『変わっていった父親像』 村田広之

 

  「ずいぶん劣等感の強い性格なんだなあ」気づきの瞑想をやるようになって、私が自分という人間について感じたことのひとつです。「集中力がついて、仕事がうまくいくようになって、もっと健康になって、人間関係も良くなって・・・」と、多くを期待しつつ始めた瞑想ですが、期待とは微妙に違った方向に進んでいきました。
  集中力どうこう、という前に、なぜか家族のことがしきりに気にかかるようになりました。そこで、親子関係に関する本を何冊か買って読んでみたのですが、これと瞑想があわさって、亡くなった父親との関係を見直すきっかけになりました。
  「自分は父親と充分な関係をむすぶことができなかった。それが今の自分の劣等感や性格の不安定さと関係がありそうだ」。こういったことを自覚するに至りました。
  父親は、10年以上前、私がまだ学生の時に突然亡くなりました。「風邪をこじらせて、週末に入院した」ということを聞いたと思ったら、週が明けると、死んでしまったのです。解剖したところで、末期の肺癌だったということがそこで初めてわかりました。
  突然のことで驚きはしましたが、「悲しい」という感情が出てこなかったことをよく覚えています。「親が死んだら悲しいのが普通だ」と思っていたのですが、その時は悲しさを感じることができませんでした。
  私が小さい頃から、父親と母親は、仲が良くありませんでした。子供の目から見た父親は、「いつも何かを我慢しているような感じの不機嫌な人」という印象でした。特に母親との会話を避けているようで、「お父さんは、お母さんのことが嫌いなようだ」「お父さんが不機嫌なせいで、お母さんはさみしそうだな」といったことをずっと感じていました。
  父親から話しかけられても、「子供にいい顔をする前に、もっとお母さんと仲良くしたらどうなんだ」と子供心に失望と怒りをうっすらと感じていたように思います。そうした感情が何年もずっと積み重なるうちに、同居していても父とはほとんど言葉を交わさなくなり、目を合わせることも少なくなり、父との交流は希薄なまま、突然亡くなった、ということになります。
  父親との関係はそこで凍結していたのですが、瞑想を続けていくうちに、父親について、それまでは思いもよらなかった見方をするようになりました。
  毎日の瞑想では、直近に人と関わった時の感情が反芻されることが多くありました。「自分はもっと注目されるべきだ」「居場所を確保するために、認められるような実績をあげなくては」というような感情が頻繁に出ていました。
  そして、ポッポッと何年も前の記憶も浮上してきました。小学校の先生、部活の先輩、会社の上司などを思い出し、「自分は目上の立場の男性が苦手だな」というのを再認識しました。「心を開いた会話ができず、ただ気に入ってもらえるのを待つ」「認めてもらうことに失敗したと感じる」そういう不健康なパターンをはっきりと確認しました。
  さらに、日々の瞑想を続けていく中で、父親が生きていた頃の記憶と感情も浮上してくるようになりました。親子関係についての本を読んだことも手伝ったと思います。そして、ある段階から、自分の中にこれほどある根強い劣等感や緊張、抑圧といったものが、父親にもあったのだ、ということをはっきりと確信しました。
  父の育った家庭環境について、詳しく知ることはできませんが、「お父さんとおばあちゃんは、あまり仲が良くないようだ」というのを、子供の頃にはっきりと感じたことを記憶しています。
  他にも、父親の兄弟についてなど、いくつかのことをあわせて考えていくと、「実は父親は、苦しさをかかえながら、家庭を維持しようと必死でがんばっていたのではないか。自分を抑圧して抑圧して、末期の癌であることにも気づけなかったのではないか」そういう父親の像ができてきました。
  この瞑想をきっかけとして、父親に心の中で歩み寄れた、そういう感覚が確かにあります。父の墓の前で手紙を読み上げたこともあります。「自分は大変に恵まれた家庭に生まれ、育つことができた。親には充分すぎるほど良くしてもらった。今度は自分が責任をはたす番だ」と以前にも増して強く感じるようにもなりました。
  瞑想を始めなければ、こういった展開はなかったのではないか、と思います。今後の展開を楽しみつつ、これからも日々の瞑想を続けていこうと思います。