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<<ヴィパッサナー瞑想体験記から>>
・・・喫茶テーブルでお茶を飲みながら
 『この痛みは諦めるしかないのだ』
 と思った時、胸のあたり一面がオレンジ色の靄に包まれました。
 『あ。これは怒りかな』
 と思い、「怒り」とサティを入れた瞬間、フッと体が軽くなり、腰半分ぐらいに感じていた痛みが十円玉ほどに縮小しました。
              ・・・
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■更新日:平成21年8月4日
 更新内容の全てをご覧になりたい方、このホームページの全ページ構成をお知りになりたい方はナビゲーションページ


∽∽∽∽  今日の一言  ∽∽∽∽

7/29(木) 現実の事象に感動しているのではない。 
 現実が心の中に湧き起こす幻想が、人を酔わせるのだ。
 常に甘美なのは、妄想だけ……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


7/28(水) 
眼耳鼻舌身から次々と取り込まれる情報に刺激され、間断なく妄想し続けながら死んでいくのが人生だ。
 六門の情報を遮断し、完全な沈黙の中に没入していく瞑想がある。
 乱入してくる六門の情報が知覚される瞬間に離脱し、刹那刹那の静寂を守り続ける別次元の瞑想もある……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


7/27(火) トラウマや劣等感や過去の抑圧から完全に解き放たれたとき、存在の悲しみに触れる。
 因果のシステムを司るサンカーラのドゥッカ、「行苦」に触れる……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


7/26(月) 抑圧することはできても、記憶そのものを抹消することはできない。
 ネガティブな記憶も楽しかった記憶も、過ぎ去ったことは過ぎ去ったこととして、等価に達観できる心境……。
 受け容れれば、解放される。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

7/25(日) 
スラム街も色街も酒に溺れた流れ者の泊る宿も、夕陽のシルエットになって浮び上がれば詩的な情趣さえ漂う。
 どのような街、どのような家庭、どのような環境であっても、幼年時代の持つ意味やかけがえのなさは変わらない。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

7/24(土) 
過去を受け容れられなければ、今の瞬間をあるがままに観ることは難しい。

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

7/23(金) 
私がやられてきたことを、味わうがいい!……とダイレクトに復讐する者もいる。
 爆発的な仕事力に転化させて、出世や成功への執念をたぎらせる者もいる。
 怒りのエネルギーは、その破壊の要素ゆえに、復讐の原点になった不快な出来事を再生産させるだろう……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

7/22(木)
 どんなにつまらぬ境遇であっても、そこで自分の最高の人生が開かれていくのだ。
 ゲンジボタルの成虫が発光できる期間はせいぜい7日、長くても10日にすぎない。
 最初の5日間は光らず、最期の2日間にすべてを賭けて求愛の光を放って輝く。
 愛が受け容れられると強烈な同調の光がシンクロし、二匹の体の10数倍もの円周全体をマバユイばかりに明るく照らす……。
 変哲もない川の土手や、ただ雑草が生い茂った舞台で……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

7/21(水) 無傷な心が、たとえあったとしても、永遠に続くのだろうか。
 無傷なまま、心も体も老衰していくであろう。
 完璧な幸福も、いかなる命の、どのような状態も、因果関係の所産であり、諸々の条件に支配され、一瞬の輝きを放つだけで壊れていく……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

7/20(火) 
病んだ人が、必死の努力で健康を取り戻していく。
 自由を奪われた人が、国家が、民族が、宿世の悲願を勝ち取っていく道のり……。
 傷ついた心が癒され、荒廃しきった心に優しさと慈しみの灯が点っていく。
 どこにでもある普通の凡夫状態というゴールに向かって、失われたものの回復の物語が完結して死んでいくのか……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

7/19(月) 
復讐することもできる。
 沈黙することもできる。
 共感することもできる。
  ボロボロになった人々に手を差しのべることによって、救いようのなかった自分自身を癒やす仕事が完成していく……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

7/18(日) 
愛を与え、慈しむ心を捧げた報果として、無償の愛に育まれる環境がととのい、無類の優しさに包まれる日々となるだろう。 
 そうして、心のどこかに付着していた悲しみの残滓が完全に溶解していく……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

7/17(土) 
傷ついた人たち、落ち込んでいる人たち、生きる力を失った人たち、絶望した人たちに、優しさの手を差しのべることができるだろうか。
 同じ目線、同じ立ち位置に立って、他人の苦しみに共感できる悲(カルナー)の心は、どのように養われるのだろうか。
 ……失敗をしなさい。挫折をしなさい。敗北感に打ちのめされなさい。
 失意のどん底で、身をもって味わう痛切なネガティブ体験が、優しさの原点になっていく……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

7/16(金) 
仕事を覚えたかったら、瞑想を深めたかったら、匠の人になりたかったら……、失敗をしなさい。
 本気モードにスイッチが入るだろう。
 大失敗の痛切な体験が、創造性の原点になる。
 最悪の現状を分析し、要因を洗い出していくプロセスが、宝の山なのだ。
 偉大なる道は、失敗から始まる……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

7/15(木) 
本当は捨てられないものをヤケクソで捨てれば、またゴミ捨て場に拾いに戻るだろう。
 この世を出て、別次元の世界に入っていくためには、諦めのついたものとまだ未練のあるものを丁寧に分別し、よく確かめて自覚しながらゴミ袋をまとめていく。 
 くだらないことだと分かっていても、執着があるのだから、愚行を繰り返すことにも意味がある……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

7/14(水) 
人の心は、解らない。 
 不都合な真実を本能的に抑圧する自分の心は、もっと解らない。
 心の真実がありのままに洞察されれば、熟した果実が落下するように生存の世界から解脱していく……と仏教は言う。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

7/13(火) 
つき合いがなくなれば、情報がリニューアルされることもなく、いちど作られたネガティブなイメージはそのまま凍結していくだろう。
 そんなある日、突然の訃報が舞い込んでくる……。
 すると、その瞬間から、あんなに嫌だと思っていたのに、なぜか次々と美点が思い出され、懐かしい情感に包まれていく。
 どの道もう会うことはないのに、生きていると思えば赦せないが、死ねば水に流せる怨念……。

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

7/12(月) 
濃密な愛が一転、強烈な怒りに変わり、打ち上げ花火のように爆発して終われば結構だが、多くの場合、恨みとなって持続する。
  関係が深ければ、思い出の分量も膨大なものとなる。
  いきおい、ネガティブなものばかりが自動選別され、良い思い出は封印され、あれも嫌だった、これも気に食わない……と、怨みのエネルギーがトロトロと我が身を焼く……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

7/11(日) 
見知らぬ野犬に咬まれればただそれだけのことだが、可愛がってきた飼い犬に手を咬まれれば、反応が激烈になるだろう。
 裏切られた無念さ、恩を仇で返された怒り、今までの愛情が水泡に帰したかのような徒労感、信頼を失った喪失感……。
 手を咬まれた瞬間の苦受だけで終わらないのだ。
 愛情が深ければ深いほどネガティブな妄想がグチャグチャに心に絡まって、憎しみや怒りが真っ赤に燃え上がる……。


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7/10(土) 
家族が大嫌いになるのは、共有するものがあまりにも多く、自分と似すぎているからではないか……。
 他人からは逃げることができる。
 義絶すれば肉親からも離れられる。
 しかし、自分をゆるすことができず、劣等感に苛まれ、自己嫌悪にまみれているかぎり、その自分からは逃げることができない。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

7/9(金) 
子供も孫もいるのに、家には帰らず、入院先の病院で正月を迎えることにした老女に出会ったことがあった。
 病院の方が、看護士さん達に優しくしてもらえるので居心地が良いのだという。
 世界中の誰よりも強く愛し合い、誰よりも強く憎しみ合うのが家族である。


  
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

7/8(木) 
因果は誰の身にも正確に帰結しているのだが、現象の意味を読み取るセンスがなければ、日々、濁流のように混沌としたまま流れ去っていく……。
 なぜ幸福の瞬間に恵まれるのか、苦渋の日々が続くのか……。


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7/7(水) 
子供を施設に預けて仕事をする親もいる。
 親を施設に預けて暮らす子供もいる。
 子供を自分の手で育てようとした母が、今、子供の手で介護されながら人生の最後の日々を生きている……。


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7/6(火) 
昭和初期の黒い壊れたミシンが画面いっぱいに映った瞬間、DVDを一時停止にして、しばし母と昔話をした。
 戦争が終わり、希望に充ちてはいたが焼跡と闇市の拡がる時代、必死にミシンを踏んで洋裁をしながら子育てをしていた母。
 幼い子供が帰宅したとき必ず家にいてあげるために、ミシンの仕事を選んだのだという。
 回想が深まるにつれ、しっかりした口調となり、輝きが失われていた母の両眼に強い光が甦ってきた……。 


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7/5(月) 
失禁で汚れた母の下着をバケツに入れ、庭の水道で手洗いしてから洗濯機に入れた。
 その昔、私が垂れ流したオシメを、母は何度こうして洗ってくれたのだろうか……。


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7/4(日) 
悟りの第3段階である不還果の境地に至ると、死後、身体(ルーパ)のない意識だけの領域(無色界)に再生すると言われる。
 肉体がなければ食欲と性欲から完全に解放される。
 いかにも、怒りの煩悩を根絶した聖者のおもむく世界にふさわしい……。 

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7/3(土) 
死にたくない。自分の存在を抹消されるのはゴメンだ……。
 たとえこの体は死滅しようとも、自分の存在を未来に繋ぎたい……。
 生き残ろうとする本能的衝動と、自分の子孫を残そうとする衝動以上に強い煩悩はない。
 食欲(生存欲)と性欲(生殖・自己複製・エゴのコピー)がある限り、この世界からドゥッカ(苦)がなくなることはない。 
 その起源は、初めて他の個体と接合し染色体の減数分裂を行なったゾウリムシの時代、約6〜8億年前ということになろうか。


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7/2(金) 
大腸菌のように2倍、4倍、16倍……と、細胞分裂を繰り返しながら増殖していく限り、常に新しくコピーされた個体が生まれてくるのだから、事実上の不老不死となる。
 だが、最初に分裂を始めた1匹の個体に注目すると、永遠に分裂し続けているわけではない。 
 約700回を上限とし、やがて分裂できなくなり死んでしまうのだ。
 新しいシステムは、個体の死を乗り超えようとする生存欲のあがきに由来するのだろうか……?


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7/1(木) 生命の歴史上、画期的だった有性生殖と多細胞化の起源と見なされるモデル生物は、ゾウリムシらしい。
 なぜ、どのようにして、それまで存在しなかったシステムが生まれてきたのか?


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6/30(水) 
細胞分裂を繰り返し、同じ遺伝子がえんえんとコピーされていく無性生殖の時代はまだ良かったのだ。
 雌雄の性に分化し遺伝子を交配させる有性生殖が始まってから、ドゥッカ(苦)の基本が出そろったと言えよう。
 性の交配によって生まれた様々な個性が自他を分別するエゴの起源となり、より強い遺伝子を残そうとして弱肉強食の淘汰が基本原理になっていく……。
 有性生殖の宿命として、個体の死と新たな命の誕生がシステム化され、老死の問題が発生した……。

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

6/29(火) 
誰もが土中の養分と水と熱と太陽光を得て自生できるなら、真に平和な世界だったろう。
 自分が生きるために他を餌食にしよう、と考えた最初のエゴイストは誰なのか。
 以来、生きとし生けるものが全員そろって幸せになれる可能性は絶たれてしまった……。

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

6/28(月) 
日々、瞬々刻々、膨大な数の命が悲鳴を上げながら食べられていく中で、生きとし生けるものが幸せであれと祈っているのだ……。

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6/27(日) 
自分が生き残るために、他の生命を殺して食べるのが原則となった地球では、自分を守り、家族を守り、群れを守ろうとして日夜、死闘を繰り広げるのが当たり前のことになった。
 昆虫も魚も爬虫類も哺乳類も人類も、生きていくために毎日、どれほどの命を殺して食物にしているのだろうか。
 地球を覆いつくすように営まれている、恐ろしい命というシステム……。 


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

6/26(土) 
見たのは私、聞いたのは私、味わったのは私、考えたのは私……と、六門で知覚される全ての経験を一つに統合した方が良かったのだ。
 我が身を守り、自分に所属するものを守るためには……。
 電撃的な反応で敵対するものや獲物に襲いかかるためには……。

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6/25(金) 
なぜ、これほどまでに、あるがままに視ることが難しいのだろう。
 客観的に、公平に、正しく観ることを妨げている元凶は、自己保存の本能に根ざしている。


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6/24(木) 
魅了される妄想と幻滅する妄想……。 
 妄想の素材となった情報が心に取り込まれていく瞬間に、最初の歪みが発生する。
 自己中心的な視座ゆえに……。
 何を見ても聞いても真っ先にからみ着いていく劣等感ゆえに……。
 どうしても手に入れたいという執念が作られた幼少期の体験ゆえに……。


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6/23(水) 
この人だ!……と、勝手な妄想で神格化し、崇めたてまつる。
 ネガティブに絞り込んだ目撃情報の断片と伝聞を妄想でまとめ上げて幻滅し、崩れた偶像に激しい怒りを叩きつけて去っていく。
 恋愛でも宗教でも政治でも企業でもどの分野どの業界でも、日々盛り上がっていく妄想と崩れ去っていく妄想が、寄せては引いていく波のように繰り返されている……。


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6/22(火) 
ポストを見た時に、前提となる手紙や郵便制度についての知識が何もなければ、「何やね、これは……」とキョトンとするだろう。
 雀や鳩に、ポストの認識が生じないのと同じである。
 目の前の事実を理解するためには、そのことに関する何らかの既有知識(スキーマ)がなければならない。
人は、先入観や思い込みで必ず事実を誤認し、自分の妄想の世界を作り上げてしまう所以である。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

6/21(月) 
智慧の閃く時もあれば、煩悩にまみれてドス黒くなる時もある。
 どの一瞬一秒もそのとおりの真実だった。
 点描画やモザイクの点の集合のように、刹那刹那の真実が一つの印象に束ねられまとめ上げられていく妄想のプロセス……。


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6/20(日) 
暴れまわる思考が終息すれば、なぜこんな愚かなことにとらわれていたのだろう……と我に返る時が来る……。

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6/19(土) 
敬愛し頼りにしてきた人が倒れれば心は悲しみと絶望におおわれ、悪い体制が変われば一気に希望が生まれてくる。
 諸々の事象に反応して、人の心は変わっていく。  
 そしてまた、物事は心に基づき、心を主とし、心によって作り出されていく……。

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

6/18(金) 急激に心の変わった人がそのままブレずに安定するケースは稀である。
 やがて海に注がれていくにしても、数学の直線のように流れる川は存在しない。
 引き潮になり満ち潮になるのも確かなことだが、引いては寄せ、寄せては引きながら緩やかに潮の流れも変わっていくではないか。
 行きつ戻りつ、迷いもためらいも同じ過ちも繰り返しながら、徐々に変化していくのが自然の律動だろう。
 揺るぎない決意があれば、いつか必ず、全てが変わっていく……。


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6/17(木) 
後続を断ち切るだけが、サティの威力ではない。
 知覚した事実に気づく力は、現状をありのままに把握し、さらにその本質を見抜く洞察の智慧へと発展する。
 「気づき」と「洞察」によって、煩悩の対症療法も根本治療も可能となるヴィパッサナー瞑想。


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6/16(水) 
サティが入れば、その瞬間の心はプッツリと立ち消えになる。
 そのまま煩悩に流され不善業が集積されてしまうことを思えば、なんという救いだろう。
 まだ根治はできなくても、どんな症状もその瞬間に消すことができるのだ。


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6/15(火) 
業論の法則が思い出されてくれば、「蒔いた種を刈り取らされているのだ。仕方がない。すべてを受け容れよう……」という気持ちになれるかもしれない。
 だが、ムカッとした瞬間、ドス黒い想念の渦に巻き込まれて頭の中がいっぱいになる。
 冷静さとともに正しい発想が再帰してくるまでは、「(自分が正しい)と思った」などとサティを入れる……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

6/14(月) 
たとえどのような事が起きようとも、それにふさわしい自分だったのだから、甘んじて受けきっていく……。

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6/13(日) 
転属された新しい職場では、妄想する暇がまったくないほど、過密なスケジュールを矢継ぎ早に片づけなければならなかった。
 すると、嫌悪や批判など不善心所系の妄想が自由にできた頃に比べて、格段に頭脳が明晰になり、さまざまな智慧が閃くようになったことに新鮮な驚きを覚えた、とレポートされた方もいる。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

6/12(土) 
瞑想をして、思考モードをいったん離れた上での決断なら、それで良い。
 その事象を引き受けていく……。
 法としての事象に、元来、意味はないのだ。


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6/11(金) 
選択に迷うことはない。
何を、どのように選ぼうとも、ドゥッカ(苦)が伴うのが現象の世界だ。
 そして、どんな苛酷な事態からも、最悪であるがゆえに逆に深い教えと最高の学びを学ぶことができる。
 忌まわしい不幸な出来事も、おめでたい慶事も、どちらでも良いのだ……と考えて、ウッペカー(捨)の道を行く。

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

6/10(木) 10余人の修行僧と共に山奥の聖域で経を読み、サティとサマーディに専念する暮らしもあり得たが、欲望と不満が渦巻く猥雑な都会で電車に乗り、在家の初心者に瞑想を伝える日々となった。
 だが、その与えられた里の修行に取り組んで始めて、反応系の心の修行の重要さに目からウロコが落ち、総合的なシステムとして清浄道の瞑想を正確に理解することができた。
 なぜ、ほとんどの修行僧が命を懸け生涯を賭しても悟れぬまま死んでいくのか、その謎も解けてきた。
 情況に強いられるままに、必然の力で与えられた仕事を天職と心得、見るべきものを見、学ぶべきことを体で学び取っていくことが、その人の最良の道となる……。

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

6/9(水) 
スリランカの森林僧院で四六時中、瞑想に没入する生活を選ぶこともできた。
 そうならなかったのは、エゴによる意志決定を排除する「全托」という生き方を拠りどころにしてきたからだ。
必然の力で展開するものごとの流れに身をゆだね、与えられたものをひたすら受け取りながら流されてきた結果、このような人生になっていた。
 日々、満足し、感謝を捧げているが、与えられるままにどこへでも流されていくし、留まり続けていても、どうでもよい、と感じている。
 ……こんなウッペカー(捨)の道もあろうか……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

6/8(火) 
たった一日の生涯を終えたおびただしい数のウスバカゲロウが、夕べの河原に死屍累々と連なり、雨が降れば、そんな命の営みがあったことすら跡形もなく流れ去ってしまう。
 形あるものは壊れ、地勢も変わり、そこで営まれた生涯を証しする物が何もなくなり、心に記憶されたものまでもが色褪せ失われていく。 
 それでも日々、怒りの情念がほとばしり、恋情に身を焦がし、死に物狂いで出世を争い、財産を奪い合いながら輪廻を続けていく……。

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

6/7(月) もし同じ記憶を分かち合う人がいなかったら、かけがえのない過去が存在したのだという確証をどうやって得ようか。
 記憶は絶えず修正され、まっ白にもまっ黒にも特徴が誇張され、何が本当なのかわからなくなったまま風化し、おぼろに薄らいでやがて失われていく……。
 浪速のことは言わずもがな、妄想の世界も真実の世界も、各人各様に輝いた人生最高の瞬間もまた露と消えゆき、夢のまた夢になっていく……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

6/6(日) 若い頃、武家点前の石州流で茶道を数年間習っていた。
 小田急沿線の師匠宅の茶室で静かな時の流れに身を置き、しばしば相対で稽古をつけていただいた。
 身辺の変化から稽古を止めて数年後、可愛がってくれた師匠がこの世を去り、その葬儀の日からさらに10年の歳月が流れたある日、当時の稽古仲間と沿線に降り立ったことから、昔日の面影をしのびたくなり、師匠の家を訪ねてみた。
 すると、辺りは区画整理がなされ、茶室も居宅も跡形もなく消え去り、無粋な駐車場と化した空間が広がっていた……。
 愕然として、思わず顔を見合わせた。
 袱紗をさばいた感覚も、師匠の温顔も、茶釜の湯が黒焼きの椀に落下していく水音も、床の間の砂壁も掛け軸も家屋までもが夢のように消え去っていくという、言い知れぬ無常感に立ち尽くしていた……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

6/5(土) 
どことなく見覚えのある感じもするが、それにしてもペラペラよく喋るおばはんやな……と思いながらよく見ると、かつて美少女として人気のあった下級生だった。
 50年ぶりに生まれ故郷で暮らし始めて2ヶ月が経った。
 下天(欲界天の最下層)の一日は人間界の50年と言われるが、区画整理され激しく変貌した町並みの所どころに残った幼年時代の路地を歩くと、遠い日の原風景にタイムスリップしていく。
 住人も建物も見知らぬたたずまいが増えたなかに、廃屋となって時の流れの中に封印されてしまった懐かしい家屋や板塀や看板が、白黒映画のように古色蒼然と静まり返っている……。
 邯鄲一炊の夢……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

6/4(金) 
因縁によって始まり、因縁によって終焉する。  受けるべきものを受け、なすべきことがなされれば、苦も楽も善も悪も、あるがまま、あったがままでよいのだと心得る。

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

6/3(木) 
「は」と我に返り、握り締め執着していたことに気づいた瞬間、心と体のテンションが解放され、苦しかったものが雲散霧消していく……。

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

6/2(水) 
輝きを放っていた瞬間もあったのだ。
 粛々と、静かに、心の中で見送らなければならない……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


6/1(火) 
苦が続いても苦が乗り超えられても、幸せが続いてもその幸せが崩れ去っても、それはただそれだけのことであって、理法に基づいて淡々となすべきことをなしていく……。

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


5/31(月) 
なぜ、老母の介護をしながら心地よさを感じるのだろう、と分析した。
 ティッシュを取ってあげてもジュースを注いであげても、どんな些細なことに対しても、母は必ず「ありがとう」と言う。
 「お母さん、ちょっと待っててね」
 「はい」
 「お母さん、それは中止して、しばらくこれを読んでいてちょうだい」
 「はい」
 幼稚園生が先生にお返事するように、母は常に「はい」と丁寧に答える。
 ……日々の挨拶や話し方など変哲もないごく普通の態度や仕草や表情の重要さを痛感した。
 心の基本的な波動が表にあらわれ、人に伝わっていく……。 


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5/30(日) 
貪瞋痴の煩悩をほしいままにすれば、苦に満ちた人生の原因となる。 
 生存そのものにドゥッカ(苦)が内在する所以である。
 一切皆苦のシステムに逆らって、煩悩から離脱していく清浄道を往く難しさ……。


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5/29(土) 
仏教など知らなくても十分に生きていくことができる。
 人間も鳥獣虫魚も、みな仏教など拠りどころにしないで生きている。
 苦に満ちた人生がある。
 ごくまれに、限りなく苦のない人生がある……。


  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

5/28(金) 
本当に嫌だったら、破壊するか、作り直すか、改めるか、逃げ出すだろう。
 その状態にとどまつている限り、やがてそれを容認していくのが人の心である。


  
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5/27(木) 
否定する心は、嫌う心に、怒る心に、恨む心に、憎む心に……エスカレートしていく。
怒りのエネルギーを使わなくては、好きだったものを断ち切ることができない。
怒りもあれば、愛もあるので、未練が残る……。


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5/26(水) 
黙って、静かに離れていく人もいる。
 それまでの全てを激しく否定し、強い反動のエネルギーで、これ見よがしに正反対の生き様に耽る者もいる……。

  
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5/25(火) 何度も何度も同じ失敗を繰り返しては自己嫌悪にまみれる。
 挫折感に打ちひしがれながら、我が身の煩悩の泥深さを痛感する。
 本当に心は変わっていくのだろうか……。
 他の人には真実であっても、自分には当てはまらないのではないだろうか……。
 煩悩を滅尽させていく道を示したブッダに疑念が生じる……。


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5/24(月) 
一歩一歩、一段一段、額に汗しながらようやっと頂きにたどり着くのだが、そこから滑り降りるのも舞い降りるのも転げ落ちるのも一気呵成、瞬く間に元の木阿弥になっていく……。

  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

5/23(日) 
道を踏み外した自覚が欠落しているがゆえに、自分の正しさを声高にがなり立てる。 
 ブッダの遺骨やエメラルドで作られた仏像をめぐって戦争でまでした王たちもいる。
 悟りを開けるだけの波羅蜜を具有してこの世に誕生しながら、その徳を湯水のように費消して老残の身をさらした者を見て、阿羅漢のみに特有の笑みを浮かべて黙視するしかなかったというブッダの伝承……。


  
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5/22(土) 
仏教を学び、その知識を増大させていく人たちは大勢いる。
 信じたものに対して強烈にのめり込んでいく信仰の人も多い。
 業論を信じて、何がなんでも良い現象に恵まれようと善行をやりまくっている人も少なくない。
 学び、信じ、実践していても、イザという土壇場になると、煩悩に激しくのめり込んでいくとは……。


  
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5/21(金)
 
黒い者はより黒くなり、赤い者はさらに赤くなっていく。
 物ごとには勢いがある……。
 因縁を解くために今回の生が与えられたはずなのに、そうなるだけの徳もありその流れに乗ったかのようにも見えたのに、生来の基本傾向に「あ」と言う間に原点回帰していく人たち……。


  
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5/20(木) 
ドゥッカ(苦)の意味を知り、苦から学び、苦を受け容れていく。
 徳を積み幸せになっても、その幸福が変滅し崩折れていくことを、身をもって検証する。
 幸福と不幸の無常性、現象世界の変滅性、生存の世界をグルグルと輪廻していく虚妄さが腹に落ちていったとき、原始仏教の瞑想の仕事が始まる……。


  
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5/19(水) 
「必要」というより「必然」だった、と言うべきだろう。
 泣きっ面に蜂の苦しい日々となったのも、自分自身が過去にその種をばら撒いてきたからであった。 
因果の理法を心得なかった無明を恥じ、因縁の流れに従いきっていくと心を定めてしまえば、どんなことでも淡々と受け容れていくことができるのではないか……。


  
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5/18(火) 不善業の帰結として襲来する苦難の道こそ、人を成長させてくれる最高の現場なのだ、と覚悟を定めておく。
 本当は必要だったから、そのドゥッカ(苦)が与えられたのだ……。


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5/17(月) 
本当に必要なものは、必ず与えられる。
どうしても手に入らないものは、必要がないからであり、そんなものがなくても立派に生きていけるからなのだと考える……。

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5/16(日) 
好き・嫌い…と反応する叙情的な世界にこだわる限り、苦は必ず襲来するだろう。
 因縁によって生起し、無常に変滅する現象の世界にどっぷり漬かりながら、何もかも全てを好きになろうというのだろうか……。
 愛しくてならないのも、嫌でならないのも、瞑想が深まった静けさの中ではともに超越され、達観されていく。
 上昇気流に乗って、8000メートルのヒマラヤの山を越えていくアネハヅルの眼には、愛憎に蠢く地表のゴミタメの世界はどのように映るのだろうか……。


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5/15(土) 
「私の街」「私の大好きな人」……と言語化された瞬間、ブレていたカメラがぴたりとフォーカスされたように、ネガティブな印象が色褪せ失われていく。
 あんなに嫌で嫌でならなかったのに、心がいったん受け容れると、すべてが肯定されていく。
 何でもない表情や仕草が可愛いと感じられ、変哲もない佇まいに情趣が漂う……。


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5/14(金) 
よし、この人と一緒にやっていこう。
 この街で生きていこう……と、ひとたび腹をくくれば、その瞬間から人も街も環境も全てが一変する……。
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5/13(木) 
過ぎ去ってしまえば、絶対絶命のピンチや希望の見えない逆境の中で必死で生き抜いていた時代が最も輝いていたのではないか……。
 砂漠のような枯渇した砂地にこそ、満々と水分を含んだスイカや瓜類が実る。

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5/12(水) 
なぜ、苦しい出来事に遭遇してしまうのか……。
 その種を蒔いたのはかつての自分自身の言動だったのだから、何事も自業自得と心得て引き受けていくしかないではないか。
 心が折れるほど苦しいのであれば、後日に先送りするのもよい。
 心底から因果を理解すれば、乗り超える力がみなぎってくるし、耐えるべきものにも潔く耐えられるものです。


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5/11(火) 
たとえ茨の道であっても、わが身に起きる一切の出来事を引き受けていく覚悟……。

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5/10(月) 
それはそれとして、自分には自分の身の丈に合った現場がある。
 やれることもあるし、やれないこともあるが、与えられたこと、なすべきことを全力でなし遂げていくほかはない……。


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5/9(日) ひとを生存に縛りつける原因となる(妄執から生ずるもの)をいささかももたない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。>【ブッダのことば「(スッタニパータ)1−16」岩波文庫】

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5/8(土) 
想念を焼き尽くして余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、この世とかの
世とをともに捨て去る。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
>【ブッダのことば「(スッタニパータ)1−7」岩波文庫】


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5/7(金)
 反応系の心のプログラムを根底から一変させてしまう人たちもいる。
 「想(サンニャー)」が働き、六門から飛び込んできた情報が知覚されようとする瞬間、離脱の意識が発火してしまう特殊な瞑想をしている人たちも、ごく稀にはいる。
 この世の一切が超えられ、苦しみの根本が終滅する……。


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5/6(木) 
過ぎ去った日の情景が心を過った瞬間、懐かしい情感で心が一杯になっていく……。
 涙ぐむこともあるし、恥ずかしさで顔を赤らめることもあるだろう。
 六門から入ってくる情報は自動的に知覚されてしまうし、その情報に対して瞬間起動で反応していく心のシステムも変えがたい。
 それゆえに、危険を察知した亀が首を引っ込めるように、心が無意識に流されていくのを阻止しなければならない。
 無自覚でいるのは危険な状態だと心得て、サティを入れる……。

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5/5(水) 思考を止める前に、テレビとパソコンと音楽の端末を止めなければならない。
 対人関係から受け取る情報も、孤独な環境で外界から受け取る情報も、心の矢印が外側に向いていることに変わりはない。
 外側に向いている意識の矢は、脳内イメージや思念をターゲット(標的)にして突き刺さっていく。
 乱心・乱想の所以である。
 外の世界も内の世界も、無常に変滅し苦に満ちていて、大した世界ではない、と達観すると、心は鎮まっていく……。
 静かになった心には、真実を見る準備がととのう……。

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5/4(火) 
独りになったら、思考モードを離れる時間を、毎日作らなければならない。
 外界の情報を取りにいく意識も、脳内データを探しにいく意識も、対他的であって対自的ではない。
 意識の矢印が外側に向けられているかぎり、わが身を振り返り、自分自身を客観視する内省的モードにはなれないだろう。
 独りになって、思考を止め、瞑想をする意義……。


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5/3(月) 
独りになる時間を、毎日作らなければならない。
 人の中にいれば、相手の状態に気を配り、会話の意味内容を理解し、情況を把握するために意識の矢印は常に外側に向けられていく。
 自分自身を対象化して見る視線ではない。
 習慣化され癖になった心の反応パターンが、自動的に、無自覚に立ち上がってしまう。
 これまでさんざん繰り返してきたように、バカなことを言い、人を傷つけ、失態を演じていく……。


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5/2(日) 
凡夫の身ゆえに、ダンマ(法)に貫かれている感覚を維持しきれない悲しさ……。
 仕事モード、日常モード、思考モードになれば、いつの間にかエゴが息を吹き返していく。
 自己中心的な煩悩の発想を何とも思わず、のめり込み、熱くなり、対象化も自己客観視も忘れ去られてしまう。
 瞑想をやめるわけにはいかない……。


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5/1(土) 
どんな音にも思考にも感覚にも正確にサティが入り始め、中心対象の鮮明さがいや増し、本物の瞑想状態が展開し始めると、薄汚れた煩悩の想いにのめり込んで固まってしまっていたことが痛切に実感される……。
 それまで陥っていた自分の意識状態がきれいに対象化さた瞬間、夢から醒めたような感動が心に広がっていく……。


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4/30(金) 
自分の力を最高度に発揮するためには、「私が…、俺が…、自分が…」のエゴ意識を一掃しなければならない。
 対象をあるがままに認識し、客観的な正しい判断と意志決定がくだされるためにも、エゴ妄想の介入を許してはならない。
 その瞬間に気づこうとするサティの技術と、わが身を三宝に委ねきろうとする瞬間の発想……。


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4/29(木) 
もし危ない局面に立たされているのであれば、エゴの判断が極力入らないように、三宝に痛切に祈るべきである。
 「道を踏み外すことなく、正しく生きていけるように導いてください。
 真理の道を歩み抜くことができますように……」


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4/28(水) 
濃密な男女の愛や肉親の愛ではない。
 妄想が止まれば思考のプロセスから生まれてくるエゴ感覚も消失し、喜怒哀楽の感情的反応が機能しなくなるからだ。
 出力される愛情の温度も強度も変わらないが、淡々と、ただ一方的に出力されているだけの状態となった慈悲……。


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4/27(火) 
これまでともに生きてきた様々な思い出が、一瞬にして脳内を駆け巡り、涙が溢れ出す……。
 「妄想」とサティを入れる。
 情緒的反応が止まり、涙は瞬時に乾く。
 苦のない人生とは、妄想を離れた人となり、喜怒哀楽を超越して生きることだ。
 瞑想の充実と輝きに感動したことのない向きには、味もそっけもなくて耐えがたいと感じられるのかもしれない……。 


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4/26(月) 
幸福を破壊するいかなる悪にも手を染めず、あらゆるチャンスに徳を積み続ければ、人は必ず幸福になれる。 
 その幸福の限界を身をもって知り尽くし、全てが一時的であることを思い知る……。


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4/25(日) 
幸福を味わい尽くさなければならない……。

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4/24(土) 
何もない絶無の状態となり、自分の存在が永遠に消されてしまうのではないか……と妄想し、死を怖れる人たち……。
 本当は、否応なしに再生し、永遠に存在を続けなければならない苦しみなのだが……。


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4/23(金) 
輪廻の流れを超えるために、瞑想修行に命を懸ける人たちもいる。 
 毎日10分間の瞑想ノルマを果たすのも容易ではない在家の私たちとは、レベルが違うのだ。
 そのような、存在の最終ステージに入るためには、果てしなく徳を積みながら波羅蜜の熟していくのを待たなければならない。
 見るべきものを見、経験すべきことを経験し、人に愛され、自ら優しさと真の慈悲を発信することができるようになり、善い人生を生き、きれいな心で、良き再生を繰り返していった果てに到達していく順番だと心得る……。


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4/22(木) 
人は、一人では死んでいくことはできない。 
 嫌悪と恐怖と絶望感に打ちひしがれた孤独な断末魔を迎える人も少なくないが、良い死とは言えない。
 心から愛してくれる家族に見守られ、良い人生だったと頷きながら、安らかに死の瞬間(死心)を受け容れていくべきだろう。
 安心して、きれいな心で、この世に幕を引き、次の生涯に再生していけるように、優しい波動で誰かが看取り、その介添えをしてあげなければならない……。


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4/21(水) 
年老いて抑制系の脳の働きが悪くなると、ワガママや怒り、猜疑心、吝嗇などさまざまな煩悩が露わになり、老醜をさらすケースが少なくない。
 過去世から担ってきたもの(有分心)と、人生最初期に刷り込まれた「三つ子の魂」がストレートに表出されてしまうからだ。
 2年後には90歳になる老母の、そんな醜さを見るのは辛いことだろうなと覚悟していた。
 しかし、若い頃からとても素直な人だったが、老いて母の心の奥底から露わになってきたのは、思わず胸を衝かれるほどの無類の素直さだった。
 同居を開始して今までまったく見えなかった母の真の姿が目の当たりになってきたが、童女のような可愛さと無垢な心に感動する日々となった……。


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4/20(火) <悪いことをしたときには気をゆるすな。その悪いことが、ずっと昔にしたことだとか、遠いところでしたことであっても、気をゆるすな。秘密のうちにしたことであっても、気をゆるすな。それの報いがあるのだから、気をゆるすな。>【感興のことば「(ウダーナヴァルガ)28−30」岩波文庫】

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4/19(月) 人が見ていても見ていなくても、熟したリンゴは落下し、谷間の百合は花開き、萎れ、枯れ果てていく。
 そのように、反応系の心から出力された意志的行為は自動的に業を作り、やがて、その結果を未来に刈り取ることになる。
 その因果応報の正確さゆえに、天が全てを見通しているかのような印象となり、「天網恢恢疎にして漏らさず(老子)」などと表現されてきた。

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4/18(日) 
人が計らったいかなることも、最後には結局、バレてしまうものだ。
全ては、天の知るところとなる……。


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4/17(土) 
顔も体も全身すっぽり覆面におおわれて完全な匿名性が保証されると、とたんに社会的な抑制が外れて、本性がムキ出しになる。
 絶対にバレないし捕まらない……と判明するや、それまで気が小さくておとなしかった者にも盗みの心が鎌首をもたげ、性的放埓が始まり、暴君のように煩悩をほしいままにし始める。
 本当は、因果論など何も解ってはいなかったのだ……。


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4/16(金) 
欲と怒りのどす黒い想念の渦に、光明が射し込む一瞬もある。
ハッと我に返った瞬間、君子は素早く法の世界の感覚に立ち戻り、豹変する。
 一度は確かに脳裡を掠めているのだが、自分とは関係ないことのようにぼんやり見送って、再びむらむらと充血した煩悩に巻き込まれていく人たち……。


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4/15(木) ブッダの時代から、地獄に堕ちた比丘は少なくない。
 ブッダのサンガを支えた功績では比類のなかった王妃マリーカも、微罪ゆえに地獄に堕ちた。
 圧倒的な徳の分量ゆえに、いや、犯した悪の少なさゆえに、地獄での滞在期間は7日間だったともいう。
 どれほどクーサラ(善行)をしていても、安心しきることはできない。
 たとえわずかであっても、悪をなすことを怖れなければならない……。


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4/14(水) 
今、自分は悪をしているという自覚があれば、つまりサティがあれば、悪いことを止めるだろう。
煩悩に巻き込まれると、人は、巧妙に自分に言い訳をする……。


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4/13(火) 
だが、全てを失い、何もかも終わった時にそう言えるのであって、渦中にいる時には妄執の嵐が吹き荒れ、情けない、あられもない醜態を演じてしまうものだ。
 人は善行もするが、煩悩に衝き動かされて不善もなす……。


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4/12(月) 
もし心から受け容れることができれば、今、自分に与えられている家族が、友が、仕事が、環境が、一切が…最高の輝きを放ち始める……。

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4/11(日) 
のめり込み、巻き込まれ、熱くなる、エゴ。
 淡々と、正確に、客観的に、ありのままに観る、サティ。


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4/10(土) 
内容の如何を問わず、今の瞬間をことごとく対象化しようとする精神。
 サティが入る瞬間の無執着性。


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4/9(金) 
知的に納得はしていても心の中で終わりにできなければ、未練が残る。
 そんな未練がましい自分を否定する心があれば、自分を見失っていく。
 「抑圧」されたものは、自覚できない。
 本気モードで執われているものも、その切実さゆえに盲点になって気づくことができない。
 エゴをあるがままに観ることは難しい……。


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4/8(木) 
妄想が生み出すエゴ感覚を、絶対的な存在に明け渡し委ねきるのも、エゴを超える有力な方法である。
 だが、委ねるものも委ねられるものも思考のプロセスから生まれる印象に過ぎず、究極ではない。
 エゴ意識が生まれてくる構造を理解し、法としての存在と識別しなければならない……。


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4/7(水) 
スポーツだけではない。
 芸術も技能もどんな仕事も、思考モードから自我意識が生まれ、成功にこだわった妄想でプレッシャーに押しつぶされていく。
 最高のパフォーマンスは、その時やるべきことに100%集中した、忘我の状態から生まれる。
 思考が止まれば、体に刻み込まれた習練の成果が「独り働き」を始める……。


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4/6(火) 
100分の1秒の差が勝敗を決する格闘技やスピード競技では、たとえ一瞬でも余計なことを考えている暇はない。
 刹那刹那の現状把握と反射的な反応に、全神経が研ぎ澄まされている。
 こうして見ると、「私が……」「俺が……」のエゴ感覚や自我意識が、思考のプロセスから生まれてくる妄想だということがよく分かる。


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4/5(月) 
それでもふと気づくと、上手くやろうとひとり気をもんでいる。
 問題を勝手に背負いこんで、何もかも全部自分でやろうと必死になっている。
 手足や体がいつの間にか汚れてくるように、エゴ意識が巧妙に息を吹き返して取りしきっているのだ。
 三宝にエゴを明け渡し、一切を委ねきっている全托の修行者も、対策を講じないわけではない。
 問題点を洗い出し、原因を究明し、必要な情報を仕込み、念入りに練習もするだろう。
 やるべきことは何ひとつ変わらないのだが、ダンマが自分を通して立ち働くのを眺めるかのように、淡々となすべきことをなし、どうなろうとその結果は私の知ったことではない、と言わんばかりに心配も不安も怖れもない……。

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4/4(日) 
法に身を委ねきる覚悟が定まれば、怖れるものは何もない……。

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4/3(土) 
たとえ悪い想念が渦巻いて心がどす黒く汚れてしまっても、崇高なものを切に求めた瞬間、身も心も一気に昇華されていく……。

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4/2(金) 
過去の言動によって今経験する事柄が決まるのであれば、幸せになるためには、未来に向かって善行をするしかない。
 ……と、いくら言われても、反射的にカッと頭に来るし、貪り始めたら止まらない。
 あーあ、また、やっちゃった……と溜息を吐きながら、何度でもサティを入れる決心をしていきましょう。

*【1週間ぶりにパソコンが使用可能となり、メールとインターネットが復旧しました】


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4/1(木) 
途方に暮れ、困り果てているときに、地獄で仏に会うように次々と素晴らしい方々が助けの手を差し伸べてくれる。
 天の筋書きで定まっていたかのような不可思議な印象。
 自分のような者でも多少は人に善いことをしていたのか、と過去世の自分に感謝したくなる。

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3/31(水) 何をどのようにやろうとも、人の努力をはるかに超えた、いかんともしがたい力で物事は展開していく。
 なぜそうなるのか、ならないのか‥‥。
 万物万象を支配している天が定めたかのような印象だが、本当は、直近の努力エネルギーと、はるかな過去から集積されてきた自らの業のエネルギーとが足し算された総和ではないのか……。


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3/30(火) 
自信のない人は、どんなクーサラでもよいから善行に励むとよい。
 家族のために、友のために、地域のために、国のために、世界のため人類のために、ささやかながら何事か貢献できているという自己有用感……。
 善行のエネルギーが発生させる徳に守られ、不安も心配も怖れもない日々を生きる……。

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3/29(月) 家族を作り、友の存在を必要とし、さまざまな群れや集団や社会の中で共生しなければ生存できないのが人間である。
 自己保存の本能に由来するエゴイズムは全ての生物に共通だが、他者を慈しみ、仲間を求め、人のためにお役に立てることに喜びを感じるプログラムも遺伝的に組み込まれている。
 自分のことしか考えていない時の後ろめたさ。 
 善行をした後の清々しさ……。


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3/28(日) 
自分は何の役にも立たない存在だ、と自己否定を繰り返していれば、心も体も萎れて生命は輝かない。
 人に喜んでもらえることをした、自分は誰かの役に立っていると感じられるので、人は生きていける……。


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3/27(土) 
通奏低音のように繰り返されていた思考のループが対象化され、無明の闇が破れ、智慧の光が点る瞬間……。

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3/26(金) 
夢から醒めたように、憑きものが落ちたように、停電が復旧し突然、明かるさが戻ったかのように、今まで自分は何をしていたのだろう……と心底から我に返ることがある。

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3/25(木) 
瞑想をすれば、普通の考えも、黒い想念の渦も、思考の流れそのものが止められていく。
 電源をoffにしたパソコンのように、駆け回る思考で熱くなっていた脳内に静けさが広がっていく……。
 心に冷静さがもどる。
 煩悩の心には煩悩の心が接続するように、サティという善心所からは諸々の善心所が生まれてくる……。


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3/24(水) 
なんとなく後味が悪く、理由もなくイライラし、暗く、重たく、嫌な感じにモヤモヤと包まれ、何をしても悪化していく……。
 貪っても、怒りを爆発させても、その後に続く不善心所モードの特徴だ。
 汚れた水が、砂や活性炭やセルロースを通過するときれいに浄化されるように、瞑想は汚れた心を浄化する……。


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3/23(火) 
業の世界で幸せを得たければ、業の世界を貫く因果の理法に従う……。
 幸福の無常性と不満足性を痛感すれば、この世の禍福を超える瞑想に魅了されるだろう。


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3/22(月) 
法としてのあるがままの立場から達観できれば、どんなものも等価に眺めることができ、苦楽が超越されるだろう。
 そんな境地は早過ぎるというのであれば、しっかり瞑想をして、この世的な成功をもたらす智慧の恩恵に浴すのもよい。


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3/21(日) 
瞑想が上手くいけば、心がリセットされる。
 思考モードを離れるからだ。
 想いの世界からエゴ意識が生まれ、成功や失敗、利害や得失に振りまわされる苦楽の世界が始まっていく……。


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3/20(土) 
流れが良いのも悪いのも、しょせん一時的なことだ。
 最高に輝く瞬間も、最悪の状態も、やがて変滅していくではないか。
 静かに、澄みきった心になれば、どんなものもやって来るがままに受け入れることができ、どこからでも等しく学ぶことができる……。


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3/19(金) 
どうしていいのか、わからない。
 心が千々に乱れて、何からどう手をつけていいのか途方に暮れるばかりだ。
 だが、そんな時だからこそ、瞑想をしなければならない。
 難局を乗り超えるには、心をシーンとさせて、冷静に、落ち着いて、瞑想がもたらす智慧に導かれていく……。


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3/18(木) 
腹をくくって引き受ける覚悟が定まった瞬間、脳内編集の方針が一変する。
 今まで固執していたのが嘘のように、すべてを否定することも肯定することもできる……。

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3/17(水) 
肩がぶつかっただけで激怒する人もいる。 
 痛みに腹を立てている訳ではない。
 「この私」という存在が侵害されたと感じて怒っているのだ。
 エゴの所有物という妄想は、心にも体にも衣服にも持物にも家族にも同胞にも、何にでも及んでいく……。


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3/16(火) 
これまでに何冊の本を読み、何本の映画を観、テレビやインターネットからどれほどの情報を受け取ってきたことだろう。
 他人の思想が、集団の意思が、時代の潮流が、自分の考えや経験と融合し、渾然と一体になっている。
 エゴの意思も、一皮剥けば、他人の考えの寄せ集めではないのか……。


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3/15(月) 
自覚されているエゴの世界と、深層意識の本心との間には常にギャップがある。
 そのまま読み取ることはできない本心の意図も、無意識の態度や表情などに必ず現われてくる。
 優勢の法則に厳密に従って、無差別平等のサティを入れていくと、無意識の闇の中に沈んでいる本心が客観視されていくだろう。


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3/14(日) 
失敗をすれば、痛切に反省し、もう一度初心に帰って謙虚に取り組み直すものである。
 なぜ失敗したか敗因の研究は、創造性開発の定番でもある。
 失敗から学ぶことの豊かさを思えば、成功して慢心するよりも良いくらいだ、とプラス思考をする。 
 ……そういうことが起きたのだと、ありのままに、等価に受け止めていく。


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3/13(土) 
矛盾する情報が脳内を駆けめぐる状態になると、とたんに脳活動の仕事率は低下する。
 否定的な考えと肯定したい気持ちが行きつ戻りつする。
 疑う。迷う。後悔する。不安になる。ためらう。劣等感を蒸し返す……。
 その葛藤状態にサティが入れば、ネガティブな思考そのものが突然、消える。
 すべてを受け容れていこうと、腹がくくれれば、矛盾が根本から解消され、脳内は一本化される。
 「サティ」から「変容」の流れ……。


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3/12(金) 
受け取ったものと同じものを与えてしまうのが人の常です。
 千の優しさをもらった人は千の優しさを与え、三百の優しさをもらった人は三百の優しさを自然に返してしまう。
 もらった優しさが多くても少なくても、過不足のない最高の優しさ(→慈悲)を発信できるようになるために、瞑想の修行がある……。


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3/11(木) 
思わず苦笑してしまうほど正確に、業の結果が現れてくるものだ。
 怒りには怒りが、優しさには優しさが、冷たさには冷たさが、善行には善行に対応した出来事を経験することになる。
 まさに蒔いた種を刈り取っている日々、瞬々、刻々である。
 その因果の帰結が読み取れる人もいる。
 読み取れない人もいる……。


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3/10(水) 
本当に危うい大変な情況であればこそ、心をリセットするために、瞑想しなければならない。
 どんな苦しみも、妄想の嵐から生まれてくる。
 暴れまわり心を駆けめぐる思考が鎮まれば、心に余裕が生まれ、静けさが広がっていく。
 腹をくくることができれば、どんな苦況でも楽しむことすらできる……。


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3/9(火) 
死ぬのを恐れ、殺されることを何よりも嫌がるように設計されているのが生命だ。
 だが、本当は、死ねない苦しみなのではないか……。

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3/8(月) 
意識が途絶え、眠りに落ちれば、生きていることも存在していることも何も分からなくなる……。
 そのまま、二度と目覚めることなく、永遠に絶無になれるのであれば、死も悪いものではない。
 死ねばまた必ず再生して、因縁に縛られた業の世界を、初めからやり直さなければならない……。


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3/7(日) 
今からでも遅くはない。
 何をどうしていいのか、途方に暮れて立ち尽くすばかりであっても、諦めなければ、必ず道は開かれていく……。


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3/6(土) 
苦受・楽受の経験はただそれだけのことであって、何も問題ではない。
 経験をどのように受け止め、どう理解していくかだ。
 楽受の経験から身を滅ぼすこともあり、苦受の経験を礎にして成功を収めることもできる。
 どの道を選び、どの方向に向かって人生を生きていくのか……。


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3/5(金) 
なぜ瞑想が、エゴを超越する営みになるのだろう。
 親しい人に対しても、嫌いな人に対しても、同じ想い同じクオリティの慈悲の瞑想を捧げるためには、エゴをいったんドブに捨てなければならない。
 サティの瞑想もまた、すべての対象を無差別平等に見なければならない。
 聞き惚れるような美しい音色も、不愉快な金属音も、同じ音として等価にラベリングしなければならない。
 懐かしい思い出も、血が逆流するような怒りの記憶も、どちらもただの妄想ではないか、という公平な視点からサティを入れなければならない。
 慈悲もサティも、エゴ意識が働くかぎり純粋な瞑想にはならないのだが、やがて必ず心は変容していく……。


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3/4(木) 
魚には魚同士の水の世界がある。
 鳥には鳥同士の空の世界がある。
 人には人同士の地上の世界があり、感情と感情、思想と思想、エゴとエゴとが激突し、怒りをぶつけ合って人生の修羅場を生きている。
 空を飛ぶ鳥が地上を見下ろすように、トビウオが海原の上を滑空しながら水中の世界を眺めるように、エゴを超越する視点から達観しなければならない。
 その技法を「瞑想」と言う。


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3/3(水) 
納得がいかなければ、心は本当には変わらない。
 相手の何に対して腹が立っているのか、怒りが由来してくる根本を分析してみる。
 腹が立った出来事のどの部分に怒りを感じるのか、それがなされた理由と原因と背景を思い起こし、それ対してなぜ怒りの情念が渦巻いてしまうのか、いつ頃から嫌悪を感じるようになり、そのきっかけは何だったのか……。
 いちばん頭に来るそのことを、自分は他人にしたことがなかったかどうかを調べ、腹を立てることによって得られるものと失うものとを比較し、ついでに仏教の業論を思い出してみる。……最後に慈悲の瞑想をする。
 こういうやり方をしている人もいる。


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3/2(火) 
頭に来て憤懣やる方ない時に、これではいけないと、必死で慈悲の瞑想をする。
 言葉は「幸せでありますように」などと唱えているが、心の中では怒りのエネルギーが渦巻いている。
 それでも断固として繰り返し繰り返し、慈悲の瞑想を唱えて唱えて唱え続けていくうちに、だんだん頭と体が暖まってきて、ちょっとトロリとしてくる。
 ポーッとした感じになって、ひたすら慈悲の文言を唱えていると、なんだか自分も相手も一つの全体のような感じがしてくる……。
 ふと気づくと、もう怒りの情念はどこにもなく、地上で蠢いている自分と相手を、天空から見下ろしているような、ちょっと崇高な感じの心になっている……。
 タイプによるが、こんな慈悲の瞑想のやり方を得意にしている人もいる。
 

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3/1(月) 
名古屋から乗車してきたちょっと品のいいおばさんが2人、隣の席に座った。
 「ここ、よろしいですか?」
 「ええ、どうぞ。空いてます」
 と挨拶の言葉を交わしただけで、黙ってノートパソコンに集中しているうちに、2人連れは京都で下車する用意を始めた。
 「……あのう、これ、わたくしが今朝焼いたパンなんですけど、よろしかったら召し上がりません?」
 「え?!私にですか? はあ、そうですか、では、ありがたく頂戴いたします。ありがとうございます」
 にっこり微笑んで、下車していった。
 丁寧に包装された袋を開けると、イギリスパン風の半斤ほどのパンが入っていた。
 全ての仕事が終わった夜更けに、この日のメルヘン風な出来事を思い出し、優しい気持ちになった。感謝の念を捧げ、心から幸せを祈った。純度の高い慈悲の瞑想に集中することができた。
 とても温かい優しい気持ちと、捨(ウペッカー)のバランスが理想的だった……。


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2/28(日) 
苦しくて、苦しくて、なんとか苦しい状態から脱け出したい一心で、必死に慈悲の瞑想をすることもある。
 苦しいのはまったく同じなのだが、セオリー通り、淡々と、ただ相手の方が良くなることを願って、慈悲の瞑想を捧げることもある。
 不思議にというか、当然というか、淡々と相手の幸いを祈った時のほうが、苦しみがなくなっている……。


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2/27(土) 
優しさと智慧が一つになると、崇高な慈悲が発露する……。

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2/26(金) 愚行も失恋も挫折も大失敗も、ネガティブな経験がなかったら、心が成長することもない……。

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2/25(木) 
邪悪な人間に出遭い、不快な出来事や不幸な事件に遭遇することが、どうして必要なものか……。
 そう考えるのも無理からぬことだが、あらゆる事象が因果のエネルギーで生滅しているのだ。
 苦を受けることにも意味がある。
 不善業が一つ消滅したことをありがたく受け容れて、心を汚さない……。


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2/24(水) 
常に、必要な事が、必要な時に起きている……。

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2/23(火) 
何万回も同じ発想と同じ反応を繰り返し、揺るぎない脳回路が形成された結果、ネガティブなキャラクターが作られていったのだ。
 その根深い傾向を塗り変えて、新しいパターンを脳回路に定着させる仕事がやすやすと達成されるだろうか。
 性懲りもなく巻きもどされ、元の木阿弥を繰り返すのは当たり前である。
 何度失敗しても、断じてブレない決意を堅持すれば、いつの日か必ず変わることができるだろう。
 正しい智慧で心底から理解され、決意されたことは、必ずそうなっていく……。


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2/22(月) 
たとえ渇愛が根強く残っていても、サティの技術が進化すれば、煩悩を機械的に封じ込めることができるだろう。
 渇愛を滅ぼすためには、現象世界の喜怒哀楽を達観する智慧が成長しなければならない。
 人生の修羅場で反応系の修行をする、と言ってもよい。
 目鼻がついたら、現象世界そのものの構造的苦である「サンカーラ(行)の苦」を目の当たりにしなければならない。
 ヴィパッサナー瞑想に着手する、と言ってもよい。


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2/21(日) 
今、現実だったことが次の瞬間、概念化され、妄想や夢や思い出と同じ素材となって追憶の対象になっていく。
 過ぎ去ったことへの執着が、次の瞬間の新しい現実を見誤らせ、エゴの世界に苦を紡ぎ出す。
 頭の中を空っぽにし、今の瞬間に集中することができれば、<無常の苦>を乗り超える智慧が閃くのだが、そのサティが入らない……。


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2/20(土) 
過ぎ去った遠い昔のことではあっても、そこだけは光り輝いていた自分の人生の一コマが、破裂するシャボン玉のように虚しく消えていく<無常の苦しみを感じました。
 今はどこにも存在しない、記憶という名の妄想に過ぎないのに、強く執着する心があるかぎり、消えていくのが、失われていくのが、たまらなく寂しく、苦しく、ドゥッカ(苦)なのだと思いました……。
 そのように所感を述べ、深々とお辞儀をして、面接の部屋から立ち去っていった。


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2/19(金) 
両親に見守られ、遊園地で笑いながら木馬に乗っていた日もあった。
 山の上に行けば必ず無償の愛を注いでくれる祖父母も、その頃はいた。
 苦しい人生の中で束の間、黄金のように光り輝く幼少期の思い出が浮かび上ってくる……。
 「膨らみ・縮み」とサティを入れながら、浮かんでくるその掛けがえのない追憶のイメージに「妄想」とサティを入れて射ち落とす。 
 祖父母の笑顔、手を広げて迎えてくれる両親の顔、短かったが本当に幸せだった、宝物のような思い出が、「妄想」の一言で崩れ落ち、次々と消え去っていく……。
 たまらない虚しさと寂寥感が込み上げてきて、泣きそうになった自分にはサティが入りませんでした、とレポートした方がいる……。


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2/18(木) 
好ましい現象が起きれば、導かれた結果と考え、感謝を捧げた。
 不愉快な苦の現象からは何を学べば良いのでしょうかと問うと、やがて泥が黄金に変わるようにその意味が露わになった。
 苦の現象も快の現象も、天から与えられたものであり、聖なる修行の完成に必要不可欠な事が起きるべくして起きているのだ、と受け止める。
 そんな「全托」の修行をしていると、どんなことが起きてもそれが自分には最高の出来事なのだと肯定できるようになっていく。


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2/17(水) 
自分の意志で決めた人生なら、耐えられなかったかもしれない。
 何も願わずに、自然な展開で与えられたものをことごとく受け取っていく、「全托」の修行に打ち込んでいた。
 「あるがままに」全てを受け容れていくと、何かに導かれるようにさまざまな瞑想修行に専念することになっていった。
 ただ流れに従っていくだけの受動的な生き方に徹すると、過去世のカルマによって組み込まれた宿業が自ずから開示されていくのだろう……。


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2/16(火) 
社会との接点がほとんどなくなり、誰からも認知されず、ただ引きこもって瞑想修行にのみ明け暮れていた。
 こんな生活をしていて本当によいのだろうか、この先どうなっていくのか、果たして修行のゴールに到達できるのか。……将来になんの展望も見えていなかった。 
 しかし、燃えるような思いで、私はやるであろう、必ずやり遂げるであろう、と毎日自らに言い、一瞬も自分を疑かったことはなかった……。


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2/15(月) 
ある日、飛び立てる瞬間が来る。
 単調な繰り返しや地道な努力が正しく積み重ねられていくと、全てが一点に集約し結晶する時が訪れる……。


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2/14(日) 
一瞬一瞬、諸々の力が寄り集まって新たなものが形成され、更新され、変化し、滅していくサンカーラ(行)の構造で現象世界は成り立ち、展開している。
 諸々の力が展開していく方向を定めるのは意志(チェータナー)であり、その意志が作り出すカルマ(業)はサンカーラ(行)の別名ともなる。
 イメージ・トレーニングを繰り返したアスリート達が寸分たがわぬ結果を具現させるの  も、痛切に願い続ける願望がいつか必ず実現されていくのも、サンカーラ(行)の構造によって説明されるだろう。
 決意が全てを変えていく所以である。


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2/13(土) 
魔法のように一瞬にして変わることはあり得ない。
 長年に渡って繰り返されてきた習慣的行為や習慣化された考え方が変容するのには時間がかかる。
 変わり方が急激だった人たちは、必ずのように揺りもどされていく。
 張り詰めた糸が切れるように、杳として消息が知れなくなる人も少なくない。
 正しい理論に基づく正確な習練を重ねて、ゆっくり変わっていくのが本物です。
 

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2/12(金) 
人物も、仕事も、趣味も、食べ物も、ファッションも……、
好き嫌いをなくすなんて、できるわけないでしょ。
 成功、出世、家族、財産、恋愛、プライド……、いかなるものに対しても無執着だなんて、あり得ないっていうか、人間業とは思えないよ。
 ヴィパッサナー瞑想を始めたんで、どんな音にも妄想にも囚われないで、サティを入れ続けたいんだけど、なんでこんな簡単なことができないのかわかんないよ、教えて、先生!


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2/11(木) 
自分で自分がコントロールできなくなってしまう瞬間が必ずやってくるだろう。
 常識も理性も自意識もサティも何もかも吹き飛んで、どうしようもない力に呑み込まれ、怒涛のように押し流され漂着していく先は天国か地獄か……。
 自分の力ではどうしようもなくなった時に救ってくれるのは、自分のカルマだけである。
 死んだ後に持っていけるものも業だけである、と説かれる。
 今からでも、諸々の悪を避け、人のため世のために善をなしていく……。


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2/10(水) 
正しかったのか間違っていたのか、誤解なのか思い込みだったのか冷静な客観視だったのか、本当のことは、結局わからないのだ。 
 たとえ無自覚でも無我夢中でも、受け取った情報に反応した心が業を作り、その必然的結果が濁流のように人生を押し流していく……。
 混沌とした無明の闇夜を照らすサティ(気づき)の瞑想……。


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2/9(火) 瞑想モード・ダンマモードが、跡形もなく霧消してしまうことのなんと早いことだろう。
 一夜明けて通勤ラッシュにもみくちゃにされれば…、職場の上司に呼ばれれば…、取引先からの電話に答え始めれば…、腹一杯食べて満腹すれば…、メールを打ち始めれば、好きな音楽やゲームに吸い込まれれば…、誰かに怒鳴られれば…、ザブン!と水に飛び込んだ瞬間のように、それだけで一杯になる。
 一日が終わり、やっと独りになって、ダンマのことを思い出し、ああ、瞑想か……。


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2/8(月) 
雑念と戦いながら必死でサティを入れているときは、まだ普段の思考モードと大差がないのだ。
 ところが、急にサティを入れようとする努力が要らなくなり、全てのものが、音が消えたテレビ画面を見るような感じに映ってくる。
 一瞬一瞬の状態が難なく対象化されていくと、今まで頭にお椀をかぶった状態で生きていたのだとハッキリわかってくる。
 喜怒哀楽、不安、絶望、恐怖……に巻き込まれる思考モードとはこういうことだったか……と。

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2/7(日) 
テレビを消し、インターネットも携帯もOffにして、誰もいない孤独な空間に身を置いて、思考モードを離れた時間の豊かさ……。

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2/6(土) 
瞑想をしない人には、孤独が身に沁みるかもしれない……。

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2/5(金) 
もし悪をなしているのであれば、時代によって、情況によって、偶然の出来事によって、業の法則によって、裁かれるだろう……。
 無明の悲しさを想い、「悲(カルナー)」の瞑想を捧げるばかりだ。


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2/4(木) 
自分に被害を与え傷つけた人の頭上にも、満点の星が輝き、月光が平等に降り注いでいるではないか。
 ダンマを学んだのだから、理法に貫かれた視点に立って、見つめ直してみる……。

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2/3(水) 
誤解が解けないなら解けないで、仕方がないではないか。
 心から幸いを願い、祈る心に一点の曇りもないのであれば、真意が伝わっても伝わらなくてもよいのだ。
 関係が修復されてもされなくても、慈悲のエネルギーは確実に届くであろうし、その結果ちょっとでも輝きを増した良い人生になってくれれば望むところではないか。
 見返りはゼロでも、いや、たとえ怒りや嫌悪の念を向けられようとも、黙って、慈悲の念を捧げていく……。

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2/2(火) 
黙って耐え忍ぶしかない時もある。
 「忍耐は最上の苦行である」というブッダの言葉を思い出しながら、一群の不善業が過ぎ去るのを待つ。
 善業の結果である幸福も消え去っていくが、恐ろしい苦もやがて消えていく。
 万物の無常性を想い、やがて終わる日が来ると信じて、静かに、心を乱すことなく耐え忍ぶ……。


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2/1(月) 
心が折れそうになってきたら、まだ残っている力でささやかな善行をする。
 独りではもう無理なら、仲間の力を借りて一緒にクーサラができる場へ這ってでも行く。
 安っぽい笑いでもお涙頂戴感動物でも、笑えば、涙を流せば、内分泌系が一変するので、暗転していく意識のチャンネルを換えることができる。
 人の力、環境の力、外側の力をいただいて、折れそうな心にスイッチを入れる……。


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