『ダンマの鏡に自分を 映しながら』 Y.K.

 

  子供の頃、兄弟に大きな病気があった影響で、自分は親に心配をかけないように、いつも良い子でいました。幸い勉強しなくても成績は良かったので、学校でも優等生でいることができました。
  高校卒業後は、周囲の期待に応えて難関大学に入学しました。すると、周囲の人達は、自分より優秀な人達ばかりでした。それまでたいした努力をしたことのなかった私は、だんだん周囲についていけなくなり、授業に出られなくなってしまいました。人生で初めての大きな挫折でした。
  大学は中退し、その後少しずつ社会復帰しました。就職して簡単な仕事から始めて、だんだん専門的な仕事ができるようになりました。また、様々な資格試験を受けて、自分のレベルを上げようと努力していました。しかし、一緒に仕事をしている周りの人はミスをすることが多く、私が間違いを発見して修正してもらうことの繰り返しでした。自分がレベルアップすればするほど周囲の人が自分より下に見え、「その人達のせいで自分の仕事が進まない」と、いつもイライラしていました。
  そんなイライラが最高潮に達していたある日、本屋で偶然原始仏教の本を見つけました。「生きることは苦である」という内容に衝撃を受け、すぐに買って何度も読みました。その後朝日カルチャーの地橋先生の講座に通い始め、法話を聞き瞑想をしていくうちに、いろいろなことが分かってきました。
  まず、自分の高慢さに気が付きました。思い起こせば、優等生だった頃からだんだん高慢になり始めていました。周りの人を見下していて、人を傷つけるような発言もしていました。さらに、挫折で自信を失くした後は、自分は人よりも上だと思うことで安心を得ようとしていました。不安になればなるほど高慢の度合いが増していたのです。
  また、今までたくさんの人に迷惑をかけ、傷つけてきたことにも気が付きました。人を傷つける発言、自分勝手な行動・・・などなど、思い出せるものだけでもたくさんあります。これらの出来事がネガティブな記憶として残っていて、後悔や不安となって自分を苦しめているようでした。
  このような思いはもうしたくない、自分が幸せになって周囲の人を幸せにしたい、と思い、五戒を守り慈悲の瞑想をしようと決心しました。
  その後、五戒を守る努力を続けています。家の中で虫を見つけた時には、捕獲して外に逃がしています。また、職場の懇親会などでは、いつもお茶を飲むようにして、ここ2年ほどは全くお酒を飲んでいません。お酒を飲まなくても楽しく参加できています。
  慈悲の瞑想は毎日するようになりました。電車に乗ったら必ず1セットすると決めました。今では、電車が発車するのと同時に頭の中で自動的に文言が流れ始めるようになりました。余裕がある時には乗り合わせた乗客一人ひとりの幸せを願います。道ですれ違う人一人一人に対して慈悲の瞑想をすることもあります。本当に心をこめてできた時には、心がとても温かくなっているように感じます。
  このように毎日少しずつではありますが継続していると、いつの間にか自分が大きく変わっていました。
  まず、困った人に対してイライラすることはなくなりました。その人の来し方に思いが至るようになり、自分と同じくその方も苦しんでいるのだと思えるようになりました。むしろ問題のある人こそ、自分の人格向上のために現れた師匠であると考え、存在を歓迎することができるようになりました。
  それから、人を思いやった反応が自然とできるようになったことからか、対人関係に自信がつきました。苦手だった人とも普通に話すことができるようになり、初めて会う人とも自然と会話ができるようになっていました。
  このような感じで、原始仏教に出会ってから三年が経とうとしています。今では、心はだいたい穏やかで、しみじみと幸せを感じることも多くなってきました。とはいえ、まだまだ修行の途中です。これからも毎日少しずつ続けていきたいと思っています。