合宿でのヴィパッサナー瞑想体験集

 

 

〈匿名希望Aさん(20代男性)の体験記から〉

 

かってにサティが入っていく……

 

 ……6日目だったと思う。全力を尽くしての90分の座禅から立ち上り,喫茶テーブルでお茶を飲んでいた。座禅後に精魂尽き果て、Satiの連続性が失われる失敗を繰り返していたので,なんとかシャープなSatiを取り戻そうと懸命に身体動作に集中していた。
 カップを持った手を「動かそう」と思った瞬間、突然、驚くような鮮明さ,強烈さで「モー嫌だ。モーSatiを止めたい。クタクタだ。動きたくない……」と生じてくる思念に次々と言葉なしのSatiが入り始めた。すると,それをきっかけにSatiがかってに高速化し始め,様子が激変していった。

 

 それまで努力に努力を重ねて「見た。聞いた。感じた」とラベリングを入れていたのだが,音がする→それについての映像が浮き上がる→Satiを入れなきゃ という思い→ラベリングの言葉の検索→「聞いた。見た」という心の動き…等々の一つ一つに自動的にSatiが入ってしまっているのだ。
 あるいは、一つの感覚刺激によってさまざまな印象が引き起こされ次々と転じてゆく様子が超高速度の万華鏡を覗いているような感じで「見える」と言えばいいだろうか。

 

 そのうちに身体感覚までもが,高速化してゆくのが感じられ,全身の血液がグツグツ沸騰していくかのような,あるいは全身が「ビクッ,ビクッ」と痙攣し,ひきつけで埋め尽くされていくような感じに変ってゆく……。
 すると「これって,本当に大丈夫なのかいな?」という不安感や「オオ,こいつはスゴいや!」という驚き,喜びなどが生じてくる。しかし「これは本当にいいのかな?」とたちまち始まっていく考察にはSatiが入れづらく(なぜならけっこう好きだから)いつのまにか巻き込まれ知覚のペースが落ち始める。

 

 ふと,カップを持ったまま体も手も固まってしまっていることに気付き,カップを置こうと思う。
しかし,即,「動かしたくない」「イヤ,動かさなきゃ」「なんだかめんどうだ」「でも,人が見たら変に思うのでは?」「どーでもいいじゃないか」「本当は気にしてるクセに」「イヤ,とにかく動かなきゃ」「動かない!」「まずい!」「こいつは困った事になったなー」「どーしよう」と、立ち往生の状態になり,いつまでたっても体に対する指令が出てこない。
制御不能なのだ。
 つまり行動に指令を発する意志自体に瞬時にSatiが入ってしまうので,意志から行為につなげる事ができず,封じ込まれてしまっているような状態なのだと思う。最後に強引にSatiを止めてしまって脱出し,ホッとした。

 

 平素はまったく意識されないが,心にはこれほど多くの「事」が常に起っているのだ。「自己観察」とは誰もが言うことだが,観察する眼自体を高速化させ,精度を上げてゆく訓練法がこれだけ完成された具体的なメソッドとして存在する事実,そしてそれは,たった数日間の合宿で変化が実感できる程ハッキリしたものである事,なぜSatiの不断の持続が重大なポイントになるのか,「正しいサマーディ」という言葉の真の意義……,
 これらの全体に対する「なるほど,そういうことか!」という了解が生じた時「なんというおそるべき修行法だ!
こんなものを考え出すとは!」と,ブッダとヴィパッサナー瞑想に対する感嘆,驚きを禁じ得なかった。