『私のヴィパッサナー瞑想』 匿名希望

 

  「瞑想」と言えば「坐禅」という概念しかなかった私が「ヴィパッサナー瞑想」という言葉を知ったのは今から8年前のことです。
  あの頃は日常的に夫婦喧嘩をよくしておりギクシャクとした重苦しい空気が家中に充満して家族は窒息状態だったと思います。それなのに私は子供達がどんな気持ちでいるのか気遣い、思いやる優しさもなく、主人に対しては歩み寄り仲直りしようともせず「私は悪くないのだから、怒っていたいのならいつまでもどうぞ」と、可愛げのないふてくされた態度をとっていました。そんな時、日帰りの一人旅に出かけ地橋先生の本に出会ったのです。
  電車の乗り換えの時、駅構内にある書店の店頭に何冊も積み重なっていた『ブッダの瞑想法』という本が目に飛び込んできたのです。
  私は以前から「ブッダ」には大変興味があったのですぐに手に取りました。今までに聞いたことのない「ヴィパッサナー瞑想」という言葉に好奇心が湧き、また「頭が良くなる云々」というフレーズにひかれ、本の内容もみないまま購入しました。電車の中で早速読み始めましたが、だんだん専門的になり難かしくなってきたので、途中で読む事を止めてしまいました。コツコツと粘り強く向き合うのが不得手な私は、その本に対して一気呵成に自分自身を変革させてくれるような摩訶不思議な、あるいは超越的な何かを期待していたのかも知れません。
  凄い本なのにそのときから3年もの間一度も開くこともなく、また私達夫婦は相も変わらずケンカを繰り返しながら虚しい歳月を送っていました。
  そしてついに決定的な事が起きました。主人の浮気が発覚したのです。主人にはすぐに自宅から出ていってもらい10カ月間の別居生活がスタートしたのです。私は早速パートの仕事に就き、精神安定の為にヨーガ教室に通い始めたのです。私はとても傷ついていたので、無意識のうちに心に蓋をしてしまっていたようです。「私は健康だから幸せな方」「私にはかわいい子供達がいるから幸せ」等々と、陽気に振る舞って折れそうな心を鼓舞して自己防衛をしていたと思います。でも心の中はいつも重く鬱々としておりました。
  そんなある日、突然に思い出したのです。本棚の奥に追いやられていた「ブッダ」の本のことを。
  一気に読み終え、東京瞑想会、朝日カルチャーセンターにやっと繋がり、縁ができました。
  地橋先生の法話は感動的ですのですぐに引き込まれ、我を忘れて聞き入りました。気負っていた心は、回を重ねるうちに段々に解けていき、心が軽くなっていくのが分かりました。
  瞑想会は私の一番の癒しの場になり心の拠り所になっていました。
  今まさに私の身に起こっていることは、苦受・楽受を等価に見るということなのだと心から納得することが出来るようになりました。「塞翁が馬」、地橋先生からよく聞く言葉です。私がこの瞑想会に辿り着いたのは、耐え難い程の苦受があったから!別居生活がなければ絶対にこの場にはいなかった筈です。だから主人も感謝すべき人なのです。
  両親には甘やかされてワガママ放題に育った私は自己中心的で未熟な人間でした。人の心に優しく寄り添うこともあまり出来てなかったと思います。子供達には毒親でいた時期もあったようです。
  もしかしたら夫婦喧嘩の原因は私の方にあったのかも知れない・・・。唖然としました。
  今、私は緩やかではありますが変わりつつあるのではないかと思っております。それは自分自身の欠点を自覚し直すよう努力し始めたからです。
  三宝印の一つであります僧は、私にとりましては地橋先生であり、瞑想会であり、おばさんスタッフを含めた法友の方々です。
  その僧のお蔭で「ヴィパッサナー瞑想」と「気づき」の大切さを実感することが出来ました。とても感謝しております。