『本当の仕事と瞑想』 Y.N.

 

  3.11それは人生の根底が揺るがされる大事件でした。それまでの自分は、精神世界と社会生活をあたかも両立しているかのように生きていました。ポジティブ思考、願望実現など、自分にとって「心地良い」イメージを措くことで、なんとなく仕事の流れが順調に展開しているかのように錯覚していたのです。
  しかし3. 11以降、仕事の流れがつかめず、閉塞感に苛まれました。その中で手を出したのが、「願望実現」を更に強化するような自己啓発プログラムでした。しかし能力開発に取り組めば取り組むほど、お客様との心理的な距離は遠のくばかり。
  お客様に提供した資料や内容は充実しているはずなのに、聞こえてくるのは嫌悪に満ちた批判や不満ばかり。最終的に自分が渾身の思いを込めてまとめたプロジェクトの報告書が「事実認識を疑う」と一喝されると、ショックとともに何かが音を立てて崩れていきました。しばらくは、もぬけの殻のようになり、無気力で何もできない日々が続きました。そのような状況でたどり着いたのが、ヴイパッサナー瞑想のホームページと『瞬間の言葉』でした。
  今年の4月に初めて朝日カルチャーの講座に参加しました。瞑想を実践し講話や皆さまのレポートを拝聴しながらの時間はとても刺激的で、かつ精神的に充実するものでした。それ以降、自宅でもヴィパッサナー瞑想に1〜 2時間程を費やすようになりました。坐る瞑想は楽しく、あっという間に時間が過ぎていくのですが、歩く瞑想に関しては、その本質的な意義が今ひとつ飲み込めずにいました。
  そこで、友人の勧めもあり、「泊まらない1Day合宿」に参加しました。この時、歩く瞑想について技術的な修正をしていただき、その日は歩く瞑想にひたすら専念しました。終盤でようやく坐る瞑想になり、お腹の膨らみと縮みを感じつつも、足の痛みにサティを入れる時間が続きました。ところがその後、予想だにしないことが起こったのです。
  坐りの瞑想から、慈悲の瞑想に移行し、揮身の力を込めて参加者の方々へ愛念を送りました。その慈悲の波動が過去の記憶を呼び起こしたのか、目の前にとある光景が拡がり始めました。
  2010年の暮れ、縁があってペルーの聖なる谷で起きた洪水被害の救済支援に携わっていました。その活動中、共に支援活動をされていた方のお宅を訪れ、その土地の美味しい食べ物や、被災者の方が提供くださった焼き魚をありがたく頂きました。その時、マチュピチュに伝わる豊穣を大地の神々に感謝する儀式を体験しました。
  慈悲の瞑想中、大地と自然と自分があたかも一体になったかのような当時の記憶が鮮明に蘇ってきたのです。気がつくと両目からポロポロと涙が溢れていました。「自分はこんなにも多くの愛を受け取っていたのに、どうして忘れてしまったんだろうか!」自分の心の奥底に眠っていた、たくさんの人々からの恩愛の記憶が一気に呼び覚まされた瞬間でした。
  その数カ月後、苦々しい思いとともに物別れになってしまったお客様をイギリスにご案内する機会がありました。不安な気持ちにひたすらサティを入れ、自分の中にある「嫌悪心」を慈悲の瞑想で溶かしながら、準備を整える日々が続きました。
  実際に現地に到着すると、思いがけないアクシデントに見舞われ、頭の中が真っ白になりました。それでもその状況に淡々とサティを入れ、「今できること」に精一杯集中して対策に当たりました。すると、会社の同僚たちがいたたまれなくなったのか、大きな憐れみの念と様々な善意をもってその苦境に対応し始めてくれたのです。結果、お客様の置かれた苦しみが和らぎ、最終的には大きな満足感とともに帰国の途につかれたのでした。
  英語のCompany(会社)という言葉には「仲間」という意味もあります。皆にとって喜びをもたらす、真に意義深いことを仲間とともに創り上げていく、それが本当の仕事なのではないか。そんな気づきに至りました。私たちの心の奥底に眠っている「善心」は目覚めたがっているのだと。
  また、今まで同僚に対して、勝手な偏見のイメージで決めつけていたことに気づかされ、「こんな側面があったのか?」 とまるで別人と出会っているような感覚がありました。「サティを入れる」、それは頭の中の勝手なイメージや思い込みをリセットして、瞬間瞬間のありのままの現状認識から慈悲に至る世界なのだと実感できた貴重な経験となりました。