『求めていた道にたどり着いた不思議・・・』 T.T.

 

  私がヴィパッサナー瞑想に出会ったのは4年ほど前でした。ふとしたきっかけで瞑想関係の書物を手にし、「私が長年探してきたものがここにありそうだ」と感じたのです。
  若いときから悟りとか、人生の最終目的としての「何か」を求めて、そしてその「何か」に至るための方法・道を探してきました。
  しかし、年齢も 60代半ばを過ぎ、この世にそんな「何か」など無い、とあきらめかけていた矢先に、また修行するにも年齢的にこれが最後と思えるときに出会ったのです。
  私は学校でも、職場でも人間関係がうまくいきませんでした。何か問題が起きると、妄想に逃げ込む私の妄想癖も大きな障害になっていると、うすうす思っていました。人と話しているときも別のことを考え、妄想しているという悪い癖にも気づいてはいました。ヴィパッサナー瞑想は、その「妄想」をまさに最大のテーマとしていたのです。
  このヴィパッサナー瞑想が、私の探していた道に違いないと思ったのですが、具体的なサティの入れ方がよく分かりません。指導してもらえる所をインターネットで探し、地橋先生による瞑想会があると知りました。
  さっそく瞑想会に参加しましたが、その時の感動は今でも忘れられません。ただ単に、サティの技術だけを学びたいと思って参加した私にとって、先生と法友たちの真摯な姿勢に衝撃を受けました。
  瞑想のおかげで得た成果はたくさんありますが、サティそのものはなかなか上達しません。サティがきちんと入ったという実感が持てないのです。
  ヴィパッサナー瞑想の成果としては、肩こりが治った。首を傾げる癖がほとんど治った。妄想の団子状態が断ち切れるようになった。他人や生きものに対して優しい気持ちを持てるようになった。日々の生活に以前よりも安らぎを感じるようになった。等々たくさんの成果があるのですが、一方で次から次へと自分の欠点が見えてきます。
  悟りとか、道とかそんな理想を追いかける状態ではない。ずっとレベルの低い、人並み以下の人間だということが、心から納得させられてしまいます。これまで隠れていた私の貪瞋痴がどんどん見えてきます。
  自分でも不思議に思うのは、私がヴィパッサナー瞑想に導かれた動機・条件があまりにも揃っていて、それらが揃った丁度そのときにヴィパッサナー瞑想に出会ったことです。
  1.医者から癌だと告げられたのとほぼ同時期に出会いました。初期発見で軽かったのですが、私としては命の危機を感じました。
  2.多くの苦受を受けました。先生がダンマトークの中で「馬鹿なことをして、痛い目に会わないと分からないのですね」と話されたときは、まさに私のことを言われているような思いでした。様々な「馬鹿なこと」をして、多くの苦受が束になって押し寄せてきた、癌もその一つでしょうが、まさにその時期にヴィパッサナー瞑想と出会ったのです。
  3.完全に退職して転機に立ちました。退職して2年ほど経ち、解放感に浸る時期も過ぎて、生きていく上で何か心の柱が必要になってきた時期でもありました。
  これら多くの条件が重なった時機に出会った不思議を思います。たとえ来世においてどのような所に転生しても、決して精進を怠らない。そんな輪廻転生の第一歩に今生がなるならば、この上ない素晴らしい人生であった、と言えるでしょう。
  今願っているのは、「今ここ」という一所を「一所懸命、淡々と」歩んでいきたい、ということです。