『朝カルで叩き込まれた因果論』 平明 創

 

  私が初めて地橋先生の朝日カルチャーセンターの講座を受講したのは5年前の4月でした。
  その2、3年前から先生の著書やその他のヴィパッサナー瞑想に関する書籍を読んでは自分なりに瞑想実践をしてきましたが、直接指導者から教えてもらうということはありませんでした。
  しかし6年前に大腸がんを患い、入院中に退院したらボランティア活動とプロから直接指導を受けて、瞑想修行を本格的にやろうという決意をしました。退院後、ボランティア活動はすぐに始めることができましたが、当時毎日のように飲酒をしていた小心者の私はテーラワーダのお寺の敷居が高くて、なかなかお坊さんのところへ瞑想を習いに行く気になれませんでした。そしてカルチャーセンターだったら本格的かどうかわからないけど、飲酒までは咎められないだろうという気軽な気持ちで受講を決めたのでした。
  初めて先生にお会いした時の印象は「本に載ってた写真と違って怖くて厳しそうじゃん」というものでした。
  初回の講座で歩きの瞑想の説明が一通り終わって「それでは実際に歩いてみましょう」となった時に、一人の受講者が遅れて教室に入って来ました。他人を見下してばかりいた私は「アホかこいつは?初回の一番大事な説明を遅刻して聞き逃すとは」などと心の中でその人を批判していたのでした。
  その後私は衝撃的な経験をしました。みんなが歩きの瞑想を始めている最中、なんと強面の先生が、その遅刻して来た人を教室の隅に連れて行って、たった今20人近くの受講生に説明したとおりに同じことをマンツーマンで丁寧に教え始めたのです。
  「なんてやさしい人なんだろう。この先生に教えてもらえば、間違いない」などと直感的に私の先生に対する信頼がその瞬間芽生えたのでした。
  それからリピーターとなり、現在まで朝日カルチャーセンターの講座を連続して受講しています。
  5年に渡って講座を受けてきて、私が一番良かったと思うことは、徹底して因果の法則を先生から叩き込んでもらったことです。なにか不愉快なことが起きると、すぐに他人のせいにする癖があった私は、自分の正当性に執着してばかりいて、心の中で相手を延々と批判しまくってばかりいました。
  仏教の本を読んで、なんとなく因果論を理解しているつもりだった私でしたが、所詮ただの知識ととして頭の片隅に存在する程度のものでした。そんな私にとって、「自己責任」、「起きたことは正しい」、これらの言葉が腑に落ちたことによって、自分の人生の苦しみ、怒りがどれだけ減少できたか計り知れません。
  先生の講座では特化して因果論を説明される回が必ずあります。当初私はこの因果論の回を受講するのが苦手でした。
  自分の犯した悪業を思い出し、因果論を聴けば聴くほど目の前が暗くなるといった感じになったからです。
  幼少期から劣等感や屈辱感にまみれていた私は小さくて弱い昆虫やカエルなどを見ると怒りがこみ上げてきて、踏みつぶしたりして数えきれないくらいの殺生をしてきました。ですから悪因悪果の話を身が縮みあがる思いで聞かなくてはなりませんでした。小学生の時にはよく近所のお兄さんとバッタやイナゴをたくさん捕まえては密閉された容器などに詰め込んで、爆竹で吹き飛ばすなどの遊びをしていました。ちなみにその遊びを教えてくれた近所のお兄さんは高校1年の時にバイク事故で踏切で電車に飛ばされて亡くなりました。
  そんな絶望的な私にも、その悪業を反対の善行によって相殺ができるという、願ってもない明るい話を先生はして下さいました。
  それ以来、人命、殺処分されそうな犬猫を救う団体、海外で臓器移植を希望されている方々、医療をうけるのが困難な難民や被災者等にお布施をしたり、スーパーで活きているシジミ、アサリ、ハマグリ、カニなどを買っては、川や海に放すなどのライフダーナをやるようになりました。そのおかげでしょうか、大腸がんも完治して、今のところ健康に生きることができています。ただこれらの事は、単に因果論に恐れをなした小心者の私が、自分の利益のためにやってる劣善に過ぎません。しかし劣善でも、何かしらの結果は出ると実感しております。実際、不衛生で水洗トイレのないカンボジアの村に水洗トイレを寄付した途端、自分で排泄できなかった知的障害の次男が自分で排泄できるようになったり、戦闘地で紛争予防活動をしている団体に継続的にお布施をしているおかげか、誰かと敵対するようなことも起きなくなりました。
  これらは全て表面的な事象ですが、私が先生から因果論を叩き込まれて最も感謝していることは怒りと心の苦しみの減少です。
  散々悪行を積み重ねてきた私ですので、不快な現象には常に遭遇します。そんな時、怒りが起きないと言えば嘘ですが、先生から教わった「自己責任」「起きたことは正しい」といった言葉を思い出すと自分が蒔いた種を刈り取っているんだからしょうがない、と思えるようになりました。実は私は散髪中に耳を切られるということが2回あったのですが、最初の時はまだ因果論など知らなかったので、ものすごい怒りを味わい不快な思いに苦しみました。しかし2回目の時は因果論を知った後だったので、自分の悪業の結果だ、あれだけ多くの生命を傷つけてきた私が「自分が傷つけられるのだけは理不尽だ」などという道理が通るわけもない、と納得することができました。そして、これで悪いカルマが1つ清算できたと思えて、怒り苦しまずに済むことができたのでした。
  それどころか、客の耳を切ってしまい、すっかり落ち込んでしまった熟練の床屋さんにカルナーの念すら覚えたのです。
  このように因果論の理解によって怒りが減少し、生きるのが楽になった私ですが、なぜ因果論が身に染みてきたのか考えてみますと、理由はやはり先生の情熱のこもった講義とそれをくり返し聴いてきたからだと思います。1回聞いただけでは腹に落とし込むところまではいかなかったでしょう。5年間、3か月に1回はこの因果論の講義を受けてきたので20回以上情報が上書きされた賜物にちがいありません。そしてこの因果論の理解が終生にわたり、そして来世にまでも私に恩恵をもたらしてくれるものと確信しております。