『体を整え、心を整え、人生を整え』E.K.

 

  16年前に仕事のストレスから心の調子を崩しうつ病になりました。その時お世話になったカウンセラーの先生の勧めで、座禅を始めたのが瞑想との出会いでした。その後、体調管理のために続けていたヨガが実は瞑想のための技法であったことを知り、それ以降は、ヨガと集中系の瞑想を生活の中に取り入れながら、心と体のメンテナンスを行ってきました。
   ただ、どれだけヨガや集中系の瞑想を行っても、長年しみついた心の癖のようなものは、なかなか改善されず、生きづらさは変わりませんでした。何度も同じような悩みにぶつかり、それを乗り越えようと、自信をつけるために資格を取ったり、果ては外国留学までしてみたり・・・。そして頑張りすぎてへとへとになり、お酒や買い物、刹那的な快楽で気を紛らわしながら、いつも心の奥底でむなしさを感じていました。
  そんな中、あるマインドフルネス関係の書籍と出会い、今まで集中系の瞑想では感じることのなかった「客観的に観る」ということの意味がやっとわかったのです。その後は、片っ端から書籍を読み漁り、中でも地橋先生の「ブッダの瞑想法」が一番、論理的かつ親切でわかりやすかったので、かじりつくように読みながら、実践を重ねました。そのうちに、やはりご本人に指導を仰ぎたい、という想いが強くなり、朝日カルチャーに通い始めました。
  初めて地橋先生から直接、歩く瞑想の指導を受けた時のことは忘れられません。ラベリングのタイミングがこんなにも重要だとは思っていませんでした。六門からの情報の入力と(触)→識→受→想→尋の流れが初めて理解できた瞬間でした。
  その日以来、歩く瞑想の素晴らしさに開眼し、毎日夢中になって行いました。毎朝20分の歩きの瞑想と座りの瞑想を、夜は時間があれば時間の許す限り行いました。
  とにかく瞑想が、サティが入る感覚が楽しくて仕方がなかったのです。サティが連続して入っている時、心は完全に今に留まることができます。集中瞑想と違って、軽やかな感じも、私にはとても新鮮でした。
  それからダンマトークを継続して聞くことで、法の理解が深まり、特に、無常、無我、縁起、の意味が単なる学問ではなく、「本当のこと」として理解できるようになってきました。
  ある時、座りの瞑想中に呼吸を観察しながら、気づいたことがあります。今まで私は「自分が」息を吸って「自分が」吐いている、と思っていたけど、よーく観察してみると、息って勝手に起きている。止めようとしたって、止められないし、せいぜい2、3分で、苦しくなって、吸ったり吐いたりしてしまう。自分の力じゃとても太刀打ちできない。
  今まで私は、自分の力で生きてきた、と思っていたけれど、この世界には、なにか得体の知れない力が、いわば「いのちの働き」のようなものがあって、そちらの方に生かされているんだ、そう思ったら涙があふれてきました。
  日常生活も激変しました。日常生活全般に、自然にサティが入るようになると、最初は自分が、いかにこの世界を、瞬時にジャッジ、判断しながら生きているのかを目の当たりにして、驚きました。
  道端の花を目にした瞬間、観た?ピンク?キレイ、と快を覚える心。前を歩く人の煙草の煙をかいだ瞬間、刺激臭?タバコ??くさい?無礼な人、と嫌悪する心。・・・こんなことを、一日中やっているんだ、私。そう知った時の衝撃は忘れられません。私はこの世界をありのまま観ているんじゃなくて、自分の色眼鏡を通して、世界を眺めているだけなんだ。これじゃあ、どれだけ瞑想しても、ありのままを眺めることなんて、一生かけても出来っこない。反応したくないのに、勝手に反応してしまう心。それが止められない限りは、苦しみはなくならない。それを悟ってから、反応系の修行に本気で取り組み始めました。
   まず慈悲の瞑想を徹底的に、真剣に行うようになりました。毎晩、寝る前と、電車の中で行うようにしました。特に満員電車や雑踏を歩く時など、不善心所になりそうな場所、場面では、嫌悪系の反応が起きる前に行っておくと、心が穏やかに保ちやすいことがわかってきました。
  私はヨガの講師をしているのですが、レッスンの前に行うことで「私が教えてあげる」というエゴ感覚が薄れて「この人たちに楽になって欲しい」という慈悲モードに意識が切り替えられて、「よく見られたい」「評価されたい」という承認欲求がなくなり、緊張することが減りました。また、なぜか生徒さんの数が増えて、クラスがキャンセル待ちになることも多くなりました。
  それから、戒を守ることの大切さも身に沁みてわかってきました。五戒はどれも大切だと思いますが、私には「嘘をつかないこと」が難しかったです。私は昔から人から嫌われることが怖くて、ついお世辞を言ってしまったり、相手を傷つけないように、事実とは違うことを言ってしまうことがよくありました。「嘘も方便」って言葉もあるじゃないか。相手を傷つけないための嘘ならついてもいいんじゃないか。最初はそう思っていました。けれど、瞑想が深まって行くにつれて、相手のことを思っているようでも、その実、自分を守っているだけなのだと、いうことに気づかされました。そしてどんなに小さな嘘であっても、心が汚れることにも気づきました。
  「迷った時は、心が汚れない方を選ぼう」。日常の中で、何か判断に迷う時、いつもそれを基準にすることで、自分の中に軸ができました。どんな時でも正々堂々と居られるようになり、生きていくことが楽になってきました。そして、そんな自分を信頼する気持ちが生まれてきて、生まれて初めて自信がついてきました。
  自分自身との信頼関係ができてくると、不思議なことに、自分のエゴ感覚に対しても、嫌悪ではなく、ニュートラルな視線を向けられるようになりました。怒りや不善心がわいてしまう、そんな自分もあるがまま観ることができるようになり、その結果、怒りや貪りを封じ込めることなく、根本的な原因にまで洞察が及ぶようになり、自己理解が深まりました。
今、これを書いていて思うのは、「ヴィパッサナー=あるがままを観る」というのは、結局のところ、目の前の全てを受け容れていく、自己受容、他者受容、全受容の訓練なんじゃないかということです。
  私は結婚して23年になるのですが、子供はおりません。世間には子供ができなかった、という体裁をとっていますが、子供が欲しいと思えなかったのです。こんなにも生きていることが苦しくて、自分自身が生きていくだけで精一杯なのに、別の命を育てるなんて、私にはとうてい無理なことのように思えました。また、こんなに苦しい世界に新しい命を作りだすことの意味がわかりませんでした。生まれてきたら、その子がかわいそうだ、とも思いました。幸い主人も同じ考え方だったので、子供を持たない人生を選択しました。それが正しかったのかどうかはわかりませんが、自然に子供が欲しいと思えない自分が、人間として、生物として、どこかに欠陥があるような気がずっとしていました。
  先日2回目の1DAY合宿で、心随観を徹底して行ったところ、私の中のこの「嫌生観」の根っこのようなものに気がつきました。
  それは母との関係でした。私の母は精神的に不安定な人で、何かのきっかけで取り乱すと、子供の目の前で自殺未遂をしたり、家に火をつけたりするような人でした。小学6年生の時、薬とお酒で錯乱していた母から首を絞められ、その母を思い切り突き飛ばして逃げた日以来、私には母はいない、と決意して生きてきました。
  18歳で上京して家を出て以来、表面的にはそつなく接してきましたが、心を通わせたことはありませんでした。母が死んでも涙は出ないだろうと思っていました。
  そんな母とも、ヴィパッサナー瞑想と出会って、慈悲の瞑想を行ったりしていくうちに、私の中で心境の変化が起き、手紙を書いたり、プレゼントを送ったり、一緒に食事をしたりすることも増えてきました。昔の私からすれば、驚くべき変化です。
  しかし、1DAY合宿のインタビューで地橋先生から、再び内観へ行くことを勧められ、またその後の座りの瞑想の中でも、自分がいつも何かに急き立てられるように頑張りすぎてしまうのは、根底にある無価値観のせいだ。それは、母との関係を清算しない限りなくならないだろう。そう、気づかされたのです。
  ただ、そう感じる一方で、心の中には大きな抵抗感がありました。特に合宿後、一週間くらいは自分でも驚くほど、大きく心が動揺しました。
  「ヴィパッサナー瞑想のおかげで、やっと毎日が楽に生きられるようになったのだから、もう十分じゃないか、このままでもいいじゃないか」
  「内観なんて行って、わざわざ傷口を開くようなことをする必要があるのか?」
  「なぜそんなことを勧めるのか?」
  そんな怒りさえ沸いてきました。
  エゴが抵抗していたのです。
  瞑想したくない。そんな気持ちにさえなりましたが、直観的に、だからこそ、今、必要なんだ、と思い、とにかく続けていると、ある時「手放したくない」という言葉が浮かんできました。一瞬、何を?と思ったのですが、さらに観察を続けると「アイデンティティ」という言葉が浮かんできました。そこでやっと納得がいきました。
  私はこれまで「ひどい母親に育てられたけれど、健気に頑張って生きてきた子」というアイデンティティにしがみついて、それを心の拠り所にして生きてきたのです。それを手放すことは、人生を根底から覆すことになり、だからエゴはこんなにも必死で抵抗していたのです。
  全てがつながりました。私はこれまで母親を憎むことをエネルギー源にして、いろんなことを頑張ってきたのだということ、そんな健気な私を認めて欲しいとずっと願っていたこと、上手く行かないことがあれば、これを言い訳に自分を憐み、慰めてきたということ。過去の自分の行動や言動が次々と思い出され、あれも、これも、すべてそうだったんだと、いろんなことが腑に落ちました。
  数日間そんなふうに検証を続けていたのですが、ある時なんだかそんな自分が、可笑しいというか、愛おしく思えたのです。「笑っちゃうな、私」って。すると、これまでずっと重たかったお腹のあたりがふっと軽くなりました。「内観に行こう」、そう素直に思えました。
  面白いことに、そう決心した翌日に、実家から宅配便で荷物が届いたのです。段ボールの中に小学1年の時の絵日記が数冊入っていました。掃除をしていたら押し入れから出てきたということで、父が私に送ってくれたのです。そこには、母との日常を楽しそうに描いた私の下手な絵や文章のほかに、その文章に対しての母からの返事が赤のサインペンで綴られていました。自然に涙がこぼれました。
  「こういうことなんだ」、と思いました。私は自分で勝手に捨ててしまった思い出を取り戻したい。偏った記憶じゃなくて、まっすぐに世界を観たい。そのために内観に行くんだ。そう思ったらとても明るい気持ちになりました。
  先週ようやく仕事のスケジュールが調整できたので、さっそく内観合宿の予約の電話を入れました。まだ少し怖い気持ちはあるけれど、今は自分がどんなふうに変化するのかが楽しみです。
  最後に、私をここまで変化させてくれたヴィパッサナー瞑想と、地橋先生、朝日カルチャーや合宿で出会ってくださった皆さまとの出会いに、心から感謝申し上げます。先生や皆さまの存在が私をいつも励まし、勇気づけてくれています。これからも、ヴィパッサナー瞑想を人生の杖として、歩んでまいりたいと思います。今後とも、どうぞよろしくお願い致します。