストで劇的に、心を明転させてくれるものがあるだろうか。
 私自身も、厄介な排泄の世話の繰り返しにうんざりしているとき、母をくすぐって笑わせ、自分も笑っているうちに、楽しくて、おもしろくて、心はアッという間に明るく早変わりしてしまう。
 福助や豆太郎の腹話術では、笑いに至るまでのプロセスが難しく、認知症が好転するにつれ同じネタが使えなくなり苦労しているのだが、くすぐれば即座に爆笑が得られるのだ。
 介護の労苦で疲弊し、思いつめられている方々、お試しください。


  
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10/26(水) 
母の体を支えればまだなんとか自分の足で歩こうとするので、寝たきり状態は最後まで阻止する方針を貫いていく。泥酔者の介抱同然にトイレと食卓と洗面所へ連れていくが、すべての介助が大仕事になり、膨大な時間が費やされていく。
 介護する方もされる方も疲れ果て、母をようやっとベッドに寝かしつけると、福助や豆太郎をつかって母を笑わせる余裕もない。
 表情の硬い母をこのままデイサービスに送り出すのは忍びないと思いながら、母の足に靴下を履かせようとして閃いた。
 「足くすぐりの刑だよ」と言いながら、母の足裏をコチョコチョとくすぐってみた。
 すると母は少女のように笑い転げ、必死で息をつぎながら「……ダメ!」とレロレロの声で叫ぼうとした
が、満月のような笑顔だった……。

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10/25(火) 
デイサービスのミキサー食が飲み込めず、全体量の1割程度しか食べられない日が続いた。
 帰宅した母は、エネルギーが不足し血糖値が下がっているのだろう、夕食に起こされるまで昏々と眠り続けた。
 家で食べられなければ、母は生きていけなくなる。
 とろろ昆布などでとろみをつけたミキサー食をスプーンにすくい、なるべく喉の奥に押し入れ、ジュースやヨーグルト、ラコールなど液状のもので流し込むようにして食べさせるのだが、飲み込む力が弱まり、唇から逆流してボタボタと垂れ落ちてきてしまう。スプーンですくい取り、口の中に入れ直し、顔を上向きに調節してなんとか嚥下させる。それでも頻繁に咳き込み、口内の粘液状のものがあたり一面に飛び散ってしまう。
 悪戦苦闘しながらなんとか食べさせるが、完食はできず、残すようになってしまった母……。
 「食べられるうちは大丈夫ですよ」と主治医が言っていたのが思い出される……。


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10/24(月) 
何がなんでも、その願望を未来に実現させたい、という執念を燃やしていたわけではない。
 もし医者の言うように事態が悪化したら、その時はその時で、現実をありのままに、淡々と受け容れていくだろうという覚悟も揺るぎないものだった。
 認知症が進行するのもドゥッカ(苦)だが、好転し、明晰な意識で老死の苦に直面するのもドゥッカ(苦)なのだ。両者にさしたる違いはない。
 病気が治るのも、悪化していくのも、ただの現象の変化に過ぎないと腹に落ちていれば、良くなることを願って日々懸命に努力しつつも、本当はどちらでもよく、捨(ウッペカー)の心が定まってくる。


  
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10/23(日) 
「認知症は治りません。急速に悪化するか、ゆるやかに悪化するかの違いがあるだけです」
 と、どの医者にも言われたものだが、心の中では一蹴していた。
 『科学などというものは、新たな事例や症例が出てくればいつでも定説が覆されてしまう歴史ではないか。権威ある専門家に何を言われようが、私は、自分自身にネガティブな暗示をかけたりはしないのだよ。強力なチェータナー(意志)が未来の現象を生起させていくのが「行(サンカーラ)」の構造ではないか。切に願うことは必ず遂ぐるなり、と人に説いてきたのだ。母の認知症を食い止めるために、あらゆることをやってやろうじゃないか……』
 前向きの肯定的な考え方を、ブレることなく、力強く繰り返してきた……。


  
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10/22(土) 
認知症が完治したわけではない。
 好転はしているものの、短期記憶の衰えはまだ病的である。
 「Mさん家のT雄さんが亡くなったんだって……」
 翌日も同じことを母に伝えると、母はビックリし前日と同じ反応を示した。
 次の日も同じだったが、4日目には『その話は聞いたよ』といった表情で平然としていた。
 姉がデイサービスに母を訪ねた日、帰宅した母に訊いてみる。
 「今日、誰か訪ねてきてくれた人いましたか?」
 「誰も来なかったよ」
 母は毎回見事に忘れてしまっていたが、最近になって「誰か来たかもしれない……」と記憶に残る日が増えてきた。
 認知症好転の証左ではないかと考えている。


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10/21(金) 
人形と分かっているのだろうかと疑うほど、母は福助と話すのが大好きだが、親友の娘婿の死を報された瞬間の母は印象的だった。
 「お母さん、今朝、Mさん家のT雄さんが亡くなったんだって……」
 と福助が言った瞬間、母は絶句し、確かめるようにキッと私の方を見た。
 そんなことが、最近になってから増えた。
 いつものように福助と話していても、大事な話になると、母は真顔になって必ず私の方を見るのだ。
 その様子は、戯れに人形と遊んでいるだけで、福助を人間と同一視などしていないことを歴然と示している。
 5ヶ月前に初めて福助と出会って以来、母は果たして人形と識別しているのかどうか定かではなかったが、今は明らかに、ちがう。その差異に、認知症好転のエビデンス(証拠)を見るのだが、明晰になればなるほどドゥッカ(苦)が身に沁みる皮肉な現実……。


  
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10/20(木)
 「お母さん、……豆太郎も、この家で暮らしていいですか?」 
 「いいよ、いいよ」と、たまらなく嬉しそうに母が答える。
 「ありがとうございます。……お母さん。……豆太郎のことも、可愛がってね」
 「はい」
 と母は一声答えただけだったが、その声には優しい響きがあり、母親モードの脳回路にスイッチが入ったのだろうか、若かりし母を彷彿とさせた。
 本当は、沈黙を好む瞑想者などではなく、大勢の子や孫と笑いながら賑やかに暮らすのが大好きなんだけど……という憧れと、諦めと、でも、人形芝居でも楽しい……といった諸々の思いが複合しているような気がしたが、深読みか……。

  
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10/19(水)
 「こんにちは」と福助が、デイサービスから帰宅した母に挨拶する。
 「こんにちは」と母も答えるが、そう言うだろうと予測しているので聞き分けられるような発音である。
 「お母さん、福助ね、弟ができたんだよ。……会いたい?」
 何の話……?という顔で母は「うん」と答える。
 頭にストラップの付いた小さな根付けの福助人形が、母の目の前に登場する。Web会の生徒さんがプレゼントしてくださったものだ。
 「こんにちは。……福助お兄ちゃんの弟、豆太郎でございます」
 母の眼が急に輝き出し、『へえ、福助だ……』とでも言ってそうな顔で、「こんにちは」と答える。


 福助&豆太朗→ 豆太朗のみ→ 


  
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10/18(火) そう思うと、母に申し訳ないと自分を責めたくなるが、しかし、私のやれることにも限界がある。
 母の悲劇は、同居して末期を看とってくれる家族が一人しかいないことだ。
 妻子や孫が賑やかに暮らす普通の家なら、交代する人手が理想的なローテーションを組めるだろう。
 長寿を得た者はそのような大家族に囲まれて往生を遂げ、残された者は死にゆく命の学習をするのが人類の本来の在り方だった。
 孤独死、核家族、無縁社会、大都市の生活形態……いずれも人類700万年の歴史上、マバタキするほどの刹那に狂い咲いた徒花に過ぎない。
 そんな時代には、人並み外れた徳を積んだ稀有な者にしか、人間としての本来の死に方もできなくなっている。
 因果論を心得る者は、家族を大事にし、より多くの人を愛しお世話し、衆善善行に励むことだろう……。


  
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10/17(月) 
「思いどおりなので幸せ」と母が言う根拠は、住み慣れた自宅で、念願だった息子と暮らしながら介護してもらえる情況を差すのだろう。
 「幸せか」と訊かれても即答しなかった、あるいは出来なかったのは、すべてに大満足しているわけではないからではないか。
 問い詰められれば、「(おおむね)幸せ」と答えざるを得ない思考の展開があったのではないかと推し量った。
 生きていく上での基本的営みをすべて介助してもらっても、それではただ生存しているだけに過ぎず、呼べば自分の手足のように瞬時に駆けつけて欲しいだろうし、退屈しのぎにいつでも遊び相手になってもらいたいと思うのが自然なほど母の認知症は好転しているように見える。
 人生の終末を迎える基本環境は「思いどおりに」なったが、果たして生活の隅々にいたるまで全て「幸せ……」と言えるのか。
 総論としては「幸せ」だが、各論では不満も多く、それ故に「幸せ」と即答できなかったのではないか……という考えが流れていった。


  
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10/16(日) 
「お母さん、今、幸せ?」と福助が訊く。
 母は黙っている。
 「幸せなの?……不幸なの?」と福助がたたみかける。 
 母は何も答えない。
 「お母さん、幸せなの? 幸せじゃないの? どっち?」と福助が執拗に追求すると、母はやっと口を開いてレロレロの発音で答えた。
 「……幸せだよ」
 「どうして、幸せなの? 何ゆえに幸せだと思うの? 教えて……」
 不明瞭な発音ゆえに時間のかかる会話だったが、母は理由を明確に述べた。
 「思いどおりに、なっているから……」


  
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10/15(土) 
母の筋肉系の老衰は下降の一途をたどり、トイレや洗面での介助はさながら泥酔した酔っぱらいを助けるような塩梅である。
 ミキサー食に切り換えてからは、食パンと牛乳をベースに牡蠣やレバー、はんぺん、卵など高タンパク質の食材の摂取が可能となり、とろろ昆布やクラゲなどを混ぜることによってとろみもつく。
 咀嚼による摂取では、食パン1枚が半分になり3分の1になり、ついに普通食は無理……という展開だったが、今では毎回食パン1枚プラス乾パン2、3個程度が食べられるようになり、ヨーグルト、胡麻豆腐、ミックスしたジュース、ラコール、玄米穀乳、各種サプリメントも併用しているので栄養状態は格段に良くなったと言える。
 認知症が好転し心が正常化してきた一因になっているだろうが、しかし、発話もふくめ筋肉系全般の衰えを阻止することはできず、むせ込みや誤嚥も悪化していく一方だ。
 胃ろうも経管も断ると母は意志表示を繰り返してきたが、果たしていつまで口から食べられるのだろうか。
 まともな意識になってきた母が土壇場で何を感じどう思うのか知る由もないが、その時の意向に沿っていくだけである。


  
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10/14(金) 
安定したおだやかな日々がずっと続くように見えても、明日のことはわからないのだということ。
 「ほんまに、そうや……」と、想いを新たに覚悟を定めても、喉元過ぎれば熱さを忘れ、3日と経たないうちにまた同じ日常がだらだらと繰り返されていく……。
 人の心とはそんなものだと心得、毎日、現実感覚にとどまりながら想いの世界を離れる瞑想をして、心をリセットしなければならない。


  
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10/13(木) 
<朝には多くの人々を見かけるが、夕べには或る人々のすがたが見られない。夕べには多くの人々を見かけるが、朝には或る人々のすがたが見られない。>
 <「わたしは若い」と思っていても、死すべきはずの人間は、誰が(自分の)生命をあてにしていてよいだろうか? 若い人々でも死んでいくのだ。−男でも女でも、次から次へと−。>
 <熟した果実がいつも落ちるおそれがあるように、生れた人はいつでも死ぬおそれがある。>

【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)1−7、8、11」岩波文庫】

  
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10/12(水) 
価値ある人生を生き抜いてみなければ、幸福を極め尽くさなければ、存在の本質に組み込まれた根本苦を目の当たりにしなければ、落下する滝のように続いていく生存の流れから解脱する気にはなれないだろう……。

  
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10/11(火) 
たとえ生きることに意味はなくても、いや、意味がないからこそ、どの日どの時間どの時代も等しく敬意をもって丁寧に生きるべきではないか。
 何も分かっちゃない生まれたての赤ちゃんに対しても、死にかかった老婆に対しても、やんごとなき方に接するのと同じように向き合えるだろうか……。


  
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10/10(月) 
翌朝、目覚めた母はゲッソリやつれていたが特に異常はなく、普通量の朝食を摂ることができた。
 姉の車で主治医の診察を受けに行ったが、母の筋肉系の衰えは著しく、通院はこれが最後になるかもしれないと思った。
 信頼する主治医は往診を一切なさらないので、今後は往診看護のクリニックとの連携体制になっていくだろう。
 採血と今後の看護体制についての話が展開し、昨日の意識朦朧状態についての判断を伺うことができなかった。
 今は原状回帰しているので、あまり気にすることはない一過性の症状だったということか。
 ともあれ、介護の最終章である死の瞬間と葬送の問題が生々しい現実感を帯びてきた……。


  
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10/9(日) 
「お母さんの様子が変なので、来てください!」
 デイサービスの職員に告げられて駆けつけると、帰宅の送迎車から降りようとしていた母の眼は焦点が定まらず、意識が朦朧状態だった。
 私が母の頭、職員が脚を持って担ぎ込み、ベッドに寝かせた。
 帰り支度を整えている時に、急に様子が変になり血圧が異常に下がっていたという。昼食は普通量が摂られていたので低血糖症状ではないらしい。
 服も着替えず何も飲まず食わずトイレに立つこともなく、母はイビキをかいて眠り続けた。
 救急車を呼ぶべきか微妙だったが、血圧が120程度にもどったこと、顔色が普通だったこと、動脈瘤はあるものの脳血管に由々しい事態が突発しているようには見受けられなかったこと、翌日は定期検診で主治医の下を訪れる予定になっていたことなどから、そのまま見守ることにした。
 いつものように夕食を用意したが、母の爆睡は続き、声をかけても気づかぬほど眠りが深かった。
 ノルウェイの画家ムンクの「叫び」のように口を開けたまま、一晩中眠り続ける母……。
 介護が始まって以来、母の死を常に念頭に置いてきたが、リアルな感覚が迫ってきた……。


  
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10/8(土) 
葬儀場で出会った母の親友は、火葬場に向かうマイクロバスに車椅子に座ったまま乗車していった。
 1年前には元気一杯、大きな声の早口で、浮かんでくる思い出を矢継ぎ早に語り続けていたのだが……。
 跡取りだった娘さんはとうの昔に乳癌で亡くなり、残ったお婿さんにも先立たれてしまったか。
 慶賀すべき長寿のはずだが、娘や婿の死後、独り長生きを続けるのも「老いの苦」ではないか……。


  
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10/7(金) 幸福を満喫し、身をもって幸福の限界を思い知った者が、この世を厭離して道を求める順番だ。
 法を受け容れる能力も、修行の才能も、要するに機根というものは千差万別だ。
 母には母の道がある……。


  
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10/6(木) 
この世は一切皆苦と心得、存在の世界から解脱する思想を拠りどころにしてきた者が、死に行く自分の母には正反対の理解をうながすのか……。

  
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10/5(水) 
「こんにちは」と福助が挨拶すると、母も「こんにちは」と応え、微笑がもどった。
 「お母さん、Tさん死んじゃったよ」と、福助が直球を投げる。
  母は無言で、何を考えているのか定かではないが、認知症が好転した今こそ死のレッスンに最適であろう。
 「お母さん、死ぬの、怖い?」と福助がストレートに訊くと、母は「怖い……」と答えた。 
 「死ぬのが怖いのは、どうして?」と福助がたたみかける。
 レロレロでよく分からないが、死ぬと、自分の存在が消えてしまうという想定が不安と怖れのポイントらしい。
 「お母さん、だいじょうぶだよ。死ぬとすぐに生まれ変わるから。……きれいな心で死ねば、幸せな良いところに再生できるんだって。死ぬ瞬間は痛くないし、生まれ変わって、また人生が続いていくから心配ないよ」


  
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10/4(火) 
88歳にもなると、同時代を共に生きた親戚も友人もご近所さんも、そのほとんどが故人になっている。
 それでもただ一人残った60年来の母の親友から電話があり、同居していた娘婿が今朝亡くなったという。
 母が親友の家を訪ねるたびに、必ず車で送り迎えをしてくださった自慢のお婿さんだった。
 デイサービスから帰宅した母に、訃報を伝えた。
 「Mさん家のTさんが、亡くなったんだって」 
 「え!」という顔をして母は絶句したが、その認知の速度も反応も尋常で正確だった。
 これまで何度も死のレッスンを繰り返してきたが、この日の母の表情は真剣で、死がリアルなものとして母の意識に迫っているように思われた……。


  
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10/3(月) 
日々の出来事に注意深くサティを入れ、よく気をつけていなければ、無明という心の基本構造ゆえに必ず現実を見誤っていくだろう。 
 誤解だらけ錯覚だらけの歪んだ情報が、日々、瞬々刻々、脳内記憶倉庫に収められていく。
 糠味噌が樽の中で静かに発酵していくように、脳味噌の中でも、自己中心的な編集方針に従って、膨大な記憶データの特徴が誇張され、分かりやすく単純化され、細部のツジツマ合わせがなされた状態で、記憶の引出しの中に都合よく再収納されていく。
 そのデータを縦横無尽に使いまくって朝から晩まで妄想し、喜怒哀楽の感情に巻き込まれて鼻息も荒く反応しながら、苦しみの原因となる業を蓄積していく人生……。

  
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10/2(日) 一切の妄想を排除し、明晰な視力で現実を直視すれば、生存の本質に根本的な咎を見て、解脱に向かうしかないではないか……。
 南無帰依仏……。


  
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10/1(土) 逢えなければ、やるせなさに切なく胸が痛む。
 死んだ人は、ただただ懐かしい……。
 美化されない思い出はないし、真っ黒に塗り替えられない記憶もない。
 ……眼をつむれば、この世は美しい。

  
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9/30(金) 不在なら美しい妄想が浮かび、存在を目の当たりすれば、ネガティブな要素を瞬時に検出していく精神……。


  
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9/29(木) 
いつまでこの介護が続くのだろうか……、果たして、身が持つだろうか、と心が暗転することもある。
 母を一人残して買物に出かける道すがら、動脈瘤が破裂したり転落死したりしていないだろうか……とい
う妄想が浮かぶこともある。
 生きている母とはもう会えなくなるのか……という思いが迫ると、今のうちにどんなことでもしてあげたいと、やさしい気持ちで心がいっぱいになっていく……。


  
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9/28(水) 
母のトイレを介助するために使い捨て手袋を取ってくると、驚いたことに、母は便座の前に設置してあるテーブルの新聞を読んでいた。
 未読の新聞が置かれていても、いつも呆けたようにただ待っているのが常だったが、週刊誌の広告のページに眼を通していたのだ。
 わずかな時間を退屈に感じる母の心の余裕に、認知症の回復ぶりが伺われた。
 進行すれば尿意を告げることもなく垂れ流してしまう病気と聞いていたが、多い時は1時間に3度も4度も排尿に立つ。そのつど介助しなければならないが、排泄の失敗を恐れる精神は健全なものだ。
 正常な意識がもどるにつれ、やることのない母の不満度は上がり、介護者の負担も増大し、ともに直面する苦……。


  
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9/27(火) 
意味があろうがなかろうが、存在し続けることが、生きることだ……。

 
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9/26(月) 
失われたものを取り戻すために生きていく人生……。
 何年も、何十年も、生涯を賭けて復讐を遂げようとしている人たち……。
 トラウマとコンプレックスに囚われ続けている人たちも、過去に縛られ後ろ向きにしか生きることができない。
 獄中から冤罪を叫び続け、無罪が証明されて出所した時には、老い先のない老人になっていた人生とは何だったのだろう……。
 「今」を生きていても、長生きと健康の維持だけが生き甲斐の健康マニアもいる。
 人生の無意味さが腹中に深く納まれば、この世の事象を等価に観ることもできようか……。

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9/25(日) 
……と、因果論の立場からは考察されるが、もしこのまま本当に携帯を喪失してしまうことになったなら、もうカルマ論など教えられなくなってしまう……。
 そんなことがあろう筈はないと信じてはいるが、複雑な現象世界のことだ。ひょっとしたら……ということもない訳ではない。
 翌日は朝から仕事で、やっと連絡を取った時には、土曜日のため上野駅遺失物係は4時で業務終了。
日曜日は早朝から大阪へ出講、終日仕事。
 月曜日、大阪から帰京した足で上野駅へ電話をすると、それらしき物があると言う。
 そうか。さもありなん。
 当然というか、あまりにも読みどおりだったので、感動も喜びもほとんど無かった。
 係員の目の前でロック解除、番号確認、書類に捺印……と煩瑣な手続きを終え、携帯は奪還された。
 戻った携帯は前よりも美しくなったわけでもなければ、機能がアップされたわけでもない。
 ただ元の状態に回帰しただけだった……。


  
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9/24(土)
 一貫して情報系の布施を行ってきた者が、最重要情報を失うなどということがあってよいのか……。
 物質エネルギー系の財施も常に心がけてきたのに、新機購入の余計な出費などで財を失うことになるのも理に合わない。
 とはいえ、人に無駄な仕事を少なからずさせてきた者が、労力と時間を無意味に空費させられることは考えられる。
 すると、想定される結末は、携帯は取り戻せるが、貴重な時間とエネルギーを奪われ、徒労感にため息を吐かされる……といったところだろうか。


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9/23(金) 日没後にグリーンヒルの事務がやっと終わり、週末の仕事に備えて東京に向かった。 
 宇都宮線の電車はガラガラだったので、モバイルPCにスマートフォン、携帯電話を座席に並べ、悠々と移動書斎の感覚で仕事をしていた。
 夕食を摂る間もなく移動を始めてしまったので、21時を過ぎたころ低血糖状態で意識がボヤけ、うたた寝をしてしまった。
 乗換駅でハッと目覚め、あわてて飛び降りホームを歩き出したとき、携帯電話を座席に置き去りにしたことに気づいた。
 大事な個人情報や母の介護関係情報が満載されているのに、長い間バックアップを怠っていた。
 困ったな……。
 新宿駅でなんとか電話会社に連絡し携帯にロックを掛けたので、情報悪用の被害だけは食い止めることができた。
 だが、最も重要な個人情報が取り戻せなかったら、どうすればよいのだろう……。


  
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9/22(木) 
明晰になった意識は、真実を洞察する智慧に昇華し、苦を直視する眼は解脱に向かう……。
 現実がありのままに見えてくれば、老いの苦、死の苦しみ、生存のドゥッカ(苦)に直面するのだが……。
 母よ……。 


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9/21(水) 
苦を楽と取りちがえる。
 無常を永遠と取りちがえる。
 あらゆるものとの相関関係の中で一瞬一瞬、生滅しているだけなのに、他人とも世界とも一線を画した自我があり、エゴワールドに閉ざされると錯覚する。
 妄想するシステムを搭載したがゆえに、不浄なものが甘美なものに思いなされて欲望を起こし、執着する。
 「無常・苦・無我・不浄」な実体が「常・楽・我・浄」に取り違えられ、引っくり返されることを「ヴィパラーサ(Vipalasa:転倒相)」という。


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9/20(火) 
ボケれば認知が乱れ、苦の渦中にいても、何がなんだか訳がわからなくなるだろう。
 ボケていなくても、病気になるまでストレスを受けていたことに気づかない人もいる。
 何もかも終わり、すべてが過去形になって始めて、怒りが自傷行為だったことに愕然とする人もいる。
 気づく人もいれば、最後まで気づかない人もいる。
 赤裸々な事実がどれほど露わになろうとも、気づかれることのない無明の闇……。


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9/19(月) 
不可能な夢であればあるほど、果てしなく甘美な輝きを放つのが、妄想の力……。

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9/18(日) 
笑い転げて、楽受を得て、快感ホルモンに浸る幸福の瞬間を、誰もが求めているのだろう。
 束の間の幸福を何度も、切れ目なく繰り返し、永遠に、幸せの連鎖を楽しめたらどんなに良いだろう。
 愛する人には、我が子だけには、自分の親だけには、そうしてあげたいと願ったところで、そんなことが可能となる条件と環境が現実に整うのだろうか……。


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9/17(土) 
「ワタシハ、ナニヲスレバイイノ?!」
 デイサービスがお休みの日、必死で何かを訴えている母の言葉がやっと読み解けた。
 食べて排泄する以外のほとんどの時間、イビキをかいて眠ってばかりいた頃もあったが、認知能力の回復とともに昼寝が少なくなった。
 その結果、意識は明晰なのに、思うようにしゃべれず、体は動かせず、やる事がないのだ。
 ゲーム機、クロスワードパズル、漢字ドリルなども、付きっきりで介助すればできるかもしれないが、独りではさすがに無理。オセロの相手をしてあげたいが、ミキサー食を作り、食べさせ、トイレの世話がやっと終わって、さらに遊びの相手までしていたのでは、仕事はおろか自分の食事も片付けも洗濯も掃除も買物も何もできなくなる。
 認知症が好転し意識が明晰になった母は、「何をして生きていけばいいの?」と生きることのドゥッカ(苦)に直面する……。


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9/16(金) 
失禁が増え眠ってばかりいた母の認知症が好転すると、直面しなければならないドゥッカ(苦)が増える。
 体の老衰は日ましに進行し、介助の度合いは上がる一方で、昨日までできたことが今日はできなくなっている。
 もはや一人では洗顔もできないので、顔を洗ってやりローションや化粧品も塗ってあげなければならない。食事中に咳き込めば、食卓一面に口内の食物をまき散らしてしまう。トイレにも歩くにも身を起こしている時は常に、垂れてくる涎を拭きながらダブルの仕事の並行処理をしなければならない。
 重度の身体障害者状態に近づいているのに、意識がクリアーになり、認知能力が戻り、昼寝が半減し、注意も自覚も現状の知覚力も正常化しつつあるように思われる母。
 私の望んだ通りになってはきたが、母の苦しみも私の苦しみも増大したのかもしれない……。


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9/15(木) 
昔の思い出も、今の気持ちも、言葉ではほとんど表現できなくなった母。
 毎日、毎回、とろみを付けた飲み物と流動食だけの食事となり、家族と仲よく同じ物を食べる生活も失われた。
 ギリギリの生存をかろうじて維持していくだけの終末期の日々の中で、母にどんな幸福があり得るのだろうか……という問いが渦巻いていた。
 おデコにヤクルトを1本立てるだけで、はからずも母にささやかな幸せをプレゼントできたか。
 幼児が母親にたっぷり遊んでもらった後のような充実感が、なぜか私自身の中にも余韻として響いていた。
 ただ生きているだけの人生、ただ生きているだけで味わえる幸せ……。


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9/14(水) 
デイサービスから帰宅しお昼寝した母に「ヤクルト、飲む?」と訊くと、「うん」と答えるのが常である。
 天井を見上げている母のおデコに冷えたヤクルトを1本立てると、「何やってんの」という顔で母が微笑む。
 そのまま立てておくと、「取って」と母が言う。
 「だめ」と答えると、母はナマケモノのようにゆっくり手を伸ばしてヤクルトを取ろうとする。
 その手を押さえつけて動けなくすると、母は何がおかしいのか、キャーキャー笑いながら首を振って倒そうとする。
 その頭も手も押さえつけると、母は弾けるように大笑いしながら「取って……」と言うのが可愛らしくて、二人で笑い疲れるまで遊ぶ。 
 最後にヤクルトを飲ませてもらうと、母はすっかり満ち足り、安らいだ表情で目を閉じ、おとなしく横になっている。
 死にゆく母の認知症を改善させた最大の要因は、笑いがもたらす情緒の安らぎかもしれない……。


  
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9/13(火) ある日、夕食の介助をしている最中に呼び鈴が鳴り、中座して玄関に出ると宅配便だった。
 食卓に戻り、黙って母の口元にスプーンを運ぶと、「誰(だったの)?」とレロレロの声で訊いた。
 え!? と面食らった。
 この期に及んで、母が来客に関心を寄せるとは予外だった。
 自宅では、ベッド(寝る)と食卓(食べる)と洗面所(歯磨き+洗顔)とトイレ(排泄する)以外には、興味も関心もまったく無いと思われていたのだが……。
 ただ生存を維持するだけで息も絶え絶えのように見えていたが、現状を把握する認知能力や判断力が正常に回復してきたのだろうか。
 そう言えば、食事中にテレビを観る余裕など皆無だったが、昨今では画面を食い入るように見つめていて、食べることをしばし忘れることが増えてきた。
 寝たきり寸前で、しゃべることもままならない程老衰が進行している母だが、意識の明晰度が取り戻されてきたのであれば、1年半に及ぶ介護に勲章を授かったように嬉しい……。


  
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9/12(月) 
痩せ細り、今や母の体重は38kg、餓鬼草紙のひとコマから抜け出してきたように背中は曲がり、髪の艶は失われ、皮膚はたるみ、すり足でトイレに歩くにも支えがなくては無理になってきた。
 一人で起き出そうとして電動ベッドから滑り落ち、蚊の鳴くような声で助けを呼んでも、2Fにいれば聞こえない。踵で床をドラムのように叩いて報せるので、慌てて駆けつけることもしばしばである。
 老いの無残さに心が痛むが、たとえ身体が完全に不自由な状態になっても、心の世界が正常に保たれ、現状を自覚し、人とのコミュニケーションができ、明晰な意識で最期の瞬間まで「目覚めている」ことができれば、本望ではないか。
 いや、体を整え、心を研ぎ澄まし、無明の闇に智慧の光が射し込んでいく瞬間の眩さに人生を賭けてきた者の悲願だ……。


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9/11(日) 
短期記憶は好転しないものの、母の判断力や配慮、現状把握力などがとてもしっかりしてきたので、しばしば認知症であることを忘れて対応して
いることが少なくない。
 毎回母のショートステイが近づくと福助が何度も丁寧に説明するのだが、前回は「明日からショートステイだよ」と私が自分の声で一度伝えただ
けだった。当日の朝は、お迎えが早めに来てしまったので、再度の確認をしないまま送り出してしまった。
 すると、帰宅した日の夕食時に、母は涙を浮かべ「なぜ、一人きりにしたのか」と怒った。
 え! と胸を衝かれた。理解できていなかったのか……。
 事情を丁寧に説明すると、あっさり解ってくれたのでそれで済んだが、3泊4日の間、不安と怒りと絶望と悲しみと疑惑に苦しみながら不善心所
にまみれていたのだろうか。
 ストレスは認知症を悪化させると言われているのに……。


  
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9/10(土) 
快楽もあるが苦痛もある世界では、歳月とともに、快はやせ細り、苦のみが増大する。
 苦楽を離れた世界に満ちていく、静けさと安息……。

  
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9/9(金) 
人は、所有するものに束縛された奴隷になっていく。 持てば持つほど強まっていく執着……、肥大していくさらなる欲望。
  失われ、奪われ、壊れていく瞬間の、激烈な苦と怒り……。

  
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9/8(木) 
価値あるものをたくさん所有すればするほど、幸福度が上がるのだろうか?
  目くるめく官能の快楽に溺れていくことが、命のトキメキなのだろうか?
  楽しいこと、気持ちのいいこと、素敵なことは何でも、多ければ多いほどよいのだろうか?
  「その通りだ」と、この世の幸福原理は言う。
  静かに「ノー」と言う瞑想の世界、ダンマの世界、悟りの世界……。


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9/7(水) 
瞑想を始めればピタリと妄想が止まり、ひとりでに心が静かになり集中が高まるわけではない。
 よほど身心のコンディションが整っていないと、めったにそんなことは起きない。
 今日一日の出来事や昨今の強い印象がいつまでも脳内を駆けめぐっていたり、取りとめもないイメージや思考の断片が舞い上がった砂煙のようにどんより心を曇らせているのが普通だ。
 その思考にサティを入れ続けていけば、やがて自然に心が沈静化していくだろうが、10分ぐらいの時間はたちまち経過してしまうのも珍しくない。
 ……まず最初に慈悲の瞑想に集中し、一行一行の文言に心を寄り添わせながら雑多な概念の嵐を慈悲一色に染め上げ、しかる後におもむろに歩行感覚や腹部のセンセーションに注意を注いでいくと、気づきモード・観察モードに入りやすい。
 仏法僧への三宝帰依の祈りや、ダンマに身を任せていく決意の確認なども、同様の功を奏する。


  
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9/6(火) 
<世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない>【真理のことば「(ダンマパダ)13−170」岩波文庫】

  
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9/5(月) 
殺された山のような命に、火力・水力・電力・人力など諸々のエネルギーが投入され、やっと完成した尊い犠牲と力と美の結晶である食物が、箸も付けられないまま食べ残しとなって棄てられていく。
 美食と過食の果てに、あり余ったエネルギーが病という形で表現され、自らに苦を与えていく。
 他の生命に究極の苦を与えながら、そのいただいた命で犯罪を犯し、環境を破壊し、生態系をズタズタにした挙句、自らを傷つけ、ドゥッカ(苦)の種を蒔き散らし自滅していく……。
 生きることに、意味はあるのか……。


  
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9/4(日) 幸福であっても不幸であっても、健康であれ闘病中であれ、平和が続こうが戦争が始まろうが、雑食性の人類は、日々多種多様な生き物を殺し続けなければ生存そのものが成り立たないのだ。
 自分が生き残るためには、他の命を殺さなければならない。
 どんな生命にとっても、命を奪われ存在を抹消されることが最も嫌なことなのに、その最大の苦を与えながらしか、幸せになれない、輝けない……。
 生きることに、意味はあるのか……。


  
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9/3(土) 幸福を極めてしまった王子たちや善男子、善女人は、生存の根本に伴うドゥッカ(苦)と、生きることの無意味さに直面する……。
 幸福を極めるまでに、長い輪廻の中で積むべき徳を限りなく積み重ね、山となった波羅蜜のカードを切って、解脱のための瞑想修行に入るか……。
 聖なる修行を完成するために、さらに輪廻転生しながら、苦闘が続く……。
 地獄のようなドゥッカ(苦)に絶叫する生きとし生けるものがおり、幸福を極めるための苦難の道のりがあり、無限に続く輪廻から解脱するための苦闘の日々がある。
 生きることに、意味はあるのか……。


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9/2(金) 
鼻クソを取ってもらい大笑いする……。
 そんな瑣末な日常の出来事に安心して笑える日々こそが、究極の幸福イメージとして夢見ている人々も少なくない。
 飢餓に瀕し、戦乱の砲火に怯え、貧困や暴力や圧政に押しつぶされながら、苦海に溺れ死んでいく人達……。
 病気になれば「普通にもどる」ための闘病が生き甲斐となり、自由と安全と平和が脅かされれば奪還することがライフワークになる。
 不当な支配を打倒し、独立と自由を勝ち取るために人生の全てを捧げて英雄になる人もいれば、犬死する人もいる。
 独立も自由も安全も幸福も……、得るべきものを得てしまった人々は、目薬をさし鼻クソを取ってもらい、大笑いしながら人生を終えていく……。
 生きることに、意味はあるのか……。


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9/1(木) 
食べる。寝る。排泄する。「お母さん、バナナみたいの出したんだって?」と福助とおしゃべりして笑う。家族と一緒にいる安心感を確認する……。
 ……これが母の幸せであり、人生だ。
 生きることに、意味はあるのか……。


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8/31(水) 
食べること、排泄すること、身を守ること、交配すること、子育てすることだけで、どんな生物も日々懸命に、必死で、汲々と生きている。
 「生きる」とは、ただ生存を維持するための総力戦に過ぎない。
 幼獣たちがジャレ合って遊んでいるが、余剰エネルギーの浪費などではなく、「食う」ための狩猟トレーニングであり順位確認の前哨戦なのだ。
 草木も鳥獣虫魚も、何のために生きるのか……という哲学的問いを発する余裕がない。
 そんなことを考えているのは……、山海の珍味を食べ過ぎて今度は痩せるために、金と時間とエネルギーを空費しながらジム通いしている人間だけだろう。
 生きることに、意味はあるのか……。


 
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8/30(火) 
笑いがはじける日もある。
 母の左眼に目ヤニが出ていたので、朝晩、抗菌目薬を点眼する日が続いた。
 こぼれた涙を拭いて……と、ベッドから母が依頼する。 
 よしよし、とティッシュを取り眼を拭こうとしたとき、母の鼻腔に鼻クソが付いているのが見えた。その瞬間ふと気が変わり、眼に急接近していたティッシュの方向が転換され、サッと鼻の穴に入って鼻クソを取り始めた。
 その瞬間、金切り声のようなけたたましい声を立てて母が爆笑し始めた。
 「どうしたの?! お母さん?」
 レロレロで聞き取れないが、どうやら「鼻じゃないよ! 眼だよ!」と大笑いしながら叫んでいる。
 ハア、ハア……と笑い疲れて肩で息をしながら、母は眼を拭いてもらい、鼻クソも取ってもらい、満足して昼寝に入った。
 ……こんな風に笑いのある日々が、母の望む幸せなのか。

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8/29(月) 
言いづらい本音を伝えるには、対面するよりも、両者の間に曇りガラスなどの間仕切りがあったほうが語りやすい。電話や手紙なら相手の視線にさらされないので、もっと好い。
 そのように、福助を使えば、言いづらいことがアッサリ言えるし、訊きづらいことも訊ける心理的緩衝装置になっている。人形セラピーの余得だろう。
 母もまた福助に向かってなら、生活万般の不満や私への要求などを悪びれずスラスラ言ってくれる。
 「お母さん、毎日生きていて、楽しいことはあるの? 今、何が生き甲斐なの? 楽しいことは、例えば何なの?」
 いちばん訊きたいことだが、面と向かっては言いづらいことを次々と福助に訊いてもらう。
 文字盤を使って、母が答える。
 「(楽しいことは)ない」「……たまには、ある」
「……笑いたい」
 そうか、笑いのある日々が望みであり、生き甲斐なのか……。


  
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8/28(日) 
「福助ね、お母さんのことが大好きなの」と福助が言えば、「わたしも、大好きだよ」と聞き取れる発音で母が言う。
 そんな母を眺めて、なんて幸せそうな顔なのだろう、と思う。
 腹話術とはいえこんな可愛らしい声で毎日、私自身が愛の囁きをしろと言われても、さすがにそれはできない。
 しゃべりでは福助に勝てないが、アイコンタクトや顔の表情ではこちらも負けてはいない。
 母の様子を見に行くと、何をするでもなくただ天井を見ながらおとなしくしていることも少なくない。
 ちょうど昼寝から目覚めた赤ちゃんが一人で良い子にしているような風情にも見えて可愛いので、近づいて真正面から母の顔を覗き込む。
 始めは無表情だが、私の微笑にすぐに反応し、「なに笑ってるの?」という顔で口元がほころび、たちまち笑顔が完成していく。
 普通にしゃべれる人間なら長時間のアイコンタクトは到底無理だが、話すことのできなくなった母を相手にするといつまで見つめていても沈黙が重くならない。
 かくして、一言もしゃべることなく、母の情緒は安らぎ、すっかり満足する。
 福助には、こうはいくまい……。


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8/27(土) 
母の一切の世話をしている息子よりも、何もしないし、できないが、毎回優しい言葉を語りかけてくれる福助の方が、母にとっては掛けがえのない大事な存在になっているようだ。
 瞬間的な反応には隠しようのない本音が現れるから、やはり母の本心なのだろう。
 言うべきことは、言わなければならない……。
 妻のため、家族のために、ただ黙々と、額に汗して働く、世のお父さん……。


  
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8/26(金) 
疲労困憊した表情の母がショートステイから帰宅してくる。
 椅子に座らせ、靴を脱がせながら、「お帰りなさい」と言う。
 「た・だ・い・ま」と蚊の鳴くような声で答えるが、母の無表情に近い顔はほとんど変わらない。
 着替えさせ、ベッドに寝かせ、ヤクルトを1本飲ませる。
 福助を取り出し、母の顔の正面に向き合わせ、「こんにちは……」と久しぶりのご対面となった。
 その瞬間、母の顔全体がパーッと輝き、若々しい、これ以上はない笑顔がひろがり、「こんにちは……」とちょっと高めの華やいだ声で答えた。
 え! お母さん、こんな顔で、挨拶ができるの……?! 息子には、まったくの無表情で、そっけないお返事だったのに……。
 嫉妬などつゆしないが、それにしても……と、複雑な想いが駆けめぐっていく、嬉しい驚きだった。


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8/25(木) 
【不善心所のネガティブな思考】→【善心所の明るい善なる思考】→【一切の思考が駆逐された無念・無想の持続】→【現象の知覚とサティが切れ目なく連続し、思考が浮かんでも即座にサティで射ち落とされ、概念と概念とが連鎖しない、ヴィパッサナー瞑想の無思考状態】→【集中の極みであるサマーディと知覚とサティとが連動していく瞬間定】→…→【涅槃】

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8/24(水) 
心を空っぽにする瞑想の最中に、階下に気配が感じられ、やむなく中断して母のトイレを介助する。
 サティを持続することはできるが、高まった集中は壊れていく。
 存分に瞑想ができなければ、心は徐々に爛れていくだろう。
 一方、ダンマの仕事に没頭している一瞬一瞬の思考は、これ以上はない善心所モードに支えられてキラキラと展開していく……。
 世のため人のためになるダンマ系の善なる情報を無償で与えることを「法施」という。
 法施がなされる一瞬一瞬、それを受け取る者よりも、情報を発信し与えている者にこそ、掛けがえのない恩恵がもたらされているのかもしれない。


 
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8/23(火) 
静かな心よりも、乱れた想いが頭に充満している状態のほうが、脳のエネルギー消費量が増大するだろう。
 のみならず不善心所系のネガティブな思考が駆けめぐるたびに、怒りのホルモンや不安・恐怖系のホルモンが分泌され、心身にダメージを残し、疲弊させていく。
 人が疲れるのは、不善心所に由来する……。
 その思考を止めていくヴィパッサナー瞑想が、どのような問題にも全対応型で心をスッキリさせていく所以である。
 不善心所が心から完全に駆逐され、心を空っぽにすることが癒しと力の源泉となり、智慧を育んでいく。


  
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8/22(月) 
朝日カルチャー講座や一日瞑想会で不在にする間、母はショートステイに2〜3泊するのが習慣化した。
 当初は気がかりで何度も母のイメージが去来したが、今では母を見送った瞬間から心が切り換わり、帰宅するまでダンマのことだけに100%集中する。仕事が終わり帰途につくまで、母のことは意識から除外されて一瞬たりとも思い出すことがない。
 すると、数日ぶりに帰宅した母と再会した瞬間、新鮮な心にリフレッシュされていて、優しい心が全身に湧き上がってくる。
 母の介護を一手に引き受けていると、いつの間にか濃密な空気に煮詰まって、むせ返るように疲弊していたのだと知られる。
 心に人を受け容れるスペースと余裕がないと、優しさが硬直する……。


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8/21(日) 
母の身体は日一日と弱っていくのに、心は逆に明晰になり目覚めている時間が増えていく。当然、母を介護する仕事量は増大していく。
 お母さん、いい加減にしてよ。これじゃ自分の仕事が何もできないじゃないか……と実感しているときなどに限って、母がグズり始める。
 どれほど認知症が進行しようと、自分の存在がうっとうしいと思われているのか受け容れられているのか、生存に直結する動物的直感は働くものだ。
 母を放ったらかして2階で原稿に集中していても、おだやかな時もある。
 母の傍らに寝そべって付きっきりの情況を作っても、グズり続ける時もある。
 問題は、心なのだ。
 心が本気で寄り添い、優しい受容的な波動が出ているか……。


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8/20(土) 
そもそも意味のない人生なのに、さらに死の迫った終末期にさしかかり、どんな生きる意味が見出されるというのか……。
 ある日、母の食事を介助していると、私のズボンの膝に小さなホコロビがあるのに気づいて指差し、私の顔を見て微笑んだ。
 まるで童女のような可愛らしさに、「うん、穴、開いちゃったの……」と、私も思わず笑みを返した。
 ……ただそれだけのことだったが、家族と一緒に暮らしている楽しさや、情緒的な絆で結ばれている安心感など、ささやかな幸福感を感じるのは、なんの変哲
もないこうした日常の断片ではないか。
 黙々と母の食事の介助が続いていったが、微笑の余韻が長く残っていた……。

  
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8/19(金) 
苦の現状を痛切に自覚すればするほど、苦から解脱する道が開けてくるのが仏教である。
 だが今の母には、苦が明確に実感されても、苦の意味を正しく理解する素養に乏しい。
 読書は、したくない。テレビも、見たくない。ゲームも、操作ができない……筈だが、いや、試してみようか。
 「じゃあ、お母さん、オセロやってみる」と訊ねると、うん、と言う。
 プルプルと手が震え続けてコマをはじき飛ばしてしまうので、もう無理と諦めていたが、椅子に座らせ、コマの位置を指差すだけにして、置くのも引っくり返すのも全てこちらでやってあげることにした。
 すると、なんとか対戦が進行していった。
 四隅の一角に母のコマを一つハンディに置くと、互角の試合展開となり、僅差で母が勝利した。
 生き甲斐を再発見したかのように、母は満ち足りていた……。


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8/18(木) 
何かやりたいのに何をしてよいのか分からず、意志表示もままならないほど筋肉系が衰え、切ない現状を自覚する意識だけは明瞭になった悲劇……。

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8/17(水) 
認知が乱れ、自分の現状もよくわからない混乱状態の中で、ただ眠っては食べ、食べては排泄してまた眠りながら、夢のように死んでいければ、老いの苦にも、死の苦しみにも直面することがないのかもしれない。
 明晰な智慧の心を得てしまえば、なぜ生きるのか、生の意味を問い、何をすべきなのか、何もできなくなった命がどのように死んでいけばよいのか、恐るべき問いの数々から、眼を背けることができなくなるではないか……。 
 若い頃も苦しかったが、老いてもなお苦しい、ドゥッカ(苦)の現状を、ありのままに、つぶさに思い知らねばならない……。


  
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8/16(火) 
目覚めている時間が長くなり、意識が明晰になれば、新たなドゥッカ(苦)が発生する。
 手足の筋肉がうまく使えない「寝たきり」直前の状態で、何かをやりたいが何もできず、話すこともできず、眠らなくなった母。
 ひっきりなしに呼び寄せては、起こしてくれ、坐らせてくれ、また横にしてくれ……と訳の分からないことを命じ続けて、苛立ち、グズる。
 「お母さん、どうしたいの? 何をして欲しいの?」
 話せなくなってきた母のために意志疎通用の文字盤を送ってくださった方がいたが、ベッドに仰向けで指差すのがシンドイのかあまり使いたがらない。だが、意志がどうしても伝わらなければ使わざるを得ない。震える手で、ようやっと文字盤を指差していく。
 ナニヲ、シテ、ヨイノカ、ワカラナイ……。

  
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8/15(月) 
明晰な意識状態を最期まで保つ。
 死の意味を正しく理解し、死を怖れない。
 解脱はできなくても、この世に未練も執着も残すことなく、きれいに美しく死ぬ瞬間を迎え、往生すべき処に転生する……。


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8/14(日) 流動食に変わった頃から、眠ってばかりいた母が目を開いていることが増えてきた。
 あまり眠気が来ないのだという。考えられる要因は、通常食よりもはるかに栄養バランスの良い食事になり、しかも以前よりも消化に負担がかからなくなったことかもしれない。
 完璧な栄養が体にまわり、しかも消化に負担がかからない状態は、頭が冴え渡り、理想的な瞑想をするのに最も望ましい身体コンディションの整え方と同じである。
 母の理解力や判断力、情況を把握する力など認知能力が全般的に以前よりも今のほうが良くなっているように思われるのだが、認知症が好転しつつある要因の一つではないだろうか。
 明晰な意識と智慧の発現する心を求め続けてきた者にとって、大事な母親が死んでいく時の心の環境設定が目指す方向に整えられてきたと感じる……。


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8/13(土) 
ただ生存を維持することだけが唯一の仕事になった老残の身に、自立をうながし、明日に向かっての未来志向は果たして必要なのか……という問いも浮かんでくる。
 死期が確定している訳ではないし、母に死ぬ準備がどこまでできているのかも分からない。
 生の意味が解らないまま、必死で日々の命を生きているのは、若い頃も今も変わらないようにも思われる。
 死を受容しているかのような発言もしてきた母だが、土壇場にならないと本音はわからないものだ。
 滝が落下するように明日が今日になり昨日になっていく無常の流れのままに、生存を続けようとする盲目的な意志に衝き動かされ輪廻転生していくのではないか……。


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8/12(金) 
急ぐ時は母の手を引いてトイレに直行するが、通常の頻尿トイレや洗面、歯磨きなどの移動には手を貸さず、倒れそうになったら支える態勢を取って、母の背後に張り付いて歩く。
 前にまわって涎を拭いたり背後に戻ったり、この方が時間的にも労力的にもコストはかかるが、母のために良いと考えている。
 本当はどうなのだろうか。
 母にとっては、優しく手を引いてもらって歩くほうがより多くの幸福感を感じられるのかもしれない。
 自立歩行の筋トレ、転倒を怖れる緊張感、必死でバランスを取る平衡感覚の訓練、老いの現実とまだ独立独歩できているという自信……。
 たとえ相手から悪く思われても、甘やかさないで、自立をうながそうとする方針は、長年の瞑想指導の基盤に由来するものだが、老親の介護現場でもそれが出ているか……。


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8/11(木) 
母が呼んでもすぐに息子がやって来ないのは不満だろうが、微妙な問題である。
 危険な事態が発生した時には飛んで行かなければならないが、母の傍らで付きっきりにしていると、自分でやればできることを次々と要求しがちである。
 寝返りを打たせてくれ、やはり仰向けにしてくれ、起こしてくれ、椅子に座らせてくれ、やはり寝かせてくれ、枕の位置を直してくれ、眼を拭いてくれ……。
 なんとか自力でできることも、してもらった方が楽なので、私がいれば文字通り手足のように使いたがるのだ。
 そうしてやりたいのは山々だが、それでは炊事も洗濯も買物も仕事も何もできなくなる。結果的に母を完全な寝たきり状態に追い込むスピードが増し、最後まで自立して生きようとする精神を失わせるのではないか。
 望む通りにしてもらえたという満足感を与えるのがベストの介護なのだろうか……。


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8/10(水) 
朝、身支度を整えてベッドに横たわり、デイサービスのお迎えが来るまで、福助との会話に母の心が弾んだ日があった。
 お早うございます、とスタッフがドアを開け、玄関先の椅子に座った母に靴を履かせてくれた。
 スタッフに腕を介助され、行ってきます、と立ち上がって歩き出した母がドアのところで立ち止まり、ゆっくりと超スローで振り返り、見送っている私に手を振った。
 なんとも可愛らしい様子に、若い女性スタッフが明るい笑い声を立て、「息子さんと別れたくないの? だーめ。連れて行っちゃうわよ……」と言った。
 息子に手を振ったのか、福助に手を振ったのか……。
 帰宅した母は当然忘れているだろうから、これは永遠に分からないままになるだろう。


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8/9(火) 
また別のある日、福助が根気よく話しかけ、母の発音が聞き取れるレベルになった。
 すると、呼んでも私がすぐに来ないのが不満だと判明した。
 台所で洗い物をしていたり、テレビが点いていれば、まず母の小さな声は聞こえない。
 「では、お母さん、毎日、生きていて何が楽しいの?」と、福助が重要な質問をした。
 「福助とお話しすること」と答える時もあるが、この日は、「皆んながよくしてくれるから」と答えた。
 「皆んなって、誰?……デイサービスの人?」(福助)
 母は黙っている。
 「お母さん、みんながよくしてくれるって、誰のこと?」と福助が追及する。
 母は黙ったまま、私を指差した。
 不満もあるだろうが、おおむね私の介護を良しとしてくれているとわかり、ホッとした。


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8/8(月) 
以前に一度だけ心臓が痛いと訴えたことがあったが、この時も心臓に違和感を覚えたので調べたくなったのだろうか。
 この期に及んで、母とこのような会話が成り立つとは思いもよらなかった。 
 結婚して諦めたが、少女時代、医者になりたいというほのかな夢を持ったこともあったという。初耳の情報だ。
 保健所の食品衛生課に最も長く奉職し、晩年、最後まで興味を持っていたのは、食物の薬効など栄養学関係だったことも思い出される。
 何を考えているのかはおろか、単純な意志表示もよく理解できず、動物のような声を立てて呼ばれると、その瞬間、母が別人格の生物になったかのような異様な印象を受けることもあった。
 ポカンと口を開けて寝ている母の顔を真似ると、その瞬間、真似されたことを理解し笑いながら軽くぶつ仕草をする。笑顔を見せれば反射的にニッコリ笑顔が返ってくるので、基本感情の確認はできる。 
 しかし、心中を察することができなければ、憶測と妄想が膨らんでいくのは避けられない。
 話し言葉によるコミュニケーションが成り立ったことに、感銘を受けてしまった。


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8/7(日) 
音声言語による母とのコミュニケーションはほぼ諦めかけていたが、根気よく会話を続けているとだんだん発音が聞き取れるようになることもある。
 その日、福助が母の言葉を何度も訊き直し、母の心中を伺い知ることができた。
 その会話を整理すると、こんな具合だった。
 「お母さん、ただ寝ているだけで、退屈じゃないの?……何かしたいことないの?」(福助)
 「勉強したい」
 「え?! 勉強? 何の勉強?」(福助)
 「国語」
 「国語?……国語って、例えば、どんな本が読みたいの?」(福助)
 「家庭の医学」
 「家庭の医学で何の病気を調べたいの?」(福助)
 「心臓」
 「へえ…、心臓の勉強したいの。……お母さん、じゃあ、ひでお兄ちゃんがもうすぐ買い物に行くから、スーパーの屋台の焼き鳥屋さんで、鶏の心臓、買ってきてもらおうか。ハツ、1本120円だよ」
 「アハハハ……」と、久しぶりに母が笑い出す。


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8/6(土) 
なぜこんなに寝てばかりいられるのだろう……と疑問になるほど眠ってばかりいる母。
 デイサービスから帰宅すると倒れ込むようにベッドに入り、途中何度かトイレに立ち、人参ジュースやポカリスエットを飲むだけで、夕食まで寝ているだけと言ってよい。
 ある日、施設長と電話で話して面食らった。昼寝をしていることが多くなったとはいえ、母が皆さんと一緒に必死でレクリエーションをやろうとしたり、機能訓練に挑戦しようとしているのだという。
 なぜ母が毎日こんなに疲労困憊した顔で、息も絶え絶えになって帰宅してくるのか、謎が解けたようにも思った。
 ほぼしゃべれなくなり、涎を垂れ流し、自力歩行が出来なくなろうとしているこの期に及んでも、まだ残余の命に前向きなのか……。


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8/5(金) 
日々、経験する出来事の原因がどのようなカルマに由来するのか。 
 それを厳密に証明し、特定するのは難しい。
 だが、たとえ憶測の域を出ない解釈だったとしても、いや、事実上そのような因果関係は存在しなかっ
たとしても、今、自分から出力されていくエネルギーが善心所から湧き出ているのであれば、それで十分ではないか。
 さらに言えば、その善業のエネルギーが未来に善き果をもたらさなかったとしても、今、この瞬間、天に向かって愧じるところのない、爽やかな、きれいな心で、堂々と生きていられること以上の報果があるだろうか……。


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8/4(木) 
何も良いことのない、ただ苦しむだけの人生は素晴らしい……と言うこともできる。
 過去に積み重ねてきた不善業の山を、一気に負債返ししているのだから……。


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8月3日(水) 
体の向きを替えてやっても、寝姿の襟元を整えてあげても、しゃべれない口でいまだに「ありがとう」と言う母。
 しかし、こと排泄の世話や便の処理に関してだけは、一度たりとも礼を述べたことがない。
 意図的とも思えないが、なぜ母が……と不思議になる。
 だが、感謝の気持ちを捧げられれば、報酬系の楽受を受けてしまうだろう。
 より効果的な不善業の消し方を目指すには、一切の楽受を受けずに黙々とドゥッカ(苦)に耐え忍ぶのがよい……。


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8/2(火) 
さあ、いつでも来い、と万全の態勢が整っているときに、難しい排泄の処理などまず起きない。
 どうしても手が離せない時を狙ったような、よくぞという絶妙のタイミングで大便の処理をしなければならない。
 苦受を受けなければ不善業の解消にはならないのだから、困らせられ嫌悪を覚えさせられることに意味があるのだ。
 完成した食事をさあ食べようと鍋の蓋を開けた瞬間にトイレ介助を求められる。サッパリと一日の汚れを洗い落とした風呂上りに、母が起き出し大便が始まる。
 出かける準備がすべて整い、余裕で待っていたデイサービスの迎えが来た瞬間、便意を訴える。慌ててトイレに直行したが間に合わず、リハビリパンツの中に大量の緩い便がまき散らされ、肌着も便座も床も便で汚れてしまう。迎えを待たせた状態で、最も手のかかる処理をしなければならない。
 ビニール袋で3重4重に包んでも、真夏に週2日のゴミ収集では汚物の山から悪臭が漏れ出してくる……。
 受け取った苦の分量が多ければ、それだけ重い不善業が現象化して消えたであろうという原則。 


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8/1(月) 
デイサービスやショートステイに出かける母の服装を決め、靴下を選び、着替えの肌着などを用意するのも大変だが、最も苛酷なのはやはり排泄の世話だろうか。
 便を固めにする薬が効を奏し、母の排便の基本回数は減少したが、「もう出ない。終わった」と言いながら執拗に排便が続くので、結果的には便の処理が膨大な回数になっていく。
 もう出ないと便座から立ち上がろうする母のお尻を拭き、ウオッシュレットで洗浄し、もう一度拭くと新たに便が出てくる。
 存分に出すだけ出して、と伝えるのだが、すぐに「もう出ない。終わった」と言い、お尻を拭いて洗浄し、もう一度拭くと、また新たに便が出てくる……。
 これが延々と繰り返され、二人ともヘトヘトに疲れ果ててくる。
 温厚な母が焦れてヒステリックに叫び、便座に座ったまま私を蹴ったこともあった。
 この駄々っ子のようなトイレには困り果ててしまうが、尾籠なことで苦受を受けなければならない私のカルマなのだから致し方ない……。


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7/31(日) 
どんな動物も、必ず赤ちゃんを守り育てるが、死んでいく仲間に対しては実に冷ややかである。
 病んだものも怪我をしたものも老衰したものも、自然界では自立できなくなったものは確実に死んでいく。
 弱者を救う福祉のシステムらしきものがあるのは、ハイエナや象などごく一部の哺乳類に限られる。
 集団を作り仲間と助け合いながら高度な社会性を発達させてきた人類にとって、弱者や老人をいたわるのは自然だが、教育や躾によって刷り込まないと、福祉も孝養もエゴの本能に圧倒されてしまうのが常である。
 群れ全体の生存率を高めようとするプログラムと自己保存を最優先するエゴイズムが拮抗し、どう折り合いをつけていくかが人生である。
 慈悲の心が完成していく可能性は遺伝的に組み込まれているが、そのスイッチをONにし、修行によって体得しなければ花開くこともない……


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7/30(土) 幸福が極められた瞬間、変滅していく事象、崩れていく幻想……。
 動的変化を繰り返す現実、静止する概念世界。
 法と概念のギャップが生み出す「無常」という名のドゥッカ(苦)、永遠の不満足性……。


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7/29(金) 住み慣れた自宅で、念願だった息子に看取られ、母なりに思い残すことのない人生の幕の引き方ができたのではないか。
 その望み通りの「幸福」な終末期を実際に手に入れた果てには、生きていることのどうしようもない苦しさと虚しさが続いていくのだと、母は痛
感しているのだろうか……。
 もしそうであるならば、さらに生まれ変わった来世に、何を求め、何を望むのか……。


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7/28(木) 
植物人間のようにただ生きているだけの状態も、胃に穴を開け栄養物を直接注入する「胃ろう」もゴメンだと明言してきた母だが、さらに死期が
迫ったギリギリの土壇場になってみないと本音の本心はわからない。
 比較的発音の良かったある日、同じ質問をして母の真意を確かめてみた。
 意外なことに、母はキッパリと「胃ろう」を拒み、のみならず経管の栄養摂取もやりたくないと明言した。
 さすがに、生きているのが辛くなってきたのだろうか……。

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7/27(水) 
ただ死ぬのを待っている老人も、恋人と逢うのに電車を待っている若者も、二度と帰らぬ、かけがえのない、そして、くだらない、無意味な人生の局面をそれぞれに生きている……。
 誰もが死のゴールに向かって懸命に生き、日々、刻々、死んでいくことが、生きることなのだ……。


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7/26(火) 
涎を垂れ流し、ほとんど話すことができなくなり、動物のように何度も必死に母が叫ぶのをやっと聞き取ると、タオルケットで足をくるんでと言っているだけだったことがあった。
 食べるのも寝るのも寝返りを打つのも、排泄も移動も歯磨きも洗顔も着替えも入浴も……、すべてのことに人の介助がなければ生存を維持することもできなくなった母にとって、生き甲斐とは何だろう。
 人間らしく、尊厳を失わずに残された命を生き、立派に死んでいくことしかないではないか。
 もう誰とも意思疎通ができなくなろうとしている絶望的情況で、かろうじて誰かと心が通じ合い、コミュニケーションができるというのは、どれほど大きな救いになっていることだろう。
 福助というヴァーチャルな人格が最後の砦となって、母の人間としての尊厳を保っているか……。


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7/25(月) 
「お母さん、生きていて楽しいことは、なあに?」
 と福助が訊く。
 しばらく沈黙が続いたが、蚊の鳴くような声で母が答えた。 
 「福助の顔を見ること……」
 息子は淡々と介護をしているだけだが、福助は毎日「お母さんのこと大好きだよ」「福助、お母さんのた
めにお祈りしてるの……」と優しい言葉を言い続けている。 
 人形だった福助が、今や母にとっては息子以上に重要な家族となり、生き甲斐にまでなったようだ。

 福助→
 
  
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7/24(日) 
「こんにちわ」と、明るく元気に母の面前に現れた福助が、声のトーンを変え、
 「お母さん……」
 と呼びかける。
 優しい響きと微かな甘えと無心に何かを依頼する子供の雰囲気が込められ、思わず答えずにはいられなくなるような絶妙の間が続く。
 「なあに」と母が答える。
 「お母さん……、福助と遊んで」
 「いいよ」
 「何やって遊ぶの?」
 すると母は、さあ、困ったなという顔で笑みを見せる。
 「お母さん、じゃんけんしよう、って言わないでね。……だって福助、手がこんなだから、グーしか出せないの。お母さんがチョキを出してくれ
れば勝てるけど、パーを出されたら福助、負けちゃうでしょう」
 あははは……と母が楽しそうに笑い出す。 


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7/23(土) 
「こんにちわ、福助です」
 と福助が挨拶をしても、母が無言でいることが多くなってきた。
 「お母さん、どうしてお返事してくれないの?」
 声が出ないのか、しゃべるのがしんどいのか、唇は動くがやはり黙っている。
 母になんとしてもしゃべらせようと思う。
 「お母さん……、福助が小さい子供だと思って、バカにしないでね」
 すると、母はレロレロの声を振りしぼるように何か言おうとしている。
 何度も聞きなおすと、必死に「バカにしてないよ」と言っている。
 日によって体調が一進一退なのと同様、ほとんど発音が理解できない日もあれば、なんとか会話が成立するときもある。


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7/22(金) 
意味のない人生と心得るがゆえに、捨(ウペッカー)の心が定立し、慈悲が発露する……。

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7/21(木) 
死ぬのを待っている老人の一日が虚しいなら、人生の始まるのを待っている乳飲み子の一日も虚しいだろう。 初めてのキスに切ないトキメキを覚えた日も、燃え尽きるように仕事に没頭していた時代も、沈黙と静けさの中で透明に澄みきっていく瞑想も、成功の瞬間も失意のどん底も、ただそれだけのことであって、過ぎ去ってしまえば、夢のようではないか……。
 意味のない人生だから、全てを等価に観て、淡々としている。
 何をしようと、しょせん同じことやから、自分に与えられた人生をありのままに受け取っていけばよいのだ。   ……介護にすべての時間を捧げてよいではないか……。


  
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7/20(水) 
死の迫った人の人生は虚しく、そんな老残の人を支えて、便の付着したシーツを洗濯し書類に目を通して病院や役所や銀行を駈けまわり買物をして帰ってくる介護の日々はさらに無意味なのだろうか……。
 死に向かって老衰していく母とは反対に、日々成長を遂げていく赤ちゃんの人生なら輝かしい価値があるのか。
 涎を垂れ流しうんちやオシッコでオムツを汚し、バブバブ訳のわからないことを呟きながらミルクを飲んで寝てばかりではないか。
 そっくりなのに、なぜ残された時間の長いか短いかで、その日その瞬間に生きている意味と値打ちが一変してしまうのだろうか……。


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7/19(火) 
東京と大阪の仕事が終って帰宅すると、意外な報告を受けた。 
 母がショートステイをしている間、ペースト状のミキサー食をすべて完食できたというのだ。
 経腸栄養剤やヨーグルト、ジュース、カロリーメイトなど特別食を持参したが不要だったという。
 心なしか体力が回復したかのようにも見えたが、以来、一進一退を繰り返している。
 お互いにヘトヘトになりながら膨大な時間とエネルギーを排泄とその介助に費やし、母の食事を作り、食べさせ、認知症と感染症を阻止するために念入りに歯を磨き、目薬を差して寝かしつけてから、自分の食事を作り、食べ、生ゴミを庭に埋める……。
 ただ死んでいくために残された時間を懸命に生きている母と、その母を介護するだけのために生きている息子の、ほぼ無意味な日々だが、それ以外にどんな人生があるのだろう……。

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7/18(月) 
仏教の知識が増え、豊富なイメージと言葉によってのめり込んでいく信仰の世界が悪いと言うのではない。
 そこからスタートしていくのも清浄道の歩み方である。 
 信が定まれば、いつか概念の飛び交う世界に嫌気がさし、自覚しにくい本音の世界をありのままに洞察する瞑想に着手できる日も来るだろう……。


 
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7/17(日) 
棄てられた紙くずのような言葉と消えていく泡抹のようなイメージで、まことしやかに描き出されていく世界に君臨しているエゴ……。
 そんな表面意識の言葉で唱えられる慈悲の瞑想。
 自覚に上りづらい本音の世界が根底から変わっていかなければ、心の清浄道は果てしなく遠い。


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7/16(土) 
言葉のしゃべれない動物や小さな子供との間に築かれる信頼や絆は、脳の深い階層の意識でしかつながることができない。
 人や動物や多種多様な生物の差異を超えて、本心の世界の、本音の想いが命から命へと響いて伝わっていく……。
 怒りも敵意も愛も敬意も蔑みも……。


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7/15(金) 
ある日、死亡診断書や末期の処置についてケアマネと話し込み、電話を切って母の枕元に行くと、眼を開いていた。
 「お母さん、買物に行ってくるから」と伝えた。
 すると、レロレロ愚図っているので何度も訊き直すと、行かないで、ここにいてくれ、と言っている。
 そんなことはこれまでに、ただの一度も言ったことがなかった。
 「買物に行かないと、食べるものがないでしょう。……心配しないで。どんなに長くても2時間以内には帰るから」
 「ダメ。1時間」
 という言い方に、必死で抗議している子供のような可愛らしさがあった。
 母の死後について考えている私の意識は、母の存在を否定するどころか存在そのものがこの世から消え去った後の事実に集中していた。
 それを本能的に感じた母は、「存在を否定しないで」「自分のそばから離れないで」と、見捨てられてしまったかのような不安感に襲われていたのだろう……。


  
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7/14(木) 
母の葬儀に関して、家族と真剣に相談していた時のことだった。
 ベッドでいびきをかいて寝ていた母がいつの間にかフローリングの部屋にいて、不安というより恐怖に近い面持ちで椅子に座っていた。
 「お母さん! どうしたの? なんでそんな顔してるの?」と訊くと、「わかんない……」と答えた。
 自覚には上らなくても、母の深層意識にはすべてが聞こえていて直感していたにちがいない。
 また別のある時、涎を垂れ流し話すこともままならなくなり、食べる・寝る・排泄する以外には意味の
あることも有用なことも何もできなくなった母のいかんともしがたい現状を思い、感慨を覚えていた……。
 するとトイレに行ったばかりの母がまた起きると言い出し、取り込まれた洗濯物をたたもうとし始めた。
結局、タオル1枚たためずにベッドに戻ったのだが……。


  
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7/13(水) 
母に残された時間は、もう長くはないだろう。 
 余命いくばくもないからこそ、安全の保証と延命の可能性が高い病院よりも、親しかった人や熟知した人の顔が毎日見られ、愛する家族と一緒にいられる時間の長いほうが良いのではないかと考える。
 いずれ必ず死ななければならない命なのだ。
 たとえ死期が早まろうとも、良い人生だったと心から言える最期を迎えるほうが望ましい。
 私が倒れれば全てが破綻するとケアマネから再三忠告されているので、初志貫徹するために無謀なことをするつもりはない。
 母の意向には添い遂げたいが、どのような末期になるかは母のカルマが決めることであり、いかんともしがたい力で呈示されてくる流れに従いきっていくだけである……。


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7/12(火) 
「食べられるうちは、大丈夫ですよ」と主治医に言われていたが、日増しに母の咳きこみが多くなり、摂取できるものが失われていく。
 ペースト状にした昼食が飲み込めず、豆腐とヨーグルトしか食べられなかった、とデイサービスからの報告を受け、ラコール(経腸栄養剤)を持参させることにした。
 自宅では、胡麻豆腐、人参ジュース、粉状のカロリーメイトを混ぜ込んだヨーグルト、酒粕の味噌汁、玉子プリン、ゼリー、ラコールなどを摂取しているが、薬やサプリメントを嚥下するのがしだいに困難になっていく。
 誤嚥が起きれば命取りになるので入院を考えてはどうかとも示唆されたが、やはり訪問看護を利用して在宅のターミナルケアで頑張ろうと思う。


  
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7/11(月) 
いかんともしがたい力で身体が老衰していくのだから、脳細胞の老化や劣化も避けられず、ダメージを受けた部位の荷っていた精神機能が失われていくのも無理からぬことだ。
 それでも、明晰な智慧が出現する一瞬に人生を懸けてきた者には、記憶が失われ認知が乱れていく病は受け容れやすいものではなかった。
 何とか母の病状の進行を食い止めようと必死だった。
 母から忌むべき認知症を除去しようという発想は、母と病気を切り離して考え、病んでいる母をありのままに受け止めているとは言いがたい。
 健康な自分は愛されるが、病気になった自分は否定される……のでは誰だってたまらないだろう。
 母の認知症を治すことを諦め、これがあるがままの母なのだから、このままで良いではないか……と、母の存在を丸ごと受け容れることができた時から、母の認知症は好転し始めたようにも感じられる。
 現状の承認から、真の一歩が始まっていくセオリー……。


  
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7/10(日) 
ものの見事にたった今のことを忘れてしまうのに、なぜ大事なことは母の記憶にきちんと収められていくのだろうか。
  「お母さん、明日から***にお泊まりなんだって」
  ベッドの母の顔の上に、ちょこんと福助が現れて、首を振りながら語りかける。
  「ひでお兄ちゃんが東京でお仕事なので、明日と明後日、お母さんの面倒を見る人がいないの。だからショートステイして、その次の日にひでお兄ちゃんが
帰ってくる時間にお母さんもここへ帰ってくるんだって。……わかった? 福助はそこの鏡台で(クルリと顔を向けて)お留守番してるからね」
  こんな風に1度か2度伝えられるだけで、母はちゃんと理解し心に留めることができている。最初はパニックを起こした施設だったが、何の混乱もなく静かに過ごして帰宅してくるようになった。
  自分の生存に直結するような出来事は、シナプスが脳の別領域にまで配線を延ばすのだろうか……。


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7/9(土) 
母の老衰は日増しに進行していくが、認知症の度合いが改善していく傾向は変わらず、短期記憶の悪さを除けば、母の認知症は治ったと言ってもよいのではないかと感じている。
 現在の情況を把握する力も、伝えられたことを理解する能力も、判断力も、好き嫌いも、何かを我慢することも、配慮も、感情も……すべて普通なので、母が認知症だったことを忘れていることが多い。
 ほとんどしゃべれなくなってきているのでコミュニケーションが難しくなってはきているが、人間としての付き合い方は昔と何も変わらない。
 薬の効果もあるだろう。アリセプト、葉酸、ビタミンBコンプレックス、八味地黄丸、EPA、DHA……など、良いと言われるものは摂取するように心がけてきた。
 だが、決定的な要因は、孤独地獄から脱け出て、情緒的に安らいだ日々が訪れたからだろう。
 宿願だった息子と一緒に暮らして1年余、人形だが新しい家族となった福助も含めて、人間らしい心のやり取りが母の脳のネットワークに何ごとかをもたらしたのではないか……。


  
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7/8(金) すぐに改めることができるし簡単に変われる部分もあるが、人の心はなかなか変わらないものだ。
 性懲りもなく同じことを繰り返すし、ハマっていた思想や宗教を捨てれば、アッという間に元の木阿弥になってしまう。
 だが、絶望することはない。
 たとえ今世では無理であっても、永遠に同じ状態を保ち続けるものなど何ひとつとしてないのだ。 
 必ず変われるし浄らかになっていけると信じて、断じて諦めることなく清浄道を歩んでいけば、いつか決意の成就する日が訪れる。
 仏も、かつては凡夫だった……。


  
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7/7(木) <わたくしは、出離の楽しみを得た。それは凡夫の味わい得ないものである。それは戒律や誓いだけによっても、また博学によっても、また瞑想を体現しても、またひとり離れて臥すことによっても、得られないものである。修行僧よ。汚れが消え失せない限りは、油断するな。>【「ダンマパダ(真理のことば)19−271、272」岩波文庫】

  
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7/6(水) たとえ微細なものであっても嫌悪が意識されなければ、無意識の所作などに丁寧さが欠けていることに気づきづらいだろう。
 排泄の処理をしている間、母は常に無言で、読み取れる表情はほとんどない。
 不甲斐なさや喪失感や迷惑をかけているという自己嫌悪など諸々の想いがこもごもなのだろうが、私からネガティブな波動を感じ取っていたことはなかっただろうか。
 ベッドにもどり横たわった母の面前に「こんにちわ」と福助が現れた瞬間、無表情だった母の顔がパーッと薔薇色に輝いて笑みをたたえ始めるのにも例外がない。まごうかたなき明るい喜びの表情がある。
 そのビフォー・アフターの落差が歴然であるがゆえに、どんな想いで母はトイレに座っていたのか……と考える。


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7/5(火) 
母の排泄の処理が終われば必ずハンドソープで手を洗い、スプレー消毒を心がけてきたが、何度結膜炎を患ったかわからない。除菌しきれていなかったのだろう。
 長らく排泄の介助を素手で行なってきたが、衛生面からもやはり使い捨て手袋を使用することにした。
 すると自分でも驚くほど心が軽やかで、嫌悪の前段階すら微塵も立ち上がっていないように思われた。
 見た瞬間、触れた瞬間、臭った瞬間の苦受は生じても、嫌悪が出ないように心がけてきた。 
 しかしたとえ嫌悪がないと感じても、それはしょせん40ビットの世界で、本当は1100万ビットの無意識のプロセスに嫌悪のファクターが生まれ、姿を取りつつあったのではないか。
 手袋の存在によって、不浄なものが一切シャットアウトされていることにルンルン気分が生じていた心の背景を想った……。

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7/4(月) 
ネガティブな反応を一時的に止めているだけではないか……。
 後続を切断するサティの瞑想だけでは、そんな疑いが残ってしまう。
 だが、反応系の心が心底から納得して受け容れたことには、そもそも嫌悪や怒りが立ち上がらなくなるのだ。
 それが清浄道の瞑想を深めていく道だと繰り返し言ってきたが、なかなか一筋縄ではいかないようだ。
 無意識の心が処理する情報量が1100万ビットなら、意識される情報量は40ビットに過ぎない、と言う科学者もいる。
 反射的に情報処理されていくやり方も、反応系の心が自動的に形成されていくプロセスも、本当に変わったか否かの検証を止めることはできない……。


  
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7/3(日) 
こんな生活やっていられない、と運命に逆らいたくなったかもしれない。
 もし、人生の無意味さが腹に落ちていなければ……。 全てを法に委ねきっていなければ……。
 起こるべくして起きる一切の事象を、ことごとく受け容れていく覚悟が定まっていなければ……。

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7/2(土) 
ただ生きていくだけで、日が暮れていく……。
 母と私の生存を維持していくための生活雑事に、厖大なエネルギーが費消されていく。
 かろうじて死守している朝の瞑想を解いて立ち上がれば、戦場を駈け抜けていく兵士のように、母を起こしてトイレや洗面、着替え、化粧をさせ、食事を作り、食べさせ、念入りに歯を磨いてあげ、ベッドに寝せる。後片づけをして皿を洗い、ゴミを出し、もう一度あるいは二度トイレを介助し、福助と遊ばせ、お出かけの服やズボンを選ぶ。タオルやオムツ、着替えの下着、痛み止めの膏薬などの持ち物を用意し、母の身支度を整えてデイサービスに送り出す。
 寝具を干さなければならない。洗濯も郵便局もスーパーの買物もケアマネとの打ち合わせもしなければならない。母が帰宅すれば、一連の介助が流れるように続いていく……。


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7/1(金) 
母が寝たきりに近づいていくことよりも、母の言おうとしていることが半分も理解できなくなってしまったことのほうが悲しく思われる。
 生存するための単純なな要求も、何度も訊き直さなくてはならなくなった。
 食卓では指差しなどのジェスチャーが増え、言葉ではなくただ声を上げて私を呼び、話しかけても返事が返ってこないことも多くなった。
 ある朝、靴を履くために玄関に用意した椅子に座り、デイサービスのお迎えが来るのを待っていた。
 寂しげな口調で母がポツリと呟いたので何度も訊き直すと、「こんなにしゃべれないで、(デイサービスに行っても)だいじょうぶかな……」と言っていた。
 まだ慣れない幼稚園に行くのが不安な童女のように母が見え、胸が詰まった。
 幸いなことに、通い始めて3年目になるセンターの職員はみな母の人柄を熟知しており、母の現状を優しく受け止めてくれている。
 老いて絶対的な弱者になった時に問われる徳と業……。

  
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6/30(木)
 この、死に向かっていく母の姿は、思えば、母自身が選んだものであった。
 長く独居に耐えてきた母だが、昔から「動けなくなったら、看てもらいたい……」と口にし、人生の最期は愛する家族に看取られて逝きたい、と願っていたのだ。
 「動けなくなった状態」や「排泄に人の手を借りるような状態」など、断じて私の願うところではないが、母はそれを長きに渡って想定してきたがゆえに、そのイメージどおりの結果を得ているように見える。
 たとえ無自覚であっても、そのような「願望」イメージを繰り返してきたのだから、そのチェータナー(意志)が業を形成していくのは当然のことだろう。
 満月の満開の桜の花の下で死にたいと願った西行も、望みに違わぬ死に方だった。
 妻子を捨て流浪の果てに野垂れ死にした山頭火も、常日頃から望んでいた通りの「コロリ往生」だった。
 切に願うことは必ず遂げられる原則であるならば、人は、望んだとおりの死に方ができると心得ておいてよいのではないか……。


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6/29(水) 
転倒から2週間が経過し、さしもの母の痛みも遠のき、「痛い」という言葉は聞かれなくなった。
 だが、多くのものが失われたままになり、自宅では食事と歯磨きとトイレ以外のすべての時間をベッドで過ごし、寝ては醒めをえんえんと繰り返すようになってしまった。
 もはやオセロも読書もテレビもパズルも、スクワットも活舌も、何ひとつしなくなったと言うかできなくなり、介助の度合いはいちだんと増し、あらゆることに90%以上手を貸さなければならなくなった。
 背は曲がり、やせ衰え、ふっくらしていた頬もこけ始め、日一日と食事の摂取量が減少していく……。
 あれほど好きだった玄米よりも必ずパンを選ぶようになり、そのパンもスープや味噌汁に浸しブヨブヨになった一口を食べるのがやっとで、朝夕1枚だった食パンが半分になり3分の1になり、主治医に勧められたラコールなどの経腸栄養剤を併用して飲み始めた。
 手は絶えずプルプルと震え、コップを持つことも一匙の汁を飲むのも自分一人では無理になり、支え持ってあげたジュースやラコールをストローで飲めるのもいつまで続くのか。
 死に向かって、人が老いていくとは、こういうことだ……。


  
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6/28(火) 
何が起きようとも、人生はそれで良いのだ。
 どのような事態になろうとも、それを受け入れ、肯定するのは、最初から決まっている。
 好いも悪いも、仕方がないではないか。
 しょせん無意味な人生であり、現象の世界は、泡沫のごとく陽炎のごとく虚妄なのだよ、とブッダは言う……。


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6/27(月) 
お母さん、綺麗に死んでいってくださいよ。
 美しくこの世を去っていくことができるように、と母のために日々祈りを捧げている。
 その通りになってくれれば、浄らかな母の死近心を喜び、良い介護ができたことを嬉しく思うだろう。
 もしそうならずに、無様な死に際となり見苦しい醜態をさらすことになれば、それはそれでよいだろう。
 母の最期のメッセージとして、愛する者への執着と生存そのものへの渇愛に痛烈な一撃を残してくれたことに、心から感謝を捧げるだろう……。


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6/26(日) 
必然の力で我が身に起きたことは全て、ことごとく受け容れていく覚悟。
 ダンマを人生の基軸としている限り、いかなるものであろうとも、去りゆくものを追わず来たるものを拒まない受動性に徹し切って、あやまつことはないだろう。
 しょせん宿業が提示してくるものばかりだ。
 何をやっても、やらなくても、それでよい。
 理法に貫かれた判断軸が設定されているかぎり……。


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6/25(土) 
母の最期を看取る予定でいたわけではなかった。
 独居はもう無理となったときに、母が施設に入るのを嫌がり、他に看取る人がいなかったので、ただ流れでそうなっただけである。
 親の介護よりも、ダンマの仕事を優先することもできた。
 思考モードで判断すればエゴ感覚に支配され、瞑想が深まれば、天意に従う感覚となる……。


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6/24(金) 
事実をありのままに受け容れるのが、なぜ難しいのだろう。
 いや、受け容れたくない、と抵抗しているのは誰なのだろう。
 起きてしまった事実なのに、好き嫌いを言い、受け容れるものと拒絶するものを仕分けているのは誰か……。


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6/23(木) 
我が身の置かれている苦しい情況、眼耳鼻舌身意の六門に届いてくるネガティブな事実……。
 本当に納得し、心底から受け容れているだろうか……。

  
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6/22(水) 
反応系の心(行)が立ち上がる前に、いや、「想(知覚)」の心が起動するよりも速く、純度の高いサティを入れることもできる。
 煩悩の反応はまったく起きないが、煩悩の心を完全に抑圧しているだけではないのか、ということ……。


  
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6/21(火) 
サティの瞑想に頼れば、乱れた心を終息させていくことはできる。
 嫌悪などの不善心ドミノがパタパタと倒れ始めた時に、その後続を断ち切るサティの威力は快刀乱麻のようだ。
 だが、サティの瞑想だけでは、煩悩の心そのものが最初から立ち上がってこないようにすることはできない。
 嫌悪を嫌悪と知り、乱れた心を乱れた心と潔く認め、心の現状をただありのままに観察する受動性が、サティの真骨頂である。
 肝心なのは、認識であり判断であり心底からの理解であると心得る。

  
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6/20(月) 
苛酷を極めた父の看取りよりもさらに苛酷になってきた母の介護だが、音を上げるどころか平然と、淡々と、静かにやるべきことができている自分に我ながら感心もする。
 「なかなかいいじゃないか……。その調子」と呟いてみるが、取りあえず瞑想者らしく振る舞えていて良かったと安堵もする……。


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6/19(日) 
福助とのやり取りが母の唯一のオアシスだったが、体を震わせて笑った挙句は「イタ、痛たた……」と痛みに回帰してしまう。
 整形外科でやるべきことはした。痛みを緩和する画期的な新薬も服用している。車の乗り降りで移動すること自体が母には大変な負担なのに、なんの当てもない治療院を探し訪ねる方針も取れない。痛みの意味と因果を理解する説教など聞ける状態ではない。
 腰痛ゆえに長く便座に座わっていられず、用便の半ばで中止しろと言うのでお尻を拭き、ウオッシュレットで洗浄後にまた拭いてパンツやズボンを上げ手を引いてベッドにもどる。まだ廊下を歩いているうちに再び便意に促されてトイレにUターンし、また排便をやり直す。……一日に何度も何度も大便に汚れた母のお尻を拭かなければならない。風呂に入れないので母の体が次第に臭おうようになり、スープもパンもほぼ全面的に食べさせての食事時には駄々っ子のように「横になりたい」と言う。いや、さすがの母の配慮も、痛みに駆逐されてしまうらしい。……こうして母と二人きりで毎日家に閉じこもり、濃密な時間が煮詰まっていく……。


  
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6/18(土) 「お母さん、晩ご飯、何食べたの?」と福助が訊く。
 歯磨きとトイレを済ませてベッドに入る頃にはすっかり忘れているので、「揚げ物、食べた? カの付いた」などとヒントを出す。
 「カキフライ? 何個食べたの?……2個?……美味しかった?……ふうん。……福助のカキフライとヨーグルトは?」
 母はアハハ……と笑い、「ごめんね。明日ね」とすまなそうに言う。
 「え!? 明日? 今夜は福助、食べさせてもらえないの?」
 謝り続ける母に、福助は追い討ちをかける。
 「お母さん、福助ここん家の子供にしてもらったんだよね?」
 「そうだよ」 
 「お母さん、美味しいカキフライをペロッと一人で食べて、かわいい子供の分はないの?」
 母は涙を流しながら笑い転げていた……。


 
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6/17(金) 
その日を境に、母はトイレと食事以外のすべての時間をベッドで過ごすようになった。
 デイサービスに行くどころではなく、痛みと戦いながらただ食べて排泄し、なぜそんなに眠ることができ
るのか不思議な程ひたすら眠ってばかりいた。
 母が転倒して5日目の朝まで、母は目覚めている時間のほとんどを「痛い、痛い」と言いながら、痛みの苦を受け続けるためだけに生きているかのようだった。
 入浴も控えるように言われ、脳トレゲームもオセロも読書もテレビも何もせず、ただ痛みに悶え、苦受を受け続けることによって累積された不善業を消すために生きていた。
 なぜこんなに痛いのか、と訊かれ、「転倒したからだよ。でも、骨折もヒビもないから大丈夫。必ず良くなっていくって……」と説明するが、さすがに苦受の原因となったカルマ論を説くのは忍びなかった。
 そんな母の心を癒し、双方向のコミュニケーションを引き受けていたのは福助だった。


  
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6/16(木) 
老人は何よりも優しい言葉に飢えているし、母も例外ではない。
 だが、いざクサイ言葉を言うとなると、さすがの私も気恥ずかしくて口にはしづらかった。
 ところが、福助を使うと、いくらでも情感たっぷりに「好きだよ」「お祈りしてるよ」と存分に語らせることができる。
 いちばん聞きたい言葉を、素直な直球で優しく言われた瞬間、母の感動脳にどうしようなくスイッチが入っていくらしい。
 以来、母が最も喜ぶ言葉を毎日福助に言わせ、そのつど母は満面の笑顔となり、感涙を浮かべ、たどたどしい発音で「わたしも、大好きだよ」と福助に返答している……。

  
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6/15(水) 
昼寝から目覚めた母は、起き上がる時も、ベッドから立ち上がる時も、歩き始め、便座に座り、再び立ち上がって歩き、ベッドに横になるまで、「痛い、痛い」と叫び続けた。
 仰向けに寝相が定まっても、痛いのですぐに姿勢を変えてくれと頼むことを繰り返した。
 お互いに疲れ果ててきた時に、「こんにちわ」と福助が母の面前に姿を現して挨拶をした。
 その瞬間、苦悶ばかりだった母に笑顔が甦り、「こんにちわ」と答えた。 
 「お母さん、痛いの?……福助ね、お母さんの痛いの治るように一所懸命お祈りするからね。お母さん、早く良くなってね。……福助、お母さんのことが大好きなの……」
 と、福助は単語ごとに首を振り、ゆっくり間を取りながら裏声で語りかけた。
 すると、母は突然、堰を切ったように大声で号泣し始めた。
 何も言わなかったが、諸々の想いと感情を抑えて耐えていたのだと母の胸の内が知られ、肩を震わせて慟哭する母の姿に落涙を禁じ得なかった……。


  
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6/14(火) 
翌日の午前中、母をタクシーに乗せ、整形外科に連れていった。
 待合室のベンチに座っていられず、空いている診察ベッドに横になって順番を待たなければならなかった。
 レントゲンの結果、恐れていた新たな骨折や亀裂はなく、安静にして痛みの退くのを待つしかないとの所見だった。
 医者に診てもらえれば劇的に良くなるのではないか…とお定まりの妄想が母の脳裡にも浮かんでいただろうが、結局、痛みが緩和される手だては得られなかった。
 集中治療の由々しい事態を妄想する必要はなくなったが、いかんともし難いドゥッカ(苦)の現状を受け容れることを余儀なくされた。
 明日は病院に行くからね…と母を励まし続けてきたが、ただ苦痛に耐えよと言うしかないのか……。


  
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6/13(月) 
翌日は日曜日で、あいにく掛かりつけの整形外科は休診だった。
 母は終日床に伏し、横になっていても腰の激痛を訴え続け、起き上がる時、歩き始める時、トイレの便座に座る時、ベッドに横になる時は特に痛みが激しく、そのつど「痛い。痛い」と叫んだ。
 持病の圧迫骨折の痛みがやっと緩和されてきた矢先に、強打の追い撃ちをかけられる最悪の事態になってしまった。
 その責任は当然私にあるのだが、自分を責めて怒り系の不善心所に陥る愚は避けようと思った。
 後悔や自己嫌悪に心のエネルギーを費すのではなく、事態の好転や祈りに全力を注ぐべきと人に説いてきたではないか。
 あまりの痛さに母は「さすって」と哀願し、ロキソニン(痛み止め膏薬)を貼った腰全体にマッサージを繰り返しながら祈り続けた。 
 このいかんともしがたい苦境に、光明を差しかけてくれたのは福助だった……。


  
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6/12(日) 
その夜、とんでもないことが起きてしまった。
 朝日カルチャーの仕事が終り深夜に帰宅すると、母がトイレに起き出してきた。
 介助が終り、手を引いて廊下の天井灯の下まで来た時に、パジャマの思わぬところに便が付着しているのに気づいた。
 その場で母の足元にひざまずき、汚れたパジャマを脱がせ、新しいのを穿かせようと片足を上げさせた瞬間、よく柱につかまっていなかったらしく、母は丸太が倒れていくように真後ろに倒れていった。
 あ!と腕を伸ばして支えようとしたが間に合わず、母は板張りの廊下にドスンと尻もちを突き、壁クロスに後頭部を打ちつけてしまった。
 痛い!と絶叫する母を必死で助け起こしたが、頭部は紙ひとえで柱の角には当たらず、弾力性のあるボードの壁クロスに救われ、外傷も痛みもほとんどなく事
なきを得た。
 しかし、強打した腰に激痛があり、救急車を呼ぼうとしたが、いいと言うので、祈る思いでそのまま寝ませた。
 すぐにスヤスヤと寝入ったが、苦しい日々の幕開けとなった……。 

  
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6/11(土) 
ワット・カボランの若い比丘たちに毎週、アビダルマ講義をしていたタイ人尼さんも懐かしく想い出される。
 左の顔面を大きく斜め下に振り降ろされていった刃物の痕が、浅黒い肌にクッキリと残っているのが印象的だった。
 寺の暮らしに入って、どれほどの歳月が流れていたのだろうか。
 瞑想はしていなかったのか、できなかったのだろうと推察された。
 片言の英語も話さない方だったので、ジェスチャーで何かを報せてくれる程度のコミュニケーションしか取れなかったが、いつ出逢っても必ず、怯えたように顔がひきつり、一瞬の恐怖が心を駈け抜けていくのが見て取れた。
 しょせん在家扱いしかされない尼さんの身でありながら、比丘に対して経典講義をしていたのだから、仏教のダンマはすべて学び終っていたのだろう。
 清浄道論に基づいて、瞑想の理論的解説などもされていたのだろうか。
 抑圧されたトラウマに眼を背けながら、「恐怖」という怒りの煩悩を常に抱えたまま学び尽くされ、極められていった仏教……。

  
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6/10(金) 
タイの僧院で修行していた時、アウシュビッツの死の収容所から逃亡してきたような、いつ出逢っても恐怖に怯えきったように眼を見開いている白人の尼さんがいた。
 心がズタズタに引き裂かれ、立ち上がることも、生きていく気力も何もかも失われ、人間として壊れかかった状態で異国の駆け込み寺に漂着したのだろうか……という妄想が繰り返し浮かんだ。
 泰然自若とした慈父のようなアチャン・ターウィーに巡り合うだけの徳も持ち合わせていたのだろう。
 病根にメスを入れる苦しい根本治療などしなくても、対症療法で傷口が乾くだけでも良いではないか……。


 
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6/9(木) 怖ろしいトラウマも劣等感も、自己中心的で傲慢だった来し方も、思い出したくない不祥事の数々も、ネガティブなものは全て忘却の彼方に押しやって、お慕い申し上げているアチャンやサヤドウの優しい慈悲の波動に包まれ、癒され、慈悲の瞑想にすがりつきながら「浄らかな」日々を生きる……。
 そんな仏教徒も少なくない……。


  
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6/8(水)
 ドゥッカ(苦)が、智慧の扉を押し開く……。
 そう言い聞かせて、苦しい人生を受け容れていく……。


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6/7(火) 幸福が一切皆苦の現実をおおい隠し、悲惨な苦しみが究極の解放へと導くのであれば、因果法則に貫かれたただの幸福と不幸があっただけなのだと心得る……。
 苦楽にこだわらず、現象世界の一切を等価に眺める捨(ウッペカー)の精神が成長するとき、サティも慈悲の瞑想も深まっていく……。


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6/6(月)
 幸せになりたい一心から必死でクーサラに励み、その積み重ねた徳の力で楽受の日々に恵まれ、さらに安楽な来世に輪廻できることを切望しながら往生していく翁や媼がいる……。
 苦悩に満ちた人生を生きてきた上に、さらに悲しくも苦しい死を迎える孤老もいるだろう。 
 だが、もし、すべては自ら蒔いた種を自らの手で刈り取ってきたに過ぎないと理解することができ、苦の現状(苦諦)と苦の原因の真理を心に焼き付けながら苦しい生涯に終止符を打つことができたなら、実りある豊かなドゥッカ(苦)と言えないだろうか……。


  
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6/5(日) 
信頼できる家族に看取られながら、母は、住み慣れた我が家の畳の上で死んでいけるだろうと思われる。
 望んだとおりの安らかな死を迎えることができたとしても、果たして母は最期に何を学び、どのような死近心を来世につないでいくのだろうか……。
 明るい清潔な施設で、職員の訓練された優しさとケアを購入し、家族の絆にはほど遠いが、同じ境遇で最期を迎えることになった同居者たちと、孤独と諦観と寂寥を分かち合いながら、時に長過ぎた人生の来し方を振り返り、死んでいくのを待っている老人達……。
 母は幸福で、施設の老人たちは幸福ではないのだろうか?


  
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6/4(土) 
いくつもの施設を見学した中から、建物も個室もきれいで、職員の態度もセンター全体の雰囲気も明るい最良の施設を選び抜いて決めた。
 利用者の老人たちは、午前も午後も、リハビリの女性インストラクターと全員で体操をしたり、「青巻紙赤巻紙黄巻紙」などの早口言葉や活舌をしたり、モニターの大画面で老人向けビデオを観たりしていた。
 夕方5時になると、用意されたプログラムはすべて終了し、老人たちは大きなテーブルを囲んで椅子に腰掛け、何をすることもなく、何も話さず、ただシーンとした静寂を無言で共有していた。
 テーブルの上には箱ティッシュなどの備品があるだけで、個人の物は何もなく、ただ両手をテーブルに置いて何も話さず何もせず、時間が止まったように、全員がバラバラの孤独の中に閉じ籠っていた。
 何だ、この静寂は……と呟きたくなるような、身の細るような、荒涼とした印象に圧倒された。
 瞑想者集団の、充実した富裕な沈黙があろう筈はない。家族のような絆が結ばれている集団でもなく、同じ理念や目的を共有している組織や共同体でもなく、
それぞれのエゴの殻の中でエネルギッシュに妄想している波動も響いてこない。 
 夕食までの1時間、枯れ果てた孤独な精神が寄り集まって石と化したようなテーブルの片隅で、母の涎を拭きながら黙ってオセロをやり続けていた……。


  
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6/3(金) 
不在にする時は、在宅介護のホームヘルパー利用でここまで乗り切ってきたが、食材を準備したり細かな指示をしなければならないのが負担になってきた。
 母に何度も丁寧に説明を繰り返し、仕事で留守にする際には1泊ないし2泊のショートステイを利用することに切り換えていくことにした。
 施設に入れられてしまうと母が誤解しないように、終日付き添って1泊2日の練習をした。
 10数人の老人に混じって、母の涎を拭きながらオセロをし、食事を食べさせ歯を磨いてあげ、昼寝に入るといったん帰宅して自分の食事を済ませ、またオセロと夕食とトイレの介助をしながら母が就寝するまで一緒にいた。
 夕方、80代の老翁が話しかけてきた。
 現役時代の名刺を何枚か取り出し、市議会議員や経営していた会社の会長職にいたことを明かした。
 問わず語りに身の上話を述べ、母を介護する私の姿に感動した、と涙を浮かべていた。
 何日滞在している方なのか、社会人として立派な生涯を送ってきたのだろうが、家族の愛に渇いた寂寥感と諦観の悲哀が全身から漂っていた……。


  
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6/2(木) 
夕方、スーパーへ買い物に出た帰り道、携帯の使い方のおさらいにと母に電話した。
 コタツで横になって待っている母の枕元に携帯を設置してきたのだ。
 コールが切れてしまい、取れなかったようだ。
 2度目は受信した瞬間にプツリと切れた。まちがって電源キーを押してしまったらしい。
 3度目も4度目もやはり受信直後に切れ、5度目は受信されないままコール切れになった。
 帰宅すると、母がコタツの定位置から身を乗り出したまま腹ばいになり「お、お、起こして……!」と呻
くように叫んでいる声が聞こえた。正しい手順を踏まないかぎり、母が自力で起き上がることは無理になっている。
 パニック状態で意味不明の言葉を叫ぶ母をあわてて抱き起こすと、立ち上がれた瞬間、母は一声「ありがとう」と言った。
 胸を打たれ、思わず顔を眺めてしまった。
 怒鳴ったり混乱したりただ自分のことで精一杯になってしまうのが普通であろうこの情況で、母は礼を述べたのだ……。
 動けなくなった老境を想定しながら、日々の日常を生きている人はいないだろう。
 最良の介護が自然に受けられるように、今から「ありがとう」を連発し、些細なことにも感謝を捧げる脳回路を作っておいてはどうか……。


  
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6/1(水) 
認知症のリハビリとしてドールセラピー(人形療法)が知られるが、想像力を働かせ、自分から過去の思い出に入っていく気力や、赤ちゃん人形の世話をしようという意欲がないと、効果が薄らぐのではないだろうか。
 しかるに腹話術の人形セラピーは、一人称の想いの世界から、二人称の双方向性コミュニケーションへと発展させることができるだろう。
 老いの苦に直面しマイナス思考に陥りがちなお年寄りを笑わせ、明るい楽しい想念世界へと誘導することができれば、最良の死を迎えるための一助になるのではないか。
 昔から内容空疎な綺語(無意味な戯言)を嫌ってきた私は、シリアスな重い話題に傾きがちであったが、福助が母の心と深く結ばれていくのを目の当たりにして、意味と論理を軸に知的に理解し合う世界から、稚拙なやり取りであっても情緒的に深くつながっていく重要さに眼を開かれた。
 ありがとう、福助……。


  
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5/31(火) 
「こんにちわ」と福助が現れ、「こんにちわ」とにっこり微笑みながら母が答える。
 「お母さん、ぼくの名前は?」と福助が訊ねる。
 「ふ、ふ、ふく、福、福太郎…」と母が答える。
 「ええっ!?……ぼく、福太郎じゃないよ」と福助が黄色い声で騒ぎ立てる。 
 「……えーと、耳太郎……」
 「耳太郎でもないよ」
 困った母は「……大きい耳だね」などと話を逸らそうとする。
 「お母さん、ぼく、ここん家の子供にしてもらったんだよね?」
 「そうだよ」
 「それなのに、お母さん、子供の名前、忘れちゃうの?」
 これはエライこっちゃ…という顔になって、母は必死で思い出そうとしている。
 「お母さん、ぼく、耳助でもないからね……」と福助が助け舟を出す。
 「ふく……ふくすけ。福助」と、母はやっと思い出し、ヤレヤレといった表情になる。
 10回に1回ぐらいの割合で母は福助の名前を度忘れするが、こんな福助との他愛もない会話が、一人称の世界に幽閉されようとしている認知症の母を救い出している……。


  
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5/30(月) 
笑い疲れて、やっと笑いが終息した母の眼じりに滲んでいた涙を拭くと、満ち足りた母の顔がこの上なく安らいでいた……。
 翌日、福助がまた同じバナナ物語をすると、母の爆笑の度合いはいささかも衰えていなかった。
 だが「……みたいの出したって、本当?」と福助が訊ねたときの母の返事は異なり、笑いながら「それは、本当、かもしれない…」と肯定した。
 母は昨日の大笑いの後、記憶をたどり直して修正したのだろうか。それとも、事実の認識は一貫していたのだが、昨日は恥ずかしかったので女学生の頃のように反射的に嘘をついたのだろうか。
 とっさの言い訳だったとしても、母の羞恥心が正常に機能していたのは確かだ。
 「本当?」と訊かれて意図的に嘘をついたなら、羞恥心プラス先日のトイレの出来事を記憶していたことになるだろう。
 それとも、昨日福助に嘘をついてしまったことを恥じ、今日は真実を語ろうと思ったのだろうか。
 まともにしゃべれない母とのコミュニケーションを諦めかかっていたが、福助を通して浮かび上がってくる母の心……。


  
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5/29(日) 
発話がかなり困難になってきた母とは、意味のやり取りをする会話ではなく、情緒的に心が通じ合うコミュニケーションを目指すしかない。
 死近心を最良のものにするためにも、日々、笑いや喜び、感謝、充足などの心所を立ち上がらせたい。
 「こんにちわ。福助です」と母の面前に福助が登場する。
 排泄や涎など不本意なことが多ければ、いきおい母の表情は固くなりがちだが、大好きな福助の顔を見たとたんに明るく輝き、「こんにちわ」と答える。
 「お母さん、ひでお兄ちゃんから聞いたんだけどね、こないだお母さん、トイレでバナナみたいなの出したって、本当?」
 母は思わず吹き出して、笑いながらレロレロの声で
「…嘘だよ。そんなの、してない…」と答えた。
 「本当? ひでお兄ちゃんの話だと、トイレでバナナを出したことをお母さんにお話していると、またトイレに行きたくなって、お母さん、もう1本、出したんだって。……2本もだよ」
 母は身をよじって笑い転げ、いまだにこのとき以上の大笑いはない。


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5/28(土) 
どれほどかけがえのない人と一緒にいても、最高の物や情況に恵まれていても、当初の感動や感謝が同一の状態で保たれるわけもなく、すべてが当たり前になっていく……。
 当たり前は刺激の乏しさを意味し、快感ホルモンの分泌が止まれば不満とマイナス要因に眼が向くのも自然なことで、もっと楽しいこと、ワクワクするおもしろいことはないか…と妄想が膨らんでいく……。
 無常に変滅する万物の不安定性と不完全性を、「ドゥッカ(苦)」と定義する。


  
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5/27(金) 
どんな素晴らしい人も、健康も、幸福も…失った時にしか痛切に意識されない……。

  
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5/26(木) 
翌日、コタツで横になってる母に同じ質問をした。
 「お母さん、今、生きていて楽しいことは、何?」
 すると母は、「食べること」と即答した。
 ほお、記憶に入っていたんだ、と感心する。
 「他にはないの? 生きていて楽しいことは……」
 「一緒にいること」
 「誰と?」
 すると母は、黙って私を指差した……。
 何もできず、今や、ただ食べて排泄しているだけに近い母の残余の生涯だが、しょせん、意味のない人生である。
 愛する人や大事な人とただ一緒にいて、何をするでもなく、日々平穏に生きていられれば、それ以上に幸福というものがある訳でもないのが「生きる」ことだ……。


  
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5/25(水) 
福助が来るまでは、骨粗鬆症の末期にともなう肋間や背中の痛みがひどく、起きていても横になっていても辛そうに痛みを訴えていた母。
 画期的な新薬を処方していただいているのだが、徐々に効果が現れる特徴ゆえに、母にとっては痛みがなかなか消失しないという印象だった。
 痛いので何度も寝返りを打たせてくれと頼む母に、訊ねた。
 「お母さん、今、生きていて楽しいことは、何?」
 「……楽しいことなんか、ないよ」
 と母は寂しそうに、諦めたように言った。
 「何もないの?……食べることは?」
 すると母は、あ、それがあったか……という顔で苦笑いをした。
 これは、なぜあなたは存在しているのか…という根源的な問いかけを母に投げかけたのかもしれない……。


  
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5/24(火) 
寝返りも日増しに困難になってきた母を寝かしつけながら、福助が夜ごと母の就眠前儀式に現れる。
 腹話術も我ながらしだいに上達し、お辞儀の仕方や首の振り方、上目づかいに伏し目、すり寄ったり、拗ねてイヤイヤをしたり、体を揺すって笑ったり……と芸が細かくなってきた。
 「こんばんわ……。福助です」
 「こんばんわ」
 母の顔が、60年前の若い母親だった頃の写真に似て華やぎ、嬉しくてたまらない趣きとなる。
 「お母さん、福助のこと、可愛がってネ……」
 と、ちょっと甘えた声で福助が言う。
 「はい……」
 と母は震える声で一言答えただけだったが、限りなく優しい響きが込められているのに胸を打たれた。
 食べることも排泄も一人ではままならなくなってきた老女の中に、愛情ホルモンのオキシトシンが溢れんばかりに拡がっているのだろう。
 たかが人形なのに、母性のスイッチを全開状態に開いてしまう福助……。
 
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5/23(月)
 母の顔面や口周辺の筋肉がゆるむというより固まってきてしまっているので、「おはよう」や「いただきます」のような簡単な会話もおっくうになり、ジェスチャーで済ませようとする。
 それでも諦めることなく毎日活舌の練習を行なっているが、基本的な会話ですら何度も訊き直さないと何を言っているのか理解するのが難しくなってきた。
 六門からの知覚も理解も判断も反応も正常に機能しているはずなのだが、意志を伝達する筋肉系が急落している母の現状である。
 食事とトイレ以外のほとんどの時間を寝て過ごそうとする傾向も止められず、これでは認知症が進行しかねない……。
 顔も眼も無表情に近い様子でいることが少なくないのだが、どんな時でも福助が眼の前に現れるとパーッと母の顔が輝き、一瞬にして変貌する。
 還暦を過ぎた息子との会話は難しくなる一方なのに、福助とならレロレロでも必死に話そうとする母……。
 「ぼく、福助でーす。5歳です」と自己紹介している巨大福耳の子は、赤ちゃんや幼き者、小さき者が成熟した大人に与える無限の力と同じものを母に注ぎ込んでいる……。

 
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5/22(日) 
自立援助を介護の基本方針としてきたので、まだ母にできることはいくら時間がかかっても見守り続けてきた。 
 しかし、食事の70%は食べさせ、歯磨きの80%は磨いてあげなければならなくなってきた。
 トイレの度ごとにズボンやパンツの上げ下げをしてあげるのは大変だが、それでも便失禁が減少してきたのは大きな救いである。
 日曜の午後、トイレの介助をしていると、母には極めて稀なことだがバナナのような黄色い快便が出た。
 嬉しくなって拍手をしながら「お母さん、見て、見て」と、苦笑する母にしっかり見てもらってから流した。 
 たえず涎が流れ、食べるのも話すのも困難になってきた母をなんとか笑わせようと、日光猿軍団のお猿さんのような遊びを考えた。
 母を座椅子に座らせ、「今日、トイレでバナナのようなのを出した人!?」と訊ねる。
 「ハーイ!!」と私が元気よく答えながら、母の腕を取りサッと挙手させる。 
 母は一瞬びっくりしたようだが、吹き出すように笑った。
 「いつもトイレで困らせていたのに、バナナみたいなので息子を喜ばせた人!?」
 「ハーイ!!」と母の手を挙手させながら、また私が答える。
 母は肩を揺すって大笑いになった……。

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5/21(土) 
幼くして出家し、7歳で阿羅漢になった聖者も少なくない。
  やるべきことも経験すべきこともすべて過去世でやりつくしていれば、ただひとつ残された解脱の仕事を完成させるためだけに生まれてくるだろう。
  容姿も才能も資質も生誕時の環境要因も、人生のスタートラインはあまりにも千差万別、恐ろしいほど不平等だ。
  だが、不思議に助けられ恵まれ整えられる幸運な人たちも、はるかな過去世に遡れば、さまざまな妨害要因に耐え一つひとつ悪条件を乗り超えながら善行を重ねて培ってきた果報なのだ。
  諸々の因縁の流れを見て、不遇をかこつことなく、恵まれた幸福を分かち合い、我が身に起きる苦楽を淡々と引き受けていく……。


  
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5/20(金) 
苦しみに出遭った人が、最後にブッダの道にたどり着く……。
 諸々のドゥッカ(苦)に遭遇してしまう業があり、問題を生み出してしまう心があったからだ。
 たとえ茨の道であっても、必然の力で起きたことをあるがままに受け容れ、ダンマに基づいてなすべきことをなしていけば、来世でのスタートラインは恵まれたものになる……。


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5/19(木) 
あまりにも介護負担が大きいので、主治医に相談したところ、母の便通を整える処方をしてくださった。
 漢方の生薬由来だったせいか、徐々に効果が現れ、便通が1日1回、オムツ交換がゼロの日も到来するようになった。
 明るく、爽やかで、どの患者さんに対しても常に分けへだてのない懇切丁寧な説明をしてくださる素晴らしい先生に出会えたことが、どれほど介護生活の支えになってきたことだろう。
 おそらく仏教とも瞑想ともご縁はないのだろうが、本当に楽しそうにお仕事をなさっていて、自分の持てる力を出し惜しみすることなく、毎回全力投球で接してくださる。
 いつお会いしても屈託のない笑顔があり、個人的な感情の起伏や、悩み苦しみなどネガティブなものを抑制している印象を受けたことが一度もない。
 過度のプライドや傲慢な波動がまったく感じられないのは、コンプレックスがないからなのだろう。
 銀の匙をくわえ、理想的な条件が完備した環境の下に生まれてくることができるのは、相応の徳があるからではないか。
 世間には天然系の人格者も多く、誰もが今世で苦を乗り超えながら心を成長させているわけではない。


  
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5/18(水)
 デイサービスから帰宅した母の靴を脱がせながら、「今日はどこへ行って来たんですか?」と訊ねる。  
 母はじっと考え込んだまま立ちつくしていたが、「わからない」と答えた。 
 送迎の職員さんがまだ門扉を閉めているのに、もう忘れているのだ。
 「デイサービスに行ってたんじゃないの?」
 「……そうかな。……そんな気もする」
 「昨日から、うちに新しい家族が一人増えたんだけど、わかる?」
 「福助?」
 びっくりした。
 昨日のことなど何ひとつ覚えていないはずなのに、福助は母の心の中に入ってくれたらしい。
 母の認知症は食い止められていて、この1年で横ばいよりも向上している印象がある。
 現状把握の能力も判断力もしっかりしている、とヘルパーさん達も同様に認めている。
 問題は下降の一途をたどる記憶力だったが、情動脳に訴えられたもの、特に喜びや笑いに関連する記憶は、セオリー通り記銘され保持されるようだ。
 福助、ありがとう……。 


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5/17(火) 
ニュースが見たいと母が自分で点けたテレビなのに、たちまち興味索然となり、力のない眼でただ前方を向いているだけの表情になってしまう。
 脳トレのゲーム機も大好きだったパズル本も始めると早々に終わらせてしまい、横になりたがってばかりいる老母と息子の二人暮らしでは、明るい笑い声の会話は難しい。
 しかるに、たかが人形だが福助が来てからというもの、小さな新しい同居人が新風を巻き起こしている。
 「こんにちわ!」と突然、顔の前に現れた福助に、母の顔がパーッと明るくなり「こんにちわ」と満面の笑みで答える。
 「お母さん、ぼく、お願いがあるんですけど……」(福助)
 どもるような震え声で「な、な、何んですか」と母が答える。
 「ぼく、ここん家の子供になってもいいですか?」(福助)
 「いいよ、いいよ」(*^_^*)
 「本当ですか? ありがとうございます!」(福助)
 母は福助をなでながら「ここで一緒に寝よう」と電動ベッドの枕元に置こうとする。
 「でも、ぼく、2頭身だし、耳たぶが重すぎて、一度横になっちゃうと、起きられなくなってしまうんです」(福助)
 あははは……と母が笑い出す。


  
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5/16(月) 
タンスの上に長年放置されていた福助はホコリまみれのずさんな作りだったので、早速ネットで調べて一番かわいい顔の福助を新しく取り寄せた。
 翌日には届いたので、横になった母の顔の前で丁寧にお辞儀をさせ、「こんにちわ」と挨拶をした。
 無表情でボンヤリしていることも珍しくない母だが、眼のパッチリした色鮮やかな福助の登場にびっくりし、「こんにちわ。かわいいねぇ…」とレロレロに震えながらも初孫に逢ったかのような華やいだ声で答えた。
 服話術の裏声で、「ボク、福助です。今日は初めてなので、カミシモを着けて来ました」
 母は笑って「よろしくね。……ずいぶん大きい耳だね」と小さな来客に若い頃と同じような顔になってきた。
 「福耳だと困ることもあるんですよ」 
 「どんな?」と母は必死に声を張り、すっかり人間相手の会話になってきた。
 「この前の地震の時なんか、立っていられないほどの大揺れだったのに、福耳が体と別の動きでユサユサ揺れて大変だったんです」
 アッハッハッハ……と母は笑い出した。

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5/15(日) 
毎夜同じスクワットの会話をしていると、さすがにお互い慣れてきて新鮮な感動がなくなってきた。 
 レロレロ発音は日増しに悪化しているので、何度も聞き直さないと分からないことが増えていく一方だ。
 何を話せばよいのか……と母を寝かしつけながら視線の先を追うと、タンスの上に福助人形が座っていた。 
 戯れに手に取り、母の顔の前に向き合わせてペコリと頭を下げ、「こんばんわ」と腹話術まがいの声を出した。
 「こんばんわ」と母は、人形にではなく、ご近所の人に対するのと同じように返事をした。
 「ボク、福助でーす。よろしくお願いします」
 「可愛いね。よろしくね」  
 母の目が俄然しっかりした光に満ち、福助に興味津々となり、その日から福助を使った腹話術の会話に花が咲き始めた……。


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5/14(土) 昔から母は息子の言うことに逆らったことがない。
 驚くほど素直に従い、それは今も変わらない。
 けっして声高に要求することがなく、媚びることもなく、ただ控えめに、おとなしく、介護の手が差し伸べられるのを静かに待っている絶対的な弱者が目の前にいるのだ。
 赤の他人であっても、「悲(カルナー)」の心にスイッチが入るのではないだろうか。
 いわんや、人生で最もお世話になった方が、もはや自分で自分のことができなくなった状態で存在しているのだ。
 以前よりもっと愛しいと感じたのは、膨大な恩愛への感謝と「悲(カルナー)」付加されたからだろうか……。


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5/13(金) もう母とは二度とディープな会話や知的なコミュニケーションができなくなるのだという絶望と諦観があった。
 しかし、言葉による深い意思疎通ができなくなった母をあるがままに受け容れると、老衰し、すべてが劣化し、排便後のお尻も自分では拭けなくなった今の母の方が、以前よりももっと愛しく感じられていることに驚きを禁じ得ない……。
 余分なものが削ぎ落とされ、存在の深みへと向かっていくと、慈悲の原点に触れる……。


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5/12(木) 
母を寝かしつけた後には、2、3歳の幼女とたっぷり遊んだ時のような充実感があった。
 お互いの心の底を語り合ったわけではないが、どんな会話をした後よりも心が一つに結ばれていることに衝撃を受けた。
 認知症がどれほど進もうと、どんな人であれ動物であれ、生きとし生けるものであるかぎり、心は必ず通じ合うのだ……。


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5/11(水) 
難しい話はできないが、まだ言葉を覚えきれない童女との会話のようなコミュニケーションは可能である。
 パジャマに着替えベッドに入り、やれやれ今日も一日終った…と安堵の表情を浮かべている母に話しかける。
 「あ!お母さん。スクワットやるの忘れちゃった。今から起きて100回やろう」
 「だめ。だめ、だめ。…できない」と、母はレロレロ言葉で必死に答える。
 「できるよ。やろう。僕も一緒にやるから」
 すると母は、今日はもう遅いから、とか、明日の朝今日の分もやるから、などと言い訳をする。
 「明日やると、今日の分と200回だよ。大丈夫?」
 え! そんなに!という顔をしてから、「2回に分けてやるから、だいじょうぶ……」などと何とか言い逃れようとする母が可愛らしくて、就眠前儀式のように毎夜繰り返している……。

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5/10(火) 
坂道を下るように、母の筋肉系は日一日衰えていく。
 食事も歯磨きも寝返りも、介助なしには無理になった。
 散歩にも行きたがらず、肘掛け椅子から自力で立てなくなってきた。
 手指が小刻みに震えるので、オセロの盤面が乱れ、独りではコップのジュースすら最後まで飲むことができない。
 涎がほぼ垂れ流し状態になるほど口筋がゆるみ、会話は激減し、身振り手振りのジェスチャーで済ませようとするのを敢えて発語させ、一緒に活舌をやる。
 しかし、もう幼い頃や少女時代を回想してもらうことも、重要な意味あるコミュニケーションも難しい。
 母の想念世界や奥深い内面世界が埋もれたまま、意志疎通できなくなるのが悲しい……。


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5/9(月) 
どれほど深いサマーディに入ろうとも、至福の高次意識には終りが来る。肉体身を持っている限り……。
 花の命は短かく、人の肉体が美と若さに輝くのも、良い瞑想ができる時間も束の間で、体の状態も精神の透明度も集中度も残酷な無常の法則に支配され犯されていく。
 粗大な物質的波動の食物と糞便の循環で支えられ維持されている肉体は、もう、ごめんだ……。


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5/8(日) 
瞑想を始めてから30余年、日々、排泄という行為そのものが屈辱的に感じられ、肉体を厭離する理由の一つだった。
 食べれば眠くなり、食べなければエネルギー不足、食べても食べなくても瞑想の妨げになる身体。
 のみならず、このような不浄なものを毎日排泄しなければ、存在することも瞑想することもできない肉体というシステムそのものが厭わしく、二度と肉体を持った世界に再生したくないと決意を繰り返してきた……。


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5/7(土) 
もう二度と人を傷つける言葉は言うまい。 
 醜悪な事実を暴き出すような無礼も、粗暴な言葉や表現もかたく慎み、愛語を心がけよう、と決意してから長い歳月が流れている……。
 それに比例して、目を背けたくなるようなものを突きつけられるドギツイ経験は減少していった。
 だが、まだまだ膨大な残余の業が残っているのだろう。
 失禁が皆無だった2日間が過ぎると、汚物の処理は一日平均4回程度に戻って安定している。


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5/6(金) 
カルマ論の解釈よりも、排泄の是非に影響する食事の要因や心理的要因もあるだろう。
 数週間ほど前だったろうか。
 「お母さん、お願いだから、うんちは1日に1回にしてくれないかな……」
 と、これ以上やさしい言い方はできない口調で、ポツリと言ってみたことがある。
 お願いではなく、溜息でもなく、静かに、ただ言ってみただけだった。
 その翌日、失禁がゼロだったのは、無意識も含めた母のなんらかの意志が関与していたのではないだろうか。
 トイレに付きっきりになっている息子と、汚物が山のように詰まった大袋を見て、母の意識が暗黙に感応したのか……。


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5/5(木) 
なぜそのような事象を経験しなければならないのか……。
 その意味を理解し、完全に受容しきっていれば、もはやネガティブな反応が立ち上がるプログラムは心のどこにも無い。
 対象と意識が接触した刹那、一瞬の苦受が通り過ぎて、それっきりになるだけだ。
 不善業が現象化した瞬間の対応として、これ以上はない。
 後続を絶たれた不善業が、プッツリと頓挫したかのような印象……。


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5/4(水) 
嫌なことが起きた瞬間、たとえ心が傷つかなかったとしても、苦受は受ける。
 阿羅漢も凡夫も、悪臭や痛みの瞬間には同じ苦受を経験している。
 業の帰結と言えるだろう。
 誰でもそうなりがちなのだが、苦受を受けた瞬間ネガティブな妄想をすれば、さまざまな心理的苦しみが加算され、さしづめドゥッカ(苦)のまとめ払いといった様相になる。
 累積していた不善業としては、帰結する絶好のチャンスだ。
 苦受を受けた瞬間の不善心が縁となって、ここぞとばかりに苦の現象が続くだろう。
 泣きっ面に蜂、踏んだり蹴ったり……。

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5/3(火) 
その意味を痛切に理解し、我が身に起きた出来事を完全に受け入れた瞬間、なぜかすべてが終息し、突然、不善業が立ち消えになってしまったかのようなことがしばしば起きる……。
  どういうメカニズムなのか解らないが、何度経験したかわからない。
 なぜ、受け容れると、終るのか……。


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5/2(月) 
嘘をつけば、欺かれる。粗暴な言葉を語れば、品のない言葉で乱暴な応対をされるだろう。醜悪な事実を突きつければ醜悪な事実を突きつけられる業論を人に説いてきたのだ。
 そんな分かりきったことがあらためて、「ああ、そうだったのか」とまるで初めて理解したかのような感動とともに、深々と腹に落ちていった……。
 その翌日、母の便失禁は一度もなかった。
 その次の日も、尿取りパッドを一度取り換えただけだった……。


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5/1(日) 
たった今完成したばかりの仕事を、最初からすべてやり直さなければならない空しさと徒労感……。
 人に無駄な仕事をさせてきた者にふさわしいのではないか……。


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4/30(土) 
毒舌をほしいままにしてきた者よ、正義の怒りで完膚なきまでに論破し相手の心をズタズタにしてきた者よ、触れてはいけない部分にまで触れ、見たくない事実を執拗にえぐり出し暴き出し、苦受とともに突きつけてきた者よ……。
 石を投げられ、棒で打たれ、血だらけになって托鉢から帰ったアングリマーラに、忍受せよ、とブッダは言う。


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4/29(金) 
これは20余年前に父を看取った時の状況と酷似している。
 末期の肝臓癌で入院していた父の病床に毎夜付き添って、膨大な回数に及ぶオムツの交換をした。
 点滴の内容物の関係なのだろうが、よくこんなにと感心するほどの排便が繰り返された。
 同じ病室のソファで睡眠中に何度も起こされ、その瞬間からサティを入れ、オムツ交換のすべての処理が完了し手洗いを済ませた直後に、また次の失禁があり、最初から全ての工程をやり直していく……。
 これでもか、これでもか……と執拗に、不浄なものを眼前に突きつけられるのは私のカルマなのだ、と心底から納得し淡々とサティを入れ続けていた。
 母の介護情況はまったく異なるのだが、知覚した瞬間の苦受の連続性は同じであり、同じ根っこから起因する私自身の不善業なのだと腑に落ちる……。


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4/28(木) 
この日も、母のリハビリパンツや尿取りパッドの交換が8回にも及んだ。
 ビニール袋に密閉した汚物が山のような大袋になっていく。
 便座に落下してしまった便の処理や汚れた衣服の洗濯、浴室で母の下半身を洗っているうちに新たに失禁してしまった後始末、さらに失敗せず普通にできた場合でも、トイレの度にズボンやパンツを上げ下げしなければならない。
 オムツの交換が終わり、汚物の処理、母の手洗い、手指の除菌スプレーなど、一連の仕事が完了し、ヤレヤレと思った途端、またトイレに行きたいと言い、ズボンを下げることから始まるすべての工程を最初からやり直す……。
 それが何度も繰り返されながら、夜が過ぎ、朝が過ぎていく……。


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4/27(水) 
残酷な真実を言い立て、醜悪で不快な事実を暴き出し、思わずウッと顔を背けたくなるような事柄を、執拗に繰り返し突きつけていたのではないか……。
 その意味を正しく理解し、心の底から、深々と、痛切に受け止め、二度とそのような苦受を人に与えないと誓う……。
 残酷な真実を言う馬鹿、醜悪な事実を突きつける野暮で無粋だった者よ……。


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4/26(火) 
見た瞬間、聞いた瞬間、臭った瞬間……、苦受を受けてしまうのも仕方がないだろう。
 見た瞬間、聞いた瞬間……、人の心に苦受が生じてしまうようなものを与えてきたのだ。
 行為においても話し方においても、常に愛語を語り、心地のよい優しい態度で振舞い、好ましい楽受の印象を与えてきた者が経験する事象ではない。
 自分の心に苦受が生じた瞬間の印象がそのまま、過去に自分が人の心に生じさせたものなのだということ……。


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4/25(月) 
思いこみや先入観を離れて、事実のみをありのままに観なければならない、と知的に理解している人たち……。

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4/24(日) 
心の反応パターンが根底から変われば、ネガティブな反応も不善心の反応も生じなくなるだろう。
  心の清浄道とは、反応系の心を浄らかにする営みである。
  経験している事象の意味をよく理解し、納得し、完全に腑に落ちた了解感とともに受容することができるか……。
  心に真の理解が生じた時の衝撃は、情報処理→意志決定→反応の仕方を変革する力がある。


  
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4/23(土) 
汚物を見た瞬間、臭った瞬間の苦受の次にサティを入れてしまえば、後続が絶たれてネガティブな反応が立ち上がることはない。
 だが、サティによって止められ抑え込まれたのであって、心にプログラミングされている反応パターンが変わったわけではない。
 サティの替わりに慈悲の瞑想をした直後であれば、一時的にネガティブな反応を抑え込んで慈悲モードが進行していくだろう。
 いずれも、一時停止効果に過ぎないのではないか……。


  
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4/22(金) 淡々とサティを入れ続ける者に介護をされる側は、どう感じるだろう。
 黙々と機械的に対処されることに冷たさを感じないだろうか。
 それを阻止するためには、事前に慈悲の瞑想をして、心を慈悲モードに染めきってからサティのロボットになるとよい。
 慈悲モードの心が通奏低音のように鳴り響いて、黙々とした手さばきの中にも優しさが伝わっていくだろう……。


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4/21(木) 
深夜に2回、朝3回、デイサービスから帰ってから寝るまでに2回、母の便の処理をしてリハビリパンツや尿パッドの交換をした。
 さすがにこれだけの回数になると、サティを入れて心を無機的に設定しないと嫌悪感が立ち上がってきてしまう。
 やはり1日に7回ぐらいオムツの交換をした父親の介護の時は、サティを入れ続けるロボットのようになっていた……。
 世間虚仮、唯仏是真……。


  
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4/20(水) 
獲物に狙いを定めているカマキリのように、脳内に形作られていく概念の世界が完全に排除された<ありのままの一瞬の状態>……。
 それを法として如実智見するのは、次の瞬間の気づく心であり、サティの瞑想と呼ばれる。 
 妄想もしないが認識もしないカマキリは、ただ知覚するのみ。
 妄想を止めて観たものの認識を確定するラベリング。
 真実の世界を仏とし、妄想の世界を虚仮とする……。


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4/19(火) 
薄っすらと夕暮れが迫り始めた頃、母の散歩に同行した。
 寂びれた観音堂で母を一休みさせようとして、境内の満開の枝垂桜に圧倒された。
 爛漫たる美しさが薄闇にまぎれていく満開の花の下で、無表情の母がシルバーカートに腰をかけている……。
 胸に迫るものがあった……。
 情感が形成されていった由来に分け入っていく。
 訪れる人もない寂びれた観音堂、黄昏の闇に存在を消していく桜花、遠からずこの世を去るであろう認知症の母、その老母の末期を見届けるために寄り添っている息子……。 
 ただそれだけの事柄が意味もなく存在しているに過ぎないのだが、闇にまぎれていく枝垂桜に、孤独と老いと死と残された絆と存在のはかなさ等々をダブらせ、スルスルとつなぎ合わせていった瞬間、情緒的反応が起ち上がっていった。
 <世間虚仮、唯仏是真>と言ったのは聖徳太子だったか……。


  
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4/18(月) 
裸で生まれ、再び裸で死んでいく……。
 業の力に押し出されて誕生し、新たな業を集積しながら生涯を満了し、再びその業を満載して来世に旅立っていく……。


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4/17(日) 
おっぱいを飲みおしめを替えてもらうだけで、何もできない赤ちゃん……。
 人は、長い人生の果てに再び同じような状態に回帰していく……。
 何も持たずに裸で生まれてきたのだ。
 何ごとも原点回帰し、振り出しに戻って考えれば、失ったものなど何もない……。


  
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4/16(土) 
終末期の老人を介護する仕事は、老いと死の現場に立ち会うことである。
 原始仏教を行じている者には最大の関心事であり、赤ちゃんの子育てなどよりもはるかに面白い充実した仕事であると言えよう。
 赤ちゃんには根拠のない妄想同然の希望しかないが、老人の終末期には人生の全てが集約され、生の意味、命と現象世界の理法が切実に、暗黙の中に開示されている……。


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4/15(金) 
人は老いるために生き、死ぬために生まれてきた。
 まだ元気なうちに、老いる準備と死に支度をしておかなければならない。 

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4/14(木) 
母がデイサービスに出かけるまでに2度、真夜中にも1度、便で汚れたリハビリパンツを交換した。
 昔から日に何度も便通があった人なので珍しいことではない。
 認知症とはいえ母には、自分の置かれている情況も判断する能力も羞恥心も残存している。
 介護する側よりも、介護される当人の悲しみや心理的ドゥッカ(苦)を想像してしまう。
 人が生きるとは、そのほとんどの時間を食べることと排泄に費やしていると言ってもよい。
 生命活動とはエネルギーの出し入れであるから、当然のことだろう。
 その摂食と排泄に人の手を借りなければならなくなる……。
 自立しながら生きていても、苦に満ちた人の一生である。
 心を汚さずきれいに生きるのも至難の業だが、ドゥッカ(苦)を回避しながらきれいに死んでいくのも難しい……。


  
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4/13(水) 
不当に奪わない。乏しい中からも与える。諸々の布施をする。人に誠を尽くす。何よりも人との関係を重んじる。常に慈悲の瞑想をする。生命を傷つけずに暮らしていく。
 いずれも必要が生じてからにわかに始めても間に合わないだろうが……。
 仏教が提示するなすべきことと、なさざるべきことを遵守して、きれいに生きていけばきれいに死んでいくことができるのではないか……。


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4/12(火) 
坂道を転がり落ちるように急速に失われていく母の筋肉系能力。
 多くの老人を看取った介護のプロの方は、身体の衰えではなく運動系を司る脳の萎縮もしくは損傷に起因すると診ている。
 人生の最終ステージに必要なもの……。
 最低限のお金+心の支えとなる人の絆+自立可能な筋肉(&健康)……。


  
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4/11(月) 
苦受の経験があり、楽受の経験があるだろう。
 どのような出来事が起き、いかなる事象であったのかは、さしたる問題ではない。
 心の中で、どう認識確定されていったのか……。 
 苦を楽と見なすこともできるし、捨(ウッペカー)の心で淡々としていることもできる。


  
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4/10(日) この世のことは陽炎のごとく、泡沫のごとく見よ、とブッダも言われている。
 無常に変滅していく現象世界では、何をしてもしなくても、さしたる違いはない。
 そうであるならば、ただ流れのままに、必然の力で与えられたものを受けきっていくだけの人生でよいではないか。
 いかなる出来事であれ、どのような事態であっても、苦楽を等価に観て、悠々とその流れに従っていく……。

  
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4/9(土) 
母の筋肉系の老衰がいちだんと進行し、ロレツが悪くほとんどまともな会話にならなくなった。
 口筋が衰え、食べながら、しゃべろうとしながら、涎が落ちてしまいそうになり、そのつど拭いてあげなければならない。 
 失禁は完全に常態化し、尿取りパッドは平均3回、リハビリパンツは1〜2回交換する。それに関連して処理すべき作業も増え、トイレのたびにズボンやパンツの上げ下げを毎回介助しなければならなくなってきた。 
 仕事量は急増し、母の介護もいよいよ佳境に入ってきた。
 いかなる事態も、天が与えてくれたものと受け切っていく覚悟があれば、不善心所に陥ることはない。
 これが、天が私に与えた人生であり、私が選んだ人生である……。

  
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4/8(金) 
天に意志などあろうはずもなく、「天意に従う」とは、非エゴ的立場から意志決定することであり、起こるべくして起きてくる事象の流れに従いきっていくことである。
 天意とは、己の宿業の別名でもあると心得る……。


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4/7(木) 
苦しくなってきたら、心の中のエゴ感覚をチェックしてみる。
 エゴが君臨していれば、欲望と不満と怖れが渦巻き、心が薄汚れているだろう。
 必要なものは必ず与えられ、必要のないものは与えられないように、としっかり祈り、法に身をゆだね
て、必然の力で現れてきたものをことごとく受け取っていく覚悟。
 天意に従いきっていくならば、無限の力が湧き上がってくるだろう……。


 
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4/6(水) 
性格の悪い人、根性の腐った人、怖ろしい考えに凝り固まった人……とレッテルを貼るのはいかがなものか。 
 性格がイジけていく背景があったのだ。
 根性が腐ってしまうような劣悪な環境に投げ込まれてきた結果、現状があるのではないか。
 条件が悪ければ、邪見を信奉してしまう人生の流れになるのも仕方がないだろう。
 因果を読み取ることができれば、「悲」の心で見守ることもできるのではないか……。


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4/5(火) 段ボールの緊急防災グッズの由来を母に訊ねられる。
 瞑想の生徒さんがお母さんのために……と定番の答え方をすると、見ず知らずの母のためではなく、生徒が先生のために送ってくれたのではないか、とレロレロの発音で突っ込まれる。
 「いやいや、お母さんが長い間合宿でみんなのお世話をしてきたでしょ? だから恩返しをしたいと言って、お母さんのためにこうして送ってくれたんだよ」
 と説明すると、母はウ、ウ、ウウウ……と感動の涙にくれる。
 ……認知症とは思えない、しっかりした反応に驚かされる。
 かつては「ボケ」や「老人性痴呆」と呼ばれた症状が「認知症」と言い換えられたことには意味がある。ダメージを受けた脳の部位に対応した機能が衰えただけで、例えば、アルツハイマー型認知症の場合には短期記憶の衰えが典型的な症状になるだけのことに過ぎない。
 身体機能であれ精神機能であれ障害がある方には、それを補いながら人間としての尊厳を守るサポートをすれば良いのだ。


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4/4(月) 記憶する能力こそ、あらゆる知恵の源泉であり、同時に、諸悪の根源である妄想の基本機能である。
 智慧も煩悩も同じ根から由来する人間の光と闇……。
 記憶を鋭くするサティ。
 思考を止め、一切の記憶データをoffにして、空っぽの心で一瞬一瞬の事象をありのままに認知するサティ。
 如実智見するヴィパッサナー瞑想というシステム……。

  
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4/3(日) 
筋力の衰えは悲観的だが、母の認知症は食い止められているのではないだろうか。
 喜怒哀楽の情緒的反応は普通の人と変わらないし、自分の意志も判断力も基本的に維持されているという印象を受ける。
 記憶能力の喪失と認知の乱れは深刻だが、脳トレゲーム機をしている母の様子を観察していて気づいた。
 瞬間的に記憶する能力は正常なのだ。
 情報を記憶する<記銘>には問題がない。しかし、その記憶の<保持>ができない。
 ……なるほど。時間が短いだけで、取り込まれた情報を適切に処理して正しく判断することができるの
で、ゲーム機の問題を次々と解答していくことができるのか。
 現状が分析されてくると、母の心の構造が徐々に見えてくる……。


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4/2(土) 
自分一人では横になるのも難しくなってきた母が、背中の当たりが悪く痛いので寝相を微調整してくれと数分おきに頼む。
 いくら直しても痛いと言うのは変なのでよく確かめると、寝相の問題ではなく持病の腰痛が原因だった。
 「お母さん、その痛みはね、圧迫骨折と言って骨から来ているの。いい? 背骨では(拳を2つ重ねて)円筒形の骨髄がこんな風に並んでいるよね。背中側の長さは正常なんだけど、お腹側がつぶれて短くなってしまったの。腰椎と胸椎が台形みたいに曲がってしまったので、腰が曲がり猫背になってるの。これはもう治らないんだって。可哀そうだけど、痛み止めの膏薬でダマシダマシ我慢していくしかないのよ」
 「ああ、そうなのか……」と、母は納得がいったようだ。
 ……訳の分からない痛みは妄想が膨らんで耐えがたいものとなるが、きちんと我が身の状態が説明されて理解できれば、苦に耐えることができる。
 何事にも、現状を正しくありのままに知るヴィパッサナー瞑想が有効な所以である。


  
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4/1(金) 
段ボールに納められたレトルトパックのカレーやごはん、ペットボトルの飲料水や野菜ジュースなどを目にする度に、母は初々しい関心から質問し、自分が大切に思われていることに感動しては「お礼を言っておいてね…」と本気で感涙にむせる。
 何度繰り返されても、母にとっては色褪せることのない初めての経験なのだ。
 逆説的だが、禅者にとってもヴィパッサナー瞑想者にとっても、これは理想の状態ではないのか。
 記憶が正常であるがゆえに私たちは、毎日なんの面白味もないルーティンな日常にウンザリしながら、無気力や無感動と戦っている。
 認知症の母は、過去の印象や記憶の概念に惑わされることなく、今、その一瞬に集中し、「瞬間に生きる」状態を達成している……。

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3/31(木) 
人と人との間を裂き、関係を壊す<離間語>を語る者は、孤独になっていくだろう……。

  
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3/30(水) 
終末期に差しかかった人は、誰かに介助され、看取られなければ、自分で自分のことがどうしようもなくなっていく……。
 人は、ひとりでは老いていくことができない。
 死んでいくこともできない……。


  
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3/29(火) 
「感謝しなくちゃね……」と泣く母の背中をさすりながら、
 「どうしてお母さんはそんなに恵まれているか分かる?」と訊く。
 「わかんない」
 「津波に呑み込まれ被災してしまった東北の人達に、たくさんお布施をして助けてあげたばかりでしょう。災害で困っている人たちを助けたので、お母さんも災害に見舞われる前に助けられているんだよ。ちょっと結果が出るのが早すぎるけどね……」
 と、自分のした善行を思い出させてあげ、死んだ後に持っていけるのは<業>だけなのだと説明した。
 防災リュックの脇に並んだ2つのヘルメットの由来を訊き、母は涙を新たにしていた……。


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3/28(月) 
老母のために緊急時の防災グッズをまとめることができた。
 非常食やランタン型ロウソク、乾電池、リハビリパンツを始め、多くの品々がWeb会の方々から救援物資として送っていただいたものだった。 
 「これは、どうしたの?」と段ボールの箱を指さして母が訊く。
 「瞑想の生徒さんが、お母さんのことを心配して贈ってくれたんだよ」
 すると母は、顔をクシャクシャにして嗚咽する。
 トイレや玄関や洗面所や寝室に行くたび、必ず防災品の箱を見て同じ質問をし、同じ密度の感動の涙に暮れる認知症の母……。
 感謝と喜びと関連記憶で万感胸に迫り、何度でも新鮮な善心所になるのだから、敢えて段ボールの箱を開けたままにしておく……。


  
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3/27(日)
 
天が与えてくれた道に従っていく……。
 宿業が後押しする力にうながされながら……。


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3/26(土) 
あの人も、この人も、どの人も……、多種多様な、諸々の業の塊りとして、歩いている、笑っている、怒っている、愛し合っている……。
 旧来の業に衝き動かされ、振りまわされ、新たな業を未来に作りながら……。


  
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3/25(金) 
脳回路がパニックを起こして混線すると、興奮し1オクターブ上がった心理状態に巻き込まれ、イナゴの大群のように盲目的な行動に駆られてしまう。
 そんな時にこそ、その瞬間の自分の状態をあるがままに観るサティの瞑想が必要不可欠となる。
 何ごともない普段の生活の中で、毎日10分間以上サティの瞑想をする意義……。


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3/24(木) 
風評被害ほど、妄想が脳内にまとめ上げていく世界が苦の元凶であることを示すものはない。
 何が、どのよぅに報道されようと、そこからスタートして人の脳内に形成されていくイメージや妄想・妄
念が全てなのだ。
 事実のみをあるがままに観ていく瞑想が、なぜ人類に必要不可欠なのか、腑に落ちますね。


  
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3/23(水) 
たとえどのようなことであっても、起きたことは起きたことであり、今は過ぎ去ったことなのだ。
 破壊そのものの中に、創造の本質がある。
 この世に存在する全ての物質の根源では、創造と破壊が恐るべきスピードで繰り返されている。
 人の体内でも、壊れていくものと創られていくものとが間断のない生と滅を繰り返している。
 破骨細胞の壊す働きと骨芽細胞の造る働きとが表裏一体のワンセットのように、滅しつつあるものは生じつつあるものだ。
 生きるとは、生命とは、新陳代謝とは、死と再生、破壊と創造の絶えることのない循環である。
 大いなる破壊は、偉大なる創造と復興の序章ではないか……。


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3/22(火) 
悲劇的に老衰しているのは母の筋肉系であって、認知症の進行はなんとか食い止められているように思われる。
 買物から帰宅すると玄関の門灯が点されスリッパが揃えられているのは相変わらず、配慮も羞恥心も謙虚さも可愛らしさも劣化していない。レロレロだが「はい」のお返事も「ありがとう」の回数もまったく変わっていない。感情を司る扁桃体は維持されているので喜怒哀楽の人間らしさは保たれているが、短期記憶の海馬の衰えがいかんともしがたい状態と推測される。
 コタツで横になっていた母の近くで足を滑らせ「おっ、とっ、と」転びそうになると、ちょっと微笑しながら超スローで「だいじょうぶ?」と訊いた。
 優しい声の響きに感じられる母性と童女のような可愛らしさがミックスされていて、思わずどんな介護も引き受けていこうという気持ちになる……。
 育児本能を刺激する新生児微笑のように、老人介護を喜びに変えてしまう人柄の波動か……?


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3/21(月) 
介護用のエプロンをもっと早く使用すれば、食事中に母の衣類を汚さずにすんだかもしれない。
 食べづらいものには手を貸し、口の周りを何度も拭いてあげなければならなくなってきた。
 「お母さん、寝たきりにならないように自分でできることはやりましょうね。できなかったら手伝うから心配ないよ」と、生活全般での見守りを続けてきたが、そろそろ自立援助も限界なのだろうか。
 トイレの後ズボンを上げきる力がなく、パジャマのボタン掛けも、首に引っかかったシャツやセーターを下ろすこともできない。
 脚力の劣化を食い止めるために欠かさず続けてきたスクワットの回数も、右肩下がりになっていく一方だ。掛け声や手拍子で励ましてきたが、辛そうに頑張っているのを見るのが痛々しくなってきた。
 諦めてしまえば、身体の老衰が一気に進行していくだろう……。
 生きていくための全てをしてもらわなければならない状態を、母はどのように受け容れていくのか……。


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3/20(日) 
必死になんとか自力で食事をする母に会話をする余裕はなく、オセロをしながら話しかければゲームにならず、まともなコミュニケーションがなされないまま就寝時間が来る。
 一刻も早く書かなければならないものが山積しているが、このままでは母がしゃべれなくなってしまうので、ボール投げをしながら再び活舌をし、コタツで回想法の会話をした。
 「お母さん、もう一度だけ誰にでも逢えるとしたら、誰に逢いたい? お母さんの人生でいちばん大事な人を5人挙げて……」
 「母親…。父親…。本城町の姉…。母方の祖母……」とレロレロの発音を何度も聞き直しながら話しているうちに心が通じてきた。
 どのような状態であれ、母が生きているという圧倒的な存在感を噛みしめた。 
 その人の存在のかけがえのなさと、人間としての尊厳を確認することが、介護の基本ではないか……。


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3/19(土) 
母の失禁がほぼ毎日となり、使い捨てのリハビリパンツを着用してくれるものの、汚れた体を洗ってあげなければならず、衣服の着脱も毎回手を貸さなければ無理になった。股引やトレーナーに付着した便の処理、洗濯、朝食の片づけ、昼食を食べさせ、歯を磨かせ、買いだめパニックで難しくなった買物、ケアマネとのスケジュール調整、母と一緒にラジオ体操、スクワット、活舌……と、ただ生活しているだけで日が暮れていく。
 原稿もメール返信もインターネットの振込も何もできずに夕食の準備、食後のトイレが長いので再び便失禁か……と妄想したら、さすがに疲労感に襲われた。
 なるほど、介護疲れというのは、このネガティブ妄想に由来するのだな。
 サティで妄想を止めるのは一時停止に過ぎず、母の心と向き合ったコミュニケーションが何よりも大事な根本的対応と心得る……。


  
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3/18(金) 
物が壊れ、室内にガラスが散乱し、屋外に避難せざるを得ない震災だった。
  自販機の暖かい飲物を求めて駅前ビルに行くと、なぜか市の職員が大勢いて、その中の保健師さんが親切に話しかけてくれた。
  事情を聞くとケアマネに電話をかけ、満杯だったデイサービスセンターに母を収容させる手筈を整えてくれた。のみならず自分の車に母を同乗させ送り届けてくれたのだ。
 本来なら毛布1枚で小学校の体育館への避難になるところだったが、最良の状態で難を免れることができたのはたんなる偶然や僥倖なのか。
 因果論の立場からは、老人施設に布施をするなど、及ばずながら母なりに続けてきた積善のクーサラ効果ではないか……と考える。

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3/17(木) 
悪を避け善をなし、常日頃からなすべきことをなしている限り、どのような事態になろうとも、必要なものは必ず与えられる。
 妄想に煽り立てられ、波紋のように拡がっていくパニック……。
 因果論を学び、そのように実践してきた者に、なんの怖れがあるだろう。
 どれほどの人々が集団心理に狂奔しようとも、理法を心得た者の心は静かである……。


  
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3/16(水) 
幼子と着の身着のままで避難所に収容された母親が、「私は十分なので、他の人を助けてください」と答えていた。
 「家が流され全てを失いましたが、苦しんでる方々の励みになりたい」と治療の手を休めずに淡々と語る若い看護士。
 何も持たない人のエゴ性の希薄さと優しさ……。

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3/15(火) 
家を流され、自らも傷つきながら、より深刻な被災者を救おうとしている人たち……。
  津波に呑み込まれ全滅していく町の映像を繰り返し眺めながら、歯に挟まったホタテをほじっている人たち。
   ……苦を経験したがゆえに、より深く苦しむ人達に共感できる優しさ……。


  
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3/14(月) 未曾有の震災の恐るべき惨状を映像で見るにつけ、何を、どうしたらよいのか、無力感に襲われるかもしれない。
 だが、「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される」とブッダは説かれている。
 痛切に、心底から発せられる「慈悲の瞑想」の波動が、新たに生じていくものの方向を定めていくだろう。
 誰でも、今、その場で、祈ることはできる。
 苦しみのどん底にいる方々に、幸せな日々が必ず帰ってきますように……。
 支援を通して、私たちの心が、浄らかになっていきますように……。


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3/13(日) 
緊急の事態が発生すると、個人の意志を超えた圧倒的な力で情況が展開していく。
   不運な流れに巻き込まれていく人もいれば、アレヨアレヨという間に最良の結果に導かれていく人もいる。
   無限の過去から今日にいたるまで、集積してきた「徳」の残高と「不善業」の分量やいかに……。


  
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3/12(土) 
口コミやデマや噂をウのみにして反応する人たち……。
 ラベリングの言葉をつぶやいてはいるが、心はうわの空で、頭の中の妄想・概念に無我夢中になっている人たち……。
 非常事態でも、平素の修行どおり、法としての事実と妄想の世界とを厳密に識別している人たち……。


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3/11(金) 
退っ引きのならない事態に至れば、人の本性が露わになる。
 土壇場でも、法としての事実のみを見ることができる稀有な精神もある。
 思い込んだ脳内イメージにあられもなく反応していく精神もある……。


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3/10(木) 
予想だにしないことが、いかんともしがたい力で起きてしまうのが「業」の特徴だ。
 事の本質を読み解くことができれば、必然の力で展開していくものの遠因が腑に落ちる。
 どのような事象であれ、どんな結果がもたらされようが、しょせん変滅していくこの世のことは、それで良いではないか……。


  
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3/9(水) 
過ぎ去ったことは過ぎ去ったことであり、たとえ崇高な輝きを放ったものであれ、過去に執われるのは愚かしい。
 一瞬も止まることなく生じてくる今の事象に集中する……。


  
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3/8(火) 
生じてくるものもあれば、壊滅していくものもある……。
 壊れていくものは壊れていくままに任せ、滅していくものは消滅していくままに任せればよい。
 美しく輝いていた瞬間があっただけでよいではないか……。


  
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3/7(月) 
伝聞と推定で編集された情報も、如実智見された真実の情報も、時の経過とともに必ず変質していくだろう。  黒ずんだものは真っ黒に、白っぽいものは純白に、鈍い角は鋭角に、まるみを帯びたものは正円に、スッキリと整理され、概念化されて固まっていく……。

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3/6(日) 
誇張され、歪められ、まことしやかに伝えられた情報が心に形成していく印象……。
 この眼で見、この手で触れた事実が心に焼き付けた印象……。
  どちらも、やがてその人にとっては「真実」になってしまう……。


  
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3/5(土) 
その瞬間にラベリングされ認識されたものだけが真実なのであって、次の瞬間には一切が無常に変容している……。
 心であれ現象であれ関係であれ、良いものも悪いものも、確かに存在したのだが、次の刹那には真っさらな心で、新たに出現してきたものに対して瞠目する……。


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3/4(金) 
日ごとに、赤ちゃんへ回帰しつつある母。
 衣服の着脱が一人では無理になり、失禁が常態化し、何度も聞き直さないと分からないほどロレツが悪くなり、しかし日を追うごとに子供のような可愛らしさが増していく……。
 今の私にできることは、母の存在を肯定し、自信を持たせ、喜ぶ言葉を言ってあげることだ。
 「生んでくれてありがとう」
 「お母さんの子供に生まれて幸せだったよ」
 「お母さんが死ぬ時は、必ず側にいて看とるからね」
 時に微笑み、時には感動して泣き、母の表情に尊厳とおだやかさが甦ってくる……。


  
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3/3(木) 
夕方、デイサービスから母が戻ると、朝の言葉が気になったので、母の耳の大きさをメジャーで測ってみた。やはり左右の大きさに変わりはなかった。
 「どうして左の耳が大きいと言ったの?」
 「触ってみたら、左の耳たぶの方が大きかったから」
 よく見ると、左の耳たぶだけにシモヤケができていた。
 「お母さん、すごいじゃない、歳を取るとできなくなるシモヤケだよ。若返った証拠だよ」
 「そうか……」と、母はなんだか嬉しそうである。
 爪を切ってあげたり、手の甲や頭を撫でてあげたり、耳の大きさを測ったりすると、親密度が増すのか、母はとても安らいでいる。
 「触れる・撫でる・緩和ケア」として名高い北欧発祥の「タクティールケア」が認知症に効果的なのもよく知られていることだ。
 その後、母と指相撲をすると、なぜそんなに楽しいのか、驚くほど笑い転げながら大喜びをした……。


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3/2(水) 
デイサービスのお迎えが来るのを余裕で待つことができた朝だった。
 母の髪を梳きながら、「お母さん、耳は出さない方がカッコいいよ」と言うと、
 「わたし、左の耳の方が大きいんだよね」と言った。
 「え!? 本当?……いやあ、同じだよ。でも、全体に、昔より耳が大きくなったみたいだね」
 「耳が育ったのかな……」と言って微笑んだのが可愛らしく、お出かけ前とは思えぬ、のどかな時間が流れた。
 「……お母さんの子供に生まれて、本当に良かったよ。ずっと優しくしてくれて、ありがとうね……」
 何日も失禁が続き、悲しそうな顔が多かったが、久しぶりに美しい晴れやかな母の笑顔を見た。
 この日は、デイサービスでも自宅でも失禁がまったくなかった……。


  
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3/1(火) 
安らかに死を受け容れるために、いつも2つの説明を母に提示してしまう。
 死後必ず再生するのだから、きれいな心で安らかに死んでいこうね。「死近心」を善くすることが最後の仕事だよ、という再生論。
 もう一つは、死は眠りに落ちていく瞬間と同じようなものだから、恐れる必要はない。朝になっても目が覚めないだけ……という永遠の眠り論。
 母は、イメージが浮かびやすいのか、永久(とわ)の眠りが気に入っているようだ。
 不安も恐怖も一切なく、穏やかに死ねること……。


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2/28(月) 
東京や大阪へ仕事に行くが、すぐに帰ってくるから心配しないでと説明しても、いざ出かける時になると、「帰るの? 今度いつ来られるの?」と、母はいまだに長い別れだと勘違いをする。
 仕事から戻ると、「今度はずっといてくれるの?」と必ず訊かれてしまう。
 「何言ってるの、同居してるんでしょ。お母さんが死ぬまで一緒に暮らすんだから、安心してね」
 「ああ、よかった」と涙ぐむスクリプトは、母の脳の深い階層に焼き付いてしまっているらしい。
 息子が家から去っていくと必ず長期の不在となり、次にいつ帰ってくるか分からない……。
 私が高校生の頃から何十年も繰り返され、悲しみの情動とセットになって母の記憶に格納された別れの光景……。
 もはや修正はできないだろうから、何度でもそのつど同じことを繰り返して、悲しみと孤独への危惧を取り除き安心感を与えていく……。


  
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2/27(日) 
終末期の介護とは、生への執着をうながし、いたずらな延命を支えることではない。
 健康な人生が取り戻せるのであれば、延命の治療にも意味がある。
 しかし、回復の見込みがない命であれば、いかに死を受容し、安らかに、最高の形で死んでいくにはどうすべきかを助けることが真の介護だろうと考える。
 「死ぬなんて縁起でもない。だいじょうぶよ、長生きしてね」などと、死から目を背けさせ、最後の瞬間まで生に執着させる対応は愚かしい。
 ありがとう。良い人生だった。悔いのない生涯であった…と、心から納得のいく、崇高な人生の幕引きを完成させてあげることこそ、残された家族の役目であるべきではないか……。


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2/26(土) 
母と同居を始めて、間もなく1年になろうとしている。
 久しぶりに母と回転寿司に行ったが、1年前に比べて驚くほど食べられなくなっていた。
 握りを3個、カキフライを1個、パイナップルを1切れだけで、もう十分だと言う。 
 一貫の握り寿司を箸で口に運ぶことが極めて難しく、見守り続けるべきか介助するかの瀬戸際である。
 唇の力がないので、くわえた寿司がなかなか口の中に入っていかない……。
 やがて食べさせてあげ、固形物が流動食となり、その嚥下も困難となり、経管から胃ろう…となっていくのだろう。
 全ての競技が終了したオリンピックに残された閉幕式のように、いかに有終の美を飾っていくのかという残余の命……。


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2/25(金) 
起きている時も、無意識の時も、調子が良い時も悪い時も、どんな時にもブレずに、一貫して同じ方向に出力されたチェータナー(意志)は、業を形成しやすい。 
 集中した心で、何度も繰り返され、言葉に出して言い、実際の行動とセットになったチェータナー(意志)は、業の形成を強化するだろう。
 なぜそうするのか、動機を自覚し、その目的を理解し、どのような結果となるかが見えていて、確実に実行されていったチェータナーは、絶対に逃れようのない業となって結実するだろう……。


  
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2/24(木) 
母はずいぶん昔から、寝たきり状態で死ぬのは嫌、と言うのが常であった。
  その累積されてきたチェータナー(意志)のせいなのか、排泄にも歩行にも摂食にも困難が生じてきているのに、まだギリギリのところで自立が保たれていると言える。
  人に迷惑をかけたくない、という意志が一貫して形成してきた業なのか……。


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2/23(水) 
「安らかに死にたいね」
 「いつものように家族に『おやすみ』と言って、おばあちゃんがお休みになりました。翌朝、布団の中で冷たくなっていました……。こんな死に方はいかが?」
 「いいねぇ」
 「お母さん、人はね、思ったとおりに死ねるものなんだよ。人生の締めくくりなんだから、有終の美を飾って、きれいに、安らかに、美しく死ぬ、と決め、繰り返し思っていれば、そうなるものなの」
 「ああ、そうなの」
 「この世は業の世界だから、寝たきりになって死ぬ…と思っていればそうなるし、最後まで自立してピンピンコロリで死ぬ…と思っていればそうなるの。
 どのように生きるか自分で決めるように、どのように死ぬかも自分で決めるの……。キッパリ、はっきりと、強く思っていれば、そうなっていくの」

 
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2/22(火) 
母の判断力がまだ確かなうちに確認しておきたいことを訊ねてみた。
 「お母さん、もしこの先、自分の力で食べられなくなったら、今は<胃ろう>と言って胃袋に直接栄養物を入れながら延命できる時代なんだって。お母さんがお望みなら勿論そうするけど、どうしたい?」
 母は即座にノー、ノーと手を振った。
 「そんなことはしたくないよ。88まで生きたんだから、十分だよ」
 「あ、そう。……解った。じゃあこの件は主治医のN先生に伝えておこうね」
 やはり何度訊いても、母が死を覚悟し、受け容れていることは確かなようだ。
 「……お母さん、どういう風に死にたい?」
 

  
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2/21(月) 
意味もなく、無常に変滅していく現象世界の事柄である。
 何事かエネルギーを放てばそれに相応した結果が展開し、何もしなければ既に存在していたエネルギーが転変していく。 
 諸々のエネルギーの塊りとして存在しているからには、何をしてもしなくても、終わることのない変滅の
流れを無限に続けていくしかない。
 素粒子やクォークの動きにいたるまでの一切が寂滅した稀有な状態に達する道もあり、ブッダのヴィパッサナー瞑想と呼ばれる。


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2/20(日) 
思考モードで反応すれば、身勝手なエゴの振る舞いになるだろう。
 沈思黙考すれば、客観的な立場から発想を転換させることができるにちがいない。
 瞑想をして、法の感覚に触れ、必然の力で展開する流れに従いきっていく……。


  
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2/19(土) 
エゴ妄想が生まれてくる源は、左脳の言語野に相当する領域であろう。
 ジル・テイラー博士のように、脳卒中でこの部位が破壊されると、言葉と同時に理性や論理的能力なども失われてしまう。
 知恵も失うがエゴ感覚もなくなり、万物との一体感など悟り体験と近似した境地に浸ることができるようになる。
 脳卒中や認知症でダメージを受けた部位の機能が回復することは難しいが、訓練によって左脳のその部分をOnにしたりOffにしたりすることはできる。 
 一切の思考や先入観を排除してあるがままに眺め、その直後にラベリングを打って言葉確認をする営みで、「サティの瞑想」と呼ばれる。


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2/18(金) 
認知症になってからの母は、ただそこに存在しているだけで何とも言えない可愛らしさが漂っている。
 そんな母と一緒にいるだけで私自身が深く癒され、心から安らいでいられることに驚いた。
 多くの人がイルカや犬など人間以外の動物に癒されるのは、人間のエゴ感覚の嫌らしさが微塵もないからだろう。
 母の認知症は、短期記憶の能力とともに、エゴ妄想から生まれる「我執」の臭みを一掃してくれたようだ……。


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2/17(木) 
自立を諦めていないからこそ、不甲斐なさに涙をこぼすのだ。
 「お母さん、はい、スクワットやりますよ。……ラジオ体操やりますよ。……階段踏みやりますよ」と提案されれば、しんどくても、必ず応じて一所懸命やろうとする母。
 その健気さ、素直さ、ひたむきさに、ジーンと胸を打たれることもしばしばである。
 終わると、椅子に座らせ、「偉い! よくできたね! すごいよ、お母さん…」と思いきり褒め、湯せんにして温めておいた濃厚な野菜ジュースをご褒美にあげる。
 意味のない人生だからこそ、燃え尽きようとする命の最後の日々を、ただ生きるために生きていてよいのだ。
 生存の無意味さが骨身に沁みて理解され、輪廻転生の怖ろしさが痛感されたとき、仏教の悟りを目指す道が視野に入ってくる……。


  
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2/16(水) 
かつては自在にできた諸々の能力が、次々と失われていく……。
 その事実に耐えられず、母は泣くのだ。
 そのたびに慰められて納得するのだが、新たな次の喪失感に打ちのめされてはまた涙をこぼす。
 住み慣れた自宅で、愛する家族と共に過ごせる最後の日々は、母の切望していた理想のはずではなかったのか……。
 だが、手に入れてみれば、幸福以上に、いかんともしがたい悲しみがあった。
 老いの先には死があり、死の先には再生があり、新たな人生には束の間の幸せと、数多の苦が控えている……。

  
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2/15(火) 
牛乳を入れたかぼちゃの味噌汁が美味しい、と微笑む母は幸せそうである。
 だが圧迫骨折の痛みに、全身の筋肉の衰えが激しく、自立歩行がギリギリ可能の状態では体で楽しめるものはほとんど無い。
 記憶力も認知能力も下降線をたどるのを食い止めることはできず、大好きだった大河ドラマもストーリーが追えなくなり、ほとんどのテレビ番組に興味が失われつつある。
 同じ時代を共に生きた人々が次々と姿を消し、その記憶も徐々に曖昧となり、失禁しては泣き、ズボンが上げられないと泣き、ロレツが悪く思うように話せないと泣く日々である。
 幸せだと言う母の言葉に嘘はないのかもしれないが、深まっていく老いの悲しみ……。
 「老いは、ドゥッカ(苦)である」と、ブッタ゛は言う……。

  
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2/14(月) 朝日カルチャー講座や関西瞑想会の仕事が終わり、雪が降り始めた夜道を歩いて帰宅した。
 母の夕食の世話と片づけが済んで、ちょうど帰っていくヘルパーさんと門前で出会った。
 母を入浴させ、風呂上がりの母とコタツでしばらく話をした。
 「お母さん、幸せ?」
 「毎日、どうということなく過ぎていくよ……」
 「え? 幸せではないの?……じゃあ、どんな風だったら幸せなの?」
 愛する人、信頼できる人が一緒にいてくれれば幸せであり、今は幸せである、と語ったが、笑みを湛えての積極表現ではなく、寂しげにも見えた……。

  
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2/13(日) 自分の心を信じてはいけない。
 ギリギリの土壇場にならなければ、自分でも最深層の本心は分からないものだ。
 こんな筈ではなかった……と愕然とすることもあるだろう。
 たとえ悪いプログラムが書き換わっていなくても、サティの心を保ってよく気づいていれば、抑止することはできる……。


  
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2/12(土) 
睡眠時間が3時間の日は、10分間程度の短い午睡を1、2回取るのが習慣になっている。
 その日も眠気が来たので、母がスヤスヤと眠っている居間のコタツに私も静かに身を横たえた。
 するとその瞬間、母は私の存在に気づいたらしく、ナマケモノのような緩慢な仕草で、幼い子供の布団を直すように掛け直し、すぐにまたスヤスヤと寝入ってしまった。
 認知症を病む88歳の母が、睡眠が一瞬途絶えた半覚醒状態で、反射的に反応したのだ。
 こうした最深層の心に、慈しみの心が、悪を避け善をなす心が、守戒の心が、反応パターンとして組み込まれているだろうか……。


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2/11(金) 
たとえ知的に理解し、頭では納得していても、生身の体験として、その愚かさや虚しさを検証しなければ、腹に落ちないものだ。
 ドゥッカ(苦)がなければ、身に沁みない。
 苦がなければ、悟りも解脱もない……。 


  
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2/10(木) 幸福を求めることの、救いようのない虚しさ……。

  
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2/9(水) 
神々として極めて長い寿命を得るが、しかし、天界に留まれるだけの業が尽きると、神々に死期が近づいた時の5つの兆候(天人五衰)が現じて、次の再生に向かって堕ちていかなければならない。
 どれほど長く堪能した快楽も、終わった瞬間、一炊の夢と化してしまうのだ。
 天界から輪廻していく苦は尋常ならざる激越なものだと言われるが、いずこに転生しようとも恐ろしい苦に満ちた世界へ下落していくのである。
 苦しみも、苦しむ人もいない天界では、どうやって徳を積み、善行を重ねるのだろうか。
 燃料をガンガン燃やして快適な暖房が得られるように、過去に集積した徳をスッカラカンになるまで費消して天界の楽受を得ていたのだから、今や無一文で荒野に立ち尽くすようなものではないか。
 仮に、母が欲楽天に再生できたところで、やがて必ず、身も細るようなこの日を迎えるのだ……。


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2/8(火) 
その下の第21層から最下層まで6層の天界は「欲楽天」と呼ばれ、眼耳鼻舌身の知覚情報を享け楽しむ領域である。
 膨大な善業の集積による因縁の力で輪廻していくのだが、そこでは常に喜びを感じ、いつでも楽を受けられる極楽世界のようである。
 至福の世界で圧倒的な楽受の日々が続けば、苦の本質を洞察する智慧は生まれにくい。
 そもそも苦受が無きに等しいのに、苦から解脱しようとする修行に励むモチベーションが生じるのだろうか。 
 快美な生活を、途方もなく長い歳月に渡って堪能するのである。
 業が支配する世界なのだから、そこへ転生したければ、衆善奉行に徹し抜き、ありとあらゆる善行を積む以外に道はない。
 母は、欲界の天に再生できるほどの徳を積んできたのだろうか……。


  
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2/7(月) 
残された者が、死んでいく人にできることは、最良の「死近心」が生じて良き再生に導かれるように、できる限りのことをしてあげることである。
 死を怖れないこと、安らかに死を受け容れることは、何度もレッスンしてきたが、さて、死後どこへ再生すればよいのだろう。
 原始仏教では、六道輪廻と言い、死の直後に地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天(神々)のいずれかの領域に、否応なく再生してしまうと言われる。
 人間と神々の領域以外に再生したのでは、とても修行どころではない。
 神々が住む天界は26層もの多層構造になっていて、上位20層に転生するためには、瞑想修行に専念しサマーディの第一段階(初禅)以上の境地に達していなければならないと言われる。
 母が、この領域に再生する可能性はゼロである……。


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2/6(日) 
この期におよんで、母が悟りを開き解脱することはあり得ないだろう。
 死後、輪廻を続けていくことは定まっている。
 来世は、エゴの世界を超えていく修行に入れるだろうか。
 そのために今、残された日々を心おきなく、見守られ、愛され、受容されている幸福感を存分に味わっておくのがよいだろうという配慮……。


  
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2/5(土) 
大勢の人から喝采を浴びても、誰もいない家に帰っていく寂しさ……。
 どれだけ多くの人が認めてくれても、自分の存在を丸ごと受け止めてくれるたったひとりの人に心は渇いている。
 無条件に受け容れられて満たされるエゴ感覚……。
 無我の修行に着手するのは、それからだろう。


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2/4(金) 
語り合っていてもよい。
  沈黙していてもよい。
  何もできなくなってもよい。
  ただ一緒にいるだけで、よいのだ。
  あなたは大事な人だ、かけがえがない存在だと、無条件で受け容れられてさえいれば……。


  
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2/3(木) 
「お母さん、多かったら残していいんだよ。ヨーグルトも果物もお菓子もあるからね」
 と言うと、あっさり残すようになったので拍子抜けした。
 サンバラが働くためには、煩悩を抑止する意志を持たなければならない。
 なぜ抑止しなければならないのか、その意義を理解しなければならない。
 暴れまわる煩悩に対抗するエネルギーと努力も不可欠である。
 何よりも、我が身の状態をありのままに、正しく気づかなければならない。
 母の場合、一瞬一瞬推移していく現状の把握に問題があるのだろうか。
 そうであってもなくても、不足を補うのは側にいる者の責務ではないか。


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2/2(水) 
食欲も、物欲も、愛慾も、ゲームにハマるのも、麻薬でジャンキーになるのも……、快感ホルモンが分泌する陶酔の瞬間を目指している。
 快感は、幸福の条件の一つではあるが、貪りや渇愛や執着につながりやすく、ドゥッカ(苦)への第一歩となる。
 ドーパミンやエンドルフィンなど快感ホルモンの受皿である受容体の構造上、より強い快感と刺激を求めてエスカレートしていくのを避けられない宿命なのだ。
 もうよい、と快感を自ら抑制する意志が、真の幸福への道となる。
 「サンバラ(抑止・律儀)」とも言う。


  
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2/1(火) 
人生の終末期での幸福とは、何なのだろう。
 なんとか自力で食べ、トイレや風呂場にかろうじて歩いていけるだけでも感謝すべき今となっては、ささやかな幸福感を感じてもらえるのは食事ぐらいしかない。
 腕によりをかけ「美味しい!」と母に言わせることに情熱を傾けてきた。
 おかかに椎茸、ホタテ貝、海老などを基本に、さまざまな具材のダシさえしっかり取れば、どんなスープも麺類もチャーハンも美味しくなるものだ。
 果物もデザートもサプリメントも長い時間をかけて毎回完食するのを見守っていたが、いつの間にか母の体重が1.5kgも増加していた。
 膝に負担がかかるので気をつけてください、と主治医に言われた。
 毎食後、歯磨きが終ると倒れ込むように長時間の昼寝に入っていたのも、過食が一因だったのかもしれない。
 味覚を通して快感を得たかもしれないが、果たして幸福につながったのか……。


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1/31(月) 
母が読書やゲーム機を始めると、2Fで仕事をするのが常であったが、今は小型の端末でメールの返信などをして、できるだけ母と一緒にコタツを囲むようにしている。
 息子が2Fで仕事をしている……と思うのと、たとえ沈黙したまま時間が流れていくだけであっても、今、姿が視野の中に確認できているのとでは、認知症の母にとっては大きな違いがあるのではないか。
 幼い時、毎日、家の中でさまざまな遊びに夢中になっていたが、洋裁をしながら常に見守ってくれている母親の存在はかけがえのないものだった……。
 買物や何かの用事で母が不在だった時を憶い出すと、必ず帰ってくるのがわかっていても、孤独感が幼い胸に迫ってきた。
 人生のスタート時に最も大事なのは情緒の安定であり、人生の終末を迎え死んでいく時にも、最も大事なのは見守られている安心感と情緒の安らぎだろう。


  
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1/30(日) 
まだ何の生産や創造にも関われないが、赤ちゃんにとっての一日一日はかけがえのない人生の一コマだ。
 人生の終末期にいる老人の一日一日も、かけがえのない人生の幕引きの一コマだ。 
 脚も手も口も全身の老衰がいちじるしく、麺類を箸で挟んで口元に運ぶことも、口にくわえた蕎麦やうどんをすすり上げることも困難になってきた母。
 意味のない人生である。 
 何もできず、ただ生きているだけ、苦痛がないだけ、安心できる人と一緒にいられるだけで良いのだ。
 すくすくと育つ赤ちゃんが希望に輝いて見えるように、今日も一日無事に終わることができたと安堵の表情を浮かべながら、死に向かって人生を完成させようとしている母が輝いて見えてくる……。


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1/29(土) 
臆病になるのも大胆になるのも、ケチなのも気前がよいのも、具体的な遺伝子が特定されている現代である。
 遺伝子に組み込まれている資質は、過去世から集積されてきた己の宿業を反映するのかもしれない。
 どのような家庭環境に生まれ、どのような人に出会い、どんな出来事に巻き込まれて性格形成がなされていくのか……。
 優しさをもらうのも暴力や虐待を受けるのも、とどのつまり己の過去の行為の結果であり、自己責任ということになるだろう。
 人から人へと、リレーのように伝えられていく優しさがあり、連鎖する憎しみがある。
 手渡されたバトンは受け取るしかないが、次の人に渡すのも渡さないのも、さまざまな付加価値を付けるのも付けないのも、自らの意志(チェータナー)によって自由に、どのようにでも決められるということ……。


  
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1/28(金) 
母の家系をたどると、その血を引いているとはとても思えない自分の真っ黒い心に愕然とする。
  優しかった祖母や伯母と出会えたカルマもあったが、世界一憎んだ父との確執もあったのだから、それもやむを得ないのか。
 「優しい人」も「怒りの人」も、エゴ妄想がまとめ上げた「有身見」に過ぎない。
 優しさの系譜があり、怒りや悲しみの系譜があるだけだ……。


  
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1/27(木) 
男女6人の子を育てたその女性は、明るくて本当に優しい人だった。いつお会いしても可愛がってくれ、側に寄っただけで、あたたかい波動に包み込まれるような感じがした。
 成人した6人の子供さん全員に一人ずつ訊ねてみると、幼い頃も長じてからも母親に怒られたことはただの一度もなかった、という。そんな子育てがあり得るのか…と心底驚いた。6人ともそろって母親譲りの、無類の人の良さであった。
 命の灯が間もなく消えようとする病室に、その女性を見舞った。
 落涙を禁じ得なかった……。


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1/26(水) 
母が女学生の時に亡くなった父親も優しい人だったと聞いていたが、父親と母親はどちらが優しかったの?と訊いてみた。
 すると、「お父さんの方がずっと優しかったよ」と言下に答えたので、面食らった。
 あの祖母よりも優しかったとは、どんな人だったのか。
 では「そのお父さんの両親、祖父母はどんな人だったの?」と、さらに訊いてみた。 
 すると、優しかった父親よりも祖父の方がさらに優しく、その祖父よりも祖母はもっと優しかったのだという。
 では、母方の祖父母はどうだった?と訊くと、父方の祖父母とは比べものにならないほど優しく、特に母方の祖母が最高に優しかったという。
 母は、4人の祖父母の誰からも、一度も怒られた経験がない。
 なるほど。
 私がこれまでに出会った全ての人間の中で、誰よりも最高に優しかったのは伯母(母の姉)だったが、6人の子供を一度も怒らずに育てた背景がわかってきた……。


  
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1/25(火) 
落涙を禁じ得なかったのは、祖母と同時に、あの寝たきりの老婆の生涯へ思いが馳せていたからだった。
   野垂れ死に同然で納屋に放置されるまで、どんな人生だったのか。
   テレビもパソコンも車椅子も介護技術も何もない時代に、誰ともコミュニケーションを取れず、ただ布団に横たわったまま粗食を食べ排泄しているだけの7年間……。
   意志表示する体と口が全面的に不随であっても、心も意識も普通に機能していたのであれば、日々、何を思いながら生きていたのか……。
   行けば必ずこちらを食い入るように凝視していた、あの眼が忘れられない……。


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1/24(月) 
幼かった頃、母の生まれ故郷に何度も遊びに行ったが、祖母は孫の私たちをいつも優しく可愛がってくれた。
 奥の座敷には、脳溢血で全身不随となり口もきけず寝たきりになった老婆がジーッとこちらを眺めていた。
 祖母の実家の近くの納屋に放置され、食事も満足に与えられないような有様で、あまりの悲惨さに見かねた祖母が引き取って面倒を見てあげていた方だった。
 祖母は毎日三度のご飯を食べさせ、日に何度もお下の世話をし、汚れたおむつや衣類をたらいで洗濯していた。
 長い間、遠い親戚なのかと思っていたが、血の繋がりはなかったのだと知り、ショックを受けた。
 自分の親の介護すら避ける人が少なくないのに、なぜそんなことが7年間も続けられたのか。
 幼い私の目に、尊い介護の姿を焼きつけてくれていた祖母を思い出し、涙が止まらなかった……。


  
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1/23(日) 
悪を避け、善行(クーサラ)に励み、せっせと己のカルマを善くして楽受の日々を得ても、家族や友や周囲の者が不善業の結果に苦しみ抜いていたら、幸せではいられまい。
 たとえ誰もがそろって幸せになったとしても、同じ幸福状態が永続することはなく、幸福の変滅性と虚しさを検証するだろう。
 不幸を忌み嫌い、幸福を求めれば求めるほど、無常の苦が心に沁みる……。


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1/22(土) 幸せな、良い人生だったとも言える母の生涯も、戦前・戦中の過酷な暮らし、大変な結婚生活、戦後復興期の貧しい時代、子育てが終わっての孤独、やっと夢が叶い息子と一緒に暮らせるきっかけになった認知症の最晩年……。
 長生きをすればするほど、ともに同時代を生きた仲間にも、友にも、親族にもことごとく先立たれ、一人取り残されていく。
 幸せだった人にも、不幸だった人にも、人生は苦に満ちている……。 


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1/21(金) 朝、起きてから、夜、眠りに就くまで、「嫌悪」や「不快」など心身の苦受にサティを入れる回数と、「幸せ」や「感謝」など楽受にサティを入れる回数を比較し、統計を取ってみると、どうなるだろうか。
 微弱な程度を含めれば、90パーセント以上が「嫌悪」系の苦受ではないか……。
 人生は苦に満ちている……。 

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1/20(木) 
苦受は苦受、楽受は楽受として、淡々と、等価に見送っていくことができるならば天晴である。
 だが、頭ではよく分かっていても、いざ現実の苦に叩かれ、快感に身を貫かれるや、我を忘れてあられもない反応にのめり込んでしまうものだ。
 人生に意味があろうと無かろうと、苦を回避したいのであれば、現象世界を貫く法則を心得て、悪を避け、善をなしていく。
 人に苦しみを与えない……。


  
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1/19(水) 
朝の日の光を浴びながら開き始める蕾の花があり、黒ずんで枯れ落ちていく終末期の花がある。
 土中で根を伸ばす雌伏の時も、爛漫と咲き誇る絶頂期の花も、ただその時その状態を生きているだけで、どの時期も等価な花の生涯であり、波打ち際に拡がる砂のように、意味のない命のいとなみである。
 意味のない人生に、ただ苦楽の日々がある……。


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1/18(火) 
命から命へと苦しい生存を輪廻していくものもあり、苦と苦を癒す道のみがある世界だと心得るものもある。
 生存に執着する人生があり、存在の世界から解脱しようとする人生もある……。
 どちらも、それはただそれだけのことなのだ……。


  
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1/17(月) 
人生に、意味はない。
 人が住まなくなった廃屋の庭一面に生い茂った夏草が、ただ繁殖し誰に見られることもなく秋には枯れ果てていくように……。
 人類にも、この世界にも、意味のある進歩などは何もなく、ただ無常に変滅していく命のいとなみがあるだけだ。
 もう何もできなくなり、毎日毎日ただ、かろうじて生きているだけの母。
 その母を支えながら、人生の幕引きに立ち会い、見守ることが最大の仕事になった息子。
 本当に、それはただそれだけのことなのだ……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


1/16(日) 
和やかに母との話を終え、ケアマネが辞去しようとすると、母も超スローな動作で玄関まで見送りに来た。 
 そしてゆっくりと身を屈め、若いケアマネの靴を揃えた。
 「あ、いいです。いいです」と、背後からあわててケアマネが制止した。
 記憶がボロボロ失われ認知も乱れ、体力が急速に衰えて、自分一人では上着の袖も通せなくなったことに子供のように泣く母だが、こうした配慮を司る脳細胞は昔と何も変わってはいない。
 夕方になるとほぼ毎日買物に行くが、門灯が暗いままになっていたことは一度もないのだ。
 そんな心配りなど忘れて当たり前の病気であればなおのこと、我が家に近づき、明かるい灯が見えてくると、私の胸にもポッと温かいものが燈る……。


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1/15(土) 
若い頃はどんな暮らし方をしていたのですか、とケアマネが母に訊ねた。
 保健所に勤務するキャリア・ウーマンだったことに興味を持ったのか、30代の男性ケアマネは巧みな質問で次々と話を訊き出していった。
 徒歩5〜6分の職場だったので毎日自宅に戻って昼食を摂っていたことや、水戸へ出張に行ったエピソードなど、期せずして素晴らしい回想法になっていった。
 座椅子に腰を掛け、一つひとつ丁寧に答えていく母は終始、おだやかな微笑みを湛えていた。
 自分の人生の輝いていた時代をはからずも振り返ることになり、また、感心したように頷きながら聞いてくれる人の存在がよほど嬉しかったのだろうか。
 身体の老衰がつとに進み、粗相も物忘れもいや増す心の黄昏とは打って変わって、カーテンが開け放たれたリビングには、若々しい午前の陽光が燦々と降り注いでいた……。


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1/14(金) 「先生」と呼んで慕ってくれる教え子の声を聞いた瞬間、絶句し、号泣した母の心がフォローできたような気がした。
 優しさも、懐かしさも心に沁みたであろう。
 だが、老いて何もできなくなった自分に敬意を払い、「あなたはまだ価値ある存在だ。私にはかけがえ
のない人だ」と認めてくれた方がいたことに心を揺さぶられたのではないか……。


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1/13(木) 
日増しに自信を失っていく母の寂しさは、いかばかりだろうか。
 歩くのも、食べるのも、手を伸ばすのも、あらゆる動作がナマケモノのような緩慢な動きとなり、牛乳の紙パックを開ける力もない。
 洗面所のお湯が出ないと言って子供のように泣いていたのは、ガスの電源を点けることもわからなくなった絶望と混乱の涙だったのかもしれない。
 今まで出来たことができなくなっていくたびに涙をこぼし、まだ出来ることを喜ぶように発想の転換をうながし励ましてきた。
 今朝の失禁は忘れてしまったかもしれないが、新しいことが覚えられず、記憶が失われていく恐怖が母の自信を奪い去っていく……。


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1/12(水) 
ちょっと長いかな……と不審に思い、洗面所に行ってみると、果たして母が着替えをしている最中だった。
 手に便が付いているので「お母さん、新しい下着が汚れちゃうからシャワーを浴びましょう。ちょっと待っててね。今、お湯が出るようにするからね」
 体をきれいに洗い着替えてもらっている間に、便の付着した下着をビニール袋で処理し、汚れたズボンや股引、トイレのスリッパなどを庭のバケツで洗ってから洗濯機を回した。
 どうやらトイレでズボンを下ろすのが間に合わず、失禁したらしい。
 便で汚れた床やドアを拭き、洗濯が終ると、もうお昼だった。
 さっぱりした母は、コタツで穏やかにしていた。
 過ぎ去ったことをいつまでも悔やんで心を痛めないのが、認知症の良いところだ。
 もう何も覚えてはいないが、一人で何とかしようと絶望的な想いに打ちのめされていた瞬間の印象が、薄っすらと心に降り積もっていくのかもしれない……。

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1/11(火) 母が20歳の頃、小学校の代用教員をしていたが、当時の教え子の方から電話があった。
 母を「先生」と呼び一貫して慕って、毎年お歳暮も欠かさず送ってくださる書道師範の婦人だった。 
 母の現状を伝えると、「小学3年でお会いして以来、わたしは先生のことが好きで、好きでならなかったのです」と言い、昨年母と別の教え子と3人で小旅行を計画していた話などをされた。
 母に受話器を渡すと、「Hさん……!」と母は絶句したまま顔をクシャクシャにして嗚咽し、やがて号泣に変わった。 
 「先生!…先生!」と受話器から小さく漏れてくる声を耳にしながら目頭が熱くなった。
 老いて認知症を病む母にとって、どれほど嬉しい出来事だったろうか……。

 
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1/10(月) 体験を重ね、心から納得し、腹中深く落とし込まれていくこと。
 いかなる場合にも、悪を遠ざけ善をなしていく決意。
 意志決定のプロセスを根底から変容させる洞察の衝撃……。

 
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1/9(日) 正確にサティが入れば、欲望や怒りに巻き込まれることなく、きれいな心でいられるだろう。
 サティが入らなければ、我執に満ちた煩悩の反応で心を汚すかもしれない。
 常に気をつけていなければ、真っ黒な心が噴き出てくる……。
 これでは、まだ心の清浄道は完成していない。 

 
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1/8(土) できる筈だ。できて当然、という気持ちがあれば、粗相や失敗を受け容れるのが難しくなる。
 コンプレックスが強く、才能の乏しい人に何事かを教える立場に立ったとき、何度繰り返してもできないことを叱責したのでは、秘められた力を開花させることはできないだろう。
 ネガティブな事象をありのままに、やさしい心で受け容れることの大切さを、母に教えられた……。

 
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1/7(金) 普通の人に対しては、どうだろうか。
 いや、普通以上に才能のある人や優秀な人が、何度も同じミスや失敗を繰り返したなら……。
 認知症の人と同じように、起きたことは起きたこととして、平然とありのままに受け容れることができるだろうか。

 
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1/6(木) 認知症の母の物忘れも失禁も、完全に受け容れているので、ネガティブな感情が動こうはずはないのだ。
 反応系の心が確定しているので、サティが入っても入らなくても、静かに、優しく、淡々と対応することができる。
 それが認知症の患者の心に、安心感を与えるはずだ。
 どんなことであれ、起きたことは起きたこととして、ありのままに受け容れることができれば、人は優しくなれる……。

 
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1/5(水) 買物から帰ると、失禁したらしく母が着替えの最中だった。
 一瞬、身を潜めるような反応をしたので、母の方は見ないで「汚しちゃったの?……大丈夫だよ。平気、平気」と、できるだけ優しい明るい声で、何事もなかったように言った。
 「おしっこ?」
 「うん……」
 「そう。股引とズボンは大丈夫だった?」
 「ちょっとだけだから」
 「ああ、よかったね。だいじょうぶだよ」
 安心したのか、悪びれずに母も着替えを続けた。
 嫌悪や非難や蔑みなど否定的な波動をチラとでも感じれば、その瞬間、深く傷つくだろう。
 平然と、やさしく受け容れてあげれば、心を痛めることはない。

 
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1/4(火) 苦に遭遇しなかったら、どうやって小児的自己中心性を自覚するのだろうか。
 苦を乗り超えていくプロセスで、心が成長し、人格が磨かれていく。
 ドゥッカ(苦)がなければ、苦から解脱する悟りもない。

 
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1/3(月) 体の細胞にまで沁みついている愛された記憶。
 エゴを抑制する慎み。
 人の心を傷つけない配慮。 
 智慧と気づき(マインドフルネス)に支えられる慈悲の資質……。

 
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1/2(日) 自分の考えを屈託なく表現できる能力は、甘え上手の末っ子キャラから生まれやすく、いきおいそれは「慎み深さ」や「謙虚さ」とは矛盾する。
 多くの方が母の「謙虚さ」を指摘するが、末っ子だった母はそれをどこで身に付けたのだろうか。
 厳格で怒り系だった舅、難しい性格の姑、義理の兄と兄嫁、その幼い子供たち、甘やかされて育った小姑、使用人、等々が同じ屋根の下で暮らす家に嫁いだ母は、姑にスポイルされた夫との間に2人の子を設けて、私が3、4歳になるまでの歳月、そんな大家族の複雑な人間関係に日々シゴかれていたのだ。
 認知症になっても失われない母の返事の良さや謙虚さは、天然のものではなく努力の末に体得したものだったのかもしれない。
 人に好かれる母のキャラクターは、優しさや愛を素直に受け容れる能力と、エゴを抑制して謙虚に慎む能力との絶妙なバランスに由来するのか……。

 
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1/1(土) 八王子の研究所がすっかり荒れ果てゴースト化してしまったので、年末の一日、Web会の有志が掃除作務に来てくれた。
 プロ仕様の丁寧さで全員が粛々と作業を進め、日が暮れる頃には、道場は見ちがえるようにピカピカになった。
 死にかかった人間が命を吹き返し蘇生するように、道場は明日からでも合宿が再開できそうなほどに甦った。
  物理的にチリやホコリがなくなり、整頓されただけとは思えない印象を受けた。
 例えば、色街の室内や犯罪者のたむろするアジトが塵ひとつなく清掃されていても、清々しい感じや神々しい印象を受けることはないだろう。
 土地の気や波動は、そこに存在していた人間の気や想念の集積されたものなのではないだろうか。
 長い年月、数多くの人たちが瞑想してきた修行場を甦らせようと、作務をされた方々の想いに後押しされて瞑想するであろう未来の人達……。




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